第51話 王の器 《中》 △


 通りは人っ子ひとり、影も形もない。

 心なしか景色は灰色がかってみえ、空を飛ぶ鳥の数も少ないような気さえする。

 商店街の通りは軒並み表の戸を閉めてしまい、あたかもこの世の始めから廃墟だったかのようだ。

 突然、ひとつの扉があいた。

 青い顔をした若い娘が通りに出て行こうとするのを、菓子屋の夫婦が必死に引き止めている。


「通り向こうのメソスさんのお宅に届け物に行ったはずなんです。無事だとわかったら、すぐに戻りますから……」

「おやめなさい、あの子は大丈夫だから!」

「でも、私がお使いを頼まなかったら……!」


 そう言って胸の前で祈りの形に結んだ掌をきつく握りしめるのは、仕立て屋を営むシマハであった。

 彼女が案じているのは、つい先日、精霊術師セルタスの弟子となった幼い娘、コナのことだ。

 コナはここのところ、魔術師の手習いのほかにシマハから裁縫を習っていた。

 空いた時間を使って店の手伝いをしてくれるのでシマハも助かっていたのだが……今日だけは運が悪かったとしか言いようがない。


 いつものように簡単なお使いを頼んだあと、しばらくして街に警戒の鐘が響き渡った。門が閉まる直前に飛び込んできた行商人が言うには、街を軍勢が包囲しているというではないか。

 

 人々は家の中に閉じこもり、嵐が過ぎ去るのを待つことにした。

 でも、コナの行方は、わからない。

 メソスが預かっていてくれるはずだが、もしそうでなかったら。

 無事だとしても心細い思いをしているに違いない。


「ごめんなさい、行かなくちゃ」


 シマハは縋りつくふたりの手を振りほどき、誰もいない町へと踏み出した。

 ストールを頭からかぶり、ふと気がついて腕に巻いた飾り紐を確かめる。

 色鮮やかな紋様の波が、不安を拭ってくれる気がした。


「お願いセルタスさん、コナを守って……」


 百合のように優しいが、こうと決めたら一途でゆずらないところがある少女はその気質こころのまま街路に飛び出していった。



     *****



「コナ! どこにいるの!?」


 コナはメソスの家にはいなかった。

 鐘が鳴ったとき、少女はちょうど帰路についたところで、彼らも引き留め損なってしまっていたのだ。メソスたちはシマハを心配し、このままここで時間がたつのを待つように言ったのだが、シマハはそれも聞かず、再び街にコナの姿を求めた。

 不慣れな町だ。

 もしかしたら迷ったかもしれない――。少女の名を呼びながら、誰もいない通りをさ迷う彼女の耳に不意に高い馬のいななきが飛び込んできた。

 こんなときは何もかもが悪い予兆のように感じられる。

 焦りに背中を押されるように音のした方角に向かうと、そこには思いがけない光景が広がっていた。

 場所はオリヴィニスを南北に抜ける大きな通りである。

 黄色い旗を立てた馬が四頭とおつきの若い従士がふたりずつ、都合十二名がギルド街に向かっているところだった。馬は立派な武具をまとっており、馬上の人物は紙芝居で見た《騎士》そのものに見えた。

 見慣れない風体だが、旗に描かれた紋様には、見覚えがある。何しろ、それは紛うことなきコルンフォリ王家の紋章なのだから。

 隊列はやや乱れている。

 先頭の馬が興奮しており、その向こうのに呆然とした表情で座り込む女の子の姿が見えた。すみれ色のフードが肩の後ろに落ちて、濃い緑色の巻毛と巻き角が露わになってしまっている。


 コナだ。


 聡い娘には、何が起きたのかおぼろげながらに理解ができた。

 いま、街を囲んでいるのがコルンフォリの軍勢であること。

 コナは道に迷い、使者たちの列の前に飛び出してしまったこと……。

 たとえ悪気はなくとも、王族の旗を立てた隊列を乱すことは、あってはならない無礼だ。


 シマハは咄嗟に少女の元へと駆け寄った。

 幸い、怪我はない。

 馬に蹴飛ばされたわけではない、とわかって安心したのも束の間。


「何者だ! ギルドの者か!?」


 馬を降りた騎士のひとりが、警戒しながら近づいてくる。

 

