第78話 真夜中の秘密 -3△


 街に響く警戒の鐘の音が複雑なパターンに変化していた。

 ギルドが音を通じて冒険者たちに指示を送っているのだ。

 内容はごく簡単なものだ。


《冒険者ギルドから通達。冒険者たちは町の人々を出来る限り助け、可能ならば脱出せよ》


 流石は冒険者の街である。

 異常事態を報せる鐘が響いたとき、住民たちは戸締りをして、あらかじめまとめた貴重品を持ち、扉や窓を塞いだ部屋に隠れた。地下室がある家の者は地下に隠れた。

 迷宮洞窟が近いため、魔物が出たときの対処方法は一通り訓練されているのだ。


 だが今回ばかりはその素早い避難が仇となった。


 なにしろ、敵は幽霊である。

 分厚い戸板は魔物の侵入は防げても、魂は家の中に入り込んでくる。

 そのことに気がついた人々が取るものも取りあえず、家の外へと逃げ出してくる。

 ギルドからの通達を受けて、善意の冒険者たちが逃げまどう人たちの誘導しはじめた頃だった。

 混乱する路地を駆けながら戦士ヴァローナが声を上げた。


「街の北のものは教会へ逃がせ!! 南のものは神殿へ向かえ!! 神官たちが結界を張っている、そこなら安全だ!」


 著名な戦乙女に指示されて、冒険者たちは頷きあった。


「お願いです、誰か! 子どもたちがまだ中に……!」


 寝間着姿のまま路地に現れた夫人の叫びを聞きつけ、戦乙女は剣を抜き、すぐさま家の中へと進んだ。

 台所で子供の泣き声と、物音がする。

 鍋やフライパン、包丁や食器が、竜巻に巻き上げられたように暴れ回っていた。

 飛び交う食器を剣で打ち払い、ヴァローナは胸に提げた女神ルスタの聖印に触れた。


「ご慈悲に縋ります、女神ルスタよ。《ルスタを讃えよ、光女神を讃えよ、その威光を賛美せよ》」


 聖句を唱えると、ヴァローナの指先が銀色に輝く。

 銀色の光に触れると、狂騒は不意に止み、暴れ回っていた家具たちは力を失って地面に落ちた。

 女神の加護によって亡霊が落ち着いたとしても、それは一時的なことだ。

 台所の隅で震えていた男の子ふたりを連れてヴァローナは足早に家の外に出た。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「ヴァローナ!!」


 屋根の上から名を呼ばれた。

 見上げると、そこにはいつぞやの盗賊ギルドの若者がいる。


「この地区で取り残されている連中はもういなさそうだ! 俺たちは南下して、神殿を拠点にしてる仲間との合流をめざす!」


 闇夜の中、盗賊ギルドに所属する有志たちが屋根の上を走り回っている。

 閉ざされた戸を開けて、家々に取り残されている者がいないか見回っているのである。そして幽霊に襲われている市民がいれば、ヴァローナのような神官戦士や魔法使いを呼んで対処しているのである。


