第122話 虹の街《下》



 巨大な質量が地面に叩きつけられる衝撃で地面が震える。

 その衝撃に誘われるように岩の塊が次から次へといくつも転がり落ち、落石のひとつが篝火を押し潰した。

 真正の暗闇の中、すぐに飛び出して行きたいのを堪え、姿勢を低くして頭をかばい振動が収まるのを息を殺して待つ。

 ようやく地鳴りがやんだとき、フギンのそばにも、まともにぶつかっていたら命はなかっただろう大きさの石くれが落ちていた。

 体中に降り注いだ埃と小石を振り払うと、すぐさま階段を駆け降りていく。


「マテル、どこだ! 無事かっ!?」


 街への出入口は見上げるほど大きな落石で塞がれている。

 アーカンシエル側が大騒ぎになっている気配がある。だが、しばらくは助けに来れないはずだ。


「誰かーっ! 誰かいないか、手を貸してくれ!」


 マテルの声ではない。

 声を頼りに駆けつけると、衛兵の若者の姿と落石の下敷きになったマテルがいた。


「《寄りて来たれ》」


 精霊を呼び寄せ、明かりをつける。

 マテルは脂汗の浮いた青い顔で痛みをかみ殺している。


「フギン……すまない……」

「いい、しゃべるな。命さえあれば後はなんとでもなる」


 急いで転石をどけ、岩の下から体を引き出そうとするが、片足がフギンの背丈くらいありそうな岩の隙間に潰されて動かない。

 衛兵が板切れをかき集め、隙間にねじこんだ。岩が少し浮くのをみると、背負いあげるようにしてなんとか押し出す。

 マテルの足は折れた骨が傷口から突き出し、血が流れだしていた。

 この場では折れた骨を元の位置に戻せない。それよりも出血を止めるのが先だ。

 フギンはすぐさま着ているマントを脱ぎ、切り裂いて傷口を止血する。

 死ななければ命はある。教会に行けばいくらでも傷は癒せる。

 けれど、もしも何かが少しでもちがっていたら、この時点で命はなかった。


「……俺のせいだ」


 無我夢中で傷の処置をしながら、その言葉が口を突いて出てしまう。

 それは夢のことがあったせいだが、別の意味でとらえたのだろう。救出に力を貸してくれた衛兵が青い顔をして答えた。


「いいえ、この方に助けて頂きました。そうでなかったら、今頃……」


 明かりの下でみた若者の顔立ちは、フギンとそう大して変わらない。

 この仕事について間もない新兵かもしれない。

 見張りは二人いたが、もうひとりは頭を潰されてすでに絶命していた。

 あの状況で、マテルはいつもフギンにそうするように、とっさに青年をかばったのだろう。

 それをマテルの甘さだとは思わない。心の優しい人間だとわかっていたのに、危険な場所に連れて来てしまったのはフギンだからだ。


「運ぶのを手伝ってほしい。別の入口があるはずだが、どこにある?」


 すぐに街に運ばなければ危険だ。

 しかし、衛兵の返事はない。

 彼は絶望の表情で闇夜のむこうを見つめている。

 フギンは闇夜にそっと視線を滑らせた。

 対になった金色の光が、こちらをじっと見据えている。

 三体の蜥蜴人たちが、闇の帳をそっと押し開け、するりと忍び出てくる。

 鈍色に輝く鱗の上から粗雑なつくりの革鎧を身に着け、二体は人から盗んだだろう槍を、もう一体はそのうしろで剣を携えている。足音はまったくしなかった。

 蜥蜴人は社会性を持ち、知性の発達した魔物だ。おそらく、大きな音を聞きつけた群れの斥候部隊が偵察に訪れ、フギンたちをみつけたのだろう。こちらは手負いだ。見逃す理由はない。

 どうする、と思った瞬間に声が出ていた。


「救援を呼んでくれ、ここは俺がなんとかする。――行け!」


 声にはじかれるように、若者は走り出す。

 危険な状況だとわかっていた。マテルは戦えない。ここには自分ひとりしかいない。仲間がいなくては何もできない精霊術師がひとりいるだけだ。

 しかし、すぐに助けを呼ばなければマテルが助からない。逃げだすという選択肢はなかった。

 きっとフギンが逃げたとしても「仕方ない」と笑ってマテルは許すだろう。もしかしたら、それがフギンではなかったとしても、ほかの誰だったとしても、許してしまったかもしれない。

