第53話 コナの日記


 おししょうさまが日記帳をかってくださいました。

 読み書きのれんしゅうに、これからはまいにちかくことにします。


 ありがとうございます、セルタスさま。


 おれいをいったのですが、セルタスさまはまったくはなしをきいていないので、さいしょに書いておくことにします。


 セルタスさまは朝おきてからずっと本ばかりよんでいます。

 いつねてるのかもわかりません。

 ごはんもすこししかめしあがりません。

 じぶんのきょうみのあることいがい、かんしんがないのです。

 ギルドのみんなは、そんなセルタス様のことをへんじんとかきじんとかきもちわるいとかいいます。


 でも、わたしはかんしゃしています。

 ありがとうございます、わたしをでしにしてくれて。


 きょうのことをかきます。

 あさおきて、ぱんをかいにいきました。

 おゆをわかすのも、ごはんのしたくをするのも、すとーぶに火をいれるのも、だいじなまいにちのおしごとです。

 まいにちのおしごとをぬかりなく、つつがなく続けることも、まじゅつしのだいじなしゅぎょうだとおしえてもらいました。

 ただ、セルタスさまは、おそうじやせんたくはまいにちのしごとだと思っていないみたいです。

 なのでコナががんばります。

 

 おひるになると、おししょうさまはおでかけするのでおるすばんでした。


 かわりによーんさんがきて、つりにつれて行ってくれました。

 よーんさんはあとぅさんとしびるさんのおともだちです。

 みずうみにいくのも、つりざおにさわるのも、はじめてでとってもおもしろかった。でも、さかなはつれませんでした。


 よーんさんは「またこんどこようね」っていってくれました。またこんど、がたのしみです。


 でも、よけいなこともきいてしまいました。おししょうさまがここのところ毎日、あとぅさんたちとむずかしい相談をしてること……。よーんさんはなにもいわなかったけれど、きらわれていないといいな。



*****



 そこまで書いて、コナは物音に顔を上げた。

 ランプひとつつけただけの明かりのさきに、黒い影が揺らめく。

 すぐにセルタスが帰ってきたのだとわかった。

 コナは飛び起きて、外出用のローブを脱がすためにかけよった。


「コナ、どうしたの、寝ててよかったんだよ。遅くなるって言っていなかったっけ」


 コナは一生懸命、台の上に立ち、ローブの肩のところに手を伸ばす。

 セルタスの体は冷えていた。緑の髪には雪が積もっている。

 長いこと散歩していたか、ギルドの外で考え事でもしていたのだろう。


「今日は寒いね……とっておきを出そうか……」


 セルタスは床板の一角を外すと、隠してあった木箱を取り出した。

 一抱えほどの箱の中に入っていたものは、コナの両手いっぱいの大きさの紅玉ルビーだった。

 まだ磨かれていない原石だ。

 滲む血のような色合いをしていて、ランプの明かりで怪しく煌めく。磨かれて宝石になったものとはちがって、ざらりとした風合いをしている。


「《目覚めなさい、おまえの真の名は燃えるもの、たぎるもの、照らすもの》」


 セルタスの指先が、紅色の表面を撫でる。指と石の表面に金色の光が弾け、じわじわと広がっていく。


「魔法をかけて、くれた……のですか?」

「いいえ。この石にもともと宿っていた精霊に、少し仕事をさせただけですよ。これを布で包んで寝床に入れておけば、あたたかく眠れます。ただし、朝になったら休ませるのを忘れずに。ギルドが燃えてしまう」


 コナはうれしくなって、石の表面を何度か撫でてみた。

 セルタスはストーブに火を入れなおし、寝床がわりの長椅子に腰かけたままぼうっとしていた。考え事はまだ続いているのか、頭にのせた雪がとけ、雫になっていくのもおかまいなしだ。

 北極星がみえる天窓は、今日は寒々しい雲に覆われていた。

 コナは石をいれた布袋を、セルタスに差し出した。


「……コナ? どうしたのです。これは君が使っていいんですよ。私は寒くても大丈夫だから。風邪なんて、いままでいちども引いたことないんです」


 そういわれても、お師匠様がかわいそうだったから、などとは言えない。なんと言ったらいいかわからず、コナは困ったような悲しそうな顔を浮かべる。

 セルタスもまた、困惑した表情になっていた。


「うーん……人間の気持ちは、私には難しいな。ミルクがあまっていたら、あたためましょうか。そうしたら、よろこんでくれますか、コナ」


 それはとても良い提案に思えた。

 ふたりのカップを用意して、あまったミルクをなべにうつしかえ、ストーブの上にのせる。ちょうどいい頃合いになるのを並んで待つ。

 その間に、セルタスが訊ねた。


「コナは、メルメル師匠のことを覚えていますか」


 コナは頷いた。メルはたまにギルドに依頼をしにくる少年だ。

 若者にみえるけれど、みんなが師匠と呼んでいるのがふしぎだった。

 コナにとっても、魔術の課題の答えをこっそりおしえてくれたり、お土産をくれるので、とてもいい人だ。


「あの人には、友達がいたんですよ。とても大事な友達が……。でも、その友達はね、もうずっと昔にいなくなってしまって、でも、最近になって、突然その人にそっくりな人がみつかったんです」


 セルタスは難しい顔をしている。


「……それが、今日の用事のこと、ですか?」


 コナは勇気を振り絞って訊いてみた。彼女にとって声を出すことはとても勇気のいることだ。


「うん。メルメル師匠は会いたがってるけれど、そこはいま、とても危険な場所で、なかなか近づけないんだ」


 メルと親しいアトゥたちは、セルタスを交えて――本人には秘密に――何かできることはないかと探している。

 セルタスは皮肉げに自嘲してみせた。


「ばかみたいでしょう。私たちにできることはなんにもないのに……。いい年したおとなが雁首そろえて、答えの出ない相談なんて、何をやっているんだか」


 そういう冷たい物言いは、親切なアトゥやシビルを大いに怒らせたに違いなかった。


「でも、お師匠様も、行ってみんなと考えたの……」

「うん」

「それは、どうして?」


 コナがたずねると、セルタスは優しげな微笑みを浮かべた。


「……なんでだろうね。人の考えることはわかりません」


 ふたり、はちみつを落とした暖かいミルクを飲みほすと、コナは寝床に戻った。

 セルタスは残した仕事を片付けるために机に向かっている。

 仕切りの布ごしに、その影が、ランプの明かりに揺らめいている。

 コナは、日記の続きに何と綴ろう、と考えながら、寝床にもぐりこんだ。

 それはメルたちが作ってくれた即席の寝台だ。寝具にはシマハが、菫の刺繍を入れてくれた。

 この屋根裏は、これまですごしたどんなところよりも幸せに思えた。

 隙間風はひどいけれど、風も通らない暗い地下室ではなく、誰もコナのことを殴ったりもしない。

 はちみつとミルクのいいにおいが部屋に漂っていて、綿入れの内側に抱えたルビーの熱があたたかく、そして、いちばんのとっておきは、この寒々しい夜空の下で、誰かがまたべつの誰かについて考えているということ。



 だからメルも、大丈夫。

 きっと友達にまた会えるよ。

 


 日記にはそう書こう。コナは日記帳を抱えたまま、眠りについた。



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