第50話 王の器 《上》 △


 コルンフォリ王都クロヌ。


 ここに置かれた冒険者ギルドの支部には宿舎が備わっている。

 土地柄、宿代が高く冒険者が長期滞在をしにくいための措置だった。


 その一室で、明日を休日と定めた冒険者ふたりが酒を飲み交わしていた。

 未だ陽は高く、沈む気配はないというのに。


「なあ、おい。お前、どっちに賭けるか決めたか?」

「どっちって、何がだ」

「なんだ知らないのか、お前。大きな声じゃ言えんが、王子だよ。王子!」

「王子って――コルンフォリの王太子って意味か――ああ」


 酔いの回った頭でも、意味がわかったらしい。

 現コルンフォリ王には息子がいる。

 言わずとしれた第一王子、レヴである。まだ若い王子ながら民からの信頼も厚く、間違いなく正当な王位継承者で戴冠の日も間近……なのだが、ここに来て異論を唱える者が出始めた。


「なんでも、王には隠し子がいらっしゃるとか。王様の弟の、ルグレ公爵はそいつが正統な継承者だと密かに触れ回っているらしい……。名前はアンスタン」

「ははは」


 黙って与太話を聞いていた戦士は軽い笑い声を立てた。


「馬鹿馬鹿しい。公爵は反乱でも起こすおつもりか?」

「おうとも。もうずいぶんな数の兵を集めてるって話さ」

「本当かそれ。じゃ、しばらくルグレの領地には近づけねえな。まあ、王家の連中が反乱に気がつくのはまだまだ先だろうが……」

「ああ。ルグレのほうの準備もな。戦火がここまで届くかはわからんが、河岸を変えたほうがいいかもしれねえ」


 冒険者たちは地方を流れるように移動するうちに、色々な物事を見聞きする。

 たとえば、どこかの地方でつくられた武器や大量の資材がおかしな人物の領地に流れてるだとか……誰が立てた噂かは知らないが、用心に越したことはない。


「俺もなけなしの金貨を賭けるかな。おい、胴元はどこだ――?」


 ふらつく足で席を立ちかけたとき、ギルドの方から鈍い衝撃音が響いた。

 それから、人の争う声も。

 些細な喧嘩、などではない。戦いの音、剣戟の音がする。

 慌てて剣を掴み、男たちは表へと飛び出して行った。



     *****



「開門――っ! 開門せよ――っ!」


 使者の幟を掲げた騎兵が、オリヴィニスの門の前まで駆けてくる。

 城壁の上では、渋面のマジョアが鎧に身を包み、仁王立ちしていた。

 隣には、珍しく自分の杖を持ちだしたレピとエカイユが控えている。


「……どうします、ギルド長?」


 レピは草原に広がった大軍を見回した。非干渉地帯のギリギリで、馬の首を揃える完全武装の騎兵たちだった。


「これは、以前のように雷撃のひとつふたつ撃ち込んだところで意味がありません。斥候の報告によると、連中は腕のいい術師を連れてきてます。返り討ちでしょう」

「まったく……よりにもよってわしの代でこんな目に遭うとはなぁ……」


 軍勢の合間には、鮮やかな黄にコルンフォリ王家の紋を白く染め抜いた御旗がなびいている。黄色は王の次に高貴な者のために使われる色、つまり兵を率いているのは第一王子のレヴだった。

 彼らは手の込んだことに、道中のギルドの支部に押し入って、職員や所属している冒険者たちをすべて拘束し、本部までの定期連絡を偽らせていた。

 おかげでオリヴィニスはまったく事態に気が付かぬまま、軍勢に取り囲まれてしまったのだ。


「レピ、女子供はみな、戸を閉めて奥に閉じこもっておくよう言っておけ」

「では……」

「通してやりなさい、使者だ」

 

