第6話 歌仙伝という刀 下

老人を訪ねた夜。藤堂七夜は柳生宗不二、霧隠紫門と、座敷で夕餉を共にしながら、昼間の出来事を話した。

お猪口を口に運びながら、黙って話しを聞いていた柳生宗不二は、藤堂七夜が話しを終えるなり、


「阿呆よなあ」


と言った。

霧隠紫門は、ご飯茶碗の麦飯を口の中にかき込み、熱心に噛み締めて飲み込むと、難しい顔をした。

藤堂七夜も味噌汁を啜りながら、柳生宗不二に視線を向けた。不機嫌そうな様子はない。ただ、普段と変わらない表情も、老人に対する憐れみが影を差していた。


「子息を奪われた無念は分からなくもないが、刀鍛冶としての己を捨てることはないだろう」

「それだけ、辛かったんですよ」

「阿呆。この乱世だぞい。生者より死者の方が多いわ。遺された者が、生き方を誤る。これこそ、死者に対する侮辱よ」

「柳生様」

「悔いるもよし。嘆くもよし。されど、生きてこそ。老人は生きておらん。死んでおるように振る舞っておる。そこが気に食わん」

「......強いんですね。でも、みんなが柳生さんみたいに強いわけじゃありませんよ」

「当たり前だのう。この世の全ての人間が強ければ、人はとっくに滅んどる。国も人も、臆病者がいるからこそ、弱い人間がいるからこそ、生き延びとるのよ。強いだけの人間は、勝手に暴れて気付いたら死んどる。そんなものよ」

「『真に強い者は強弱ともに備えている』。我が師と同じ事をおっしゃるのですね。あの老人も、その岐路に立っているのでしょう。このまま押し潰れるか。再び立ち上がるか。藤堂と話せたこと、老人にとって良かったのかもしれません」


霧隠紫門の言葉に、藤堂七夜は戸惑う。

何かしたわけでも、何かができたわけでもない。それなのに、何が良かったのだろうか。


だ。多分、老人はだれにも話さなかったはずだ。その事は老人の胸の中で重石となり、汚泥のように心を蝕んでいたはず。だが、それを口にしたのだ。言葉にして吐き出したのだ。

罪悪感と恨みで凝り固まっていた魂に、が生まれた。後は、その迷いを老人がとう解するかだろう。少なくとも、絶望だけしかなかった中に、希望もを出したのだ」

「おう。その通りだ。七夜の。よくやったわ」

「........................あ、ありがとうございます............」

「老人がどう答えを出すかは二日後にハッキリするわい。わしらはそれまで宿暮らしを満喫するとしようではないか」

「二日後には出立します。国府までは、あと数日の距離ですから」

「よしっ!。おーいっ! 誰かおらんか!? 酒だ! 酒のお代わりを頼むぞいっ!」

((まだ飲むのかよ......!!))


この後、見事に酔い潰された藤堂七夜と、辛うじて耐え抜いた霧隠紫門。全く酔った様子の無い柳生宗不二は深夜まで美味しそうに酒を飲み続けたのだった。


▼▼▼


夜も更けて、就寝してから、しばらく経った時、外がにわかに騒がしくなった。

最初に気付いたのは、霧隠紫門だ。布団から起き上がると、障子を開け、外を確認しに行く。

提灯を持った役人らしき武士が、声を上げて行き交っていた。番所の役人だろう。殺気立っている。

神経を研ぎ澄ませ、耳を澄ます。武士達の会話を拾おうと集中する。完全には拾い切れないが、要所要所の言葉を聞き取っていく。


(............襲われた......押し入り............鍛冶屋......重傷............盗まれた)


それだけの単語を聞き取り、霧隠紫門は嫌な予感を覚えた。

この町に鍛冶屋は複数ある。だと思うのは早計だ。それでも、不安を覚えて仕方がない。

そう考えた霧隠紫門の行動は速かった。青白い顔でうんうんと苦しむ藤堂七夜の顔を足で踏ん付けて、起こすと、続いて柳生宗不二に声をかけた。


(......い......痛い......扱いが、ヒドイ............)

