第79話 真夜中の秘密 -4△



 雨が降っていたように思えた。

 が、思い返すとそれは崖下を流れる川の流れの音だったかもしれない。


 年を経ても魔術の知識は衰えなく、むしろ鮮明になるばかりだったが、《あの夜》のことだけは別だ。


 マジョアに捕まったアラリドは懇願した。

 だが、それは命乞いなんかではなかった。

 メルのことだ。


「メルの魂は《器》なんだ。彼は迷宮の地下深くからやって来た。七英雄が死んだとき、女神は彼らをひとりの人間の姿にしたよね。つまり、メルこそが魂を宿した《入れ物》なんだ。だから他人よりもずっと長く生きる……だけどもし、彼が長く生きることに疲れたら、ぼくのような人を探してくれ。頼むよ……」


 夜魔術師を探せ、それが最後の望みだった。


「七つの魂を抜き取れば、メルはひとりの人間として死ねるんだ。七人の正しい名前を探して」


 それは死を前にして気が狂った者の妄言のようだったが、トゥジャンは否定することもできずにただ頷いていた。

 ごく当たり前の人間が家族や仲間、友人に与えるものは、優しい心や言葉、贈り物や愛情だ。

 だが、アラリドがメルに捧げようとしたものはそれらとはちがっていた。

 夜魔術師にとって死こそが最上の贈りものであり――アラリドは寂しさ以外、何も持ちあわせがない少年だった。

 最期まで。

 その哀れな結末をかいつまんで語り、トゥジャンは口を噤んだ。


「ちょっと待ってくださいな。よもや老師、あなたともあろうものが、仲間殺しを見過ごしたということですの!? ――《光の矢》!!」


 ナターレが放った光でできた魔術の矢を、影の術師が《鏡》の魔法で的確に打ち返す。セルタスが使ったものと、ほとんど同じ技だ。敵は精霊魔術にも、真魔術にある技のどちらにも対応している。


「そういうことになるであろうな。何と言われても構わんよ。その場に居合わせたのに止めもしなかったのは事実なのだから――《最後の扉を開けよ、時の魔物よ》」


 土埃を上げて踏み出した巨人の足に時間停止の呪文をかけ、そこに素早く、輝く矢の魔術とセルタスが振るう杖の一撃が入った。

 膝関節にひびが入り、そこから下が脆く崩れ去る。


「だが動かせぬ証拠があったのだ。いずれにしろ裁かれただろう」

「せめてもの情けにしては酷すぎるお話ですけれども、証拠というのはいったい何です? ――せいっ!」


 セルタスが無造作に、前のめりになったゴーレムの頭部を叩く。

 頭部が完全に破砕されるが、人間とは弱点のありかたが全く異なる土人形は動きを止めたりはしない。


「自白だ。アラリドがみずから告白したのだ。自分が魔物ではなく人を実験の材料にしたのだと……。しかしそれも最早過去のことだ」


 攻撃を辛うじて避け、うしろに控えたナターレに指示を下す。


「ナターレ、詠唱を。まとめて薙ぎ払えるやつを頼む。そのあいだ、なんとか私とセルタスで足止めしよう」


 セルタスとトゥジャンが、詠唱をはじめたナターレを庇うように立った。

 砂の魔術師といえども、流石に熟練した魔術師三人の連携には敵わない。

 人々がかろうじて勝機を見出した、まさにそのときだった。


 頭上から甲高い馬の嘶きが聞こえてきた。

 暗がりの向こう、屋根の上だ。


 目の前の魔術師と同じ、砂に覆われた甲冑騎士が長大な馬上槍を携え、屋根瓦を踏み抜いて破壊しながら疾走していた。

 悪夢のような状況に気がついた盗賊ギルドの者たちが矢を射かけ、立ちふさがる。しかし、神官の守護魔法が攻撃のほとんどを防いでしまう。


「……む、いかんな。あれに突撃されたらいよいよ後がない。ナターレの弟子たちの拘束を解呪し、すぐさま撤退せねばなるまい」


「あの、その前に少し」とセルタスはトゥジャン老師に訊ねた。「さっきからものすご~く疑問だったのですが、アラリドがそのとき死んだとして、今、この状況を引き起こしているベロウとかいう夜魔術師はいったい何なんですか?」


