第5話 防衛戦 《上》

 閉店間際。


 みみずく亭のテーブルで男ふたりが話し込んでいる。

 片方は金属鎧をまとった戦士、もう一人は闇色のローブをまとった魔法使いだ。

 平和な話し合いというよりは、どちらかというと、愚痴を言い合っている雰囲気だ。


「お客さん方、もう看板はしまっちまったっすよ」


 店主、ルビノは呆れたような声をかけた。

 夜はとっぷりと暮れ、ここからは先は野犬や盗人がうろつく時間帯だ。


「けちくさい、メルメル師匠はまだいい気分じゃないか」


 ルビノの冒険の師匠・メルは、顔を赤くしてテーブル席に突っ伏していた。

 ぐうぐうと幸せそうな寝息が聞こえてくる。

 そのうちよだれを垂らしそうな雰囲気だ。


「誰だ? 師匠に飲ませたのは」


 ちっと短い舌打ちをする。ルビノの悪いくせだ。

 男たちはため息を吐いて立ち上がった。


「まあ、ここで愚痴っていても仕方ねえやな。魔術師ギルドと戦士ギルドの仲たがいは今に始まったことじゃないんだ」

「まったくだ……」


 二人は大きなため息を残し、店から出て行った。

 今、オリヴィニスの街がごたついているのはルビノも当然のように知っていることだった。


 原因は冒険者ギルドの長を決める選挙だ。


 投票そのものは既に終わって、前ギルド長が続投ということで収まった。

 だが対立候補が魔法使い職だったがために、魔術師ギルドがケチをつけてきたのだ。

 街では魔法使い一派が小競り合いを起こして、とにかく感じが悪いのだった。

 さっきの客も表通りの店で顔をつきあわせて飲むのが都合が悪く、みみずく亭までやって来たのだろう。


「あんな調子で、何かあったら大丈夫なんすかね。たとえば……まあ、何かってなんだって感じっすけど……」


 食器を片付けながら、ルビノが独り言をつぶやく。

 メルメル師匠はいつの間にか姿を消していた。

 机の向こうに回り込むと、店の隅に健やかな寝息を立てる毛布の塊があった。

 

 ルビノは仕方ないなという顔で食器を奥へと運んでいく。


 そのあと、毛布の塊からグローブと篭手を身に着けた腕がすっと出てきて、人差し指どうしを『×』の形に重ね合わせた。


 それは「全然ダメ」の合図だった。



     *****



 迷宮洞窟、セハの門に異常が起きたのは、それから数日も経たない間の出来事だった。セハの門は初心者向けと言われていて、ゴブリンやコボルドなどの低級な魔物相手に金と経験を稼ごうとする若手が集う迷宮だ。



 その日の午後になり、オリヴィニスに危険を知らせる鐘が鳴り響いた。



 迷宮や危険な森、遺跡に囲まれたオリヴィニスは、その立地から周囲を防壁と門で囲まれている。

 物見やぐらに登った衛兵が目にしたものは、洞窟に潜っていた冒険者たちが取るものもとりあえず逃げてくる姿だった。


 そして、その背後に土埃を上げて走ってくる魔物がいた。

 小型の竜の魔物に騎乗した亜人たちだ。


「ゴブリンナイト……五騎か。あいつら何をやっているんだ」


 大方、迷宮の内部で出くわして命からがら逃げだしたのだろうが、そのまま連れて出てきてしまうとは情けない。


 しかし、一緒に登った仲間が顔を引きつらせて、さらに背後を示す。


「おい、あれを見ろ!」


 疾走してくるゴブリンナイトの向こうに、緑の大群が控えている。

 日頃は人里までは降りてこないゴブリンたちが四十……五十……増えている。


「閉門! 急げ!」

「ギルドに知らせろ!」


 逃げてくる冒険者を街に入れ、門は閉じられた。

 さほど頑丈な門ではないが、応援が駆けつけるまでは押し留められるはず……だった。



     *****



「押し返せーっ!」


 オリヴィニスの街は騒然となっていた。

 ゴブリンの大群が防壁を超え、街の中心部まで押し寄せて来たのだ。

 亜人の群れは一直線に、ギルド街へと向かっていく。


 途中、偶然出くわした冒険者たちが応戦しているが、ギルド街へは屋台市場も近く非戦闘員も入りまじっての混乱が高まっていく。


 その光景を聖堂の屋根から眺めているふたりがいた。

 片方は腕に紅の腕章をつけた若者で、鋭い爪のついた篭手を装備していた。

 鳶色の髪にそばかすの浮いた顔。

 みみずく亭の店主、ルビノの、週末だけ披露する冒険者姿だった。


「押されてるっすよ、メルメル師匠~」


 メルは大きな荷物を鐘楼に立てかけ、望遠鏡を覗く。


「そろそろ、冒険者ギルドも動く頃だね。君はこのまま待機したほうがいい」

「えーっ、なんで! 街を守っての防衛戦なんて冒険者の夢! 花形でしょう! 俺も参加したいっす!」


 大人げなくワガママを言う弟子に、メルは眉をしかめてみせた。


「行ってもいいけど、ここから先は君の不利な戦場になるよ」

「不利な戦場?」


 冷静に諭されたルビノは、子供のようにじたばたするのをやめた。

 そのとき、望遠鏡の先では異変が起きていた。


「隊列組め! 突撃!」


 かけ声とともに、甲冑に身を包んだ戦士たちがゴブリンの大群の前に立ちはだかった。冒険者ギルドの所属であることを示す紅の腕章と、戦士ギルドの緑の腕章の両方を身に着け、次々に亜人どもを斬り伏せていく。