「............何事だのう?」

「外で何かがあったようです。番所の役人が走り回っています。どうも、鍛冶屋に押し入った者がいるらしく、重傷を負った怪我人もいるそうです」

「......鍛冶屋......?」

「あの老人のとこか?」

「それは分かりません。ただ、嫌な予感がしてなりません。これから確認に行くべきかと」


柳生宗不二と霧隠紫門の行動は素早かった。

あっと言う間に身支度を整えると、得物を手に部屋を飛び出していく。顔を手で押さえていた藤堂七夜は、慌てて着物の上に羽織を着込むと、後を追った。


町の中を走り、老人の鍛冶屋に到着した時には、深夜にも関わらず大勢の野次馬と、彼らを追い払っている役人の姿があった。人込みをかき分け、何とか鍛冶屋の方が見える位置まで進む。

鍛冶屋の入り口付近は、大量の血で地面が染まっていた。役人達が現場検証をしている。柳生宗不二は隣にいた野次馬の若い男を掴まえる。


「おい、そこの」

「はい? おれかい?」

「ここで何があった?」

「強盗だよ。兼定の爺さんが襲われて、額を斬られちまったらしい。さっき、血塗れで番所に運ばれていったぜ」

「兼定?」

「爺さんの名前だよ。関村兼定。あんたら、知らんのか?」


そう言えば、老人老人と呼んでいて、当人の本名を知らなかった。


「いつかこうなるんじゃないかって皆で噂してたけど、本当に起きちまったなぁ」

「それって、どういうことですか?」

「兼定の爺さん、腕が良いって評判だったからな。何人もの武士や浪人が刀を買いつけようと訪ねて来てたんだけど、その度に追い返してな。何度か、無礼討ちになりかけたこともあったんだ。逆恨みから仕返しされるんじゃないかって、皆言ってたよ」

「なるほどな。ところで、犯人を目撃した者はいるのか?」

「伽藍隊の連中だよ」

「伽藍隊?なんだそれは?」

「傾奇者を気取った若い連中だよ。少し前に、屋台で兼定の爺さんとひと悶着起こしたって聞いたぞ」


あいつらかと、藤堂七夜は屋台で起こった出来事を思い出した。

確かに、兼定の老人は若者数人と揉めていた。若者の風貌は役者の様に派手だった記憶がある。柳生宗不二に叩きのめされて、それからどうしたのか、関心が無かったため、覚えていない。


「とりあえず、番所に行きましょう。老人に会うべきです。生きていれば、ですが」


ちらりと入口に広がる血の量を見て、霧隠紫門は生存は五分五分だな、と判断する。

派手に出血しただけかもしれないが、それでも出血量が多い。迅速な治療が行われている事を祈るばかりだ。


「そうだな」


三人は頷くと、番所に急いだ。

顔見知りという事が幸いしたのか、役人はあっさりと三人を番所の座敷に通した。そこに、老人こと関村兼定の姿があった。布団に寝かされ、頭に包帯が巻かれている。横では、医者らしき年若い男が桶に満たされたお湯で、手を洗っていた最中だった。


「どなたかな?」

「そこのご老体の友よ」

「そうでしたか。それは、さぞ心配なさったことでしょう」

「具合は、どうですか?」


藤堂七夜が心配げに問うと、医者は穏やかに微笑んだ。


「もう大丈夫ですよ。幸い、傷は致命傷に至っていませんでした。しばらく安静にしていなければなりませんが、命に別状はありません」

「そうですか。よかった」

「............よく......ないわ............」


関村兼定は目を覚ましていた。

起き上がろうとするも、力が入らないのか。すぐに身体は布団に倒れ込んでしまった。命に別状はなくなっても、重傷に変わりはない。医者は顔を顰めた。


「ここに運び込まれてから、ずっとこうなんですよ。刀を取り返しに行くといっては、暴れてまして」

「元気だのう」

「うるさいわい......。そんなことより......刀を取り返しにいかんと......」

「刀?。刀を奪われたんですか?」

「......そうじゃ。あの小僧どもめ......いきなり乗り込んできて、ありったけの刀を持って行きおった。......『蜃』も、持ち去られてしまった。あれは、あれだけは......」


