八角堂の探偵
夢物語草子
第1話 牛飼いの男
まず初めにこの記録を読む前に、私の事を説明させて欲しい。
私の名は安西新太郎。かつて、東京の一角で開業医をしていた医者だ。元は軍医だったが、終戦と共に退役した。代々、安西家は医者の家系だった。退役したからといって、医者以外に手に職は無く、父に頼み込んで、借り受けた資金と自分の全財産を投じて、医院を開業した。
とはいえ、そうそう上手くいはくずもない。患者が来ない日々が一年ほど続いた頃、私はこの記録を残すべき人物であり、生涯の親友と出会った。
親友の名は、千葉蔵人。面長の顔。気だるげで眠たそうな目つき。肩幅はがっちりとしていたが、痩せ型の体格。洋服を好み、その上に女物の着物をさらに好んで羽織る風変わりな服装。見た目に気を使わない割に、髭を綺麗に剃らないと気が済まず、風呂を好む。しかし、部屋はいつでも散らかっており、汚かった。
だが、そんな事が些細に思える程、私にとって、いいや、彼を知る者にとって、彼はとても魅力的な男だった。
彼と過ごした日々は未だに色褪せない。我が人生で一番の輝きを放つ最高の時間だった。世間は彼の事をまるで知らない。彼が残した功績。やり遂げた偉業は、いつだって誰かの手柄となって消えた。彼は何一つ、気にせず、執着心も無かった。
だが、私は耐えられなかった。彼と共に見た。聞いた。そして、知った人間として、無為に埋没していく事が辛かった。だから、せめてこの記録を残したい。いつか、彼が正当に評価され、報われて欲しい。彼はしかめっ面をするだろうが。
彼に振り回された、私なりの今は亡き彼への悪戯ということにしておこう。どうせ、すぐに会いに行くことになる。
心から願う。この記録が少しでも役立つ事を。千葉蔵人という人間がいたことを、一人でも多くの人間が知ってくれる事を、私は切に願うばかりだ。
2000年1月1日。京都某所。安西総合病院。初代院長。故安西新太郎の手記より。
★★★
時は遡る。終戦からしばらく経ったある日。
その日、私は何度目になるか分からない嘆息を零した。開業して1年。全く患者が来ないのだ。立地も場所も悪くない。建物も古風だが、趣のある洋風の外観だ。内部は医院らしく、常に清潔感を保つ為に、日々、念を入れて掃除をしている。
だが、患者が来ない。
なら、医者の腕が悪いのか。とんでもないと言おう。こう見えて、東京医学校では優秀な成績で卒業した。思い出したくないが、軍医の頃も、「従軍医なら彼がいい」と腕を認められて、指名されたこともある。
きぃ、と椅子にもたれかかる。今、私がいるのは医院ではない。近所の喫茶店だ。最近は、ここに入り浸ってばかりだ。テーブルのカップを持ち上げ、口に運ぶ。ぬるくなった珈琲。......苦い。ここの珈琲はいつだって苦過ぎる。美味しくないが、不思議な事に不味くも無い。それに、何より静かでいい。
だから結局、暇になるとここに来てしまう。自分でも困ったものだ。
そんな私に、恰幅の良い、50代前後の女店主が声をかけてきた。
「なんだい先生。陰気な顔をしちまってさ」
「患者が来ないんだ。せっかく独立して開業したのに、このままじゃ潰れてしまうよ」
「ははっ! 元気出しな! 落ち込んだって客は来ないよ!」
女店主の陽気な態度に、私は周囲を見た。
喫茶店の中は、客で満席だ。
女店主の励ましも気遣いも、皮肉なのかと勘違いしてしまいそうになる。羨ましい。ここの客の1割でも、医院に来てくれないものか。資金も底を尽き始めているのだ。このままでは、見事に廃業だ。
「そうだ。先生も気分直しに、話を聞いてみたらどうだい?」
「話し? 何の話だい?」
「面白い法螺話さ。ほら、あそこに座っている人がいるだろう。気難しいけど、先生なら喜んで話を聞かせてくれると思うよ。なんでも、自分が関わって解決した事件の話を聞かせてくれるんだ」
そう言われて、私は店内の隅っこに座っている男を見た。
正直に言おう。第一印象は、何だ?この変な男は?大丈夫なのか?だった。未だに和服を着る人間が少なくない世間で、マオカラースーツという珍しい恰好をしていた。それだけならともかく、それだけではなかった。さらに変わっていたのは、女物の赤い羽織を上着の様に着ている。