「あ……あの、申し訳ありません。どうかお許しを……きゃっ!」


 男はシマハをコナから引きはがすと、乱暴に腕を掴み、捻り上げた。

 そのとき……ふわりと風を感じて、シマハは目を見開いた。

 飾り紐につけられた宝石の留め具が、薄緑に輝いていた。

 輝きは徐々に強くなり、石に亀裂が走って勢いよく砕け散った。

 同時に、強い風が渦を巻いて吹き荒れる。

 立っていられないほどの風の強さのせいで、隊列は後退していく、不思議にシマハとコナはなんともない。


「なんだ、この風は! ――ううっ」


 男の呻き声が聞こえ、シマハを掴んでいた手が離れた。彼女は咄嗟に手を伸ばしたが、それをすり抜けた男の体は勢いよく壁に叩きつけられて気を失ってしまった。

 ようやく風が収まった。

 飾り紐は焼け爛れ、地面で灰になっている。

 それがセルタスのかけた魔法の効果だということはあきらかだ。

 けれど、誰もそうは思っていないだろう。


 従士たちが走り出て、シマハとコナを取り囲んだ。


 先ほど発揮されたのは、どうみても高位の魔術師の力だったからだ。


「大丈夫、大丈夫よコナ……」


 抱きしめた腕の中でコナは火がついたように泣き始めた。

 声をかけながら、シマハは自分たちを取り囲む人々を見回した。

 攻撃しようとする心よりも、恐れが支配している。シマハが武器を恐れるように、この立派な武器を携えた人々も目に見えない何ものかの力が恐ろしいのだ。


「やめなさい。脅えているではありませんか」


 そのとき、取り囲む男たちの壁が割れ、兜をかぶり、頭巾で顔を覆った……ひどく小柄な従士が進み出た。


「ただの若い娘だ。怖がることはない……。それよりもマジョアとの会合に遅れてしまう。誰か、アリュウの手当てを。ほかのみんなは先に行きなさい」


 ふしぎな光景だった。

 格下のはずの従士が、他の騎士たちに命令している。

 この場を取り成してくれた若者は、地面に屈んで、砕け散った宝石の欠片をひとつふたつひろうとシマハに差し出した。


「壊してしまいましたね。申し訳ありませんでした。怖かったでしょう?」

「いえ、こちらこそ。……この飾り紐はいただいたもので、そんな力があるとは知らなかったのです」


 兵士は立ち上がり、シマハに手を差し出した。

 その手をとるかどうか迷っていると、彼は頭巾を外してその素顔を晒した。

 まだ若い。はっきりそうわかるような容貌だった。色白で、まるで少女のように華奢な輪郭に、青い宝石のような瞳が輝いている。

 兜の下から、金色のまっすぐな髪の毛がはらりと流れ落ちる。


「どうかアリュウを許してやってください。大事な戦いを控えて、みんな緊張しすぎているんだ」

「貴方は……?」

「私の名はレヴです」

「王子!」


 名を告げると、控えていた騎士が悲鳴のような声を上げた。

 レヴ、と呼ばれた少年は、まるで冗談でも聞いたみたいに、あっけらかんとした表情で笑ってみせた。


「おいおい、どうするんだ? 早とちりすぎる。私がコルンフォリの第一王子だということがバレてしまったじゃないか」


 けれど、シマハにとってはそれは冗談でもなんでもなかった。

 お付きの騎士たちにとっても、そうだろう。


「もちろん、同じ名前の赤の他人だという可能性もあるけどね。目の前にいる素敵な若者がレヴ王子だなんて、信じられるかい?」

「あの……殿下、信じます。貴方の言葉をみんなが聞いていましたもの」

「賢い娘さんだ。ええっと、名前は……」

「シマハと申します」


 シマハが名乗ると、レヴはびっくりしたような表情になった。

 それから、凪いだ湖の色をした瞳が、きらきらと輝き始める。

 この輝きを、シマハはどこかで見た覚えがあった。


「もしかして君が……仕立て屋の? よかった。君に会いたいと思ってたんだ!」

「王子!」


 また、お付きの騎士が鋭い声を発する。それは厳格な騎士のものというより、聞き分けのない子どもを叱るような声つきだった。


「いいじゃないか、グレオン。少しくらい!」


 レヴもまた、子供のように唇を尖らせる。

 それからすぐに振り返って、シマハの顔を間近から覗き込んだ。


「お嬢さん、よかったらこの街を案内してくれないかな? ねえ、いいよね。悪くはないはずさ」

「いえ、あのでも、コナが……」

「そんなの問題ないよ、いっしょに来ればいいんだから」


 シマハが心配そうに、脅えてスカートを掴み、離さずにいる女の子を見遣ると、レヴはやけに素早い動作でコナを抱きよせ抱え上げた。


「ほかに問題はないかな? なら、決まり!」

「王子!」

「マジョアは待たせておけ! これからデートなんだ。おっかない騎士どもは誰もついて来るなよ! 命令だからな!」


 シマハの手をとり、レヴは声をはりあげた。


「さあ、シマハ。走ろう!」


 それが命令だからか、騎士たちは走り去っていく三人を黙って見送っていた。

 もしかしたら取り残されただけかもしれない。

 それほど、レヴの歩みは軽快だったからだ。

 シマハを掴み上げた男をと止めたとき、レヴの瞳はどこか冷めていた。


 けれど、今はちがう。心の底から生き生きとして、頬は薔薇色に染まっている。


 まるで別人のようだった。

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