第2話

「そうですか。こんな霧の中、車の運転は大変だったでしょう?」

 霧で視界が悪い中、ゆっくりと運転して辿り着いた山荘。その玄関ホールに足を踏み入れ、顔を出した人物に事の次第を話すと、二人は快く出迎えられた。

 二人の滞在を迎え入れる権限を持つ、山荘の主であるらしい人物は、洋館ミステリーに出てくるような気難しそうな老人でも親父でも婦人でもなく。穏やかな笑みを浮かべた、三十代であろう青年だった。着ている物は清潔感があるが、高級感は無い。クリーム色のエプロンをしている姿は、保育園の保父さんか、花屋や本屋の店員だと言われれば納得してしまいそうである。

 珍しげに山荘内を見渡す二人に、主は少しだけ申し訳なさそうな顔をする。ちらりと、奥の方を見た。

「あいにく、今日は貸切となっていまして……アウェー状態で居心地の悪い思いをさせてしまうかもしれませんが……それでも良ければ、お泊りください」

 問題にならないという顔で、正樹が頷いた。

「ありがとうございます。助かりました」

「ホント、助かったよ。こいつと狭い車内で一夜を共に過ごすなんて、考えただけでもゾッとするからな。……ところで、貸切って事は、ここって別荘とかじゃなくて、ホテルか何かなわけ?」

 泉の問いに、主は「えぇ」と頷いた。エプロンのポケットから名刺を取り出し、正樹と泉にそれぞれ渡す。

 名刺には、「宿泊施設霧隠荘 オーナー和島公平」と印字されていた。

「ホテルと言うか、ペンションですね。この辺りには特に観光地と呼べる場所も無いので、他に宿泊施設はありませんし、駅も遠い。だからこそ、人のいない場所でのんびりしたい、締切に追われて缶詰をしなければいけない、という方々がここに泊まってくださるんです。お陰様で、良い立地条件ではないにも関わらず、そこそこ繁盛していますよ」

「本当に陸の孤島みたいな場所だよな、ここ。道は霧で一寸先も見えない時もあるし、霧隠荘の名は伊達じゃない。……私達も、来るのに苦労したよ」

「けど、苦労しただけあって、辿り着いた時の感動もひとしおよね、ここ。造りは頑丈だし、外装も内装も綺麗だし……私はここ、結構好きよ」

 突如聞こえてきた声に、正樹と泉は視線を動かした。玄関ホールの奥に見える階段から、二人の男女が降りてくる。歳は、和島と同じぐらいだろうか。男性は小太りで温和な顔付き。女性は痩せていて、気が強そうな顔をしている。正反対の二人、という印象だ。

「あ? えぇっと……」

 どう反応すれば良いのかと正樹が躊躇っていると、男性の方が苦笑した。

「失礼。私は富田勇作。根呉野市の片隅で、小さな診療所を経営しています。こちらは、看護師で妻の奈緒。これも何かの縁だ。今夜一晩、仲良くやりましょう」

 手を差し出され、正樹は頷きながら握手に応じた。泉も、機嫌よく手を出しだし、「おう」と言いながら握手をしようとする。

「よろしく……」

「おい、和島ァ! 何だよ、そのガキども! 今日は俺達の貸し切りじゃなかったのか? あァ!?」

 突然の怒鳴り声に、正樹と泉は思わず固まった。勇作と奈緒の顔が、ムッと歪んでいる。

 やや筋肉質でケンカの強そうな、チンピラのような男が階段の上にいた。和島が、困ったような顔をして声の主に顔を向ける。

「鬼頭……いや、道に迷って困ってるみたいなんだ。若いと言っても、二人とも常識や分別はある方みたいだし、お前の気に障らないように僕も気を付けるからさ。勘弁してやってよ。ね?」

 和島の言葉に、鬼頭なる男は舌打ちをした。唾でも吐き掛けそうな目で、正樹と泉を睨み付けてくる。

「おい、クソガキども! 武士の情けで泊まるのは勘弁してやるがな、騒いだりしたら、ただじゃおかねぇぞ! わかったな!?」

 言いたい放題に叫ぶと鬼頭は踵を返し、階段の向こうへと姿を消した。バタン! という乱暴に扉を閉める音が辺りに響く。

 残響が消えてから、奈緒があからさまに嫌な顔をした。

「……何よ、アレ。ここのオーナーは和島であって、鬼頭じゃないのに」

「ツーカーの相方が未だに来ないから、イラつているんだよ。相手にしない方が良い。君達も……申し訳無いが、あいつに関しては極力気にしないように……」

「は、はぁ……」

 色々と言われたところで、正樹には生返事をするしかない。横で泉が、フクロウのように首をかしげた。

「なぁ……何か随分色々知ってる風だけど、あいつと富田さん達って、知り合いなわけ?」

 すると富田夫妻は顔を見合わせ、恥ずかしそうに苦笑した。

「あぁ。恥ずかしながら、あいつとは高校時代に同級生でね」

「今日このペンションが貸し切りなのは、高校の同窓会をする為なのよ。……と言っても、あいつに会いたくないからか、ほとんど誰も参加しない事になっちゃったみたいなんだけど……」

 顔を歪める奈緒を、和島が「まぁまぁ」と制した。

「話は後でいくらでもできるから……まずはお疲れのお二人を部屋に案内しましょう」

「あ、案内なんて良いよ。荷物もほとんど無いし、鍵さえくれれば二人で適当に行くからさ。同窓会って事は、和島さんはまだ料理とか色々準備しなきゃいけねぇだろ?」

 言いながら既に手を差し出している泉に、和島は「そうですか?」と首をかしげた。そして、一旦奥へと姿を消したかと思うと、一分と待たぬうちに戻ってくる。

「それでは……こちらがお部屋の鍵です。二階に上がって、一番奥の角部屋ですから、わかり易いと思いますよ。ドアはオートロックですから、二人揃って部屋を出る時は鍵を忘れないよう気を付けてくださいね」

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