閑話21 ある生徒会の一日
ある日の放課後、生徒会室に会長の葵以下、いつものメンバーが揃っていた。
生徒の学園生活の向上を図るためにある生徒会といえども、常に仕事に追われているわけでもない。
予算編成や文化祭などの一大イベントが近くなれば連日、生徒会室内外で執務に追われるということになるが、それさえなければむしろたいていは暇なのであり、大輝のような雑用係といえども、手持ち無沙汰にお茶をひく、もとい、飲むくらいしかない日もたまにはあるのだった。
そういった平和な日であるはずなのに、今日の生徒会室は一種異様な緊張感に包まれている。それもそのはず、ほぼ全員が手空きのため生徒会室に集まっている。
葵や未来、それに明日香はそれなりに雑務が残っていたが、せいぜい書類仕事である。普段なら雑談に花を咲かせながらそれぞれ判を押したり書類にペンを走らせたりするものだ。今日は、仕事こそすれ、これまで誰も一言も漏らさなかった。
その理由は、生徒会室に転がっている壊れた椅子一脚と、その椅子に座るはずの彼女、つまり翠緑が“別の椅子”に座っていることにある。
それを別の椅子と称して良いものか。翠緑だけがそこにニコニコと笑顔で座っている。椅子にされている大輝は膝の上に感じる彼女の柔らかい感触と女の子特有の甘い香りに頬が緩みながらも、状況が状況だけに困惑せざるを得ない状況だった。
彼女の椅子が壊れたのは偶然だった。その時はまだ生徒会室には彼女と大輝だけしかおらず、その現場を見たのもつまりは大輝だけだった。
彼女が腰をかけた瞬間に、ミシッと嫌な音を立てて椅子が崩壊した。
突然のことに驚いたのは大輝だけではなく、翠緑自身もだったろう。尻餅をついた彼女を心配して大輝は駆け寄ったが、幸いにして大きな怪我はなかった。今、大輝が膝で味わっている彼女のむにっとした肉厚のお尻がクッションの代わりになったからだ。
それでも翠緑は大輝の手前、「えへへっ」と照れ笑いしながらお尻をさすって立ち上がる。椅子として用の立たなくなった残骸を尻目に、彼女は突然、急変する山の天気よりも激しく泣き出した。
それが嘘泣きだったのは大輝以外が見れば一発で見抜けたものだが、それを見抜けないところにこそ主人公たる鈍感さがある。
翠緑に抱きつかれた大輝はどう慰めていいのかわからずおどおどしていると、もうそれは彼女の術中にハマったようなものだった。
「先輩怖かったよぅ。なんで椅子が壊れちゃったんですか? 翠緑が重すぎるのがいけないんですか?」
肉付きが良いとはいえ、女子の平均体重よりはずっと少ない翠緑の体重で普通の椅子が壊れることはないだろう。明日香なら、とも言いたいところだが、彼女の名誉のために言っておけば女子の平均体重をわずかに上回る程度である。
豊満すぎる胸を平均レベルまで落とせば、体重も平均を下回るのは確実だ。たとえお腹にうっすらとお肉が乗っていようとも、それは年頃の女子にとっては魅力にこそなれ、欠点にはならない。
“重い”と思われたくなかった翠緑が一瞬で演技したことで、大輝はそのことに気づきもせずに流されてしまった。重ねて言えば、そもそも鈍感な主人公が彼女が重かったなんて思いつくはずもないのだが。
「そんなことないと思うよ。きっと椅子が古くなって壊れかけてたんだよ。僕が座ったら大怪我するところだったよ」
「嘘ですっ。先輩ったら心の中で翠緑のこと『デブ』ってあざ笑ってるんでしょ」
「えっ、そんなことないって! 翠緑ちゃんに言われるまで気づかなかった」
「そんな風に優しく気づかないふりしなくてもいいんですっ。最近、翠緑ちょっと夜中におやつとか食べちゃって、デブっちゃったんですから」
