邂旅編

第2話 市民と忍びと剣豪 上

意識を取り戻した時、藤堂七夜とうどうななやは、何故か薄暗い森の中に立ち尽くしていた。凍えそうな寒さだ。思わず、両手で身体を抱き締める。


「......えっと、いや、なんで?。ここ、家じゃない?」


呆然と辺りを見回す。

欝々と生い茂る草木。触ってみても、草だ。木だ。感触は間違いなく本物だ。

徐々に混乱してくる頭。それでも、必死に脳細胞を働かせて、意識を失う前の出来事を思い出そうとする。

あぁ。確かその日は仕事も休みで、ひたすら家で寝続けていた。惰眠を貪っていた。時折、目が覚めては、パソコンをいじったり、本を読んだりしていたが、基本、布団の中で寝ていた。

それがどうして、森の中に突っ立っているのか。


「......全然、分からない。何も分からない......」


しばらく考え続ける。

寒さに耐えかねて、くしゃみが出た。


「とにかく、人のいる所を探そう......。このままじゃ凍え死にだ......」


暗闇の中、頭上の月明かりを頼りに、藤堂七夜は歩き出す。

地面を歩く度、足の裏が痛い。素足だった。生憎と靴を履いていないのだ。少しでも、柔らかい道を選びながら、必死に歩き続ける。

しばらく歩き続けて、ようやく今にも崩れそうなボロボロの小屋を発見した。明かりは見えず、人のいる気配もなさそうだった。

中を窺う。やはり、誰も居ない。藁と薪が大量に積まれているくらいで、他には何もない。


「......失礼、します......」


肉体も精神も疲労の限界まできていた藤堂七夜は、一声かけ、小屋の中に入る。そして、残った力で、藁の方まで近づくと、そのまま藁の上に倒れ込んだ。

足の裏はいつの間にかすり傷だらけ。とても立っていられない。藁から変な臭いがするが、そんな事は、些細な事だ。気にしていられない。

とにかく、疲れ果てた。今は、眠りたい。睡魔の欲求に勝てず、藤堂七夜は瞼を閉じると、あっという間に、夢の中に落ちていったのだった。


●●●


男こと、柳生宗不二やぎゅうむねふじはほとほとやる気を無くしていた。鍛え抜かれた巨躯。無造作に切り揃えられた髪と髭。腰に差した無銘だが、良質な刀。その堂々たる態度。只者ではないと、誰もが思う威風を身に纏っていた人物だ。

そんな彼も、今と武士崩れの野盗に力を貸す現状に、うんざりしていた。


(一飯の恩とはいえ、いい加減、嫌になるわ。そろそろ、潮時かの)


髭をいじっていると、悲鳴が聞こえて来た。

少し先で、誰かを襲っているだろう野盗共。流石に女子供を襲わせる手伝いはしなかったが、もはや我慢の限界だ。このあたりで、奴らに襲われた者達の仇も取ってやらなければならない。


(恩に報いたと考えてよかろう。後は、無念に散った者達に、仇を討つ事で報いるだけよ)


野盗に襲われ、助けてやれなかった者達。その墓前に誓った。手を貸した故の償いは、せめて仇を取る事で償うと。


「しっかし、遅いのう」


柳生宗不二は首を傾げた。

随分と時間がかかっている。それに、野盗共の悲鳴も何度か聞こえて来た。獲物となった相手に手を焼かされているのだろうか。どうやら、襲った相手は羊ではなく、野犬だったのか。

すると、声がした方向から一人の小男が走ってくる。野盗の頭目だ。


「お、おい! ここにいやがったのか! なにぼんやりしてやがる! さっさと来やがれ!」

「......まだ終わらんのか?」

「うるせえ! 獲物が逃げちまう! お前も働きやがれ!」


頭目の小男が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

嘆息しながら、柳生宗不二は前に歩き出す。進んだ先には、十名ほどの野盗の姿があった。その内、四人は手足を斬られた状態で地面に転がって呻いている。戦利品だろう。壊れた荷馬車が放置されており、中身は地面に散らばっている。