うん。どう見ても怪しい。不審人物だ。面長で、どことなく幼さが残る顔立ちをしている。目元は眠たそうに気だるげだ。だが、眼光は鋭い。目も良く見れば、笑っているように見えない。煙草が全盛の時代で、煙管を咥えて、煙を吹かしていた。
手元を見れば、何かの専門書を読んでいるようで、熱心にページをめくっている。
話しかけるべきか、否か。私は悩んだ。読書に熱中しているところを邪魔しても悪いと思ったのだ。ただ、女店主の『自分が関わった事件の話を聞かせてくれる』という一風変わった内容が酷く気にかかり、私は襟を正した。声を掛けようと決心した。
私は立ち上がり、男が座っている席まで近づく。そして、思い切って声をかけた。
「失礼。少し、いいですか?」
「.....................」
返事が無い。彼に無視された様だ。
本から顔を上げる事も無く、男は無言。私は無視されたのかと思い、内心、不愉快に感じた。だが、すぐに思い直す。そもそも邪魔をしたのは、私の方だ。気持ちを落ち着けて、再び彼に話しかけた。
「私は近所で開業医をしている安西新太郎という者です。実は店主から伺ったのですが......」
「法螺話を聞きたいのかい?。信じる信じないは聞き手の知性に委ねているよ。安西君と言ったかな?。軍医の時代とは違って、民間の医者になったはいいが、患者が来ない。そこで暇潰しと愚痴も兼ねて喫茶店に入り浸っている。暇潰しのつもりだろうが、話は長くなるよ。それでもいいかな?」
「構いません。話を聞かせてく......?。......なぜ、私が元軍医だと?」
「さて、どうしてだろうね。歩き方や顔つきが、訓練を受けた軍人風に見えたんだ。仕草や姿勢、そこを洞察して推測しただけさ。患者が来ないと言ったのは、連日、喫茶店で暇を潰す君の姿を見かけたからだ。一時間程度ならともかく、半日近くもここで時間を持て余していれば、患者が来ていない事は容易に想像できる。納得したかな?」
彼の説明に私は思わず首を縦に動かして、肯定した。
なるほど、良く観察している。私は感心した。
常連になる程、この喫茶店に通っているが、私は彼の存在に気が付いたのは、今日が初めてだ。それも、店主に教えて貰わなければ、きっと知らないままだっただろう。
逆に彼は、私の存在を認識し、しっかりと記憶していたようだ。実に優れた記憶力の持ち主だ。彼の頭の中、脳に好奇心と興味が湧いてしまうのは、医者の悲しい性だろうか。
彼は本を閉じ、テーブルの上に置くと、煙管の灰を陶器製の灰皿に捨てた。そして、しばし、目を閉じる。
「何を話そうかな......。......あぁ、そういえば、とても愉快な事件があったな。人が死ぬ事が無い、聞きやすい話だ。それを話すとしようか」
彼は、初めて正面から私を直視して、語り始めた。
「あの、牛飼いの男が起こした事件を、ね」
●●●
「あれは、随分前の話になる。夏が終わる頃の、ようやく涼しくなり始めた日だった。清涼感に包まれた静かで居心地の良い八角堂に、無礼な男が飛び込んで来たんだ。
その男はある村の地主の使いで依頼をしに来たんだけど、方言が酷くて何を言っているのか分からない。仕方なく、紙に書いて説明させようとしたら、男は字が書けなかった。読む事も出来なかった。これには困っってね、どうしようかと悩んでいたら、世話になっている女主人が騒ぎを聞きつけて現れた。幸いな事に、事情を話したら、方言を理解できたらしくて、通訳してくれたんだ。ちなみに彼女の名前はここでは言わない事にしよう。
その男の話を要約すると、地主が大事にしている金塊の一部が盗まれた。探しているが見つからない。見つけ出して欲しいと言う事だった。
僕は呆れたよ。人を金塊探しの名人だとでも思っているのかとね。人の往来が少ない街角で、のんびりと過ごしているだけの僕は、別段、探偵というわけじゃない。看板も掲げちゃいない。それなのに、以前、幾つかの事件を解決してしまったが為に、僕を探偵だと勘違いした奴らが事件を持ち込んでくるんだ。まぁ、生活費も必要だから、時折、仕事として引き受けてるけどね。
