2018年4月 第3週―①

 翌日、いつもと同じ時間にログインしてみたものの――第五層のロビー≪憤怒地獄ラース≫に[o葵o]の姿はない。


『まぁ、当然か……』


 あれだけ派手に喧嘩(?)別れをしたのだ。フレンドリストを確認すると、一応ログインはしているらしい。「ショックで辞めたのでは」と、危惧していたが――そうではなかったので少しほっとする。


 気が付くとブラブラと地獄の街を歩いてしまうのも、どこかで偶然会うことを期待しているからなのだろうか。フレンドリストに名前があるのだから、呼べないこともない。――が、それをしたら負けな気もする。


『……我ながら女々しい部分があるな』


 なんで二週間ちょっとレベル上げを手伝ったぐらいで、心乱されないといかんのだ。こういう時は‟仕事”しかないよな、‟仕事”。さっさと別の事に取り掛かって、気持ちを紛らわせるべきだろう。そうしよう。


『社畜と言われても仕方ないぞこれ……』


 スコア稼ぎをさぼっていたこともあり――正直な話、少しはマジメにやっておかないと危ない。順位的な意味でも。アルマゲドン的な意味でも。一ヶ月近く休んでいた“仕事”のカンを取り戻すため、現界に降りようとしたところで――


「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 いきなり声をかけられた。――いや、そんな生易しいものではない。ゴゥッという音と共に、自分を中心にした地面が急に炎に包まれたのだった。


『ふぇあっ!?』


 油断しているときに、急に視界が赤一色になると非常に焦る。いや待て、ここはダメージ判定ナシの場所だと、どこか冷静に考えている中で――なにやら不穏な姿が、名前が、自分の視界に映った気がした。


「おう、グラシャ=ラボラス。ちょっと顔貸せや」

「ひ、久しぶりですね……」


 自分よりも少し背の高い姿、髪は赤く、腰まで長く伸ばしている。同じような色をした紅いマフラーは、全然他のパーツと合っていない。纏った雰囲気は『狂暴』そのものだった。


『マジかよ……』


 ……彼女のことはよく知っている。


 たとえ面識がなかったとしても、名前だけは絶対に耳に入ってくるだろう。その真っ赤なシルエットと超攻撃的なスタイルだけは、悪魔側にも天使側にも広く伝わっている。いわゆる、要注意人物というやつである。


 これまで姿を見かけなかった、その女性の頭上には――


 [ケルベロス]と、そう表示されていた。






『お前、こないだ女の子泣かせてたろ』

『はぁっ!?』


 開口一番、いきなり突拍子のないことを言い始めた。……心当たりは十二分あるけど。いや、あれは確かに嘘泣きだったと思うけど。なんだこの人、エスパーか。


『まさか……見てたんですか? 流石にそれは趣味が悪いのでは……』

『そりゃあもう、ばっちりと。弟子が新人の教育をしてると――』


 ……弟子じゃない。そんなに長く教えを請うた覚えもないし。そもそも、初めて会った時はどちらも一位同士だったし――多少の上下はあれど、最低限は対等の立場を保っておきたい。


『――[シトリー]から聞いてな。そりゃあ、観察する義務があるだろう』

『また……あいつか……』


 ……頭を抱えたくなった。そりゃあ、あれの“目”ならプレイヤーの動きを遠くから覗き見ることも可能だろうが、いささか無駄なことに使いすぎだと思う。


 ――ダンジョンから戻って、突如の決闘、ギルド脱退からログアウトまで。つまりは、一連の流れを全部見られていたらしい。


 外から眺めるだけなら、会話の内容は分からない。その為のVCなのに――内情を知っているアイツが噛んでるおかげで筒抜けだったんだろうなぁ。……割と本気で面倒臭いぞアイツ。


『――いや、泣かせたなんて大げさな』

『泣いてたね、あれは。きっと画面の向こうでは目を真っ赤にしてたぞー』


 乙女センサーが反応したらしい。どの口が言うのか。少なくとも「ちょっと顔貸せ」なんて言葉を吐く人間が使っていいセンサーではないことは確かだろう。


『……で、どうしたんです? ここしばらく見なかったですけど』

『いろんな街を回って、天使に喧嘩売ってた』


 なにやってんだよこいつ! 天使を無駄に刺激すんなよ! 街に侵入したときに、かなり動きにくいんだよ! やめてくれよ!


地獄の門番ケルベロス】とはなんだったのか。

 こんなのが今の一位なのだからどうかしている。


『やっぱり門を叩いてもらわないとさぁ、門番のやりがいがないだろ』


 ……とんだ門番もいたものだった。アシナガバチでさえ巣を突かれてから凶暴化するというのに。というか、もはやただのヤンキーじゃねぇか。


『……最近見なかった理由は分かりました。いきなり火攻めにした件については?』

『久しぶりに戻ったら[シトリー]が面白そうなことをしていて――結果、こうして咎めてやったというわけだ』


 全然説明になっていない。「咎めてやった」ってなんだよ。頼んでねぇよ。


『現界で暴れまわった後さ、たまたま気が向いたから地獄界を回ってたんだよ』

『はいはい』


『で、そこに丁度シトリーがいたから声をかけたわけだ』

『なるほど』


『話を聞いたら、お前が女の子をボコボコにして悦に浸ってるって言うじゃねぇか』

『いや、ちょっと待って。それはおかしい』


『そこでな? このケルベロス様がな? 性根を叩き直してやろうかと――』

『すいません。ちょっと僕、これから“仕事”があるんで……』


 飲みの誘いを断るような言い方になってしまった。……というか、僕って言ってしまった。なんだこの圧力、上司か。


『私と“仕事”、どっちが大事なの!?』


 ――離婚一歩手前の妻みたいな返し方をされた。いや、そんな可愛いものじゃないだろ、これ。自己強化スキルを次々と使い始めたし。


 キンキンと音を鳴らしながら、赤や青のオーラを纏っていく[ケルベロス]。


 なんだよこのヤンキー、お茶目すぎるだろ! 割と冗談抜きで殺る気満々なんじゃないか!? いくら攻撃されてもダメージ無効ということが分かっていても、恐怖感が半端ではない。


 …………


『――はっ』

『…………?』


 いつ決闘の申請が来るものかと身構えていたのだけれど、いくら待ってもそんなものは来ず。[ケルベロス]の短い嘲笑の後、お互いの間に流れる沈黙の時間。


『まぁ、弟子が第一位の座から降りるのも忍びないからな……。今回は特別だ。私が手伝ってやるよ』


 バフが全部消えたころに、やっと目の前の[ケルベロス]が口を開いた――のだけれど……いきなりの申し出に、開いた口が塞がらない。


『……は?』

『「は?」じゃないだろ? ありがとうございますだろうが』


 この狂犬ならぬ凶犬を前にして、辞退できるという人物を――


 ……自分はまだ一度も見たことがなかった。

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