第6話 防衛戦 《下》
「なんじゃこりゃ……」
ルビノは屋根の上で呆然としていた。
あちこちで魔法や矢弾が飛び、所属ギルドの違う者どうしが殴りあっている。
ルビノは武器を用いず素手で敵に立ち向かう、オリヴィニスでは珍しい格闘師の技能を身につけていた。体術のプロだが、その特性から頑丈な防具が身に着けられない。仲間たちの補助が誰よりも大事な職能だった。
防御力に劣るゆえ、あの中に放り込まれていたら友軍にも敵にも攻撃されて、あっという間に死んでいてもおかしくない。
「ギルドどうしが争うと、オリヴィニスは昔からああなんだ……」
メルメル師匠は望遠鏡を荷物にしまい、立ち上がった。
背中には薄緑のマントが翻る。風切りのマントは、跳躍力を高める過去の文明の遺物だ。
メルの両耳には見覚えのない耳飾りも輝いていた。
「新しい装備っすね」
「遠耳のイヤリングだよ。前からほしいと思ってたんだ」
ルビノが借りると、争う人たちの声が間近に聞こえて来た。聴力を高める
メルメル師匠はショートソードを腰に、ダガーを右手に、立ち上がる。
「さてと。じゃ、行ってくるね」
「メルメル師匠、危ないっすよ!」
止めるのも聞かず、メルは聖堂の屋根から飛び降りた。
背中のマントがふわりと風を捉え、メルの体が空に舞う。
そして、向かいの屋根の上に降り立った。
メルは軽快に駆け出した。
その足音がほぼ無いのは斥候の技能だった。
腕のいい盗賊や斥候は足音を消し、敵に気づかれずに接近する能力を身に着けているが、装備の薄さでいくと格闘師の次に名前が挙がる。
各ギルドの拠点が集まったギルド街は、冒険者ギルドに向けて一本道が続く。
戦場となったその道は、まったく統率のとれていない戦士や魔法使い、弓使いや神官、ゴブリンたちが入り乱れて地面も見えない状態だった。
メルは一気に距離を詰めると、大きく跳躍した。
ブーツの底が、ナターレと言い合いをしていたヴァローナの兜の上に着地した。
「ごめんね」
急に現れた少年の姿に、その場にいた全員が呆然とする。
メルはさらに跳躍して、人込みの上に降りた。
戦士の頭や肩、ゴブリンを蹴飛ばしながら、文字通り人の頭上を疾走していく。
「あいつ、一番槍を狙ってやがる!」
「止めろ! 報酬は俺たちのモンだ!」
メルの進行方向にいた戦士たちが下から槍を突き出して妨害しようとする。
メルはショートソードを抜き放つ。風のように回転、旋風のような剣が槍の柄を切り落としていく。
さらに跳躍しながら背後を振り返り、射かけられた矢を反対の手のダガーで斬り落とし、礫を回し蹴りで叩き落とす。
小柄だが、マントの効果も相まって身のこなしが凄まじいまでに軽い。
「魔法を撃ちなさい!」
ナターレが指示した。
もはやゴブリン退治や街の防衛戦というより、なりふり構わない喧嘩だった。
眠りの魔法や、光の矢、炎の球がメルに殺到する。
メルはダガーをしまい、道具入れに手を突っ込んだ。
取り出したのは、虹色に輝く宝石――それも片手に収まりきらないほどの大きさの石だった。
ナターレには、それが魔力を貯めこんだ稀少な魔法石であることがすぐにわかった。
「あの大きさ、いったいいくらすると思ってるの、もったいない!」
メルが呪文を紡ぐと、魔法石は虹色の光を放ち、消える。
呼応してショートソードに嵌められた宝石が輝いた。
剣の前に巨大な鏡が出現した。
鏡は全ての魔法を吸収し、持ち主の元へと反射していく。
メルは剣をしまい、腰からスリングを下ろした。
「投擲武器で狙うつもりか、させるかよ!」
そうはさせじと、戦士のひとりがメルの足を掴んで引きずり下ろした。
「っ!!」
前衛戦士の膂力で引き込まれれば、小柄なメルはひとたまりもない。
しかし戦士の腰に足を絡ませ、落下を防ぐメルの瞳からは、闘志は全く失われていなかった。
彼は右手を弓を射るように後ろに引いて、構える。
ひゅ、と息を吸う音。
放たれた矢のように鋭い掌底が、戦士の金属鎧に覆われた胸に撃ちこまれた。
衝撃が胸を、肺を、肋骨を軋ませて呼吸を止める。
「ふがっ!」
拳の威力ではなく、衝撃だけが頑丈な鎧を通り抜け内部まで伝わったのだ。
間抜けな声を上げて、戦士は勢いよく後ろに吹っ飛んでいった。
頑丈な魔物にダメージを与えるための、格闘師の技能だ。
「ごめんね~」
メルは素早く、人々の頭上へと戻った。
ハイオークが少年に向けてこん棒を構え、豪快に振り回す。
巨大すぎる武器が脇の商店の二階を直撃し、煙が舞った。
砂埃から、マントをはためかせたメルが抜け出ていく。
踏み切って、ハイオークよりもずっと高く空に舞う。
その手には、瓦礫の破片。
空中で上半身をしならせ、投げる。
ごおん。
破片は、見事に命中した――ハイオークの兜に。
オークは二歩ほどよろめいたが、すぐに体勢を立て直した。
どちゃっ。
数瞬遅れて、オークのうしろの何もない地面に、メルが落下する間抜けな音が響いた。
しばらくしてメルは起き上がると、にっこりと笑った。
ああ楽しかった、とでも言わんばかりに。
そして、立ち上がって埃を落とすと、大きく伸びをしてVサインをつくる。
聖堂の屋根で、ルビノがガッツポーズを作って応えた。
「浅い入りだったけど、報酬は僕がもらうからね」
そうして、スキップして去っていく。
取り残された冒険者たちは、あ然としたまま、しばらく動けなかったという。
*****
その後、メルメル師匠の所属については、一部の議論の的となった。
足音を消す技能があるのだから盗賊ギルド、と言い張る者もいれば、投擲武器を装備していたことから弓術ギルド、という意見もあり、さらに剣技の腕前からすれば戦士ギルドで間違いないと主張するものもいて、《反射の鏡》というそれなりに熟練が必要な魔法を使っていたことから、魔術師ギルドではないかという推測も立ち……。
結局、誰もが馬鹿らしくなって、この話をするのをやめた。
魔術師ギルドも、馬鹿馬鹿しい小競り合いをすることは無くなった。
「えーっ! 報酬無し!?」
数日後、冒険者ギルドの報酬受け取りカウンターを訪れたメルは、大きな声を上げた。
「一撃を最初に当てたら報酬独り占め、という条件はヴァローナさんの口約束でしょう。報酬は冒険者ギルドの規定通りのお支払いしかできませんよ。つまり、ゴブリンを一体も倒していないので、無しです」
メガネをかけたエルフの会計係は、しょんぼりとする少年に冷静に告げた。
「それに、メルメル師匠は冒険者ギルドには名前がありますが、他のどの職能ギルドにも入ってませんしね。正確には、いずれのギルドにもまんべんなく何年かずつ所属して、脱退してます。驚くほどの技能の横伸ばしです」
「そんなあ……南の島にバカンスに行く計画が……」
「お気の毒ですが、働いてください。まじめに。次の方~」
メルは、後ろ髪をかなり引かれながらも、すごすごと引き下がった。
そしてどんちゃん騒ぎをしている酒場を抜けて、建物から出たところで、深く、長く大きい溜息を吐いたのだった。
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