 会話を間近に聞いているナターレは、涙目である。市民はすでにここを離れた。事件の真相なんぞよりも、一目散に逃げだしたくてたまらなかった。

 知能をもたないゴーレムの突撃はまだしも、戦馬に騎乗した神官戦士の突撃攻撃にはこの場の誰も耐えられないだろう。


「ですからそれは今聞かなくちゃいけない話なんですの!? 《エデシテの祈りによってはじめ、到来を待つ……》」


 まだ詠唱を続けているところが、律儀といえば律儀である。

 トゥジャンは過去を思い出しながら、巨人との大立ち回りをこなしているセルタスに応える。


「我々はアラリドの死を確認したわけではない。死体は流されて、結局みつからなかったのだ」

「それってもしかして、ベロウの正体がアラリドだとか言いたいわけですか?」

「あれだけの才能が再び世に出るとは考えにくい。それ以上に、当時アラリドが抱えていた夜魔術の技法はその死とともに葬られたはずで再現不可能だ」


 それだけ、死霊魔術に対する弾圧は激しいものだったのだ。

 二人は少しの間むずかしい顔つきで悩みはじめた。


「少し時間を稼いでおきなさい、ナターレ」とトゥジャン。

「せめて、まともな援護をしてくださいませんこと!?」


 屋根の上を蹴り、立派な影の戦馬と騎士が戦場へと降り立った。

 ナターレ、受難の時である。



*****



 ギルド街、そして宿屋街を抜け、避難が終わり静かになった街路をヨーンとシビル、アトゥの三人が駆けていた。


 骸骨たちを盾を構えたヨーンの突撃でなぎ倒し、漏れたものをアトゥが斬り払う。

 勇ましい戦士たちの活躍を、しかしシビルはまともに見ていられなかった。それどころか、誰にも見られたくないとさえ真剣に思う。

 