引き受けるつもりは無かったんだけど、女主人から家賃の事をネチネチネと愚痴られて、さて、めでたく依頼を引き受けるはめになった僕は、男に渡された地図を片手に、目的の村に向かったんだ。......どんな村だったと思う?」
私は、困惑した。どんな村と言われても、分かるはずがない。
「......普通の村だったんじゃないですか?」
何でそんな事を聞くんだろうと、私は首を傾げるしかなかった。
すると、彼はおかしそうに両手を叩きながら、「確かに。確かに」と相槌をうつ。
「古い因習の残る村だった。発展もしていなければ、衰退の兆しも見えない。至極、地方によくある一村落だったよ。但し、地主が幅を利かせて、村人が下働きの如く扱われていた点を除けば、だけどね」
「保守的な村だと言う事ですか?」
「君主制が敷かれていたと言う事さ。地主が君主で、暴君のような振る舞いをしていたね。村人達の心には、不満がグツグツと煮え滾っていたよ。
村で一番の高台に建てられた地主の屋敷は、それはもう立派だったよ。正に武家屋敷そのまんまだった。下男に下女が何人もいて、忙しそうに働いていた。依頼をしに来た男もその中に混じっていた。玄関から長い通路を歩いて、大広間に通されて、地主と面会したわけだが、会うなりいきなり怒鳴られたよ。
「遅い! 何をグズグズしていた!」、とね。
最初の二言、三言で、理解した。他人は自分の思い通りに動くものだという思考を持った面倒臭い人間だった。鬼の様に真っ赤な顔をしていたね。彼の背後には、大きな布袋に包まれた木箱らしきものが置いてあった。尋ねたら、金塊を積めた箱で、盗まれない様に肌身離さず持ち歩いているんだそうだ。それこそ、便所に行くのも、風呂に入るにも常に一緒だそうだ。
語気の激しい口調に、横暴な態度。けど、小さな村の王様は、激しい怒りを露わにした外面と違って、内面は強く怯えていたよ。その理由は、後々だけど、村人と会話するとこで自然と分かった。地主は以前から多くの問題行動を起こしていたが、その度に多額の金で解決を強いてきたんだ。それだけ、戦前は大金持ちだった。でも、戦後の影響で資産がみるみるうちに減り続けた。その事実は、彼を恐怖に陥れるには十分だったようだね。村人達に、嫌われ、疎まれ、憎まれている事は理解していたらしい。だから、身の安全の為にも、村での権力を維持する為にも、一銭の金も失いたくなかった」
「なるほど。医者の立場から言わせて貰えば、それは病気ですよ。それも、精神的な疾患だ。すぐにでもかかりつけの医者に診断してもらった方がいい」
精神的な病気というものは、とても厄介だ。
私も何度か、そういった患者を見たことがあるが、本当に大変だった。
「僕もそう思ったけど、仕事とは関係ない。だから、とっとと話を進めさせてもらったよ。この村は居心地がよくなかったからね。金塊が無くなっている事に気が付いたのは、一月前。月に一度、金塊の量を数えるのが、彼の習慣だったらしい。それで、いざ数えてみたら、数が合わない。足りなかった。地主は両手で頭を掻き毟る程に動揺して、何度も何度も数え直したそうだよ。地主の鬼気迫る姿が想像できるね」
「恐ろしい執念ですよ。......まぁ、今の私は、ほんの少しばかり理解できてしまいますが」
私は指先で眉間をほぐす。
患者の来ない医院。そして、次々と必要になる経費。最大の頭痛の種だ。
空から札束でも降ってこないかと、空を見上げた事もある。今思い返すと、あれは駄目だ。危険な兆候だった。
「そうなのかい?。それはご愁傷様だね。で、結局のところ、金塊の一部が無くなってしまった。あぁ、詳しい数と量は言えないよ。口が固いのも契約に含まれているからね。地主はまさに発狂寸前だった。話したように、何しろ金に対する執着が尋常じゃなかった。村も大騒ぎさ。地主は村人を疑ってかかり、使用人を使って所構わず探して回らせる。いや、滑稽だったよ」
「それで、見つかったのかい?」
「いいや。鼠一匹見逃さないとばかりに目を光らせていたよ。誰であっても、村から出ようとすれば、持ち物を隅から隅まで調べられる有り様だ。それでも一向に金塊は見つからない。どうしたものかと追い詰められていたところで、僕の噂を聞いたらしい。地主からすれば、何処の馬の骨とも分からない探偵風情に頼むのは、自尊心をいたく傷つけるものだったようで、終始、辛辣な言葉で事情を説明されたよ」
