第38話 夜魔術 《上》 △



 急な雨がふり出した。

 通り雨だろう、と彼女は見当をつけて、矢を回収して弓をしまった。

 軽く練習に来ただけだったのだが、雨脚はかなり強く、街に戻っているとずぶ濡れになってしまう。


「さあ行くよ、アロウ」


 灰色狼を連れて、彼女は別の日にみつけた洞窟へと向かった。

 魔物や獣たちが棲家にしているようすはなかったから、雨宿りにはちょうどいい場所だ。たまたま魔物に出くわすことがあっても、狼がいれば大丈夫だろう。

 しかし、アロウは洞窟の方角へ向かうのを渋った。

 機嫌が悪いのだろうか? 毛を逆立てて唸る狼のようすを不思議に思いながら、

なんとか宥めて、洞窟の入り口に辿りついた。

 しかし、その頃には彼女にも異常を感じ取ることができた。

 暗い洞窟の中に、何かがいる。


 しかも、におう。


 彼女は犬をその場で伏せさせ、そっと内部を覗きこんだ。

 そのとき、異常な姿をした《それ》が、不気味にうごめいた――。



     ~~~~~



 その日は、ギルドは朝から晩まで大忙しだった。


 なんと、オリヴィニス近郊の森の中で死霊魔術を使った者が見つかったのだ。

 死霊魔術は死者の霊魂と交わり、死体を生きているかのように動かし操る魔術の一種である。古くは《夜魔術》と呼ばれ、光女神ルスタの御業が及ばない夜と死の領域の魔術とされた。

 

 現在、死霊魔術は、オリヴィニスでは全面的に禁止されている。

 使用はおろか、研究することさえ、である。


 ところが、昨日森を散策していた女性冒険者が洞窟の中に複数体の動く死体を発見したのである。素人の手によるものとみられ、半ば腐り落ちた姿だった。


「ちがうんです、ちがうんですぅ!」


 魔術師ギルドの建物のそばの往来で、少女の悲鳴が響いていた。彼女の首にはあらゆる言語で《私が死霊魔術を使いました》と書かれた札がかかっている。


「何がちがうっていうのよ。あなたが隠れて死霊魔術を使っていたということは、すでに調べがついてるんですからね! 汚らわしいっ!」


 魔術師ギルドの重鎮、ナターレ師が純白の長杖を振り上げる。

 白い稲光が弾け、地面を焼き焦がす。


 普段は優雅な女性として振る舞っているナターレが血相を変えて弟子のひとりを追い回している姿は、かなり珍しいといえた。


 周囲を別の弟子たちが取り囲んでいるが、怒り狂うナターレを止められる者はひとりとしていない。


「ですがっ、ナターレ様! 死霊魔術が邪悪なものであるというのは女神教会が広めた偏見と誤解だということは、現在の魔術界では常識じゃないですか。――それに真魔術や精霊術とくらべると格段に伸びしろがある魔術ですし!」


 必死に逃げながら弁解する少女を、二度、三度ときつい雷が打ち据える。


「お馬鹿っ! 死霊魔術が禁止にされてるのは、邪悪な魔術だからじゃありません! そもそも魔術に正も邪もあるわけないでしょう!」


 一際大きな雷が落ち、少女は悲鳴の尾を引きながら無惨に吹き飛ばされていった。

 騒動の中心から少し外れたところで、野次馬たちを整理しているギルド職員の姿があった。


「えーと、どこからどうみてもアホに見えますが、あの方は真魔術の達人ですよ~」

「死にたくない一般の方、魔術対策を怠りがちな新米冒険者の方は、絶対に近づかないでくださ~い」


 双子の受付係、レピとエカイユは声を張り上げて、往来を行き来する人々を案内している。

 本来の業務はナターレの怒りがおさまるまで休止だ。

 そんなふたりのところへ近づいてくる冒険者がいた。


「二人ともお疲れさまっす」

「ルビノさん!」


 メルメル師匠の弟子であり、自らも優秀な格闘師であるルビノは、いつもの赤い上着に宝石で飾られた手甲、そして紙袋を手にしている。

 今日はみみずく亭の店主というより、どちらかといえば冒険者よりの日、らしい。


「怒鳴り声が通り三つ向こうの雑貨屋にまで響いてるっすよ。ずいぶん派手にやってるっすね~」


 ルビノは、次々に難しい魔術を繰り出すナターレをしばらく眺め、爆風に吹かれながらのんびりとした口調で言う。


「ええまあ、ナターレさんが本気で怒るのも、わからない話じゃないんですけどね」

「そんなに死霊魔術って悪いものなんすか?」

「悪いと言えば、すごく悪いですよ。その、衛生的に……」


 レピは疲れた顔をしていた。

 現在、メガネの彼女が死体を隠していた洞窟では、魔術実験に使われた亜人の死体を焼却し、周囲のすみずみまで消毒する作業が続いている。


 そう、ナターレの言う通り、魔術には正も邪もない。


 ただ術の効果が発揮されたとき、被害を被れば邪となり、恩恵を受ければ正しいものとなる、それだけのことだ。だから死霊魔術も内容のおぞましさに目を瞑れば、それは精霊術や真魔術と大差ない。


 ただ、問題なのはレピの言う通り衛生面であった。


 死霊魔術の素材に使われる人や魔物の死体は、腐り落ちると悪臭を撒き散らし、病原となって病を引き起こす。

 オリヴィニスは街の面積にくらべ人口が密集しており、ひと度、病が流行すればそれこそ町全体が魔術の素材となってしまうことだって考えられるのだ。


 かつて、教会がこの魔術を夜魔術として迫害したのも、これが原因だったといわれている。


「我々冒険者にとっても死霊術師がいれば助かる場面がままあることは確かなんですが、術師がたくさん集まってしまうと、一か所にそれだけたくさんの死体が集まる、ということになってしまうわけで……とても管理が行き届きませんので、うちでは禁止、ということになってるんですよ」

「へえぇ、そんな理由があったんすね」


 弟子たちの中から重大なルール違反者を出してしまったナターレの怒りは、ちょっと魔術で吹き飛ばしたくらいではおさまらない。

 騒ぎは長く続きそうだった。


「まったく、困りますよ。こんなときに、マジョアギルド長は留守だし……」

「お、奇遇っすね。メルメル師匠も出かけてるんすよ。といっても、師匠はいつも留守みたいなもんだけど」

「……そっちもなの?」


 三人が話しているところに、静かな声が割って入る。

 ナターレたちを取り囲んでいる野次馬の列の後ろに、黒いワンピースを着た少女が立っている。

 長い黒髪と、前髪で顔を隠した少女は魔術師ギルドの受付係、ミザリだった。

 ミザリは当然、レピたちとも、そしてときどきギルドを訪れるルビノとも顔見知りである。


「実は、トゥジャン様も、行き先も告げずに出かけているところなの」


 トゥジャンは魔術師ギルドを束ねる老師である。


「たしか、マジョアギルド長とメルメル師匠、そしてトゥジャン師の三人は……」

「旧知の仲、っすね」


 彼ら三人は、昔、マジョアとトゥジャンがまだ若かった頃、同じパーティで活動していたことがある。


 奇妙な符丁に違和感を感じ、レピとエカイユ、そしてミザリとルビノはお互いの顔を見回していた。


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