第168話 不死者邂逅
三人は荷馬車の後ろに並んで座っていた。
王都からの帰路の途中、近くの村に住んでいる農夫と仲良くなり、目的地まで送ってもらえることになったのだ。帝国領でなら出自不明のならず者扱いだが、このあたりの人々は冒険者に優しい。
こうしたちょっとしたこともオリヴィニスの冒険者たちが長年築いた信頼関係の賜物なのだろう。
そんなささやかな発見について話そうとして、しかしマテルはためらった。
ごとごとと揺れる荷台に腰かけながらフギンは深く物思いに耽っていた。
「愛……………………? 愛ってなんだ……………………?」
《叡智の真珠》を読んでからというもののフギンの様子はずっとこんな調子だった。
一日中、恋愛について悩み続け、マテルが適当に食べ物や飲み物を口に突っ込んでいなければ飢え死にしてもおかしくない有り様だ。
「マテル、フギンがおかしい」
いつもはポンコツだと言われる側のヴィルヘルミナが空中の何もないところを睨みつけながらブツブツ呟いているフギンに怯えている。
恐れ知らずのヴィルヘルミナをこれだけ怖がらせるとは、相当のものだ。
「フギン。それは大抵の人が疑問に感じていて、答えがだせていない哲学的な問題なんだ。そもそも、どうしてそこにこだわるのさ」
フギンは寝不足で血走った目を見開き、言う。
「恋や愛といったものがわからなければ俺がシャグランであるという推理が成立しなくなるじゃないか」
「もうその時点で恋愛ってものを何一つわかっていないし、そこが出発点なら永遠に答えには辿り着けないと思う」
恋はともかく、愛は利己心の対極にある。自分自身が何者なのかを解き明かすという究極の利己的行動と愛とはあまりにも遠い位置関係にある。
長年ひとりぼっちで過ごしていたフギンに《恋愛》はまだまだ難易度が高すぎる課題だったのだろう。
「今日は、はやめに宿を取ってフギンを部屋に押し込んで、みみずく亭への挨拶には僕とヴィルヘルミナで行くしかなさそうだね」
遠景にオリヴィニスの姿が見えてきた。
緊張の糸がゆるゆると解けていくのを感じる。
王都では失敗の許されない仕事続きで、知らないうちにいろいろなことを抱えこんでいたようだ。
ヴィルヘルミナも同じように遠い目つきで街並みを見ている。
たとえ滞在したのはごく短い期間でも、本当の故郷がもっと遠くにあっても、あの街には訪れる冒険者を《帰って来た》という気持ちにさせてくれる何かがあるのだ。
*
――――そう感じたのも束の間のことだった。
白昼のオリヴィニスは冒険者たちの故郷という側面を完全に捨て、狂乱の最中にあった。門をくぐった直後、三人は異常事態に直面することとなった。
見渡すかぎり、人、人、人。
店も、通りも、大通りも、ありとあらゆる場所が凄まじい人出でごった返していたのである。
「なっ…………なにこれ! 王都よりも人が多いんだけど!?」
マテルはもみくちゃにされながら叫ぶ。
人が多すぎておしくらまんじゅうのようになっている。
通りの向こうなんか少しも見えないし、大声を出さなければ隣にいる仲間と会話することさえ不可能だ。心なしか空気だって薄い気がする。
ザフィリやデゼルトでさえ、こんな状況になることは滅多にない。
それこそ戴冠式でもない限りあり得ないだろう。
「ヴィルヘルミナが流されたぞ!」
「あれだけしっかり手を握っていろと言ったのに!」
三人は人混みをかきわけて、命からがら今日泊まる予定の宿に飛び込んだ。
しかし。
「今夜は満室でして、申し訳ないんですが他の宿を当たってもらえますか?」
店主は《喜びが隠しようもない》、といった風情で言う。
なかば予測できていた当然の帰結ではあるのだが、うしろを振り返ると、ぎゅうぎゅうの人混みがある。人混みは人混みでも冒険者の人混みだ。一度流されれば、それぞれが背負った盾やら武具に押しつぶされて、かなり痛いのだ。
「他の…………宿…………?」
「もうやだ! 私はここから一歩も動かないぞ、フギン!」
ヴィルヘルミナが言って、床にどすんと座り胡坐をかく。
その瞬間、気のせいか室内がしん、と静まった。満室御礼というだけあって、大勢いた客がみんな会話をやめてフギンたちのほうを見つめてくる。
