第227話 布とドレス


 英雄くんがみみずく亭の秘密の会議に加わり、しばらくしてハイエルフ王からの書簡が届いた。


 その頃には英雄くんはすっかりみみずく亭を気に入ったようである。

 何しろ、みみずく亭には、英雄くんがあの青薔薇だと知るやいなや、勝負を挑んできたり、弟子入りさせてくれと土下座をするような輩がいないからである。

 もしもそういう連中が近づいてきたとしても……焼きミミズを食べるのが嫌で、ドアからこちらには入って来ない。たとえその根性があったとしても迷惑客はルビノが軽くあしらって放り出してくれる。

 それはさておき。

 ハイエルフ王は神話の存在よろしく、難題をひとつ突きつけてきた。


「書簡によると、ハイエルフ王はグリシナと帝国間の問題をこの機会に精算することについて、ずいぶん乗り気のようです。おそらくアマレナはハイエルフの遺産をいくつか持ち出していたはずですから、この機に回収してしまいたいのでしょう」


 英雄くんは古語で書かれた手紙を読みこなしながら、そう説明する。

 ハイエルフたちは、人の世界とはまじわらない。どこに住んでいるのかも、どのように暮らしているのかもわからない。

 そんな彼らとの唯一に近い接点が《遺産》である。

 ハイエルフたちはかつて自らが作り出した魔法の道具が人の世界に遺されていることに危機感を持ち、わざわざ《回収人》を派遣して取り戻そうとしているほどだ。

 彼らがアマレナを連れ去ったのも、そうした遺産を手元に戻す算段のひとつだったはずだ。


「ただ……皆さん、おわかりの通り、ハイエルフ王は一筋縄ではいかない御方です。帝国との交渉の場をもうけるに当たって、様々な条件が提示されています。そのひとつが交渉の場。王は会談をお望みです」


 英雄くんは眉毛を八の字に曲げ、弱りきった表情をしていた。

 レヴェヨン城——それは冒険者であれば一度は耳にし、目にもする呪われた城のことである。

 狂気の王によって恐ろしい数の罠が張りめぐらされ、どこからともなく魔物が入り込む迷宮のひとつ。冒険者ギルドが解体を依頼され、いまだにその約束が果たされていない危険な魔城なのである。


「レヴェヨン城主はハイエルフとも親交があったようです。手紙には、風光明媚でありオリヴィニスに近く、また一応はヴェルミリオン領であることから、参加者が集まりやすいだろうとのこと……あの城から主が失われ、危険な魔城と化したのはおよそ六百年前です。ハイエルフ王はそのことをご存知ないのでしょう」


 人はハイエルフの文化風習にうといが、ハイエルフもまた、人界の移り変わりに頓着しない。ハイエルフ王の記憶にあるレヴェヨン城は、罠の張りめぐらされた危険な迷宮になる前の美しい姿のままなのだろう。





「参りましたね……」


 みみずく亭から場所を変え、魔術師ギルドの屋根裏部屋に、メルとアトゥと街の仕立て屋、シマハといった顔ぶれが集まっていた。


「会談の場所を変えてもらうよう再度連絡をすることはできないのですか」


 セルタスの提案は至極もっともなことだ。

 現在のレヴェヨン城で会談などしようものなら、参加者の列がたちまち葬列になってしまいかねない。椅子に座っているだけでもあちこちから罠が飛び出して、話しあいどころの騒ぎではないはずだ。


「それは得策でないというのが英雄くんの判断だ」とアトゥが眉間にシワを作りながら言う。


「考えてもみろよセルタス。会場を変えてもらったところで、今より危険で厄介な場所になるかもしれないぞ。それに本当にハイエルフ王がレヴェヨン城の現状を知らないで指定してきたのかも、俺は少し疑問だ……」