「大変でしたね」
それにしても、よく村人達は耐え忍んでいるものだと、私は思った。
地主に家族はいるのだろうか。疑心暗鬼の塊のような人物では、家族は大変だろうと思った。家族に良識があればの話だが。
「さて、地主の屋敷を出た僕は、早速、村に一つしかない宿に向かった。温泉の一つにでも浸からなければ仕事をする気になれなかったのさ。けど、神様は意地悪だった。宿はオンボロ。温泉は無い。食事は不味い。僕は泣きたくなったよ。泣く泣く、五右衛門風呂に入って、汗を流した。殊更、やる気が無くなった。けど、ここまで出向いた以上、依頼料をもらわないと割に合わない。村人から話を聞くために、村中を歩いて回ったよ」
ここで、一旦、話を区切り、彼は煙管に火をつけて、一服する。
煙を吸い込み、ゆっくりと吐いた。独特の匂いの煙が立ち込める。当時の記憶を鮮明に思い出す為の、不可欠な行為。私は不思議とそう思った。
「二、三時間ほどかな。聞き込みして分かったのは、誰もが動機があるということだった。地主は相当な嫌われ者だよ。よそ者に不平不満を隠さず話すぐらいだ。とはいえ、愚痴ばかりを聞かされたわけじゃない。重要な証言を幾つも取れた。左から右に村を歩いた後、今度はジグザグに歩いてみて、なかなか面白いものを発見した」
「面白いもの?」
「犯人についてではなく、依頼人についてさ」
「?」
依頼人。地主の事について、彼は何を知ったのだろう。
「まぁ、それは後にしよう。村で聞き込みをして過ごす事、二日と半日。村に警官がやって来たんだ。地主は頭から僕を信用していなかった。地元の警察にもっとちゃんと調べろと何度も怒鳴り込んでいたそうだよ。
ここでおかしいのが、警官三人を引き連れた警部補は、何と顔見知りだったことだ。勝田というごま塩頭の中年男だよ。腹は出ているが、長年、剣道をやっているだけあってなかなか強い。反面、頭の回転はよいとは言えないけどね。
彼は僕を見るなり、顔を引き攣らせていたよ」
「何故?」
「以前、何度か別の事件で彼と警察の面子を潰した事があってね。それ以来、疫病神扱いされてるのさ。勝田とい名字の割に、負けてばかりだったしね。まぁ、僕が彼に煮え湯を飲ませ過ぎたせいもある。こんな辺鄙な村に来る警察署にいたのも、どうも僕が原因のようだし。とはいえ、良心の呵責は全く無いね。一時期、彼の悔しそうな顔を見るのも楽しみになっていたから」
なんともまぁ。と、私は会った事も無い警部補に同情してしまった。
もし、酒場で飲むようなことがあれば、延々と愚痴を聞かされそうで怖い。知り合っても、警部補と飲み仲間にならないようにしようと、私は決意した。
「宿に戻って、腰を落ち着けて、僕は警部補と話したよ。警部補は単純な盗難だと結論付けていた。その点は僕も同意見だった。ただ、金塊が未だに隠され、手つかずのままという推測には異論を挟んだよ。
犯人はすでに金塊を現金に換えているだろうと僕は考えていた。幾つか根拠もあった。足が付かない様に、金塊は削り取られ、少しずつ少しずつ、金に換えられていると。ところが警部補は、反論してきた。金塊を金に換えるには、村を出て、町に行かなければならない。村で換金なんかすれば、自殺行為だからね。けど、村は地主が雇った身元の怪しい連中が中や問わず闊歩して村全体を監視して、出入り口もも見張っていた。どうやって抜け出す事ができるんだと。言われてみればその通りる村人も強面の連中にすっかり怯え切ってしまっていたしね。村の外に出る人間は少なかったよ」
「なら、君はどうして金塊が金に換えられていると分かったんですか?」
「人間の行動は人間が一番よく知っているというべきかな。聞き込みで、僕はとても気になる証言を得た。三十代前後の牛を飼っている中肉中背の男がいた。彼は地主の屋敷で馬の世話をしていたんだけど、僕は彼が金塊を盗んだと、推測した。彼は牛だけでなく、馬の扱いも巧みで地主も重用していたが、村人の評判は良くなかった。