息子の形見である歌仙伝・蜃も伽藍隊に奪われてしまったらしい。

関村兼定は憔悴していた。あの刀は、人生の指針あり、目標である。人を斬り、血を吸い、命を刈り取る刀しか打つ事が出来ない老人にとって、あれは《奇跡》だ。

あれがあったから、老人は正気を保てた。心を壊さずに済んだのだ。もし、血の味を覚えてしまえば、ただの人斬り刀と成り下がれば、家族を失ったも同然だ。


「あれは、息子の魂だ! 最後に残った儂の《未来》だ! もう喪いたくない!。何としてでも、儂の命に代えても、取り戻さねばならん!」

「お、置きあがっては、駄目です!。安静にしてないと!」

「やかましいわ! 儂はいかねばならんのじゃ!」


......うるさい。この爺さん。藤堂七夜は目の前で喚く老人を前に、耳を塞ぎたくなった。

顎を撫でていた柳生宗不二は、ふと、薄ら笑みを浮かべた。それに気づいたのは、霧隠紫門。何か思いついた顔だ。この剣豪、案外、悪知恵が働くというか、抜け目がない所がある。


「老人、そのわっぱどもの居所を知っておるか?」

「なんじゃい! それがどうした!?」

「多分、町を出て南に進んだ林の中にある廃寺にいるかと。彼らの溜まり場で、町の住人も怖がって近づきませんから」

「よし! わしらが刀を取り戻してやろう」

「「「「は?」」」」

「わっぱどもは首だけでよいだろう?。その方が持ってくるのが楽だしのう」


腰に両手をあてて、柳生宗不二は気持ちの良い笑顔で宣言した。若者の皆殺し、をである。

藤堂七夜は一歩、下がる。いや、三歩ほど下がった。できれば、宿にとんぼ返りしたかったが、霧隠紫門に後頭部を鷲掴みされた。逃がすつもりはないらしい。

『最近の若者は年長者に対する態度が手荒い』。心の中で悪態をつくが、口には出さない。藤堂七夜なりの処世術という奴だ。


「いや、殺してはいけません!。生かして捕まえるべきです!。それ以前に危険です!。ここは番所に任せるべきではありませんか!」

「乱暴者が良い刀を手に入れたのだぞ?。今頃、ルンルン気分で振り回したくてウズウズしておるだろうさ。よいのか?。ここで足踏みしておれば、今度こそ誰かが死ぬぞ?。役人に比べて、わしらは腰が軽く、足が早い。利用するに越したことはあるまいて」


必死に反対する医者は、柳生宗不二に説き伏せられた。

いや。ならともかく、って事は、俺も含まれてるのか?。藤堂七夜は自分の身体を見る。とても戦える自信は無い。というか、戦いたくない。行きたくない。


「老人、取られずに済んだ刀を貸してもらうぞ。このような、なまくらでは、まともな斬り合いもできん。なぁに、わっぱどもは殺さんよ。腕や足の一本や二本は無くなるかもしれんがな」

「............わかった。だが、蜃だけは血で汚してくれるな。それだけは、守ってくれ」

「約束はできんが、努力しよう」

「......そうか」

「ついでに今の内に刀を沢山、打っておけ。全部、もらっていくからのう」

「......そうか......わか............。..................なに......?」

「では、早速行くとするかのう」


話は終わったとばかりに、老人に背を向けて歩き出した柳生宗不二に、藤堂七夜と霧隠紫門が後に続く。


「ちょっとまてぇいっ! 最後のはなんじゃっ!?。どういう意味じゃあっ!?」


老人の悲鳴にも似た叫び声は、無視した。


🌊🌊🌊


林の奥の廃寺。十名前後の若者が、奪った刀を抜いて満足げに振り回していた。

「俺の方がいい刀だ!」や「ふざけんな。俺の刀が一番だ!」という自慢話で非常に盛り上がっている。

茂みに身を隠し、彼らを窺うのは、三人。柳生宗不二。藤堂七夜。霧隠紫門。

柳生宗不二は、老人の鍛冶屋から拝借した刀に手をそえている。その顔は冷徹そのものであり、口元は僅かに笑みを零していた。


「では、やるとするかのう」

「一番槍は誰が?」

「無論、わしよ。紫門は援護せい。七夜の、討ち漏らした連中を頼んだぞ」

「ちょ、ちょっと待って..................!」

「待たんわい🎵」


疾風の如く、柳生宗不二は飛び出した。

その姿を、すぐに認識できた若者は一人もいなかった。剛腕は、握った柄を引き抜いた。鞘から走る白刃。最も前にいた、子供の様にはしゃいでいた若者の右脚が、太腿から両断された。