「ヴァローナ戦士団だ!」


 誰かが声を上げる。

 ヴァローナ戦士団はその名の通り、聖騎士であるヴァローナを中心とした構成員がほとんど戦士職という、攻撃に特化した編成が特徴のパーティだ。


「我らの剣は正義の力! 必ず敵を討ち取ろうぞ仲間達よ。そう、あの憎き敵、ハイオークを!」


 団長のヴァローナが剣を向けた先……ゴブリンの大群と仲間の戦士たちの向こうに、巨大な亜人が立っていた。


 背の高さは大人の三倍はあるだろう。

 ごつごつしたゴムみたいな緑の肌に、獣の瞳。

 防具を身に着けて、防壁や扉を一撃で叩き壊す巨大なこん棒を手にしている。


 低級な亜人族は知性を持たないが、オークの上位種は別だ。

 ゴブリンたちはハイオークに率いられ、迷宮から人の領域へと攻め入った軍勢だったのだ。


「うおおおっ!」


 ヴァローナの仲間のひとりが、亜人の軍勢を抜け、ハイオークへと迫る。

 大剣を振りかざし一撃を浴びせ……ようとした瞬間、彼の周囲に暗い靄みたいなものが発生した。

 その靄を吸い込んだ瞬間、戦士は膝から崩れ落ちた。

 戦士は地面に突っ伏したまま、寝息を立てはじめた。


 屋根の上のふたりも、一瞬で緊張する。


「誤射か……!?」


 それは魔術師たちがよく使う暗い眠りスリーピングの魔術だった。


「あらあら、ごめんなさ~い。手が滑っちゃってえ」


 杖を持った魔術師の一団が、戦士団のうしろに現れた。


 先頭は若い女性魔法使いだった。

 白い鳥の羽で飾られたドレス姿が派手だ。

 後ろに控えているのは、彼女の弟子たちだろう。

 みんな、いずれも腕に所属ギルドを示す蒼い腕章だけをつけている。


 純粋な魔術師たちは冒険者ギルドに加入せず、独自の派閥を作るケースが多い。

 それゆえに、他の職業との軋轢を生みやすかった。

 要するに、戦士団とは水と油のような関係……あるいは、火と油のような関係だった。


「魔術師ギルドの重鎮、ナターレ師だ」と、メルメル師匠が嫌そうに言う。


「貴様、わざと攻撃をしただろう!」


 兜を脱ぎ去り、ヴァローナはナターレに詰め寄った。


「あらあらあら、何のことかしら~? 乱戦中の誤射なんていつでも起こることじゃなぁい? そんなことも理解できない脳筋なら、さっさと戦場から出ていったほうが身のためよ」

「我らが前線に出ていなければ、貴様らみたいな軟弱ものはすぐさまゴブリンになぶり殺しだぞ!? 先の選挙からねちねち粘着しおってからに!」

「あらいやだ、あたしは選挙のことなんてこれっぽっちも気にしてなくってよ」

「どこがだ、この年増女!」

「なんですって!?」


 二人は敵意をむき出しにして睨みあう。

 そのあいだ、倒れた戦士を庇い、ヴァローナ戦士団は後退していた。

 戦線も必然的にギルド街や屋台市場に近づいていっている。


 事態が一向に沈静化しないのを不審に思った他の職能ギルドからも人が集まりだし、現場はかなり混乱気味だ。


「いい度胸ですわ、じゃあこうしましょう? あのハイオークに一撃、最初に入れたほうが勝ちよ。負けたら土下座。それぞれのギルドを代表して公開土下座!」

「いいだろう、乗ってやる。相手を出し抜いたギルドが報酬を総取りだ!」

「お前たち、戦士系には絶対に手を出させるんじゃあないわよッ! そんなことしたら破門よ!」


 こうして、女二人の……いや、二人の思惑を越えた戦いの火蓋が切って落とされた。


 そこから先の戦いは、悲惨なものだった。

 ゴブリンの大群など誰も見てはいない。

 戦士はとにかく前に出ようとするし、魔術師ギルドは友軍に魔法を打ち込むし、当たったの当たらないのでそこかしこで人族同士の乱闘が始まる。


 しだいに他の弓術ギルドやらを巻き込んで、敵味方無しの大乱闘となっていた。


 冒険者たちは通常、複数の職業の冒険者が集まって任務に当たる。

 そのほうが互いの長所をいかしやすく、短所をフォローしやすく、圧倒的に生存率が上がるからだ。

 それが今や連携という言葉は消え去り、私怨だけが場を支配していた。


 魔術師ギルドが吹っ掛けた余計な喧嘩は最悪の事態を招こうとしていた。

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