飼い犬は放し飼いで、噛まれた者は数知れず。牛が自由に周りの田畑を食い荒らす。男も気性が荒く、近所の住民とはいつも怒鳴り合いをしていたそうだ。
そんな男が突然、豹変した。飼い犬に首輪をつけて家に繋げ、牛もしっかりと牛舎に入らせる。怒鳴る数も減り、男はすっかり、大人しくなった。村人はその様子に訝しりながらも、喜んだ。心を入れ替えたんだと思ったのさ」
話を聞きながら、私は考える。
何故、彼は牛飼いの男を犯人だと考えたのだろう。一体、どの時点でそう判断したのだろうか。
「ある日。男は牛を引っ張って、町に出かけようとしていた。その途中、牛が糞をした。けれど、男はそれに気が付かなかった。それを一人の村人が見かけてね。彼が変わった事を喜んだ村人の一人だった。男が心を入れ替えたと思ったから、気を利かせて、牛糞を代わりに片付けようとしたんだ。
すると、男が後ろを振り向き、血相を変えて走って戻って来た。どうなったと思う?」
「礼を言うんじゃ?」
「とんでもない。男は村人を口汚く罵ったそうだよ。まさに罵詈雑言だったそうだ。男は村人から牛糞を詰めた袋を引っ手繰ると、足早に立ち去って行った。その村人はカンカンに怒ってしまった。僕はその当人から聞いたんだけど「腹立たしい!腹立たしい!」と酒精で顔を赤らめて、いつまでも悪態をついていたよ」
「それで、どうしたんです?」
「僕は詳しい場所を聞いて、すぐに現場に走って行ったよ。そして、牛糞が残ってないか、隅々まで探して回った。努力の成果かな。ひとかけらの牛糞を無事に見つけ出したよ」
得意げな彼に水を差すのも悪いと思ったが、私は思わず呆れ気味に聞いた。
「......一つ、聞いてもいいかい?」
「なんだい?」
「牛の糞を見つけて何の意味があるんだい?。どうして、その男が犯人だと言えるんだ?。彼を犯人とする証拠が無いように思うんだが」
牛糞を探して見つけただけ。私には何一つ、理解できなかった。
私の困惑を見て取った彼は、可笑しそうに笑う。どうして笑われるのか、私は頭を捻る他ない。ひとしきり笑うと、彼は煙管の灰を、灰皿に落とす。そして、煙管を口から離し、灰皿の上に置いた。
「この時点で、僕は確かな証拠を掴んだからさ。目星がつけば、後は犯人の立場になって思考を巡らせばいい。僕は、推理の裏付けをするため、村を出た。目的地は、男が頻繁に向かう近場の町だよ。勿論、警部補も連れて行った。嫌そうな顔をしていたけどね。町に到着すると、警部補と警官二人には、男の足取りを調べる様に伝えて別れた。僕が最初にしたことは、金の買い取りをしている両替屋を探す事だ。町には両替屋は三軒あった。その内の一軒の両替屋を男は訪れていた。
主人に話を聞くと、やはり男は時々、少量の金を売りに来ていると答えてくれた」
「それが盗まれた金塊だと言うのかい?。元々、彼が持っていたものかもしれないじゃないか」
「なるほど、君の言う通りだ。だから、僕は尋ねたのさ。『金は臭ったかい?』、とね」
私は大きく口を開けて、みっともなく、ポカーンとしてしまった。
彼が何を言っているのか。私には全く分からなかった。金が臭う?。どうしてそんな言葉が出てくるのだろうか。
「私にはさっぱり分からない。一体どういうことなんだ?」
「今は話を続けるよ。両替屋の主人は、僕の質問に首を傾げながら、『そういえば、確かに臭かった』と答えてくれた。これで僕は全て分かったよ。事件の大まかな全体像も把握できた。しばらくして、警部補達が両替屋に現れた。
予想したより遅かったから、心配してしまったよ。事情が飲み込めず、僕に振り回されていると思ったのか、勝田警部補の顔は真っ赤でね。本当に困ったよ。一杯奢ろうかと言えば、『職務中だ!』と大声で断られるし。
さて、僕は警部補に言った。『犯人を現行犯で捕まえる機会を用意する』とね」
......駄目だ。本当に何が何だか分からない。私は遂に頭を抱えてしまった。
彼も一息つきたいのだろう。新しく珈琲を注文した。私も同じく珈琲を注文する。しばらくして運ばれてきた珈琲。それを一口。
強い苦みが混乱していた頭に、ガツンとくる。ふぅ。頭が冷えてくるようだ。初めて、ここの珈琲の苦過ぎる味わいに心を癒された。