血潮が地面へと迸った。若者達の誰もが、理解できずに呆然とする。


「早う降伏せんと、色々と失うぞ」


続いて二人目。剣閃が踊る様に線を描く。

右脚を失い地面に転げる様に倒れた若者を踏み付け、跳躍。その奥にいた若者の右目を真っ直ぐに切り裂いた。勿論、致命傷は避けた一撃だ。だが、確実に失明する一撃だ。

柳生宗不二は剣豪である。それも、剣の道を生きる者ならば、誰もが知る剣の達人だ。もし、若者達がそれを知っていれば、刃向う事は無かったかもしれない。


「うわあああああああっ!?」

「ちくしょう! なんなんだ!てめぇ!」


パニックになった若者達からは平常心も、冷静な判断力も失われていた。

抜身の刀を振り回す。あぁ、酷い有様だ。藤堂七夜から見ても子供が棒切れを振り回しているような、そんな有り様だ。中には、間合いを測らないで刀を振り回して、仲間を傷つけた馬鹿もいる。

頭の回る者もいた。仲間に怒号を浴びせながら、柳生宗不二を囲むように叫んでいる。


「たった一人だ! 囲んじまえ! そうすりゃ俺達の方が有利だ!」

「そうだ! そうすればこんな野郎!」

「いいぞ。その調子よ。若者はこうでなくてはならん」

「ざけんな!」


全くだ。自分も若者の部類だろうに。何を年寄り染みた事を言っているんだか。

茂みに隠れて傍観に徹する藤堂七夜。霧隠紫門はそんな彼を軽蔑の眼差しで一瞥。両手に小太刀を逆手に握り締め、柳生宗不二の援護に回る。

若者の繰り出した粗雑な一刀を、その身軽さで難なく躱すと、腕を蹴り上げた。若者はあっさりと刀を手放す。


「仮にも武士なら、死んでも放すな」


そう言い捨て、霧隠紫門は、若者の顔面に膝蹴りを叩き込む。

鼻が砕けた。鼻血を吹き出す。左右から別の若者二人が斬りかかる。こちらは、剣術の心得があるらしく、構えが様になっていた。

だが、若者の剣は幾度触れど、空振りで終わる。蝶の様に舞い、蜂の様に刺すとは霧隠紫門の事を言うのだろうか。不利な体勢からでも、平然と立ち直り、相手を手玉に取っている。

そして、相手が少しでも疲労と隙を見せれば、その身体に刀身を突き刺す。急所は避けているとはいえ、肩や腹、顔面を刃で抉る容赦の無さだ。

二人の圧倒的な力量の前に、若者は次々と倒れていく。

討ち漏らしなど、一人もいない。出番が来なくてよかったと安堵しつつ、藤堂七夜は二人への恐怖をいやがおうにも再認識した。


(いや......あれは逆らえないよ............。不興を買ったら、笑顔で首を刎ね飛ばしかねないって。............まじで、こわい............)


ブルブルと震える身体。

目の前の容赦ない光景から、一瞬、視線を逸らした時だった。廃寺の影に、誰かががいることに気付いた。

黒いローブを頭から被った、男の様だ。男は、手元で何やら弄っている。上面、側面に大きく開口した筒のような碗のような形状の容器だ。金属製だ。金属製の鎖が付いている事から吊り下げるもののようだ。

藤堂七夜は知らない。あれは、世間で振り香炉ふりこうろと呼ばれる魔術に用いられる秘具であることを。


(あいつ............なにをやってるんだ............?)