「では自分も南に向かおう。トワン……脱出は、まだできなさそうか?」


 ヴァローナが言っているのは霊魂に溢れた《オリヴィニスそのもの》からの脱出、という意味だ。

 街には幽霊があふれ、対処してもきりがない。

 今は個々の技能や戦闘能力の高さで対処できてはいるが、突発的な事態であるし、軍隊のように訓練されているわけでもない。長くはもたないだろう。

 それなら、人々を街から出してしまったほうが、よほど安全が確保できる。

 トワンたちは盗賊仲間からの伝達で、現在オリヴィニスの外界に通じる門がどうなっているかを知っていた。


「無理だ! 街の出入り口に滅茶苦茶強い幽霊が居座ってて、そいつを誰も倒せてないんだ」


 それは真魔術と精霊魔術の両方を同時に扱う天才的な《魔法使い》の霊魂で、骸骨ではなく黒い砂のようなものに全身を覆われていたという。


「魔術師ギルドからトゥジャン老師と精鋭が向かったらしいから、じきに退くとは思うけど……」

「わかった。武運を願う、神殿で会おう」

「あ、おい。ヴァローナ……」

「なんだ? まだ何か情報があるのか?」


 去ろうとした少女を呼び止め、トワンはしまった、という顔をした。


「……いや、その。その寝間着、よく似合っててかわいいな……と思って……」


 ヴァローナは頬を赤らめ、唯一の武器である剣を投擲しそうになり、すんでのところで思い留まった。戦力を減らしてどうする。

 鐘が鳴ったのは夜半のことで、街の人々も、冒険者たちも、寝入りばなを叩き起こされて最低限の荷物しか持てずに飛び出すことになったのである。

 常ならば白銀の鎧姿であっただろうヴァローナは、現在、胸のあたりにフリルがついたネグリジェと揃いのナイトキャップ姿だった。


「これには、わけが……シマハがどうしても女子会……パジャマパーティーなるものをやりたいというのでだな……! ギルドハウスからも離れていたことだし…………!」

「…………なんか、すまん」


 必死になって言い訳を重ねる少女に、トワンは屋根の上から謝るしかできなかった。

 オリヴィニスの門のあたりに稲光が走ったのは、その直後のことだ。



*****



 門の前に砂でできた魔法使いがいる。


 頭からフードをかぶり、杖と書を手にした少女型の影が閉ざされた門の上に腰かけていた。

 ぼんやりと空を眺めているようにもみえるし、ただヒマそうに足をぶらつかせているだけのようにもみえる。

 しかし一度視線を地上へと移せば、そういう呑気な形容は微塵も当てはまらない現象が広がっているのだった。

 なにしろそこには、砂の魔法使いを排除しようとして逆に《時間停滞》の魔法をかけられた魔法使いたちが石の彫像のように磔になっているのだから。

 それも一人ではない。

 引きつれて来た弟子たちを皆やられてしまい、ナターレは髪を乱しながら震えていた。恐れからというより、あまりに激しい怒りのためだった。


「なんなの、あれは。いったい何者なのよ……!」


 魔物の足止めに使う基本的な魔術だが、これだけの数を多重発動させて、ずっと維持させているところなど見たこともない。

 こういう魔術は冒険者まがいの連中が使う下等な魔術だと思っていたナターレは激しくプライドを傷つけられたのであった。

 それでも彼女の誇りは撤退を許さなかった。

 ナターレが気丈に杖を構え直すとすぐに門の上の魔術師も動きをみせた。

 暗闇ばかりがのぞく唇から呪文が流れ出る。


「《わたしの息吹は春のめざめ、つめたい石ころも喜び踊り出す。目覚めよ、頑ななもの。おのずから扉は開かれるだろう、贄はくべられるだろう、光はひとりでに輝くだろう》…………」


 精霊魔術とも真魔術とも知れない、古いおまじないに似た詠唱の文句を紡ぐのは、紛れもなく少女の声音であった。

 ふう、と吐息が吐かれるのと同時に杖の先から、空中に古代文字が踊り出す。

 地響きが起こり、腰かけている門が巨大な人間の腕と顔に形成されていく。

 いよいよナターレの焦燥ははげしくなる。自分がやろうとしていた術式も忘れ、呆然とその巨体を見上げていた。


「ゴーレムを……召喚したの……!?」


 土人形ゴーレムは古代の迷宮によく出没する魔物の一種だ。

 失われた古代魔法の産物だとされ、誰も再現できない魔術技術のひとつだった。

 しかし何よりまずいのは、相手が未知の能力をもつ魔術師だということ以上に、ここにいるのがナターレだけであることだ。


 ゴーレムは見た目通り頑丈で、その力は破壊的だ。

 鎧や盾などの武装を持たない魔術師ひとりで戦うには危険すぎるのだ。


 けれど、尻尾をまいて逃げることもできない。


 彼女の背後には避難しようと出口を求めて逃げてきた街の人々がいる。

 そして、目の前には敵を前にして身動きすらできない弟子たちがいるのだから。

 そんな彼女の背を叩く、強い風が突如として巻き起こった。


「《風の精霊よ、呼び声に来たりて我が肉を切り裂き、何があるかを見るがいい。私はお前たちに命令を下すもの、恐怖によって支配し罰を与えるものである》!」


 街全体を覆う渦の下に、濃い灰色の雷雲が発生する。

 白い稲光が路地を叩きつけながらゴーレムに迫っていく。

 巨大な土塊の手が術者を守護する。その表面で弾けた雷光が土塊をはじけさせる……が、足止めにもなったかどうか。

 しかしそれは、援軍の到着をナターレに報せるのに十分であった。


 避難する人々の間を掻き分けて現れたのは白鬚をたくわえたトゥジャン老師と、翡翠色の髪を結った青年魔術師セルタスの姿だった。


「ナターレよ、惑うでない。立て直すぞ」

「はい、老師……! しかしなんでコイツまで連れて来ちゃったんですの」

「何故って、それは私が実戦でも優秀だからに決まってるじゃあないですか。それに、もともと、ここに向かう予定だったのですよ。ただコナをシマハさんに預けに行くのに時間がかかってしまったというだけで……。やっぱり、弟子をとるのって大変ですね。もう少しコナの魔術がうまくなっていたら、今後の参考に連れてきてもよかったんだけど、今は身を守るのも精いっぱいでしょう」


