靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで

第10話 支度

　夕刻。

　冒険者ギルドの一階。

　盗賊退治、異常繁殖したコボルドの駆除、遭難した冒険者の捜索、護衛依頼……。

　そこには依頼受付カウンターの前に張り出された依頼を、じっと睨んでいるメルの姿があった。

　依頼にはギルドが発行するもののほか、冒険者たちが仲間を募って出すものも多い。難易度はカウンターで聞いてもいいし、金、銀、銅、鋼の板が横にかけられているため大雑把でいいならすぐにわかる。

　この尺度は冒険者たちのランク分けにも使われていて、その場合、鋼の下に青銅があって金の上は天井知らず。

　腕がいいものには専用のランクが与えられたりもする。

　冒険者たちは依頼の中から移動距離や、迷宮の名や、もちろん成功報酬を確かめて依頼札をカウンターまで持っていく。

　そこで詳細な情報を聞き、条件が合えば依頼受付完了だ。

　もちろん、冒険者の中にはこういった依頼を受けずに、希少な動植物や鉱石、魔物を狩って生計を立てる者もいる。それぞれの得意分野しだいだ。

　もしも何をしていいかわからなければ、経験やランクに合わせて適当な仕事を斡旋してもらえるので、悩むことはない。

　掲示板の前でうろうろするメルに声をかける者があった。

「あんたがメルメル師匠だな？」

　振り返ると、右腕を中途半端な高さに上げた若い男がいた。

「いやいや失礼。本当に子供のようななりをしていたから、つい……な」

　確かに、後ろから肩を叩くのはやめたほうがいいだろう。

　冒険者ギルドで依頼に迷ってるような冒険者は、失敗続きでイライラしているかもしれないし酒が入っているかもしれない。

　叩いたの叩かないので殴りあいのケンカにならないとも限らない。

「他の面子は二階に揃ってるよ。少し飲むだろ？」

「ぼくは下戸だ」

「ほんとに子供みたいだなあ……いや、失礼。仲良くやろう、俺はアトゥっていう」

「メル」

　握手をかわす。

　初めて組む冒険者だが、装備や身なりで何となく素性はわかる。

　アトゥの武器は、双剣のほかには人当たりのよさと気さくな笑顔、それにリーダーシップだ。

　表情には、食い詰めた冒険者のような不穏な険が無い。

　あっけらかんとしていて、掌は厚く、しっかりしてる。

　稼いでいる冒険者だ。

「話は聞いているよな。今回は、ギルドからの特別な依頼だ」

「セハの門の下層調査だろう」

「ああ。ほんというと、爺……いや、ギルド長から助っ人をふたりよこすって言われて不安だったんだ。でもあんたなら面白くやれそうだ」

　一階で飲んだくれている者たちが見下ろせる吹き抜けの上、二階は金板以上の専用席だ。

　かけ出し冒険者たちに比べて、装備もしっかりしていて、落ち着いた者たちが打ち合わせをしながら食事をしている。

　隅の席に緑の髪をゆったりと三つ編みに結んだ青年を見つけて、メルは思わず眉間に皺をよせた。

「――あっ、メルメル師匠だ。ねえもしかして、最後のひとりってメルメル師匠？」

　白地に銀の壮麗な刺繍、肩に緑の布をかけたローブをまとった青年は、年の割に無邪気すぎる笑顔をメルに向けてきた。

「なんだ、あんたたち知り合いか」

　メルは曖昧に返事をした。

　セルタスは冒険者ギルドの実力者集団、《師匠連》のひとりである。

　先の会合で顔をあわせているので、アトゥの言はまったく間違いではない。

　けれど師匠連に属していることを公にしても、良いことは何もない。

　むしろ隠している者も多く、お互い名前だけは知っている、という体にしておくのが無難だろう。

　と、判断したのも束の間。

「メルメル師匠とは師匠連の会合でお会いしたんですよ。そうですよねえ？」

　セルタスが何ら悩むこともなく、みずから宣言してしまった。

　メルは久しぶりにツッコミという名の暴力を振るった。正確にはテーブルの上の長パンで頭を打ちすえただけだが。

　反射的すぎて理性では止められなかったのだ。

「空気を……読もうよ！」

「すみません、魔物の気配ならうまく読めるのにねって、よく言われるんです」

　セルタスは気持ちよさそうにエールの盃を煽った。