振り香炉から赤い煙が立ち昇り始めた。

属性香ぞくせいこうと呼ばれるものだが、藤堂七夜はそれが分からない。もっとも、もう一つの呼び名なら理解できただろう。別名、と呼ばれている力だ。


炎を放つاز بند باز کردن آتش!」


男が突き出した両手の掌から、火炎放射器のように、炎の波が放たれた。

魔法だ。藤堂七夜は瞠目した。この戦国時代に似た世界で、魔法が存在していたのだ。


「柳生さんっ! 霧隠さんっ! 避けてっ!」

「「!!」」


七人を斬り伏せ、残った三人と対峙していた柳生宗不二と霧隠紫門はすぐに回避行動に移った。

柳生宗不二は地面を蹴って左へ。霧隠紫門は跳躍して右へと逃れる。反応が遅れたのは、炎に対して背中を向けていた若者三人だ。

事態を把握した時には、もう遅かった。炎に全身を包まれ、火だるまとなって、絶叫しながら地面をのた打ち回る。


「くそっ! 囮にもならないのか! 使えない連中だ!」

「......か。しっかし、惨い事をするのう。仲間じゃないのか?」


地団駄を踏む黒ローブの男に、柳生宗不二は無表情で問いかけた。


「はあ? 仲間なわけないだろう?。低俗な大和人を利用しただけだ。刀を奪わせたら、そのまま商家を襲わせて金をぶんどらせるつもりだったのに。お前らが邪魔をしたせいで、全て水の泡だ。こうなれば、お前らだけでも殺してやらないと、腹の虫がおさまらないんだよ」

「ほう。奇遇だのう。わしもお前さんを殺してやりたくなったわ」

「......お前ら大和人が、俺を?。はは、笑わせるな!。俺は移民船団の住人だぞ!。高位の民族だ! 殺せる訳がないだろう!」

「なら、試してみるかのう」


先に動いたのは、柳生宗不二。

刀を下段に構え、一気に走り出す。黒ローブの男は、すぐに炎を放つ。熱風が周囲を覆う。高熱で肌が焼けそうだ。

そんな恐ろしい炎を前にしても、柳生宗不二は恐ろしい程、冷静に対処していた。動き回り、黒ローブの男が放った魔術の炎を逆に利用し、視界から姿を隠すと、あっという間に距離を詰め、刀の間合いへと入り込む。


「王手よ」

「!」


下段から振り上げた白刃が、黒ローブの男目掛けて、繰り出された。

だが、その刃は、男を切り裂く前に、男の手で受け止められた。手で掴んだのではない。手の中で生み出した炎の球体で受け止めたのだ。

鋼の溶ける臭い。柳生宗不二の刀が、高温で溶け始めていたのだ。


「チェックメイトだ」

「!」

炎を撃つساقه شعله!」


柳生宗不二が刀を引くと、黒ローブの男は拳大の火球を放った。

身体を後ろに逸らし、直撃を避けた柳生宗不二に、黒ローブの男は更に追撃する。


我が炎の剣よشمشیر شعله ور من.!」


新たに生み出された剣状の炎。

黒ローブの男は荒々しく炎の剣を振り回した。損傷した刀で、柳生宗不二は攻撃を捌くが、徐々に劣勢となっていく。その原因は、ドロドロに溶け始めた刀だ。あれでは、武器を持っていないも同然だ。


「柳生様!」

「柳生さん!」


霧隠紫門はそのまま、真っ直ぐに援護に入る。

藤堂七夜も、急いで向かおうとしたところで、ふと足を止めた。何かが、自分を呼んでいるような気がしたのだ。周りを見回す。

そして、見つけた。焼き殺された若者の一人。その手に握り締めている、一本の刀を。


「........................『蜃』............」


焼け焦げたばかりの異臭がする死体から、歌仙伝・蜃を奪い取った。

そして、柳生宗不二のところへと駆け出した。


霧隠紫門も参戦したことで、柳生宗不二は僅かに一息ついた。手には、霧隠紫門から受け取った真新しい刀。おかげで、攻めに転じられた。


(ふぅむ......魔術師とは、これほど厄介であったとはな。実に面白いのう)

「どうした!? その程度か!。所詮、大和人など炉端の石ころと変わらないな!」

(......若いな。その程度の挑発では、まだまだ足りん。振り香炉の残量が尽きる前に勝負をつけるつもりだろうな。ここは、じわじわと魔力を削ってやろうか)


