第147話 錬金術師ヨカテル


 その場には、語りがもたらした暗い引力がまだ残っていた。

 空気はヒンヤリと冷たく、心の奥底をざわめかせる。


 突然現れた老人は不穏な空気を振り払うかのように、店内に向けて杖を振り上げるなり「閉店だ! とっとと出ていけウスノロどもめ!」と叫んだ。

 客たちはやけに大人しくゾロゾロと店を出て行く。

 残ったのは老人とマテルたち、そしてやたら目付きの鋭い店の護衛たちばかりだった。


「ふん。お前らがセルタスのアホが言ってた連中だな」

「お知り合いなんですか……?」

「ああ、何しろ同じ師匠連だからな」

「あなたが?」

「何だ、老いぼれが師匠連を名乗っちゃ悪いってのか」


 老人はゆっくり階段を降りて行き、フギンの前に腰かけた。周囲にはまだ星の光が散っていたが、その瞬間、霧散する。

 マテルとヴィルヘルミナも後に続こうとして人相の悪い護衛たちに遮られた。


「お前たち、何のつもりだ?」


 ヴィルヘルミナが凄んでも、護衛たちはそれが仕事だとばかりにびくともしない。降りて行った老人もこちらを一瞥しただけで後は無関心だ。

 老人はテーブルの上の賢者の石を手に取った。


「こいつは宝石なんかじゃねえ。どこで手に入れたか言えるもんなら言ってみな」

「俺のものだ」

「面白ぇ冗談だ。この大きさの賢者の石の供与を受けられる錬金術師を帝国が手離すはずがない。こいつは盗品で、お前さんはしつけのなってねえ野良犬だ」

「人聞きが悪いな」

「そうか? 少なくとも俺は同類の出現に喜んでるよ。名前が聞きたいなら教えてやろう。俺の名は。知っての通りホンモノの野良犬だぜ」


 ヨカテルはにやり、と獰猛な獣のような笑みをみせた。

 フギンは驚いていた。

 ここに来たのは情報屋に会うためだった。それなのに、オリヴィニスにやって来たもうひとつの目的が目前にいる。

 エミリアから託された論文の著者だ。彼はエミリアが追われている理由を知っているかもしれない人物なのだ。


「あんたがヨカテル? 錬金術師のヨカテルなのか」

「元冒険者だとか情報屋って呼ぶ奴のほうが多いがな。ここは引退後に開いた店だ」

「聞きたいことがあるんだ。あんたが帝国でやっていた研究のことと、それから――《メル》という冒険者について」

「メルのことを知りたがるとはますます気に入らねえな」

「またそれか。こっちからすれば、どうしてそんなに警戒されるのかが不思議だ」


 ヨカテルは肩を竦める。


「どうやら何も知らずにオリヴィニスに来たらしい。しかもお前さん、《死者の檻》のフギンだろう」

「なぜ俺の二つ名を知っているんだ」


 二つ名はあくまでもザフィリの冒険者たちが知っているものだ。そこまで有名人になった覚えはない。

 緊迫した空気を感じとったのか、ヴィルヘルミナが柄に手をやる。

 当然、護衛たちも反応する。

 最悪の連鎖反応が起き、ヨカテルが鋭い瞳でそちらを見た後、腰につけた装置にそっと手を伸ばした。師匠連の錬金術師が何をしでかすのか皆目見当もつかないが、セルタスのことを考えると、無傷では帰れないだろう。