彼はたっぷりの砂糖と牛乳を加えて、美味しそうに飲んでいる。その間、私は自分なりに考える。犯人とされた男。豹変した態度。牛の糞に対する器用列な執着心。町で少量の金を売っていた事。そして何より、金は臭ったか。
......犯人とされる男は余程、臭かったのだろうか。その体臭が染み付いたのだろうか。それとも、もっと別の、事件に直結する意味を指し示していると考えるべきなのだろうか。
「思考を複雑にする必要はないよ」
彼は笑った。
私か自分で思っている以上に混乱状態に陥っているのを見かねたようだった。
「金が臭う。正にそのままの意味さ。重要なのは、どうして臭うようになったのか。......ところで、君は寓話は好きかい?」
今度は寓話の話になった。うぅ、頭が痛くなり始めて来た。
「......いいや」
「なら一つ、話をしようか」
珈琲を飲み終えると、彼は手帳を取り出し、一枚、紙を破ると、その上に簡単な絵を描いた。
スラスラと描かれたのは、男性と一羽の鳥。鳥は、ガチョウだと彼は言った。
「イソップ寓話の一つ、ガチョウと黄金の卵。通俗伊蘇普物語と言った方がいいかな?」
知るわけない。
というか、イソップ寓話とは何だ?。私は自慢ではないが、広い知識を持っていると自負していたが、こう、童話や架空の物語といったものは、苦手なのだ。現実的でないのが理由だ。
「古代ギリシアの寓話作家アイソーポスの作品だよ。日本では英語読みでイソップと読むのさ。彼が作ったとされる寓話を集めた寓話集。それがイソップ寓話だよ」
「その、イソップ寓話が事件と、如何関係があるんだ?」
「関係ないさ。ただ、ある部分が参考になるんだ。類似してるといってもいい。話を聞けばわかるよ」
よしっ、と私は意気込んで見せる。
居住まいを正した私を見て、彼はよろしいとばかりに右手を挙げた。
「ある日。農夫は飼っているガチョウが黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚いた。それからもガチョウは一日に一個ずつ黄金の卵を産み、卵を売った農夫は金持ちになった。けれど、農夫は一日一個しか卵を産まないガチョウに物足りなさを感じ、きっとガチョウの腹の中には金塊が詰まっているに違いないと考えるようになった。
そして、欲を出した農夫はガチョウの腹を切り裂いたのさ。ところが、腹の中に金塊などなく、その上、ガチョウまで死なせてしまった。という内容だよ。この話には教訓がある。欲張り過ぎて一度に大きな利益を得ようとすると、その利益を生み出す資源まで失ってしまうことがある。利益を生み出す資源をも考慮に入れる事により、長期的に大きな利益を得る事が出来るといったものだ」
「なるほど......微妙に耳の痛い話だ」
「ここでは教訓については置いておくとしよう。さて、この話で重要なのは、『黄金の卵を産むダチョウだ』。そして、ダチョウを別の生き物に置き換えてみるといい」
「別の......生き物?」
そう問われて、私は腕を組む。
別の生き物に置き換える。つまり、ダチョウ以外の動物ということなのか。犬や猫?。いやいや、話の中には出てこなかった。
彼の話で出て来た動物といえば、馬と牛ぐらいなものだ。『黄金の卵を産む馬』か?。もしくは、『黄金の卵を産む牛』か?。そう考えて、私の脳細胞に、一つの閃きが浮かび上がった。
「......ダチョウ......以外......。............まさか、とても信じがたいが......牛、か?」
「まさに、その通り」
私は開いた口が塞がらなかった。
そして、自分の頭の回転の悪さに頭を抱えたくなった。一つの答えが分かると、まるで固く複雑に結ばれていた糸があっさりと解けるように、様々な疑問の謎が解かれていく。
犯人とされた男の牛に対する執着。牛舎でしっかりと世話をするようになったのは、牛への愛情でも、心を入れ替えたからでもない。その腹の中に隠された細かく砕かれた金塊の為だったのだ。牛の糞には、金塊が混ざっている。それを片づけようとした村人を怒鳴り散らしたのも、もし気付かれたら身の破滅だからだ。