冷徹なまでに状況を分析する柳生宗不二の心胆は並外れていた。

が、それを基準に考えた事は失敗だった。普通の人間は、とてもそこまで冷静に考える事は出来ない。

藤堂七夜はその一人だった。黒ローブの男と、柳生宗不二の間に割り込んで来た藤堂七夜は、刀を身構えた。

これには柳生宗不二も面食らった。藤堂七夜としては、柳生宗不二を庇ったつもりなのだが、柳生宗不二にしてみれば、甚だ迷惑な行動であり、自殺行為にしか映らなかった。


(この馬鹿......死ににきおったのか?)

「藤堂! 何をやっている! すぐに離れろ!」

「でも、柳生さんが......!」

「何を勘違いしている! いいからどけ!」


柳生宗不二の思惑を悟っていた霧隠紫門は憤りを隠さなかった。

藤堂七夜の行動は、どう見ても柳生宗不二の邪魔でしかない。戦い方も知らないままで、黒ローブの男を相手取る事など出来る筈はなかった。


「逃がすものかあっ!」


黒ローブの男は見逃すはずが無かった。

振り上げた炎を、全力で振り下ろした。藤堂七夜と柳生宗不二、二人同時に焼き尽くす一撃だ。注意を集めるのに、充分過ぎた。

だからこそ、藤堂七夜の異変に誰も気づかなかった。顔の表面に刺青のような模様が浮かぶ。歌仙伝・蜃を頭上に、上段の構えを取った。


「『魔を祓え』」


刀身が、反応したように、僅かに発光した。

力一杯、歌仙伝・蜃を振り下ろした。刃が、炎とぶつかり合う。衝撃が波紋となる。ぶつかり合いは、ほんの数秒。

そして、炎の剣は霧散した。驚愕に目を見開く黒ローブの男。霧隠紫門も何が起こったのか、分からなかった。

柳生宗不二は、間髪入れず、動いた。水平に構えた刀から繰り出した刺突。刃先が、振り香炉に吸い込まる。黒ローブの男が気づいた時には、振り香炉に亀裂が走り、音を立て砕け散った。


「アアアアアアアアアアッ!! 俺ノガアアアアアア!!」

「やかましいわ」


強烈な剣戟が、黒ローブの男の喉元に叩き込まれた。

首が飛んだと、霧隠紫門は思ったが、黒ローブの男は首が繋がったまま、口から血を吐き、崩れ落ちた。柳生宗不二の一撃は、峰打ちだった。


「殺す気が失せたわ。この阿呆」


そう言いつつ、柳生宗不二は視線を藤堂七夜に移していた。

霧隠紫門もまた、藤堂七夜を凝視していた。

藤堂七夜の顔に浮かび上がった模様は、すでに消えていた。恍惚の笑みを浮かべ、顔を上げて、空を見た。


「......俺は生きてる。あぁ、死ななくてよかったなぁ............」


その言葉は、柳生宗不二と霧隠紫門に、僅かな不安を植え付けたのだった。


✡✡✡


五日後。げっそりと痩せ細った関村兼定が、町を出る三人の見送りに町の入り口まで来ていた。その理由は、藤堂七夜が背中に背負った籠が理由だ。

籠の中には、十数本もの刀が収められている。これは報酬である。

廃寺の戦いが終わった後、生き残った若者や黒ローブの男を縛り上げ、大栄町に戻ったのだが、事前に話を通していなかった為、大騒ぎとなった。

役人に何日も詰問され、無謀を咎められた。何故か、柳生宗不二だけは初日のうちに解放された。

二人が番所で話を聞かれている間、柳生宗不二は鍛冶屋で関村兼定に刀を鍛造させていた。連日連夜、火炉の火は落ちず、槌の鋼を叩く音が響いていたようだ。近所の住人が不眠になったと苦情があったらしい。