「これ以上、師匠連のやつらとやり合うつもりはない。痛めつけられるだけだ」


 二階にも聞こえるよう、わざと大きな声で言う。それからフギンはヨカテルに向き合った。


「――俺は不死者だ。オリヴィニスには同胞を探しに来た」

「証明は?」

「できない。できるわけがない」

「――――ふん。メルの同類を騙った上に、証明はできないと言うか。ま、あいつは自分が不死者だとすら思ってないから、本当にそうならお前のがまだましってもんだが……」


 ヨカテルは右手を上げて合図を送る。マテルたちを通せんぼしていた護衛たちが階段への道を開けた。

 何故なのかはわからないが、緊張を解いたのが空気でわかる。


「信じてくれたのか?」

「さっきの》だ。あんたの話はだった……というか、話している間のあんたは目の前にいる小僧とは別物だ。だから、ひとまずは言い分を信じよう」


 メルと会ってどうする、とヨカテルはさらに質問を重ねる。

 フギンはいつか同じことを訊かれたときにそう話したように答える。メルと会って、自分のルーツを探りたいのだと。自分自身が何者なのか知りたいだけだと。

 話を聞き終えたヨカテルは顔を左右非対称にゆがめた。


「ほかに手掛かりがないんだ」

「手がかりね……。大事な判断を他人に委ねようって根性はやはり気に入らねえが、情報屋としては金さえ貰えりゃなんでも話すさ」


 そう言ってコップに手を伸ばし、ひっくり返した。

 中から銀貨が十枚以上、滑り出してくる。


「この枚数なら話してやれる情報はひとつだ。どうする?」


 メルの居場所か、それともヨカテルの研究についてか。迷うフギンをマテルが不思議そうに見つめる。


「フギン、どうしたの?」


 上にいた二人は目の前の老人の正体に気がついていない。


「こいつは錬金術師ヨカテルなんだ……」


 緊張した声で告げると、マテルは驚いた顔をする。

 冒険者になったとは聞いていたが、それが今は怪しい店で情報屋をやっているとは誰も思いもしなかった。


「金の問題なら、これで解決すればいい」


 ヴィルヘルミナは剣を鞘ごと外し、テーブルの上に載せる。


「ヴィルヘルミナ、それは……」

「いいのだ。剣など、これで無くても斬れる」


 だが、ヨカテルはあくまでも選択を迫ってくる。


「物は受け取れねえな。それにこれは信用の問題でもある」


 決断を迫られているのは、ほかでもないフギンなのだ。結論ははじめから決まっているようなものだった。


「……あんたが帝都にいたときに残した研究成果について、聞きたいことがある」


 ヴィルヘルミナのために魔術師ギルドに行き、セルタスに挑むと決めたのと同じことだ。

 エミリアは大陸のどこかで今も不安を抱えて暮らしている。もしも次に会ったときに彼女が落胆するところを見たくはなかった。いや、会えるかどうかも不透明だ。アーカンシエルのときのようにいつ敵が襲ってくるかわからない。


「フギン、本当にいいの?」

「メルのことは、どれだけ時間がかかっても自分で探せばいい。でもこれは仲間のためだ」


 答えて、前を向く。

 その背中をマテルが右側から、そしてヴィルヘルミナが反対から、しっかりと支える。どれだけ時間がかかっても、苦難があったとしても、そこには自分たちがいると言うように。


「いい話っぽくなってるとこで悪いがよ、メルの居場所を教えろと言われたら、お前たち全員外に放りだしてたぞ」


 ヨカテルはぶっきらぼうに言い放つ。


「……なんでこの街の連中はそんなにメルのことを隠したがる?」

「あいつは現役時代のときの仲間だ。ギルド長もそうだ。お前ら、変な真似してみろ。生きて街を出れないと思えよ」


 飄々としているが、声にはやけに凄みがあった。


「なるほど。だからこれだけ箝口令が行き渡ってるんだな」


 冒険者は仲間を大切にする。危険と隣あわせの歳月をより長く過ごした者たちは家族ですら立ち入ることのできない絆を築く。

 不死ならば、他の者より築いた絆は多いだろう。それがこの街の一部となっているのだとフギンは感じた。


 メルは自分とは違うかもしれない。

 少なくとも他者を拒んではいないのだ。





 三人はヨカテルの研究室に迎え入れられた。地下にある部屋は綺麗に片付けられて、錬金道具が整然と並んでいる。

 出力の大きな賢者の石を必要とする装置や兵器の数々を前にして、フギンは口を半開きにしたまま動かなくなった。

 ようやく瞳に正気の光が射したところで。


「――――俺、今日からここに住む」


 夢うつつにそんなことを言い出した。


「フギン、旅の目的はどうしちゃったの!?」

「旅……の、目的……?」


 その目には見たことのない優れた技術に対する尊敬と憧憬が溢れ出し、完全に方向性を見失っていた。


「おい、これはどうやって使うものなんだ? 攻城兵器並の大きさだが……」


 目的を忘れてヨカテルに訊ねるフギンは、表情こそ変わらないものの明らかに興奮状態にある。


「転送陣で本体の一部か攻撃だけダンジョン内に入れるんだよ。魔力を使わねえ純エネルギー砲としては、これが大陸最大級だろうな。とはいえ俺が現役時代の物だからな。今の技術なら半分くらいに縮められるんじゃないか」

「き、機構を見せてもらってもいいだろうか……」

「好きにすりゃいいが、お前さん、いったい何しに来たんだ?」


 あまりの別人ぶりに、ヨカテルも呆れている。

 彼は渡された論文のページをめくり、何者かによって切り取られた部分で手を止めた。


「…………ふん、なるほどな。こいつか」

「覚えてらっしゃいますか」


 フギンは使い物にならないと判断し、かわりにマテルが問いかける。


「そこまで耄碌したつもりはねえ。何しろ、こいつは俺が帝都を追われることになったキッカケだ。ようく覚えてら。こいつを持ってくるということは、お前さん方も賢者の石の謎に辿り着いたらしいな」