 だからこそ自分だけは逃げたくなかった。

 フギンは少し後ずさり、後ろ手で落ちていた剣の柄を拾う。死んだ衛兵のものだ。

 次に小物入れからカードを抜き取り地面に落とす。

 声は出せない。呼吸によって精霊を呼び寄せると、闇の中に炎がともる。

 凍りついていた指を溶かして、そして剣の柄を握った。


「力を貸してくれ、アルドル」


 ジリジリと距離を詰めてくる蜥蜴人を前に、フギンは目を瞑って体の力を抜く。

 死者の能力を模倣する力が自分にあるという自覚は全くない。

 だけど、頼れるとしたらそれだけだった。

 もしもそれが勘違いだったら――そうだったとしても、フギンは逃げない。

 マテルの優しさを利用するために旅に連れ出したのではない。フギンはマテルの本当の仲間になりたかった。共に、互いの苦難に立ち向かえる仲間に。

 不思議と恐怖はなく、それどころか心の奥底から何かが、自分の感じたことのない強い感情が芽生えてくる。

 槍を携えた二体のうち片方が、動く。

 一気に距離を詰めてくる。


 そのとき、フギンは剣を抜いた。


 再び瞼を開けると、そこは星の海だった。

 蛍のような薄青い燐光が瞬いている。さきほどの魔術の光とはちがう。

 それが自分を中心に輝いているのだとは気がつかないままに、フギンの体はすべり出すように動いていた。

 突き出された槍の穂先を、思いがけない力強さで払いのける。

 どう動けばいいのかわかる。いや、わかっているのはフギンではない。

 横合いからもう一体が槍をふりかぶり、切りかかってくるのが見えた。振り下ろされる切っ先を受け止め、押し返す。その動きは止まらない。連携し、交互にしかけてくる蜥蜴人の動きを完全に見切り、受け流し、弾き、防いでいるのは、己の中にいるほかの誰かだ。

 その誰かはフギンの体を人形のように操りながら、心に訴えてくる。


《うれしい。》

《再び仲間を守るために剣をとれることが――――。》



 ――――アルドル、お前なんだな。お前が俺のなかにいるんだ。



 大蛇を前に引くことなく刺し違えて死んだ戦士の魂を近くに感じる。

 激しい剣戟よりも、飛び散る火花よりも、もっと近くに。

 敵の動きがひどく緩慢にみえる。タイミングをあわせ、フギンは突き出された槍を剣を持った右手で抑えて懐にもぐりこむ。背に蜥蜴人の呼吸を感じたが、恐れはない。武器を持った魔物は、そうでない魔物が牙や爪で戦うのに、本能的な攻撃をとらなくなるか切り替えが遅くなると