柳生宗不二が何故、大量に刀を鍛えさせたのか。藤堂七夜も霧隠紫門も関村兼定も、売買するつもりだと考えていたが、実際はただの刀集めの趣味だった。

というか、旅の途中だろう。こんな大荷物を増やしてどうすると文句を言いたい。しかも、運ぶのは何故か、藤堂七夜だ。


「この......くそったれめ......。老体を散々、鞭打ちおって」

「わははははは。だが、気分はよかろう?」

「............ふん! どうだかの」


関村兼定は不機嫌そうに、数本の刀を差し出した。


「歌仙兼定が傑作の一振り、歌仙伝・獅子吼ししくじゃ。抜群の耐久性と切れ味を誇るが、如何せん、扱い難い代物じゃ。だが、お主なら使いこなせるであろうよ。剣豪殿」

「知っとったのか?」

「いんや。役人から聞かされた。柳生宗不二は稀代の剣豪だとな」

「まだまだ道半ばよ。そのように言われるなど、おこがましくて堪らんわ」

「そのようじゃな。............これも儂が鍛えた小太刀、歌仙伝・舞子まいごだ。全体的にバランスが良く、何より軽い。忍びであるお主には丁度よかろう」

「ありがたく頂戴する」


柳生宗不二と霧隠紫門は、受け取った刀を腰に差した。

そして、関村兼定は藤堂七夜に顔を向けると、見覚えのある一本の刀を差しだした。


「お主にはこれをやる。癪だがの。歌仙兼末の一振りじゃ」

「............これ、歌仙伝・蜃ですよね?。いや、もらえませんよ。だってこれは......」

「......変な話じゃが、こいつが儂の手元に無い間、儂の心は静かじゃった。どうにも、儂はそいつに縛られとった。いや、儂が縛り付けておったんじゃな。いい加減......区切りを着けんとな。だから、そいつに旅をさせてやってくれ。お主らなら、預けられる。............儂は、もう一度、一から刀造りを始める。恨みや後悔ではない、まさに最初っからな」


関村兼定は前に進むべく、一歩を踏み出していた。

沈黙し、考えた末、藤堂七夜は、歌仙伝・蜃を預かる事にした。


「でも、この先、人を斬る事になるかもしれません。............それでも、いいんですか?」

「......あぁ。ただ、誰かを守る為に、振るってくれ。無用な流血だけは、させんでくれ」

「そういえば老人、この刀は一体なんだったんだ?。魔術を斬るだけでなく、打ち消したのだ。その理由は分かったのか?」

「うむ......息子の残した書物を引っ張り出して調べたら、とんでもないことが分かったわい。素材は玉鋼ではない。灰腐銀ミスリルであったよ」

「馬鹿な! 移民船団の限られた異邦人しか加工方法を知らないんだぞ!。どうやったと言うんだ!」


霧隠紫門が珍しく声を荒げた。

それは当然だろう。灰腐銀ミスリルは騎士が使う武具の素材である。元々、移民船団が持ち込んだ希少鉱物であり、その特性から非常に珍重されている。

その特性とは、魔術の中和作用。対魔術師における宝具とも呼ばれ、移民船団の騎士なら誰もが身に着けている。

ただ、加工方法は秘伝とされており、移民船団でも一部の職人しか扱う事が許されない。勿論、大和人は手に入れる事も、加工するなど不可能なのだ。


「そんな事、儂が知るか。......息子が天才だとは知っとったが、こんな無茶をやっておったとは。大体、流通もしておらん灰腐銀ミスリルをどこで手に入れたんだか。しかも、それで刀を造ってしまうとは信じられんよ」

「............全く。息子が生きていても、これが露見していれば、一族郎党、斬首でも不思議じゃないぞ。............関村殿は、このような真似はするな」

「するかっ」


関村兼定はふと、穏やかな表情を浮かべた。

まるで憑き物が落ちたようだ。生きている人間の、顔だ。


「世話になった」

「こちらこそ、お世話になりました」

「達者でのう」

「いずれまた」


三人は関村兼定に背を向けて、歩き出す。


「刀の事で問題が飽きたなら、いつでも歌仙兼定を訪ねて来い。子の面倒を見るのが、親の務めじゃからな」


手を振って、藤堂七夜達は、大栄町を旅立った。


目的地の国府モン・ドーファンまで、後少しである。

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