「どのみち、こちらからの要請で来てもらっているのに、そうそう何度もけちはつけられないというわけですか」

「あのおっかないレヴェヨン城で話しあいをするメリットも多少はないこともない。とにかく危険な場所だから、お互い妙なことをしようとしてもできないからな」

「それで……どうして私のところに? アトゥさん。メルメル師匠もですが」

「もちろん、フギンたちの会談を成功させるための作戦会議さ」


 面白半分にハイエルフ王を召喚してしまった手前、アトゥたちには多少無理をしても会談を成功させなければいけない道義的な責任というものがあった。


「まずレヴェヨン城がマズいのは、魔物による土地や大気の汚染と、やっぱり罠だ。魔物のほうは、俺たち冒険者が頑張って一掃いっそうするしかない。一掃はできずとも城の中から追い出すくらいのことはしないとな……。そっちは、いよいよマジョアに事の次第を話してお触れを出してもらうほかない」

「アトゥさん、怒られますよ、きっと」

「それも俺の仕事のうちとしておこう。で、魔物がなんとかなったら、お次は罠だ。フギンや俺らはともかく、帝国側の交渉メンバーと、ハイエルフ王には傷ひとつつけられない。魔法でなんとかならないか……ってわけ」


 セルタスはわけもわからず連れて来られたシマハにちらりと視線をやり「なるほど」とうなずいた。


「罠無効化の装備がほしい、というわけですね」

「そうそう。そういうわけで、ご専門のセルタス様にお願いしに参上したわけです」


 アトゥはわざとらしく手すぐねを引いている。

 罠無効化の装備——要するに、魔術がかかった特別な衣服のことだ。

 冒険の世界は危険に満ちている。

 身を守るために魔術を使うのはあたりまえのことだ。呪文を唱えて発動する防御魔術のほかにも、司祭の奇跡などがその役割を担う。だが、突発的に起きる危険に対応できないのが難点でもある。

 そこで危険な任務におもむく際には、服や持ち物にあらかじめ魔法をかける。

 魔術の力がこめられた鎧や武器と同じように、服を魔道具化しておくわけである。

 あまり知られていないが、セルタスはその専門家なのである。


「どうりで衣装持ちだと思った」

「メルメル師匠には話してませんでしたっけ。……まあ、趣味と実益を兼ねてるんです」


 冒険者たちは衣装にこだわりがある。とはいえ、宿に泊まり各地を移動する者がほとんどであるため、常時何種類もの衣装を持ち歩くわけにはいかない。仕立てにもそれなりに時間がかかる。

 それに対して、セルタスはかなり派手な衣装をとっかえひっかえしていた。

 今着ている立て襟の長衣も、新しく仕立てたものだろう。


「私の場合、もともと頭の色や瞳の色がコレですから、似合う色が限られてるんですよね。いい布地を見つけたら買いつけるようにしていて、気がついたらかなりのコレクションになっていました」

「それを研究に活かしている……と……。セルタス、どれくらいの確度で罠を無効化できるの?」


 メルは訊ねたが、それほど芳しい数字が出てくるとは思っていない顔つきだった。


「ふーむ、難しいところですね、罠は。なんでもかんでも無効にして防御できるんなら、そもそも罠なんて張りませんしね」

「そりゃそうだ」

「矢避け、刃避け、毒無効の基本三点セットで、確率八割ってところじゃありませんかね。よくて」

「たまに死ぬね」

「たまに死にます。あとついでに、部屋じたいに仕掛けがあり、天井が落ちて来て圧死……とか、想像を絶するような罠はそもそも想定していません。ないよりましでしょうけど、いったい何着くらい必要なんですか?」


 セルタスに訊ねられ、アトゥは少し考える素振りだ。


「五十はいるな」


 その数字がどこから出て来たものかはわからないが、誰も疑いを挟まなかった。

 冒険者が必要だと言うなら、必要なのだ。

 セルタスは少し頭を右肩に傾けたあと「無理ですね」と言った。


「金ならギルドがきっと出す!」

「う~ん、その世迷言よまいごとは面白いですけれど、現実的な問題があります。少しお見せしましょうか」


 セルタスは研究室の奥にある大きな衣装箪笥いしょうだんすを開けた。

 中にぎっしりと詰まっているのは、大量の布地だ。

 セルタスはシマハの手を借りて作業台の上に絹織の古布を敷いた。絹の柔らかい生地は、同じ絹の上で広げないと傷がついてしまうためだ。

 その上に様々な布地を取り出しては広げてみせる。


「基本的に、精霊というのは人の営みを嫌います。祝福を必要とする金属ほどの難易度ではありませんが、布も似たようなもの。精霊術によって魔法の力を宿せる布、それも確実に効果を発揮できるくらいの品は多くなく、大抵はこのような品々です」