 左手がナイフを抜き、むき出しの膝に突き立てた。

 くるりと体を回転させて懐から抜け出ると、襲いかかってくるもう一体が正面にくる。がら空きの胴を切り払い、庇おうとした手の指を落として、返す刀で首を刎ねた。

 そして動きを止めておいた槍の蜥蜴人にとどめを刺す。

 残るは剣を持っている蜥蜴人だけだ。

 ほかの二体とは少し雰囲気が違っている。槍の二体の戦いを眺めている様子だったし、上位個体なのかもしれない。

 切っ先を向けると、むこうも剣を抜いてきた。

 アルドルは落ち着いて構え直し、すり足で右にゆっくりと歩く。

 蜥蜴人もついて来る。

 歩みはやがて速度を上げ、お互いに走り出す。そして脚力に勝る蜥蜴人が急激に間合いを詰め、激しく斬りかかってきた。

 上段からの振り下ろし、真一文字の薙ぎ払い、次々に繰り出される斬撃のそのすべてを渾身の力で受け止める。蜥蜴人は執拗に食らいつき、激しい金属音が間近で鳴る。

 敵に剣技というほどの技はない。だが、恵まれた体格、まさに人離れした力によって、非力なフギンはだんだんと後ろへと押し出されていく。

 それまで自らの剣を叩きつけるように振るっていたが、ふいにアルドルは足を引いた。そして受け止めた剣をうしろへと流した。

 力任せの攻撃はフギンを通り過ぎ、勢い余って転石を強く打った。

 その瞬間、蜥蜴人の剣は真中から真っ二つに折れて、地面を転がる。

 人から盗み出した金属の表面には錆が浮いている。道具を使う知恵はあっても、手入れをするという発想はないのだ。

 魔物なりに驚いているらしい。その隙を見逃さず、アルドルの剣は深く胴体を穿つ。暖かい血しぶきが湯気をあげた。


 視界の端に、たいまつの火が見える。

 救援が来た。



*****



 教会に運びこまれたマテルは神官による治療を受け、けがは一瞬でなかったかのように治癒した。失った血液がもどるまでは安静にしなければならないが、命に別状はない。

 ヴィルヘルミナと交代で付き添い、翌日の朝、マテルは目を覚ました。

 マテルが朦朧としているあいだに何が起きたのかを説明すると、優しい青年は心配そうにフギンを見つめる。


「肝心なときに動けなくてすまない」

「いいんだ。凄く腹立たしいけど、ミダイヤが言っていたことを思い出した。試験のとき――仲間がどうしたら助かるのか考えるのが俺の仕事だと。あいつの言うことはいちいちもっともだ」


 ミダイヤは、あれで戦士たちから多大な尊敬を向けられる《教官》である。マテルを冒険者の道に引きずりこんでおきながら、情けない醜態をさらすフギンにずいぶんふがいない思いをしていたに違いない。

 フギンがだした答えは正解ではなかったかもしれない。

 でも結果的にはマテルを助けることができた。


「だけど、君は自分の力のことで悩んでいたよね」

「そうだな。結局、この力のことはよくわからないままだ。お前の言う通り、死者の力を使えるようになるらしい、というだけで」


 わからないことはもうひとつある。

 時折、夢に見るあの女性。

 それから、同じ夢で見たアマレナの姿。

 アマレナは、明らかにフギンに敵意を向けて呪術のようなものを使っていた。

 その力が落石を起こし、死者まで出したのだった。


「旅に出たことを後悔してる?」


 その問いかけを、フギンははっきりと否定する。


「きっと、これはいつかはっきりさせなければいけないことなんだ。俺が何もので、どこから来たのか……この力がなんのためにあるのか……」


 あの憎悪に満ちた眼差しは、おそらく、旅に出なかったとしてもフギンを追ってきたはずだ。そうでなくともミシエのように罪のない人を巻き込み、傷つけていく。どこかで誰かが止めなければ、訳のわからないまま、この悲劇はひそかに続いていくのだろう。


「君は特別なんだ。きっと、何か特別な役目があるに違いない」

「そうかもしれない。どうすればいいのか、女神が指し示してくれれば楽なんだが」

「フギン、僕は……」


 続く言葉は、マテルらしい優しいものだっただろう。

 フギンは首を横に振った。


「今は、ゆっくり休んでくれ」

「まさかとは思うけど、僕を置いていくつもりじゃないだろうね」

「いいや。目が覚めるまで、そばにいる」


 マテルは、微笑みながらゆっくりと右手を持ち上げた。


 今度は逃げない。

 数えきれないほど長い時間、ひとりでは旅立つ勇気もなく、ただ過ぎ去っていく毎日に怯えていた。そんな彼に差し出されたたったひとつの手のひらを、フギンはしっかりと握り返した。





*****剣*****

 魔物を倒すには、間合いが取れる槍や攻撃力の高い戦斧、メイスなどが便利。しかしなぜか、扱いにやや難のある剣が冒険者たちにも人気だ。その理由は様々。取り回しがしやすく、運搬が容易いため。あるいは、騎士階級などに習熟した者が多く、戦闘時のノウハウの蓄積が他武器よりも多いからではないかと言われている。戦斧やメイスに習熟した教官は、戦士ギルドでも数がかぎられている。母数の多さが人気に比例しているのかもしれない。



*****蜥蜴人*****

 全身が鱗で覆われている、爬虫類の頭部を持つ魔物。亜人種と同じく社会性と知恵を持ち、二足で移動する。どちらかというと生態は蜥蜴よりも人寄り。弱点が人と似通っているので、大蜥蜴を相手にするよりも簡単だと言う冒険者もいる。上位個体は武具を用いるが、知能は低い。



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