「おお!? 見事にしてやられたか!」

「うるせぇんだよ!。ちょっとばっかし腕の立つ野郎だったんだ!。ものは手に入れたが、気に食わねぇ...!。屈辱だ! あいつを追っかけてぶっ殺してやる! あの傷だ! そう遠くに逃げ切れるわけがねぇ! 必ず探し出してぶっ殺すぞ!」

「わしもか?」

「当たり前だ! これで恩を無しにしてやるんだ! 最後に殺しぐらいやりやがれ!」


動ける六人の手下のケツを蹴りあげながら、頭目の小男は叫んだ。

そして、その標的となった相手が残した足跡を探し始め、追跡を開始する。


(まぁ、わしは最後にお主達を斬るつもりだがな)


がりがりと頭を掻き毟りながら、柳生宗不二は野盗達の後ろ姿を追って歩き出すのだった。


★★★


物音に気付いた。ガタン、ゴトンと戸に何かがぶつかる音が続き、目を覚ます事になった藤堂七夜は、起き上がる。ぼんやりとする頭のまま、重い足取りで戸に近づくと、戸を開いた。すると、胸や足から血を流した男が倒れ込んで来る。


「う、うわあっ!?」


咄嗟に抱き留めるも、重みでそのまま尻餅をつく。

一気に意識が覚醒した藤堂七夜は、訳が分からず、混乱する。男は旅装束を着ていたが、その服は真っ赤に染まっている。左腕からも出血が見られ、顔には殴られたアザがついている。濃密な血の臭いに、思わず口元を手で押さえ、吐き気を我慢する。


「あ、あの、大丈夫ですか?」


どうみても大丈夫ではないのだが、一応、声をかけてみた。

もしかして、死んでいるのかと血の気が引くが、幸い、呼吸音が聞こえる。生きているようだ。


「とにかく、出血を止めた方がいいよな......」


自分のパジャマを破るのは嫌だったので、藤堂七夜は男の持ち物を調べ、手頃な大きさの布を見つける。

それを適当な大きさに破り、目につく重傷そうな傷口を縛り、止血する。とはいえ、ど素人もいいところの、手当てとも言えない手当てだ。これが適切かどうかも判断が付かない。

藤堂七夜は男の顔を叩き、何とか意識を取り戻そうと、必死に呼びかける。


「しっかりして下さい! 聞こえますか!?」

「......く......ぅ......」


男の口から呻き声がもれた。

よかった。何とか生きている。藤堂七夜は徐々に落ち着きを取り戻し始めた。そして、次はどうすればいいのかを考える。とにかく、この男を医者に診せないと駄目だ。だが、ここは森の中。医者などいるはずがない。

それなら、医者がいるはずの街に行くしかないが、道が分からない。何より、彼を担いでいくのは、正直、無理っぽい。


「......お......い」

「え?......あ、は......いっ」


目を開いた男が身体を起こし、案外、ドスの利いた声色で藤堂七夜に声をかけた。

男は、藤堂七夜を見て、何だ?この男は?。と、不審を抱いた。どう見ても旅姿に見えない上下薄着の格好。野武士でもなければ、マタギにも見えない。この場に似つかわしくない馬鹿にしか見えなかった。


(......正直、不安しかないが、俺はこのざまだ。こいつに頼るしか方法は無いんだが......)


ほっとした表情を浮かべている藤堂七夜はどうも頼りない感じがしてならない。

男が信用し切れない間に、小屋の外から複数の足音が近付いて来た。咄嗟に男は、外へと振り向き、身構える。

そこには、八人ほどの見るからにガラの悪い汚らしい恰好をした野盗達がいた。男は思わず舌打ちした。


「いた! いましたぜ! 頭ぁっ!」

(...くそ...しつこい奴らだ。......ん?、............あの顔、見覚えが無い......新しい野盗か?。それにしては......雰囲気が......)


柳生宗不二の姿を凝視した男は、身震いする。

明らかに、他の野盗達とは格が違う。別格と呼ぶに相応しい巨大な風格を纏った剣士だ。身なりはみすぼらしいが、

それを差し引いても、力強さに満ちた魅力を備えているようだ。


(まさか......あいつが頭目か?。だが......あの小男が、そう呼ばれていたはずだが......)


