第47話 湖底都市ロトロ


 天も地も白一色。

 見渡すかぎりどこまでも続く雪原。


 その茫洋とした殺風景さは、沙漠にも似ている。ただ、真逆なのは、低すぎて生命活動を維持することさえままならない気温だった。

 びょう、と音を立てて寒風が吹き、積もった白雪を払い除けていく……そこに、最上の藍玉アクアマリンを思わせる輝きをはなつ分厚い氷が現れた。

 大陸北端の地イストワルのロトロ湖は、湖の表面から天に向かって突き出た尖塔がいくつもみえる奇景で知られている。


 薄水色にうっすらと輝きを放ち、ガラスのように澄んだ氷の下には《湖底都市ロトロ》として名を馳せる古代都市が沈んでいた。


 そびえ立つ摩天楼、宮殿と思しき巨大な白亜の建造物、豪勢な庭園や神殿のドーム、不思議なモニュメントやアーチ状の水路、その間を網の目のように走る街路……ロトロの湖底都市が正確にいつのものなのかはわかっていないが、その風景は現在の文明が持ついかなる都市よりも優れていた。

 夏の間は、船を浮かべたり、素潜りの技術があれば潜って行くこともできる。

 水脈が水棲の魔物を運ぶこともあるため安全とは言い難いが、遺跡内部には稀少な品物も数多く残されていて、中には空気が残っている区画もあるらしい。


 ただ、冬になると、この寂しい土地に近づく者はいない。

 見てのとおり、全てが氷の下に閉じ込められ、触れることさえできなくなるからだ。


 羽虫いっぴきの生存さえ許されない、おごそかで苛烈な自然の規律に支配されたこの場所で、《くしゅん》と小さな音がした。


 生物もいなければ、音といえば吹雪の音くらいなので、いやに大きく響く。


 音の発生源は、ロトロ湖のちょうど真ん中であった。


 雪氷の上に、防寒具で丸いフォルムになった少年が、釣り竿を手にしている。


 竿の先から伸びた釣り糸は、氷の表面に丸く開けられた穴から下へ下へと伸びていた。

 鼻水さえ氷つかせながら、メルはくるくると手製のリールを回し、謎めく古代都市の真ん中から、釣り針に引っかかった錆びた鉄の罐詰カンヅメを引き上げた。


 穴の真下を、無惨な釣果をあざ笑うかのごとく小魚が悠々と泳ぎ去っていくのがみえる。


「……帰ろ」


 メルはがっくりと肩を落とし、空っぽのバケツを抱えてとぼとぼと歩き出した。

 新しく積もった雪の上に足跡が刻まれていく。


 空に粉雪が舞い始め、それもじきに消えるだろう。


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