その話を聞いた彼が、現場に向かい、僅かに残った牛糞を探して見つけたのは、確証と証拠を得る為だったのだ。その時点で、そこまで推理していのだ。彼は。
そして、金が臭うということ。その疑問も、解けた。金塊を金に換える際、まさか牛糞まみれのまま、両替屋に持って行くはずがない。何処かで洗い、金塊を持ち込んだはずだ。だが、臭いまでは完全に消し去る事はできなかった。
両替屋の主人に、金が臭うという事実は、奇妙で強烈な印象を残した。それはそのまま、彼の推理を裏付ける証言となった。
驚嘆すべき推理力と洞察力。想像力と観察力だ。
「......いや......本当に驚いた......すごいな......」
「男がこの話を知っていたのか。それともただの偶然か。それはどうでもいいけど、実行してしまう行動力は賞賛したよ。金塊を混ぜた餌を食べさせられた牛は大変だったろうね。まさに、黄金を産む牛の誕生だ」
「......全く、悪知恵の働く男だな」
「さてね話もそろそろ終盤だね。この事件は、男を逮捕すれば終わりだったんだが、実は僕はこの時、とても慎重になっていた。いや、どうしようかと悩んでいたというべきかな?。
男の家に踏み込んで家宅捜索をするべきか、両替屋で金に換えるところを現行犯で逮捕するべきか。確実なのは、後者だと考えた。それに、気にかかっている事もあったからね。現実はいつだって不可思議で想像の斜め上をいくものなんだ。僕は、後者を選べば、なかなか厄介な現場に遭遇すると考えていた」
「どうしてだい?」
身を乗り出して尋ねた私の言葉に、直接は答えず、彼は事件の顛末を語り始めた。
「結局、後者を選んだよ。さて、その為にも仕込みは必要だからね。まず、僕は地主の家を訪ねて、一旦、東京に戻ると伝えた。数日後に戻ると言ったのに、彼の剣幕は酷いものだったよ。『金を払ったのに! この役立たずめ!』やら『詐欺師!』などと怒鳴られた。
僕もほとほと嫌になって、とっとと屋敷を出たよ。勝田警部補にも一芝居うってもらった。村の人間には、七日後、全ての家を捜索すると触れ回ってもらった。これで撒き餌は十分。
村を出た僕は、勿論、東京に戻るはずもなく、両替屋のある町に行き、男が通う両替屋のすぐそばにある民家に身を潜めて、見張った。すぐに勝田警部補と部下の警官達も合流したよ。この時、初めて彼らに事情を説明した。彼らの困惑し切った表情は可笑しかったな。彼らは頭でっかち過ぎる。脳の柔軟体操を勧めたよ。どうやるかは僕も知らないけどね」
生真面目な人間ほど、彼に付き合うのは大変だろうと、私は警部補達の心情を考えると、一杯奢りたくなる気分になった。
「さて、張り込んで四日目。その時がきた。男が牛を引っ張って町に現れた。男は借りていた小屋に牛を連れて入った。その小屋の事は、警部補が男の足取りを調べた際に判明していたから、別の私服警官が張り込んでいた。案の定、男は牛の糞をザルにのせて水で洗っていた。排泄物は流され、ザルに残ったのは、細かく砕かれた金塊。それを見届けた私服警官は、重要な目撃者となった。
さて、その報告を受けた僕達は、男が両替屋に来るのを待った。勝田警部補はすぐにでも男を取り押さえたかったようだけど、僕は制止した。何故かって? 事件の概要を暴きたかったからさ」
「もう分かっているはずじゃないのか?」
「言ったろう?。現実はいつだって不可思議で想像の斜め上をいくと。僕達は辛抱強く待った。しばらくして、男が両替屋に現れた。彼が店に入ったのを確認すると、僕達は民家を飛び出して、店の出入り口を固めて、店の中を覗き込んだ。案の定、二人は揉めていたよ。
店の主人は包丁を握り締めて、男は金塊の入った袋を抱き締めて、激しく言い争いをしていた。まさに一触即発だったね。二人がグルだった事も分かった事だし、僕は警部補達に突入するように言った。扉を蹴破って、突然現れた警官達に、当の二人は顔を真っ赤にしたまま、唖然と立ち尽くしていたよ。すぐに二人共、押さえ込まれて、逮捕された。見事な現行犯逮捕だ。取り調べですぐに自供するだろう。実際、その日のうちに罪を認めたしね。僕はパトカーに押し込まれる二人を見届けた後、地主のところを訪ねて行って、成功報酬を受け取って、さっさと帰る事にした。地主の傲慢な態度は最後まで変わらずさ。あれはいつか取り返しのつかないしっぺ返しを受けると思ったよ」
