第44話 斑猫の島

 

 斑猫まだらねこの観察を初めて三年になる。


 斑猫は王都での人気の猫の品種だ。

 毛並みは長短さまざまで、特徴は色とりどりの体の斑模様である。

 色は黄色や水色、赤や茶、琥珀など掛け合わせによって幾通りもの違いが出る。斑がより正円に近く、水玉が均等に並んでいる猫には高値がつく。


 しかしこの猫は警戒心が強く、生態系については未だわからないことが多い。

 私は研究のため、斑猫の生息地を突き止め、愛好家から寄付を受けて島を訪れたのだった。


 この島は大陸の南にぽっかりと浮かんだ丸い無人島で、周囲は遠浅の海である。

 薄いグリーンに輝く海原を眺めながら、私は島と同化することに成功した。

 極力、斑猫たちの生息環境に影響を与えないよう、島の隅っこで、月に一度、近くの漁村から運んでもらう物資を頼りに孤独な生活を続けている。


 最初は警戒されていたものの、今の私は砂浜に転がった貝殻ほども、彼らの注意を引くことはない。


 そして、擬態用の緑の布をかぶって、森の中から一日中ずっと観察を続けるのだ。

 食事も最低限だし、誰とも口をきかない猫を見ているだけの生活に三年も耐えたのだ。自分で自分を褒めてあげたい。


 よくやったね、ミリヤ。

 あんたこそ学者の鑑。

 あとひとふんばりだよ、えい、えい、おー!


 ……というわけで、午後、島の北側で起きた「どおん」という爆発音は、猫たちを戸惑わせたばかりか、人知れず努力を続けてきた私を少なからず意気消沈させる出来事だった。


 何事か! と駆けつけると、なんと、沖合で船が炎と黒煙を上げて沈んで行くところだった。


 遠眼鏡で見ると、乗組員たちが必死に船上から荷物をばら撒いている様子が見えた。

 これまで貨物船や漁船が通りかかることはよくあったが、事故ははじめてだ。


 もし、船の乗組員がこちらまで逃げてきたら、斑猫たちの生態観察は非常に難しくなるだろう……。


 いやいや、何言ってんだ、私。

 ひとりぼっちの生活でおかしくなったのか?

 研究より、人命救助が優先でしょうが。

 でもでも、ニャンコたちとの信頼関係は大事だし……!

 真面目に記録を書き続けながらも、葛藤で千々に乱れる私の天才的頭脳……!


 そのとき、沖から誰かが泳いで来るのが見えた。

 それは若い男の子で、ムスっとした顔をしている。

 深さが腰のあたりまで来ると、荷物と……脱いだ革鎧を抱えながら、歩いて上陸してくる。全身ズブ濡れで、体に大きな海藻が巻き付いていた。


 一瞬だけ、こっちを見たような気がする。

 完全に周囲の木々に擬態しているので、そんなはずは無いんだけど。


 男の子は砂浜に到着すると、海藻を投げ捨て、荷物を放り出した。

 水筒を開けて少し口に含み、残りは剣や金具を洗うのに使い、ぶるりと震えた。

 島の北側は、今、日陰になっているのだ。


 彼は荷物をほうりだしたまま、日向のほうにとぼとぼ歩いていく。


 いけない、そっちには、日向ぼっこしている斑猫の群れがいる……。


 けれど、ここからでは忠告も届かない。


 どうしよう、子どもとはいえ、斑猫に危害を加えないとも限らないし……!


 手をこまねいているうちに、男の子はとうとう、昼寝中の斑猫を発見した。

 氷色の瞳をきらきら輝かせている。

 いったい何をするつもりなのか、と固唾をのんで見守るわたし。

 次の瞬間、彼は濡れそぼった上着やズボンを脱いで、肌着姿になって駆けて行き――名誉のために言うが、まじまじとは見てない。絶対に。――斑猫の背中に向かって思いっきり飛び込んで行ったのだった。


 彼の軽そうな体は、長毛種の猫の背中でぼわん、と弾かれて転がり落ちる。

 そして、もう一匹の腹の上に着地。

 やって来た異物を、寝ぼけた猫は自分の子供のように抱きかかえた。

 少年の姿は長い毛に埋もれて見えなくなっていく。

 やがて、顔と両手、足の先だけ外に出てきた。

 ぽかぽかで、満足げな顔をしている。


 そりゃそうだ。


 島にいる斑猫の原種は、王都のと違って、体長は小さいので成人男性の三倍はある。さぞかしフサフサで、ふわっふわで、ぽっかぽかな極上ベッドのような寝心地だろう。


 ……うらやましい。

 できることなら、あたしも思いっきりモフモフしたい!


 はやくも研究者としての理性が崩壊しつつあるのを感じる。

 でも、一線を越えるべきではないわ、と私の中の理性が告げる。

 事故なのだから斑猫の生育環境が乱れたことは仕方ないにしても、過度な接触を行って、研究対象としてみれなくなったらどうするの?


 んでもって、同時に悪魔が囁く。


 もういいんじゃない? どうせあの子が猫に接触しちゃったんだし。


 あの巨大猫、モフモフしちゃいなよう。


 モフモフするべきか、せざるべきか。

 これまでにない苦悩に苛まれながら、手記を閉じる。



                      生物学者 ミリヤ・フロウ

                   コルンフォリ王国王都クロヌ出身

                          斑猫の島にて記録




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る