男が考えている間に、野盗達が動き出す。

血に濡れた刀を握り締め、勝者ゆえの余裕と傲慢な表情を浮かべていた。あの血刃は、仲間を斬ったものだと理解すると、男の心中に怒りの念が沸き起こるが、それを無理矢理、抑えこむ。

男は忍びだ。感情に支配されては、その技も鈍る。隠した暗器は苦無のみ。短刀はここに辿り着くまでに落としてしまった。


「ようやく見つけたぜ。......さっきはよくもやってくれたなぁ。おかげで手下が使い物にならなくなっちまった。しばらく仕事ができねぇじゃねぇか」

「......」

「大人しく荷物を渡せば、楽に殺してやったのによぉ。テメエ、生きたまま刻んでやるよ」


げらげらと下品極まりない笑い声がおきる。

野盗達の殺気にあてられ、恐怖で震えていた藤堂七夜も、彼らへの怒りで目つきが鋭くなる。その時、男が動いた。

左腕は動かないが、利き腕ではない。右手の中に握られた苦無が、投げ放たれた。一つではなく、計四本。それらは、三人の野盗の脳天に突き刺さり、血が噴き出した。

白目を剥き、仰向けに倒れた三人の手下の姿を見た頭目の小男は激昂した。刀を振りかざし、残った三人の手下に


「お前ら! こいつを殺せえ!」


と叫んだ。

一斉に仕掛けて来た野盗三人に、男は最後の一本である苦無を握り締め、立ち向かう。乱暴に振るわれる刀を掻い潜り、隙の出来た部分に、苦無の一撃を叩き込む。一人目は、脇原を抉られ、悲鳴を上げて地面を転がる。二人目は多少、剣術の心得があるのか、なかなか隙が見いだせず、男は追い詰められた末、徒手空拳になるのも覚悟で、苦無を投げ、二人目の喉笛を貫いた。

だが、苦無を回収している時間は無かった。無手となった男に、三人目が容赦なく襲い掛かった。


「ちぃ!」

「死にやがれえ!」

「危ないっ!」


右腕を斬り落とされる覚悟で白刃の前に腕を晒した男だったが、その前に藤堂七夜が薪を手に、三人目の顔面を思い切り叩いた。

油断していた三人目は、脳震盪を起こしたのか、ぐらりと体勢を崩す。その一瞬を男は見逃さず、渾身の力を込めた蹴りを繰り出し、男を後ろに蹴り飛ばした。


「......助かったぞ」

「......は......は.....」


短い時間の攻防で、二人の手下が死に、一人は地面に倒れ込んだままだ。


「この!  この! この!。くそったれ! どこまで使えねぇんだ!」

「おい、そこの。お主が手当てしてやったのか?」


頭目の小男が怒り狂い、蹴り飛ばされた手下を足蹴にする中、柳生宗不二が一歩前に出ると声を張り上げた。


「え、あ、はい......。そうですけど......」

(......来るか......。あの男には小手先の技など通じまい。どうする......どうすればいい......)

「......そうか。......いいのぅ」


呆けた様に答えた藤堂七夜と、緊迫感に冷たい汗を浮かべた男に対して、柳生宗不二は感心の声を上げた。


「その精神、数日ぶりに侠たる人間を見た。名は何という?」

「......藤堂、七夜ですけど......」

「ふむ!。覚えたぞ。わしは柳生宗不二という者だ」

(!!? 柳生宗不二......!?)

「さて、事を据えて話をするにも、ここは騒がしい。ここが潮時というところだな」

「てめえ! 何をゴチャゴチャと言ってやがる! さっさとあいつらを......!?」


その一刀は、神速の如く。

頭目の小男と立ち上がった最後の手下の肉体が上下に別れを告げた。臓物をぶちまけ、地面に崩れたその死体は無残の一言。

藤堂七夜は顔を真っ青にして、その場で吐いた。男は、驚愕に満ちた表情で、その剣筋の軌跡を眼で追う事ができなかった事実に愕然とする。

間違いなく、達人の技。柳生宗不二は刀を振り、刃の血糊を払うと、鞘に納める。そして西の方角に顔を向けると、合掌し、しばし黙祷を捧げた。


「これで話が出来るのう」


二人に向き直り、柳生宗不二は笑顔を浮かべたのだった。




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