霧隠荘殺人事件

宗谷 圭

第1話

 濃い霧が立ち込める山道を、一台の自動車が走っている。ゆっくりとスピードを上げないよう、慎重に走行している。……が、走り方を見るとどうも、ゆっくり走っているのは霧で視界が悪いから、という理由だけでは無いように思える。

『本日未明、根呉野市波多区にある大型スーパーの駐車場で、男性の遺体が発見されました。警察は、所持品などから遺体が同区内に住むイシハラソウイチさんではないかとみて、確認を急いでいます』

 ザザッという耳障りなノイズが、ラジオから聞こえてくる女性アナウンサーの声に混ざった。ノイズに顔を顰めながら、助手席に座っている少年とも少女ともつかない若者は運転席を睨み付ける。

「なぁ、正樹ぃ。いい加減認めろよ。迷ってるんだろ? 俺達」

 声をかけられた運転手――正樹はムッとした表情で前を見詰め続けている。目が据わっているのが、やや怖い。

「迷ってない。断じて迷ってなんかいないぞ、泉。俺達はただ、霧の女神に導かれて、行き先の知れない道を疑う事無く進んでいる。それだけだ」

 屁理屈にしか聞こえない正樹の言葉に、若者――泉は呆れた顔でため息を吐いた。

「そーゆーのを、世間じゃ迷ってるって言うんだけどな……」

 泉がため息をついている間にも、ラジオのノイズはどんどん酷くなる。ザザザッという音に加えて、ガガガ、ピーなどというクラッシュ寸前を疑いたくなるような音まで聞こえ始めた。

『先ほどの……のニュースで、――の……がまち……って……した。ただし――は……ラソ……でした。――た』

 もはや、何を言っているのかさっぱりわからない。泉は「あーあ!」と大袈裟に嘆いて見せた。

「ラジオもまともに聴けねぇ場所まで来ちゃったよ……。こりゃ、今夜は車中泊かな」

 ニヤッといたずらっぽく笑って、泉は正樹に心持ち体を近付ける。

「正樹ぃ。暗くて狭い車内で二人っきりだからって、俺の事、襲うなよ?」

「狭い車内なのは、もう何時間も前からずっとそうだろ。お前が襲いたくなる程魅力的なら、夜まで待たずにとっくに襲ってる。そうなってないって事は、俺はお前に魅力を感じてないって事だ。つまり、明日の朝までお前の貞操は間違いなく無事。安心しろ」

 正樹は、眉一つ動かす事無く淡々としている。泉が悔しそうに、「くっ……」と呻いた。

「冗談に冗談で返すとは、お前も成長したじゃねぇか……!」

「お褒めの言葉をどうも」

 鼻で笑ってから、正樹も一つ、ため息を吐いた。

「何だってお前とこんな山ん中で、二人っきりにならなきゃいけないんだよ……」

 愚痴は更に続きそうだったが、泉がうんざりとした顔をする前に、正樹の表情がガラリと変わった。「お?」と呟く声が、心なしか明るい。

「どうした、正樹? ついに霧の女神様が、その神々しいお姿を現したか? 一応言っとくけど、そいつは女神様の皮を被った死神だ。ほいほいついてったら、間違いなく死ぬぞ。お前がこの先も女神様についていくと言うのであれば、俺は止めない。ただし、俺はここで車を降りる。良いな?」

「ここぞとばかりに逃げ出そうとするんじゃない。俺は神林警部から念入りにお前の監視を頼まれてんだぞ。そう簡単に逃げられると思うなよ」

 ギロリと泉を睨んでから、正樹はフロントガラスの向こうを指差した。「……そうじゃなくて」と話題を元に戻す。

「あそこを見ろ、あそこを」

「あそこって……」

 面倒そうに、泉は視線を動かした。すると、昼間の猫のように眠たげだった目が、大きく見開かれる。前方に見える、坂の上。洋風で大きな建築物がそこにあった。

「あれって……山荘?」

「あぁ。どうやら、車中泊はしなくて済みそうだ」

 そう言って、正樹は自慢げな顔を泉に向けた。

「な? 霧の女神様は、ちゃんと俺達を導いてくれただろ?」

「はいはい」

 自慢げな顔を鬱陶しそうに眺めながら、泉は「……にしても」と呟く。

「こんな、霧で前も見えなくなる、電波が届かずラジオも聴けなくなるような山ん中に、あんな山荘をポツンと建てるなんざ……一体どんな変人が巣食っている事やら……」

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