第2話 魔族の呪文
身の丈40センチぐらいの小さな少女は、麻袋のような粗い織り目のスカートの裾をつまみ、舞踏会の如く仰々しくお辞儀をした。
「はじめまして。勇者様の御世話役を仰せつかりましたトーゴと申します」
キラキラと日の光を反射する銀色の髪の印象と相まって、鈴の音のような声だと僕は思った。
「……はじめまして」
この挨拶で良かったのか、戸惑いながらも僕は返事をした。そして、自分の役割を確認するため質問をする。恐らく、あの遠くに見える禍々しき黒い城にはこの世界の支配者がいるはずだ。
「つまり僕は、魔王の手に落ちた魔法の国サンスガルドを救わなければならないんだね」
「はい!」
喜びに弾けるような声で、トーゴはが答える。僕のように物分かりの良い勇者ばかりなら、彼女も苦労はしないだろう。
「……勇者様。さっそく魔王の手下が来ましたよ!」
小さな案内人、トーゴが指差した先を見る。麓から山頂の神社まで続く山道を、布のようなものを頭からすっぽりと被った不気味な怪物がゆっくりと登ってきた。
「勇者様気を付けて。魔王の軍勢は奇妙な呪文を唱えます。その呪文に対抗できるのは勇者様だけなのです!」
トーゴの警告。
魔王の放った刺客は人間のような形をしているが、果たして人間なのか定かではない。いや、生物であるかどうかすら疑問だ。全身をすっぽり覆った布は、顔にあたる箇所に穴が開いている。しかしその表情は窺えず、布の内側は昼なお暗き闇。闇の中に、二つの赤い光点が眼のように光っていた。
「勇者ヨ、魔王ノ命ニヨリ汝ヲ処分スル」
怪物は、機械のように無機質な声で言った。交渉の余地など一切ないことの判る無感情な声だった。
距離、およそ5メートル。僕の装備は学生服に、肩から下げた学生鞄。まったく戦闘に向かない格好だが、戦える、という自覚があった。なぜなら僕は、勇者なのだから。
布切れに身を包んだ怪物は聞き取れないような小声で何かを呟く。魔王の軍勢が使うという呪文に備え、僕は身構えた。怪物の背後に光と闇が渦巻き、文字を形成した。そこには、このように書かれていた。
『1+1=?』
これが、魔王の軍勢が用いる呪文であった。サンスガルドの民は、この呪文に対して全くの無力であった。
僕は記憶を手繰り寄せ、この呪文に隠された恐るべき罠を思い起こす。粘土の塊1つと粘土の塊1つをくっつければ、やはり1つの粘土の塊。数字を図形として解釈すればたんぼの田。それぞれが10の力を持っていれば、10×10で10倍の200。或いは2進数で考えて10。解答のバリエーションは無限だ。
いや、違う。僕は勇者だ。勇者は奇をてらわず、捻らず、真っ直ぐに、ただ答えれば良い。
「2」
僕は、力強くそう答えた。
「グ、グオオオ……、馬鹿ナ……!」
怪物が苦しみ出す。正解だ。怪物の背後に浮かび上がった文字の「?」の部分が「2」に変わり、まばゆい光を放って消える。怪物も、その光に飲み込まれるように消え去った。
「お見事です。さすがは勇者様!」
建物の陰に隠れて見守っていたトーゴがぱたぱたと僕の足下に駆け寄り、ぴたりと寄り添った。
「でも……次の敵が来ます!」
いつの間にか、囲まれていた。今倒した相手と同じように布切れを被った怪物が、10体以上。小さな山の山頂を埋め尽くさんばかりの数で、僕とトーゴのことを取り囲んでいる。
「いいさ。一瞬で全員倒してやる!」
『2+4=?』
「6!」
『7+1=?』
「8!」
『4+3=?』
「7!」
『1+6=?』
「7!」
『3+5=?』
「8!」
『3+3=?』
「6!」
僕は次々に魔王の軍勢が放つ呪文を打ち砕いてゆく。光が弾け、怪物たちが断末魔の声を上げながら飲み込まれて行く。「5!」「9!」「6!」「4!」「3!」僕は勇者だ。この程度の怪物に不覚を取るはずもない。
そして瞬く間に怪物たちの姿は消え失せ、小さな山頂の神社は再び静けさを取り戻した。まったく簡単な戦いだったが、怪物たちが光の中に消えて行く様子に僕は、爽快なものを感じていた。
「なんて強さ! 勇者様なら、かならずやあの魔王を打ち倒すことができるでしょう! ……でもお気をつけください。次の敵は『くりあがり』を使うと言い伝えられています」
「ねえ、トーゴ」
僕は案内役の、小さな少女に問い掛けた。
「今すぐに、魔王を退治しに行ってもいいかな?」
「だめです」
トーゴは銀色の短い髪を横に振って答える。
「魔王の力は強大です。勇者様には、魔王に支配された町を順番に解放してゆきながら、魔王を倒すための力をつけて頂かなければなりません」
「そうかなあ。簡単に倒せそうな気がするんだけどなあ……」
山の上から見下ろせば、魔法の国サンスガルドが一望できる。僕はこの世界全てを、魔王の手から救い出してゆかねばならない。遥か彼方にそびえ立つ巨大な黒い魔王の城に辿り着くには、ほんの少しだけ時間がかかりそうだ。
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