「神様、光女神ルスタ様! 全能なる天の主よどうか、登り調子のイケてる冒険者のみっともない姿が他人に見られませんように~~~~~~!」


 というのも、先陣を切るアトゥは下着一枚、ヨーンも短パンに肌着を一枚身に着けただけ、シビルも薄物を一枚羽織った姿だったからである。


「なんでアトゥは裸なのよ!」

「お前の宿が爆発したのが見えて、慌てて助けに駆けつけたんだろっ!」


 そして直後に亡霊たちと骸骨があふれ、混乱の中、ほかの冒険者たちと同じく逃げ惑うはめになったのである。


「だいたい、こんなに暑いのに服なんか着て寝てられるかってんだ!」


 ぼやきながらも、アトゥの白刃が頭蓋骨の脳天から腰までを切り裂いていく。


「さっきから南に向かってるけど、アテはあるのかい、アトゥ」


 ヨーンが訊ねた。


「このまま《みみずく亭》に向かうぞ。こんな状況になりゃルビノの旦那も喋るだろ。ボンヤリしてたらオリヴィニスはアールヴォレ城の二の舞だ!」

「また虐殺が起きるってこと? オリヴィニスの人たちを殺してどうするつもりなのよ」

「わからん。ただ状況が似すぎてるもんで、嫌な予感しかしないんだよ」


 みみずく亭まであと少し、というところだった。


「うう……」


 路地から聞こえて来た人の呻き声に、三人は足を止める。逃げ遅れた人かもしれない。急いでいる最中だが、見捨てるわけにもいかない。

 細い路地は暗く、幽霊のたまり場だ。

 慎重に様子をうかがう。


「あ……アトゥさん…………!」


 血まみれの若者が助けを求めているのが見えた。

 その声には聞き覚えがある。


「《光よ》!」


 シビルが音と衝撃波を発生させる光の魔術で、たむろする幽霊を一瞬、遠ざけた。すかさずアトゥが若者のそばに駆け寄り、助け出した。


「ロジエ、こんなところでいったい何してる!」

「少々用がありまして、ヨカテルさんのところに寄っていたんです。それで……ふたりでメルさんのところに行く途中、敵の襲撃を受けてしまいまして……」

「どこをケガした? すぐに神殿に送ってってやる」

「大丈夫です。これはほとんどヨカテルさんの血です」


 ヨカテルはロジエを庇って深手を負い、逃げる途中で別れ別れになったという。

 ロジエは腕に矢傷を負っていたが、毒を盛られたようすもなく簡単な応急処置でしばらくは持ちそうだった。

 しかし、アトゥは何か言葉にはできない妙な違和感を感じていた。


「どうしてお前たちはメルのところに向かってたんだ?」

「アラリドって人のことで、すぐにでも伝えないといけないことがあるそうです。メルさんは、今どこに?」

「みみずく亭にいるはずだ。たぶんな……」


 ロジエを安全な場所に避難させている余裕はなかった。

 三人は負傷した若者を連れたまま、みみずく亭へとひた走る。

 ようやく姿が見えたみみずく亭に人気はない。

 四人は鍵を壊し、裏口から店の中へと入った。

 調理場には火が入った形跡もない。


「ルビノの旦那、いるのか!」


 二階に声をかけると、何かが割れるような物音と必死なルビノの声が降ってくる。


「アトゥさん! こっちに来ちゃダメっす。あんたの手に負える敵じゃない!」

「そりゃ、えらく帰りにくい返事だな!」


 大変だ、とロジエが声を上げた。


「はやく助けに行きましょう」


 アトゥは狭い階段を登りかけた。

 その半ばほどで振り返る。

 ロジエはついて行く気らしく、アトゥに続いて階段に足をかけている。

 そこで、再び違和感に襲われる。冒険者の勘だ。こういうときは何か嫌なことが起きるものなのだ。


「なあ……ロジエ。上はきっと何か起きてる。鉄火場ってやつだぜ」

「ええ。ですから、早く助けに行きましょう」


 何かがおかしい。

 違和感の正体が、まるごと、アトゥを見つめている気がした。


「……もうひとつ訊いていいか?」

「ええ、なんでしょう」

「なんか、今日はちょっと様子がヘンじゃないか、お前、メルのこと、メルさん、なんてよそよそいい他人行儀な呼び方してさ。いつもは仇名で呼んでるだろ。ほら、少しだけでいい。普段みたいに呼んでみろよ」


 ロジエは前を見つめたまま笑顔を浮かべている。

 それはどこか酷薄な、形ばかりの表情にみえる。

 シビルもヨーンも、異常を察知してすでに二人から距離をとっていた。


 次の瞬間、ロジエは上着に隠していた小刀を裸のアトゥに叩きつけていた。

 しかしさすがに前衛戦士の反射神経である。その小刀が皮膚を食い破る直前に、手首を掴んで止め、ひねり上げて武器を払い落した。


「思い切りがよすぎるし、運動神経が良すぎる! やっぱお前、ロジエじゃねえな!」


 ロジエは体力のなさから冒険者を諦めた過去がある。

 そして冒険者たちの実力と自分の才能の無さを正しく理解もしている。

 もしもルビノが苦戦するほどの敵が二階にいるのなら、わざわざ自分から踏みこんだりはしないはずだ。


「あのオッサンが、相手がロジエとはいえ他人を庇うようなことは絶対にないからな、おかしいと思ってたんだ……!」

「彼にだって優しいところはあると思いますよ。さすがに一般人くらいは守ろうとする正義感があるでしょう」

「どうだろうな。一文無しからでも貸した金を取り返す男だぜ、あいつは」

「アトゥ、離れて!」


 ロジエに似た何者かを拘束するアトゥに、音も無く幽霊が忍び寄っていた。

 間髪いれず、シビルが魔法を放つ。

 光と音が去ったとき、アトゥの手の中にロジエの姿はなかった。

 その代わりに厨房のほうに黒いドレスに身を包んだ不気味な女が現れた。

 長い黒髪に夜色の瞳。

 若いとも年寄りともつかぬ顔立ちは、ろうそくのように白い。黒水晶を飾った杖を携え、アトゥたちを見てせせら笑いを浮かべている。


「何ものだ!」

「わたしはベロウ……」


 アトゥは剣の先を女に向けた。


「レヴの手下だって噂の女夜魔術師だな。何しに来た」

「とんでもない、レヴのところはただの仮住まいってやつさ。今日はメルに会いに来ただけなんだ。彼の呪いを解いてあげるためにね」

「呪いを……解く?」

「約束したんだ。ずっとずっと昔、わたしがこのオリヴィニスにいた頃。そして、マジョアに殺される前」


 ベロウの周囲に、自然と幽霊たちが集まってくる。

 彼らはなにをするでもなく漂って怨嗟の声を振りまいている。

 そこは周囲の闇に比べても一層暗く、息苦しい大気がうずを巻いていた。


「わたしはベロウ、またの名を《アラリド》という」


 二階の物音が激しくなり、窓硝子が割れて落ちる音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る