　テーブルにはシチューやパイ、サラダ、酒類が並んでいる。

　セルタスの他には華奢な女性と、がっしりとした大柄な男性が席に着いていた。

「へえ……師匠連か。メルメル師匠っていう呼び名も伊達じゃないんだな」

　アトゥが感心したようにうなずいた。

「そりゃそうよ」とテーブルの奥の席に座っていた若い女性が笑う。「あたしシビルよ。前にルビノと組んだことあるわ。彼、いい冒険者ね。出しゃばらないし」

　長い髪を耳にかける仕種が色っぽい。

「さて、俺も一杯やるか。よかったら夕飯を一緒に食って行ってくれ。うちの仕事の前の定番なんだ」

「ありがとう、ご一緒するよ」

　メルも席に着いた。

　仕事の前の打ち合わせは、熟練であればあるほど大事にする。

　とくに、知らない顔がいればなおさらだ。

　メルはセルタスを除く三人が、普段はひとつのパーティで活動していることを知った。当日はここに二人が加わり、仕事になる。

「ルビノはかなり強気な攻撃役だったね。ということは、メルメル師匠も前を任せてもいいタイプ？」

　隣の頑丈そうな男はヨーンと言うらしい。ヨーンの問いに、縦幅も横幅も彼の半分しかなさそうなメルは勢いよく首を横に振った。

「メルメル師匠は今回は私の護衛役ですよ。後ろにいてくださらないと困りますよ、ねえ？」

　セルタスが助け舟を出す。助けたつもりはないだろうが……。

「そうか、じゃあ、俺たちはいつもの仕事をしながら深くもぐればいいんだな」

　食事をしながら、アトゥはセハの門の入り口から先の地図を描いた羊皮紙を卓上に広げた。

「護衛対象の調査員に気を配らなくていいんなら、かなり楽ができるな」

「目的は十五層までの到達か……このあいだの騒ぎで魔物の気が立っていないといいわね」

「いくら初心者向けの迷宮だっていったって、雑魚に手間取っているとあっという間に期日が来るよ」

「薬草類は私が持ち込みます」

「おしゃれはいいから、動きやすい格好で来てくれよ、シビル。今みたいな薄着じゃなくて……」

　酒の量は控え目だが、あれこれと飲み食いし、喋る。

　酒場の薄暗い空気がふわふわと温まっていくのをメルはのんびりと見守っていた。

　皿が空になる頃には、大切なことの大半は決まっていたし、メルは初めて会う仲間たちのことをたくさん知っていた。

　アトゥが市場の売り子に交際を申し込んで手酷く振られたこととか、その手のくだらないことを含めて。

「それじゃ、明日は……日の出とともに」

　ギルドの前でアトゥたちやセルタスと別れ、メルは宿に戻った。

　常宿にしているかもめ亭の部屋で、明日の準備を整える。

　セハの門は入りやすい迷宮だが、十層から下は少々窮屈だ。

　いつものように大きな荷物は背負えない。

　身軽に、持ち物は必要最低限に。

　水の調達は魔法の道具に頼るとしても、食料は多めに。射手はいないといっていたから、弓と矢を持って行こう。冷えるので暖かく。

　持ち物を床に一そろい並べ、メルはそれを眺めているうちに眠りに落ちた。

　　　　　*****

　翌日、オリヴィニスは白い靄に包まれたが、一時間ほど待つと徐々に薄れていった。

　夜明けの、まだ誰も吸っていない空気は美しくて清浄だ。

　ギルド街の広場で、メルはいつもより小さな……しかし他の面子にくらべると大きな荷物に腰かけて、冷たい刃のような空気を思いっきり吸い込んだ。

　昨夜の、ギルドでの浮ついた感覚が手足にまだ残っている。

　新しい仲間と知り合って、これから楽しいことがはじまるぞ、という感覚だ。

「あんたがご機嫌だと俺までうれしくなるよ、メルメル師匠」

　鼻歌までうたいはじめたメルに、アトゥが声をかける。

「さて、そろそろ出発するか」

　靄が晴れたタイミングで、号令をかける。

　するとメルの笑顔が、一瞬で曇った。

「ねえ……どうしたのか、聞いてもいい？」と、セルタスが訊ねる。

「依頼って、準備までがいちばん楽しいんだ」と、メルはしょんぼりとした声音で答えた。

　セルタスは何とも言えない左右非対称な表情を浮かべていた。

「それはまた、きみも難儀な人間だね……」

　メルは荷物を背負い、仲間たちの後を追ってとぼとぼと歩きだした。