「……………………?」
「ほら、もう行こう。行儀が悪いよ、ヴィルヘルミナ」
マテルは小声で言い、ヴィルヘルミナとマテルを連れて宿を出る。
マテルは成人女性が大声でワガママを言って座り込むという子供じみた行為に及んだから、みんなが奇異なものを見た目線を送ってきたのだと思っているようだが、フギンには何かが違うように思えてならない。
思い違いかもしれないが、人々はヴィルヘルミナよりもむしろフギンを見ていたような気がしたのだ。
その後、立ち寄った食堂でも似たような事が起きた。
「おい、お前が《フギン》か?」
そう言って見知らぬ冒険者が声をかけてくる。
「そうだ」とフギンが答えると、ふんと鼻を鳴らして去っていった。
いったいどういうことだろうか。
疑問を抱きながら店の外に出たところで、フギンたちは思わぬ人物と再会した。
「おおい、フギン!」
人混みの向こうで、燃えるような赤毛の若者が手を振っている。
フギンは、おのずとアーカンシエルの砂っぽい空気を思い起こした。そこに待ち構えていたのは《暁の星》のリーダー、アトゥである。
「ようやく見つけたぜ。オリヴィニスにようこそ、歓迎するよ」
アトゥは気さくに言って、初対面のヴィルヘルミナやマテルに自己紹介する。
平服に剣だけ持った軽装ながらどことなく華やかな雰囲気がある。それでいて気さくで、すぐに人の懐にもぐりこんでしまう人懐っこいところが、この青年のよさだろう。
金板の看板を背負っていれば、オリヴィニスでもそれりには名前が通る。心なしか、アトゥの周囲は人の密度が少なかった。
再会の挨拶もそこそこに、フギンはこの状況を訊ねる。
「今日は何かの祭日なのか?」
「ああ、この人出か。残念ながら、そういうわけじゃなくてな。オリヴィニスの《青薔薇》が帰還するんだ。今、街にいるのは出迎えに来てる奴の弟子筋さ。普段はクロヌよりもっと西の港湾地帯にいる連中なんだがな」
「《青薔薇》?」
「《青薔薇》、正しくは《女王陛下の青薔薇》だ。もしくは《光輝の冒険者》とか《ブロメリア港湾都市の救世主》って呼ぶ奴もいるな」
「もしかして、《ハドメア戦役の大英雄》のこと?」
マテルが驚いて声を上げる。
「誰だそれ」とフギン。
「誰なのだ、それ」と、ヴィルヘルミナ。
二人は並んで首を傾げている。
「知らないの!? 有名な軍記物語に出てくる英雄だよ。いや、あまりにも
出来過ぎた話だから、僕はてっきり創作の人物じゃないかと疑っていたんだけど……」
知らない二人を批難したくせに戸惑うマテルに、アトゥは快活に笑って見せる。
「まさか冒険者だとは思わないよな。無理もない。俺もこっちに来てはじめて同一人物だと知ったんだ」
《青薔薇》は戦士カルヴスと並ぶオリヴィニスを代表する冒険者だ。
数々の秘境を踏破し、魔物を倒し、仲間を導いた。やがてその功績は種の違いを越えてエルフ王の目に留まり、人の身ながら《不老の秘宝》と《未来予知の秘宝》のふたつを授けられ、海の向こうにあると言われる高位エルフの世界を冒険する栄誉を与えられた。まるで神話がそのまま服を着て歩いているような男だ。
「公表はしてないがまず間違いなく師匠連の一員だろう。次期冒険者ギルド長としても名前が挙がったことがある。そのときは師匠連全員の満場一致で……」
アトゥは溜息を吐く。
「否決された」
「何故だ? そんなに強いのに」と、ヴィルヘルミナが不思議そうに言う。
「まあ、いつもの《人殺しは嫌われる》というやつだろう、ということでみんな納得している。確かなことは俺たちみたいな下っ端にはわからないがな」
それこそが《青薔薇》の特異な点だろう。
彼は冒険者でありながら、竜を殺すかたわら各地の王に請われて戦争に加わった。
マテルが知っているのは、そのときの武勇伝について書かれた書物なのだ。
「オリヴィニスでは《青薔薇》で通ってるが、ほかにも《ハーディントン名誉騎士団長》《悪竜殺し》《永遠と栄光の紡ぎ手》《閃光の天才剣士》《煌めく彗星》《偉大なるエルフ王のひとつ星》《オリヴィニスの碧玉》と、きらびやかな二つ名がまだまだある」