 聞かれないことまでべらべら喋りながら、セルタスは動けないでいるナターレの弟子たちの間を抜けて、まっすぐに敵のほうに歩いて行く。


「ちょっと、何してるの。危ないですわよ!」

「だって、このまま彼らをここに立たせてたら潰されて死んじゃうじゃないですか」


 老師は意外と心配性でお節介焼きなナターレの肩を抱き、下がらせる。


「いいのだ。あいつに任せなさい」


 ひとりぼっちになったセルタスは呪文を紡いだ。


「《精霊よ……呼び声に応えて終わりの風を吹かせるがいい。ここは涯てなきものたちの果ての場所。夜闇の帳のむこう、おまえたちの棺のありかである。ここに集い、集いてまことの姿を現せ》」


 不穏な風が吹き渡り、空には雷鳴が響く。

 同時に巨人も巨大な手を振り上げてセルタスの頭上に叩きつけた。

 その掌は、しかし、セルタスが掲げた杖の先でぴたりと止まっていた。

 どちらかといえば痩せた躰だが、巨大な質量を叩きつけられてなおもその場に留まっている。

 青年の瞳は爛々と金色に輝き、まるで人ではないもののようだった。


「…………なんですの、アレは」


 ナターレは唖然としながらも、やっとのことで言葉を紡ぐ。


「あれが、あの男が師匠連に選出された本当の理由……。自身の肉体に精霊を降ろし、その守護によって前衛戦士以上の怪力を発揮するのだ」


 トゥジャンは何でもないようなことのように言う。

 精霊を体に降ろす、という技のことをナターレはほんの噂で知っていたが、嘘だと決めてかかっていた。精霊は人知の及ばないもの。人間には制御できないものだ。それを体に降ろせばどうなるか……二度と人間に戻れなくなるかもしれない。


「あやつは魔物まじりだからな。何もかも人とはちがうのだ。通常の精霊使いが友愛によって結ばれるのとちがい、精霊を奴隷のように使役することしかできない。だからこそ精霊術師とはちがった性質の魔術を使うことが可能なのだ」


 トゥジャンの説明通り、セルタスが少し杖を振るい打ち据えるだけで激しい音が鳴り、巨体が揺らいだ。

 両者の力は拮抗しているどころか、セルタスのほうが上回っているくらいである。

 何が賢者セルタスだ、とナターレは心の中で毒づいた。


「《わたしの指は夏のひざし。燃えよ、たましいようち震えたまえ、はげしく》」


 敵はさらなる魔術を使い、巨人を立ち上がらせる。


「奴が敵を足止めさせているうちに仕留めねばならん。《炎よ》!」


 火球が直立する魔術師たちを抜け、術師本体を襲う。

 しかし、それを防いだのは巨人でもなく、術師の魔術でもなく……。


「《反射の鏡》!!」


 ひねり潰そうとして来る腕を防ぎながら、セルタスが激しい攻防の最中に放ったもうひとつの魔術であった。

 現れた銀色の鏡は火球を防ぎ、反射させてあらぬところへ攻撃を散らしていく。


「セルタス、いったいなにをしてるんですの!?」

「それはこちらの台詞ですよトゥジャン老師。この期に及んで何故あなたは黙ったままなのですか。あの敵はいったいどこから来た何者なのか、あなたはご存知のはずですよね」

「それって今しないといけない話なんですの!?」

 

 亡霊の舞うオリヴィニスの空にナターレの悲鳴が響く。

 影色の魔術師は、地面からさらに二体のゴーレムを生成しはじめていた。

 師匠連クラスの魔術師がいくら揃っていたとしても、この街からの脱出は非常な困難を伴うだろう。


 この状況は、まさしくアールヴォレ城で起きたことの再現だった。


 城の付近では墓が荒らされ、内部では血も出さずに兵士たちが死んでいたという。いまは何とか堪えているが、際限なく亡霊たちに襲われていたら、兵士たちの二の舞になることは目に見えていた。

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