 広げたのはくすんだ青色の生地である。なんでもないような布に思えるが、光に当てて角度を変えると、輝く紋様が浮き出てくる。


「これは……! 価値のある古布のなかでも最高級の布地です。今では織り手のいないイストワル地方のもの……噂に聞くだけで、はじめて本物を見ました」


 そんなふうにシマハが驚くようなものが、セルタスの箪笥からは次々に出てきた。

 オレンジに赤といった華やかな色に雲や蝶や鳥といった美々しい柄を染め抜いた南方の布。一見ただの白い布に見えるが、糸を変えて細かな花模様を織り込んだ西方のもの。刺繍や染めの柄も様々で、農村の風景を絵画のように写し取ったものなどもある。いずれもそのときの天才的な職人が神経を注いで丹念に織った逸品であることは間違いない。


「罠避けの服は、布が覆っている体の部分にしか効果がおよびません。シマハさん、この一反の布で、どれくらいの服が縫えるでしょうか」

「そうですね。ごく簡素なあつらえにしたとしても、せいぜい三着ほどでしょうか……」

「となると、ギルドが天文学的な数字の出資をしてくれて、商人たちがあらん限りの在庫を吐きだしたとて、会談の日までに五十着をそろえるというのは現実的ではないでしょうね」


 値段が高価であるという以上に、入手の難しさはいかんともし難い。

 アトゥは溜息を吐いた。


「なるほどな。それじゃあ、裏技に頼らずに罠のほうをどうにかしたほうがいいな」


 メルは箪笥の中にまだうず高く積まれた布を眺めて、少しあきれた表情だ。


「ひとりの人間なら、これだけで一生分の服が揃えられそうなんだけどね」

「ふふ……。私だけですと使いどころがありませんから、全部、コナのドレスにでもしてしまいましょうか。誕生日も近いことですしね」

「素敵なお考えですが、さすがに、それは……ぜいたくすぎます」


 シマハは頭の白い羽を震わせ、言いよどんだが、コナのためと思ったのだろう。

 おずおずと、しかしはっきりとした口調で申し出る。


「町の子どもたちは古着を大切に着て、大きさが合わなくなれば売り、次の買い手に渡します。古びたものは糸をほどいて下着にして、最後ははぎれになるまで使います。夏の服も、冬になれば糸を刺して冬服にして使うところもあります……本来は、それくらい大事なものなのです……」

「ぜいたくに慣れさせるとコナのためにならないよ、セルタス。あの子はまだ、魔術師になるか、冒険者になるか、それとも町で暮らすのかもわからないんだからね」


 客の前と思ってひかえめなシマハの言葉をひろい、メルがにやりと笑った。


「では、魔術練習用のローブだけお願いしましょうかね。どんな生地がいいだろう」


 セルタスはとっておきのコレクションを広げて、幸福そうに微笑んでいる。

 趣味と実益を兼ねて、というのは嘘ではないらしい。


「本当に意外な趣味だね」

「布を織るところを見るのも好きなのですよ。見たことありますか、メルメル師匠」

「それはまあ、あるけどね」

「あれは魔法に似ていると思いませんか? 呪文を紡ぎながら、精霊の力を借りて魔術を編むのです。どのような布が織り上がるかは、その人しだい……。たとえばメルメル師匠の魔術はまったく目のない、糸と糸が溶けて繋がっているかのような不思議な布です」

「そうかな」

「私がもしこの先の研鑽けんさんの末に……そのような魔術をみごと織り上げることができたら、褒めていただけますか?」

「なんで僕?」

「大人になると褒められることが少なくなりますからね」

「それは確かにそうかもね」


 仮にフギンと帝国、そしてハイエルフ王の会談がうまくいったとて、オリヴィニスで骨を折っている大人たちの頑張りが報われることは特にないだろう。

 罠を無効化する装備を参加者全員に配れないなら、なんとかしてレヴェヨン城の罠が参加者を傷つけることのないよう、オリヴィニス側が知恵と工夫をこらさなければならない。


 前代未聞の知恵働きになるだろうことは間違いなかった。

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