第41話 職人気質
「おい! そこから出るんだ!」
親方が酒ヤケしただみ声で
いつもは安酒をガブ飲みしたまま寝入ってしまうのに、この日は違った。
俺の腕を掴んで寝床から引きずり出すと、玄関から放り出したのだ。
「いきなりなにしやがンだよ! くそったれ!!」
しんしんと雪が降り積もり、石畳が氷のように凍った夜のことだった。
「――出て行け」
親方はそれだけ言うと、靴と服を放り投げて扉を閉めた。
再び戻ってくると、重たい布袋を投げつけてくる。
「東へ行け、オリヴィニスという街がある。いいな、二度と戻ってくるんじゃないぞ」
布袋の中には、親方が大事にしていた仕事道具と、革袋にありったけの金が詰められていた。
「――なんだよこれ……」
「聞いた話だが、わしらの腕は、冒険者連中にとっては
「そんなの、
親方は寒空の下まで出てくると、いつものように力いっぱい殴りつけてきた。
唇が切れて、薄く積もった雪に血が散る。
親方はそれ以上、何も言わず、部屋に戻って扉を閉めた。
「親方!」
何度呼んでも、固く閉じられた扉が開くことはなかった。
遠い噂で、親方が仕事でへまをして捕まったときいた。
物心つく頃から、暴力を振るっては酒を飲んでばかりの男だったが、そんなやつでも最後は人らしい振る舞いをみせようとしたのだろう。
俺に似て不器用な男だった。
今ではそう感じる。
*
盗賊ギルドは《
盗賊というのはあくまでも七英雄に合わせただけで、ギルドで教える技能は、鍵あけや罠の解除、斥候役を務めるために必要な知識……地形の読み方や地図の書き方、天候予測、それから気配を消して獲物に近づくための体術と、軽量な武器の扱い方などなど、泥棒稼業とは
トワンはオリヴィニスにやってきてから、ようやくそのことを知った、本物の泥棒だった。
手配書に名前と顔が載っていないだけで、彼は幼い頃から某都市の片隅で、
まっとうに生きて行くことの意味さえ知らなかったトワンだが、必死の努力により、何年かたつ頃には一人前の冒険者の顔ができるようになっていた。
各地の古い遺跡には、鍵のかかった宝物庫や、罠がいくらでもある。
トワンが仕事に困ることがなかったのは、犯罪のためとはいえ厳しく仕込んでくれた《親方》のおかげだった。
だから、春先に手を
血の
鍵開けの仕事のためには、指先の繊細な感覚は必要不可欠なのだ。
幸いにも治療師がそばを通りがかり、処置がはやかったため、ひと月ほどで傷はきれいに消えてなくなり、ふた月もすれば日常生活には困らなくなった。
けれど、その頃からトワンは恐ろしいくらいの不安に悩まされるようになっていった。
――俺は、この指できちんと仕事をすることができるのか?
明日、いよいよ復帰する、という段になって
「頼む、メルメル師匠!」
「ぼく、メルメル師匠って名前ではないからね」
メルはうんざりした顔でそう言った。
のんびり、塩で炒ったナッツをかじっているメルに、トワンは頭を下げ続ける。
「すまないが、明日の仕事について来てほしいんだ」
「…………はあ?」
大の大人が、仕事についてきてくれと頭を下げて頼んでいるのである。
それだけで十分おかしい。
「ギルドの連中からメルメル師匠は
トワンは恥を承知で、指を怪我したこと、治ってからも違和感がすること、そして明日の仕事で致命的なミスをしてしまわないか、不安で不安で仕方がないことを吐き出すように話した。
「たしか君が所属しているパーティって……そよ風の穴熊団だったよね? 銀板の」
「そうだ」
ふた月前、怪我をしたとき、トワンは脱退を願い出た。
形はどうあれ、手を傷つけて商売道具を失った彼をパーティに置いておく価値はない。代わりの盗賊を雇ってくれと言い置いて、去るつもりだった。
けれど、リーダーはトワンを引き留めた。
そればかりか仕事ができない間の生活費を仲間達と
いままで頼みの綱はこの腕一本、と肩ひじ張った生き方しか知らなかった彼にとって、はじめて知った人の暖かさだった。
だからこそ、明日の仕事をしくじりたくない。期待に応えたかった。
話をじっと聞きながら、メルはため息を吐いた。
ブランクのある冒険者が、こういう不安症にとりつかれることはままあることだ。
だからこそ、メルは厳しい言葉を言った。
「トワン、わかっているよね。盗賊が他人を頼みにしたら、おしまいだよ。もしも仕事ができないなら、死なないうちに街を去ったほうがいい」
彼はその場でうつむいたまま、唇をかんでいた。
「でもひとつだけ、助言しとくよ」
助言、ということばに一筋の希望を見出し、トワンは聞きもらすまいと顔をあげた。
「えっとね、《野菜だと思え》……かな」
意味のわからない言葉だった。
トワンは突き放された気がしたのだろう。あきらかに肩を落として自分の部屋に戻って行った。
背中を見送ってから、かもめ亭の主は、カウンター越しにメルに
「少し、意地悪だったんじゃないのかい、メルメル師匠」
「何が?」
