第2話
朝陽が瞼に柔らかく差し込み、外からの刺激を感じて、私は沈みそうになる意識を抑えて瞼を開きました。ゆるゆると彷徨う思考は、ぼんやりと昨晩の出来事を思い出します。
はらはらと舞う桜の花びら。
はらり、はらりと風と戯れる薄桃色の花びらは、月光を受けてほんのりと光り輝いていました。
花冷えも弱まったとはいえ、やはりまだ肌寒さを感じる宵に、私は一人で散歩、いいえ。徘徊していました。
昔から、思っていたことがありました。
どうせ、家族に迷惑をかける身です。いくら自分では周りと変わりはしないと思っていても、やはり、嫁ぐこともなく、実家に居続けることは外聞もよくありませんし、弟の蓮も将来は結婚するでしょう。
その時に、迷惑をかけるのは嫌なのです。
今日で、二十歳になりました。
私には、今日が絶好の日に思えました。闇の帳におぼろに霞む月を見上げます。
ぼんやりと霞んだ存在は、私の名と同じ月。私と同じように、曖昧模糊とした存在です。
外を歩き回っている内に、私は死ぬ前にあの美しい枝垂れ桜を見てから死にたいと思いました。
この時、枝垂れ桜の存在を思いだしていなければ、彼人と出逢うことはなかったでしょう。
心地よい夜風が頬を撫でていきます。私の髪の毛も風をうけて揺れます。
歩き続け、火照った頬を撫でる風は冷たく、体をひんやりと静めてくれて気持ちがいいです。
砂利を踏みしめる音が川辺に響いていて、世界にまるで一人っきりだと錯覚します。いいえ、事実私一人です。少し心細いですが、自分で決めたことです。
下を見ながら歩いてますと、私の視界に薄桃色の光が舞いました。ふと下がっていた面を上げると、月下に淡く輝く枝垂れ桜が視界一杯に咲き誇っていて、息を呑みました。
それほどに、美しい景色だったのです。
「ああ・・・着いたのね」
私は吸い寄せられるように枝垂れ桜へと歩を進めました。月の光を帯びた花びらは、闇夜にまるで光が躍ってるかのように見えます。
「あなた、夜もこんなに綺麗なのね。・・・・・・ほんとに凄く綺麗」
感嘆の溜息を吐く私の耳に、自分のものではない低い声が聞こえてきて、私は驚きました。
「・・・こんな夜に女性が一人で出歩くのは危ないぞ」
「・・・ええ!?」
桜しか見えていなかった私は、突然響いた声に腰を抜かしました。みっともないです。受け身をうまくとれず、思いっきり腰を打ち付けてしまいました。
慌てて、 声のした桜へと視線を移しますと、草を踏みならして私の方は、男性が歩いてきます。
「おいおい、大丈夫か?」
困ったように笑いますと、男性は私に手を差し伸べてくださいました。
「え、あ、ああの」
あまりに驚きすぎて口が回らず、慌てふためいていますと、男性はすまなそうに眉を下げます。
「・・・ここまで驚かれるとは思わなかった。すまない」
「い、いえ。だ、だだ大丈夫です」
ここまで思いだして私は眉をしかめてしまいます。
いくら、驚いていたからってどもりすぎです。昨晩の自分を思い出して懊悩していますと、扉をノックする音がしました。
「はい。どうぞ」
返事をする前に、急いで寝台から降り寝間着を整えます。返事をしてから、少し間を置いて入室した人物を見て、私は自然と笑顔になります。
「まあ、蓮じゃないの。おはよう」
「おはようございます。姉上」
緩くウェーブがかった茶髪の頭を下げながら、蓮が挨拶をしてくれます。蓮は私の、三つ下の弟で今年十七歳になります。蓮はお母さんに似た黒くて綺麗な目で微笑んでくれました。
「姉上、体調はどうですか」
「大丈夫よ、そんなに心配しないで」
「春とはいえ、まだまだ寒いのです。お体に障りますので、あまり出歩いては・・・」
昨日の夜、無断に出たことに気づかれて、探し回りそうになっていた時に、私はちょうど家に戻っておりました。
尻餅をついたせいで汚れておりましたので、余計大騒ぎになったのです。彼の人おかげで、全く怪我もなく、むしろ、それまでの悲壮な気持ちもなくなり、ほろ酔いで気分も良かったのですが・・・。
また、お小言が始まりそうだったので、私は左腕を振りました。
「本当に大丈夫なの、ほら右肩は全く痛くないの。」
「それだといいのですが。」
「そんなことより、蓮。もうそろそろ学校じゃないの? 遅刻しないの?」
時計を示しますと、蓮が慌てて立ち上がりました。
「ああ! 姉上、とりあえず夜間は外に出るのはおやめください! 学校行ってきます!」
慌ただしく出て行く弟に左腕で、ひらひらと手を振って送り出すと、私はふうと息をついてしまいます。
左腕で右肩をさすります。
右肩より下が生まれつきない私は、季節の変わり目や、寒い時に、付け根が痛む。あまりに酷いと寝込んでしまいます。
それを、家族がとても気にして、まるで重病人みたいな扱いを受けるのが、私には負担でした。
この腕のせいで、お嫁にもいけず。することもなく。
父親の趣味の、温室で植物を育てるのが趣味だが、他にすることもないので日々のんびりすごしています。
父親は植物学者で、母親は医者だからでしょう。二人ともお仕事が忙しくて滅多に家にはおりません。
弟の蓮は母親と同じ医者を目指しておらはまして、毎日毎日勉強漬けで、とても大変そうです。
みんな、毎日忙しく過ごしているなか、私だけです。私だけが取り残されています。
それが辛くて、なにも出来ないのがしんどくて、何もかも嫌になって、終わろうと思いました。
日中外に出れば、袖が極端に薄く、腕があるように見えないのが奇異に映るようね、じろじろと人から見られのが辛いので、夜、外に出ました。
人生を終わろうと思い、外へ出た先で、彼人に出会いました。
決して私のことをじろじろと奇異には見ません。
ただ普通に振舞ってくださって、私を重病人扱いにもしません。
腕がないことに途中で気づかれたようですが、大したことなさそうになされました。
それが、どれほど安心できたことでしょう。
これが、この先私の人生をかえる出会いとは知らずに、私はただ、もう一度会いたいと願っておりました。
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