彼はそう言って、新聞紙を差し出してきた。
日付を確認すると、今日発行されたもののようだ。彼の意図が分からず、彼と新聞紙を交互に見る。すると、彼は新聞紙の片隅に書かれた事件欄を指差す。
――――――『三間坂村にて殺人事件あり。被害者は村の地主で有力者として知られた丹波光悦氏。被疑者として逮捕されたのは、下男、村井喜平。被疑者は被害者から過剰な折檻を受けており、耐えかねた挙句、屋敷に置かれた金塊で丹波広悦氏を撲殺したとみられる。取り調べにおいて、被疑者は正当防衛を主張しており......』
何ともまぁ。と、私はやるせなさと皮肉を感じた。
あれほど執着して愛でていただろう金塊で殴り殺されるとは、本人も想像していなかっただろう。......ん?。いや、待て。確か、彼は人が死ぬ事が無い聞きやすい話だと言ってなかったか?。
「結局、死人が出てるんだが......」
「君と話している最中に、ふとその記事が目に入ったのさ。なにぶん、数年前の話だからね。村の事もすっかり記憶の隅に追いやっていたのさ」
「......君は、こうなる事態を予測していたような気がするよ。もし、分かっていたら、阻止していたか?」
「依頼ならね。僕にとって事件は『生計の手段』であって、趣味でも天職でもない。分かっていたとしても、それが仕事でない以上、僕は関わらないよ。瀬戸際に追い込まれた人間が踏み止まるか、一線を越えるかは、その人間がしてきた事の積み重ねだ。それが、人間の格の証明だと言える」
彼は平然とそう答えた。
随分、割り切りの良い
彼は人間の格の証明といった。それは、犯罪に対して人間は、最後まで抵抗する信頼性もあると同時に、容易に屈してしまう不信性がある。そのどちらを取るかは、結局のところ、当事者の選択だということ。
自己責任という言い方もできるが、彼の場合は、微妙にニュアンスが異なるような気がした。それが何なのか、ここでは分からないのだが。
「一つ、分からない事がある」
「何だい?」
「どうして、両替屋の主人が共犯だと分かったんだい?」
「あぁ。簡単だよ。『金が臭う』と言った時、主人がしまったと目を泳がせ、挙動不審になったのさ。それで、疑いを持ってね。二人の接点を調べてみたら、繋がりがあった。二人共、賭け事が好きらしくてね。でも賭場では結構な借金を作ってて、首が回らない状況まで追い詰められていたというわけさ。この事件も、それがきっかけだよ」
すると、彼はふいに椅子から立ち上がった。
「さて、時間も頃合いだ。僕はお先に失礼するよ。話は楽しめたかい?」
「何と言うか、久々に頭の中の使わない部分を使ったような気がするよ。とても、惹きこまれてしまった。話を聞かせてくれてありがとう。感謝するよ」
「それは良かった」
「ところで、帰る前に教えて欲しい事があるんだが」
「何だい?」
「名前を教えて貰えないか?」
彼は、妙に驚いた顔をした。
「珍しい事もあるもんだな。大抵の人は、僕を変人扱いして、近寄りたがらないというのに」
「私は君と友人になりたい。もっと話を聞きたいんだ。君が経験した、君でなければ聞けない話を」
「....これは、何というか。君も変わっているね。では、改めて自己紹介を」
この時、私は妙に緊張していた。
彼と関わる事で、自分の人生が大きな転換期を迎えるのではないかという予感と期待を感じていた。
「僕の名前は千葉蔵人。浅草にある『廣文館』という旅館の一角を借り受けて、八角堂という店を営んでいる」
こうして、私は生涯の親友となる人物と出会った。
彼を知る者は、彼を主に二つの呼び名で呼んだ。
事件に首を突っ込み、警察や関係者を振り回し、引っ掻き回す『迷探偵』と。
どんな難事件にも挑み、その多くを解決したことから『名探偵』と。
そんな彼と、私は共に多くの事件や人々に関わっている事になるのだった。
八角堂の探偵 夢物語草子 @tkto
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