メルはきょとんとした顔だ。
「さっきの助言、どういう意味なんだ?」
「ああ――……あれは、《どんなときも自分を見失うな》って意味さ。あるいは、《誰にでもそりの合わないタイプはいる》っていう意味だね」
メルは木の実の皮むきを再開し、じきに先程のことはすっかり忘れてしまったようだった。
*
トワンの不安は的中した。
穴熊団の仕事場は、レヴェヨン城という廃城だった。
ヴェルミリオン領地にあるこの城は、《どこかから強大な敵が攻めてくる》という妄想にとりつかれて狂人となった先代の主によって罠がはりめぐらされている。おまけに長年放置されていたゆえに魔物が入りこみ、ギルドに解体依頼が舞いこんだいわくつきであった。
トワンにしてみれば、復帰直後に何故、と言いたくなるような難関である。
「アンナ、大丈夫かーっ!」
閉じこめられた仲間に向かって、リーダーが叫ぶ。
新入りのアンナが捕まったのは《水牢》の罠だった。
仕掛けのある部屋に入ると、鍵がかかって脱出不可能になり、その上、大量の水が流れこんでくるという厄介なものだ。
幸い、この水牢には外から開けられる扉があった。
しかし、それには当然のことながら鍵のかかった錠がついている。
その鍵を開けられるのはトワンだけである。
四つあるうちの三つはまるで玩具の宝石箱のように簡単に開錠したのだが、それもまた罠だというように最後のひとつだけが開かない。
「アンナ、無事でいて……!」
「あきらめちゃ、だめよ!」
「待ってろ、トワンが開けてくれるからな……!」
仲間たちの悲痛な
「トワン! 時間がせまってるぞ!」
リーダーが叫ぶ。
トワンは必死に金具を差しこみながら、わずかに返ってくる感触で構造を
「どうしたトワン……いつものお前らしくないぞ! ケガをして不安なのはわかる! だがお前ならやれる!」
リーダーの励ましに背中を押されるように、作業を進める。
城内は暗く、水のせいで鉄扉は氷のように冷たく、指先はただでさえかじかみ、震えた。鍵のほうはもはや、扉に描かれた鍵穴の絵なのではないか、というほど手ごたえがなかった。
「自分の限界を決めつけるんじゃない! 絶対大丈夫だって言い聞かせるんだ!」
リーダーが大声で怒鳴る。
その拍子に道具が手から落ち、からからと乾いた音を立てる。
「あせってるのか!? 大丈夫大丈夫! 落ちたものは
「あ、ああ……」
道具を拾い上げながら、トワンは思った。
……リーダーの声がでかいな。
リーダーが喋る度に
そんなにでかい声で落ちつけと言われても、説得力がまるでない気がする。
しかも距離がやたら近い。
おそらく、彼の顔のでかさが遠近法をおかしくさせているのだろう。
リーダーの容姿は
そう、あれは……。
そのとき、ふいに《助言》が脳裏によみがえった。
――《野菜だと思え》。
「ジャガイモ……」
そう、ジャガイモだ。
リーダーの顔は、色あいといい、ごつごつした手触りといいジャガイモに似ている。
なぜ、自分は、こんなジャガイモみたいな顔をした男に励まされているんだろう。
「どうした!? 飯の話か!? 飯の話ができるなら大丈夫だ! 人間は食い物の味が感じられるうちは大丈夫!! 自分に自信を持って!!! 扉の鍵なんかにぜったい負けないから!! そう、これはトワンと扉との一騎打ち!!! 勝負なんだよ!!!! 口に出して言ってみな? ――《俺はこんな扉野郎なんかに負けない》!!! って!!!!!! さん、ハイッ!!!!! 俺は!!! こんな扉野郎なんかには~ッ!!!! 絶対負けないぃィッッッツ!!!」
その瞬間、トワンの中で、プツンと何かが切れる音がした。
「――せぇ」
「ん? 声が小さくて聞こえないぞ!!! 大きな声で叫ぶんだ!!!」
トワンはこれ以上こらえきれなくなり、力いっぱい叫んだ。
「――うるせえって言ってンだよ! 俺が仕事してるそばでごちゃごちゃ言ってるんじゃねえ! 静かにしてろこの顔面ジャガイモ野郎!!」
それだけ目いっぱい叫ぶと、トワンは人が変わったかのように鬼気迫る顔で、猛烈な勢いで鍵開けの仕事をはじめた。
後日。
レヴェヨン城に冒険者が入りはじめて十年以上、誰も開けることができなかった牢屋の鍵を開けたとして、ひとりの《盗賊》の名が広まることとなった。
彼の名誉を
もともと他者を寄せつけず、黙々と仕事だけに専念することで有名だったトワンだが、要するにそれは《ひとりで集中しなければ仕事ができない》タイプだったからだ。
調子を崩したのはケガをして弱気になり、無理に仲間達と歩み寄ろうとしたせいだろう。
なお、現在は馴れあおうとする仲間たちをきつい言葉で遠ざけ、静かな仕事環境を作り出すことに成功。ますます腕を磨いているらしい。
性格に少々難のある彼だが、穴熊団のリーダーは、寛容な心で許しているそうだ。
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