「エミリアという協会の技師が、この論文を手に入れようとして何ものかに追われているんです」

「そうだろうな。この論文は《賢者の石》の状態変化にまつわる実験と結果を記録したものだ」

「状態変化……?」


 マテルとヴィルヘルミナが頭に「?」マークを浮かべる。


「エネルギーの抽出や増幅に関する新手法ってことか?」


 大砲の下から這い出してきたフギンが訊ねると、ヨカテルは不満げだ。


「ああいうのは協会から研究費をせしめたいだけの雑魚どもが手を出すものだ」

「フギン、僕たち何も理解できてないんだけど……」

「錬金術というのは賢者の石からエネルギーを抽出するためのすべての技術を指す、というのは前にも話したな。エネルギーの抽出や増幅は錬金術の基礎的な研究領域のことだ」


 基礎だからこそ一番研究が進んでいる分野でもあり、新手法などというものは数十年前から発見の余地がない。最近では検証と称して先人の実験を繰り返して結果をまとめ、研究だとのたまう錬金術師が後を絶たないのだと話すと、マテルは何とか理解したらしく頷いた。

 ヴィルヘルミナは理解を放棄して、きらきらした賢者の石のかけらを机の上で転がして遊んでいる。


「とはいえ、この研究は俺の師がはじめたものだ。人のことは言えんな」


 ヨカテルは葉巻に火をつける。


「昔々、あるところに錬金術師がいた。男は賢者の石の実験を繰り返し、その結果に有意の誤差があることを認めた。それが何によって引き起こされるのかについて考えるうちに、とうとう賢者の石を飲み込んで、首を掻っ切って死んだ。気が狂ったと思うだろう? ちがう、いかれちまったんだ」


 師はヨカテルに遺書を残していた。

 死後、すぐに遺体を解剖し、賢者の石を調べるように……。


「せめてものはなむけに、言う通りにしてやったよ。あの頃は俺もいかれてたからな。死人の胃袋から取り出した賢者の石で実験を行い、目を疑ったね。賢者の石は何の反応もしなかった。使んだ」


 地下水道で発見した賢者の石と同じだ。

 エミリアもフギンも、無限と言われる賢者の石のエネルギーが失われていることに気がついた。ヨカテルもまた同じことに気がつき、さらに先へと進んでいた。


「それから動物実験を繰り返し、結論に辿りついた。《賢者の石》は。生命体が命を失うとき、んだ」

「ありえない。賢者の石は無限のエネルギーを供給する物質のはず」

「それが錬金術協会のゆるぎない見解であり、その権威を支える屋台骨だからな。だからこそ…………そこでようやく正気に返ったが、もう遅い。この実験の結果は闇に葬られ、携わった錬金術師は俺一人を残して全員死んじまったよ」


 ただの事故死ではない。その死には陰謀が絡みついていた。

 その後、ヨカテルは帝都から遠く離れ、オリヴィニスで冒険者となった。

 ヨカテルはうつむいたままじっと目を瞑っていた。過去に思いを馳せ、仲間たちのことを想っているに違いない。


「……共振する生命体は、人間や動物でなくてもいいのか? たとえば魔物でも」


 地下水道、それも浄化施設に当たる部分は錬金術協会によって厳密に管理されている。

 あの場所にいた生命体といえば、スライムくらいしかない。何かの事故で浄化槽へと水棲の魔物が入り込み、賢者の石を飲み込んだまま、フギンとマテルに倒されたのだとしたら賢者の石が力を失ったことと辻褄があう。


「魔物を用いた実験はしていないが、もしかしたら何かしら特殊な結果が得られたかもしれんな」


 不明な部分もあるが、これで何故、研究結果を手にしたエミリアが追われなければならないのかが明らかになった。ヨカテルの言う通り、賢者の石はこれまで無限のエネルギー発生装置だと思われてきた。皇帝一族もそれを信じるからこそ石の発掘や研究に多額の出資をしてきたのだ。


「だけど、じきに力は元にもどるんだよね? 秘密を知ったとはいえ、殺すほどのことなのかな……」


 マテルが不安そうに訊ねる。

 それはエミリアから直接話を聞いたときも、フギンが感じていた疑問だった。

 変化の結果が重大なものであっても、もとに戻るのであれば問題はない。フギンの所持している賢者の石もセルタスと戦ったときにはもとに戻っていた。むしろ貴重な発見だ。


「まだ、賢者の石には誰も知らない何かがあるのか……」


「それを知ったら、帝国は今度こそ許さないだろうがな」とヨカテル。


「あんたはそれを調べようとは思わないのか」

「俺はもうオリヴィニスの人間だ。ここに仲間がいて、そのうちの何人かがこの世を去るのを見送った。だが、帝国の人間に同じことをしようとは思わない」


 遠くを見据えるようなヨカテルの瞳には、違う誰かがうつっている。

 研究室の内側にある装置は立派だが、いずれも古びている。彼の中の錬金術は時を止めたままで、その先を見ようとはしていないのだった。

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