「戦場での呼び名はまた一味違っているぞ。《茨の死神》だ。英雄と呼ばれている者はみな、戦場で青薔薇に出会わなかった者だという逸話もある」
往来で話し込んでいると、声をかけてくる者がいた。
冒険者とは少し違う厳しさのある顔つきに、人垣が自然と割れていく。
王都クロヌで別れた顔だった。ノックスである。
「無事に戻っていたんですね」
マテルが言うと、ノックスは珍しく微笑み、頷いた。
ノックスによると、ヴリオたちも難民となった先祖返りをあちこちに送り届け、行く当てのない者はアンテノーラに向かわせ、それぞれオリヴィニスに帰還しているという。彼らの無事を聞いて、三人は安堵に胸をなでおろした。
これで、抱えていた仕事をひとつ果たせた。
しかし、フギンは少しだけ警戒する。
「ふたりは知り合いなのか? 俺たちを探していたと言っていたようだが」
「ああ、そうだ。みみずくの旦那に帰還を知らせる手紙を送っていただろう。そろそろ到着の頃合いだと思って、いそうなところで待ち構えていたんだ。あんたに会わせたい奴がいるんでね」
「というと?」
「そりゃもちろん、あんたらが助けてくれた、みみずくの旦那の師匠だよ」
アトゥは懐から細長いものを取り出した。
葉巻くらいの大きさで、先端に導火線がついている。
マッチで火をつけると白い煙が尾を引きながら、空で弾ける。狼煙だ。
呼応するかのように街のあちこちで同じ合図が上がった。
「なんだ、いまの狼煙。どういうことだ?」
「すまないが事情があって時間ないんだ。悪いようにはしないからついて来てくれ。さあ、急げ急げ」
アトゥとノックスに押し出されるように、三人はあれよあれよという間に運ばれていった。
*
そこが旧市街と呼ばれている場所に続く森だということを、当然、フギンたちは知らない。
見知らぬ森を抜けて行った先には、広い湖が広がっていた。
そのほとりに釣り人たちの姿がある。
ひとりはアーカンシエルで見かけたアトゥの仲間だ。確かヨーンとか言ったはずだ。セルタスの弟子、コナもいる。二人の間に挟まれて、ひとりの少年が釣り糸を湖面に垂らしていた。
華奢な背中だ。
十五歳か、それくらいの少年に見える。
ふわふわの髪の毛が、湖面の上を涼やかに渡る風を受けて、あっちこっち気ままになびいていた。
ヴィルヘルミナとマテルは何故、自分がここに連れて来られたのかを全く理解していないふうだった。
けれども、フギンは違った。
本当のことを言えば、森に差し掛かったあたりから、この場所の木洩れ日を、靴底が土と砂を踏みしめる感じを、ずっと前から知っているような気配がしていた。
フギンは仲間たちを置いてゆっくりと三人のほうに歩いていく。
いちばんにフギンの姿に気がついたのはコナだった。場所をゆずってくれたのかもしれない。広げていた魔術書を畳み、ヨーンの膝の上に飛び乗った。
少年の隣にフギンは立つ。
ごくふつうの、どこの街にもいるような、飄々とした少年だった。
瞳は、まっすぐ湖面の、針が落ちているあたりを見つめている。
ふたりとも何も口にしなかった。
マテルはフギンに声をかけようとして、アトゥに止められる。
アトゥとノックスは何もかも事情を知っているふうだ。
立ち尽くすフギンは、マテルの知らない横顔をしていた。この旅のどこででも見たことのない顔だ。
マテルは少しだけ、フギンがそのまま知らないところに行ってしまうんじゃないか、というような《予感》めいたものを感じていた。
「君、雰囲気が少し変わったね」
しばらく沈黙が続いたあと、少年はそう言った。
ほんとうにあどけない少年の声だった。
フギンは頷いた。胸に、言葉にならない感情がこみあげてくる。
仲間にに背中を押されてザフィリを出発した。その理由が、旅路のすべてが繋がっているのが、ここだ。
すでに確信していた。彼がメルだ。
「俺に力を貸してくれないか」
「ヤダ」
メルは食い気味に言った。
嫌だ、でも、イヤだ、でもない。ヤダ、だ。
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