 レヴの目的がいったい何なのかは、誰も知らない。

 マジョアはとりあえず使者を受け入れ、交渉が終わるまでいかなる冒険者もギルドには立ち入り禁止、そしてレヴの兵にも手出し無用と通達を出した。

 オリヴィニスの冒険者たちは勇敢で、実力者揃いだが……統率の取れた数の力というものの前では、個の力はあまり意味をなさないものだ。


 ただ、それで黙っている冒険者など、ひとりもいないのが冒険者の街たる所以でもあった。



*



「……おいトワン、錠はまだ開かないのか」


 冒険者ギルドの会議室に向かう廊下で、ふたりの斥候がひそひそ声で話しあっている。トワンは入口の扉をそっと押し開く。

 しかし、そのすぐ先で屈みこみ、壁に刻まれた紋様を示した。


「錠はあいたが、罠がまずい。魔術罠だ」


 トワンは相変わらずの渋面で答える。


「じゃ、どうする? 引き返して魔術師を連れて来るか? 今ならもう、報酬の配分なんざ考えなくても選びたい放題だぞ。みんな、何が起きてるのか知りたくて堪らないんだからな」

「いや、その必要はない」


 トワンは傍らの若者の首根っこを掴み、廊下の奥へと放り込んだ。


「何するんだ!?」

「シグン、お前の犠牲は忘れない!」


 そう言ってトワンは物陰にさっと隠れた。


「誰だ!? ここには入るなと言ってあっただろう!」


 日ごろは迷宮洞窟で監視をしている屈強な職員がやってきて、シグンの襟首を猫のように掴んだ。

 そのまま引きずられ、去って行く仲間の姿を見送ったトワンは廊下の更に奥へと一歩踏み出す。

 職員を通すために、魔術罠は一瞬だけしかけを解いているはずだからだ。

 一歩を踏み出した彼は、目の前に誰かが立っているのにようやく気がついた。


 魔術のヴェールで隠れていたのだと気がついたときには、もう遅い。


「トワンさん、優秀な冒険者である貴方にここで出くわしたこと、とても残念です。少し、痛い目に遭ってもらわないといけないみたいですねえ」


 レピか、エカイユか……どちらかはわからないが、杖の先端でぱしんと手を打つ音が、まるで死刑執行の合図のように響いた。


 もちろん、ほんの少しあとで、トワンの悲鳴も響き渡った。



     ******



「そうか………トワンでもダメだったか」


 ヴァローナは沈痛な面持ちでそう呟くと、ぱちんと手を打って集った仲間達の注意を引きつけた。


「聞いてくれ! 我々は大事な戦友を失った。しかしこの痛みに耐え、前を向こう。アフティ、ご家族に知らせてやれ。勇敢な死に様であったと伝えるのだ。我が団の資金からいくらか包んでやりなさい」

「姐さん、まだ死んでませんから……たぶん」

「なんだ。案外、根性のない男だな」


 ヴァローナは机に広げた間取り図の、その上に置かれた茶色の駒を弾いて外に出した。地図のあちこちに駒が置かれ、それぞれが冒険者たちの配置を示している。

 つまり、現在冒険者ギルドで行われている密談がどのようなものかを積極的、能動的に探ろうとしている大人げない冒険者たちの配置が。


「まあしょうがないわねぇ、冒険者ギルドのは意外と強力なのよ。アラ、言ってなかったかしら?」


 魔術師ギルドから追い出されてここにやって来たナターレは、つまらなさそうに髪をいじりながら言う。


 臨時の指揮所となったかもめ亭の食堂には錚々たる顔ぶれが集まっていた。


 ヴァローナ率いる戦士団や犠牲になったトワンの所属先である穴熊団、それから平穏のヴリオや、暁の星団。食堂はいっぱいだ。その先の廊下にいたるまで、いっぱいだった。


「……あのさ、なんでみんな、この宿に集まってるの?」


 口をヘの字に曲げて文句を言うメルに、ヴァローナは平然として言う。


「とくに理由があったわけではない。これで三度目の移動だ」


 彼女はギルド周辺に手勢を散らばらせ、逐次情報を収集している。ギルドが《どこそこに冒険者が集まってよからぬ企てをしている》という情報を掴み、追い出すために職員を派遣する様子を見せ次第、荷物を持って大移動しているのだ。

 そして、そこに滞在していた罪のない冒険者たちまで軒並み追い出され、次の宿に集まるという繰り返しで、この大集団ができあがったのだった。


「そこまでやる? ……まあいいけど。僕はちょっと出て来るよ」

「どこへ行く?」

「町の様子を見てくるよ」


 ごった返す人の群れをかき分けて、メルは食堂を出て行った。

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