嘘泣きのまま翠緑はあざとく大輝に抱きつく。太ったというよりはより大きくなった乳房が大輝の胸でぐにゅっと潰れる。その感触に大輝は赤くなるとともに、股間が熱くなってしまった。思わず腰を引く。
「全然気づかなかったから。むしろ最近、翠緑ちゃんちょっと可愛くなったなぁってドキっとしていたくらいだし」
大輝とてたまにはお世辞も言う。本音が9割混じってはいたが。
「重くないですか? 翠緑はデブってないですか?」
「ないから。そんなの言われるまで夢にも思わなかったし」
既に嘘泣きもやめていたが、目尻に貯めた涙とどういうわけか赤い瞳に大輝はドギマギする。
「言葉だけじゃ信用できませんっ。翠緑が重くないってことを実感してもらわないとダメですっ」
「実感って。どうすればいいのさ」
「それはですね……」
こうやって翠緑は、ちゃっかりと大輝の膝の上という席を確保したのだった。
「先輩、重くないですか?」
「重くない、けど……」
太ももに感じる翠緑のお尻のむにっとした柔らかさに大輝は心拍数が上昇していた。むしろ半立ち状態となった股間のものがこれ以上興奮して彼女のお尻に当たることが心配だった。
「けど、なんですか?」
「なんでもないからっ。翠緑ちゃんが可愛くてたまらなくなりそうってだけだから」
「えへへ、お世辞でも嬉しいです。今日の先輩は翠緑の椅子ですからね。あんまり動かないでくださいよ?」
動かないでというのはある種の無理難題だった。じっとしているのは難しくはなかったが、身体的な一部が本人の意思に反してうごめいてしまうのは、年頃の男子として仕方の無いことだった。
間近で感じる女の子特有の甘い香りと柔らかい感触に包まれていれば、むしろ一秒で股間に山を作らなかったことこそ褒められてしかるべきだろう。
しかも、知ってか知らずか、翠緑は無意識のうちのお尻を振ってぐいぐいと大輝の股間に押しつけてくるのだった。これで反応しなければ男じゃない。
「あっ」
甘く色っぽい声をあげた翠緑は大輝の変化にすぐ気がついた。ちょうど敏感な部分に当たる硬いモノ。ズボンを押しのける熱い急峻が彼女の一番デリケートで柔らかいところに当たっている。
翠緑は頬を染めながらも、あえて気づかないふりをして静かに腰を前後に揺らす。
厚い布越しとはいえ伝わる感触に、大輝はたまらなくなる。手を伸ばせば鷲掴みできる翠緑のおっぱいに誘惑されつつも、このままじゃいけないと頭の中で九九を数えて沈静化をはかる。
そんな時に葵や明日香たちが次々に生徒会室にやってきた。間一髪の状況に大輝は心の中で胸を撫で下ろすものの、事態が好転しているわけではない。
むしろ翠緑が機嫌良く大輝の膝の上に座る姿を見た葵たちは、一様にムッとした表情を見せて大輝を睨みつけると、みんな何事もなかったかのように無言で自分の席に着いた。
そうして各々、抱えている書類仕事を処理しているのだが、大輝が生徒会に参加してから初めて、誰も一言もしゃべらないという異様な緊張感に包まれた時間が過ぎていった。
表面上は平静を保っているように見えるとはいえ、葵や明日香はそれぞれ大輝と翠緑を睨みつけ、両者の空間に火花が走るようなピリッとした空気が生じている。
しゃべったら負けのような状況に、最初に根負けしたのは葵だった。
「なんで大輝が翠緑を膝の上に座らせているのだ!」
声に出さなくても、無残に崩壊した翠緑の椅子が転がっているのを目にすれば、大まかな状況は理解できていた葵だった。だからといってそれを素直に許せるわけもないのだが。
「いやっ、それはですね——」
大輝はしどろもどろに説明する。翠緑はというと、あえて表情を変えずに嬉しそうに大輝の膝の上に座り続けている。
「椅子がないなら大輝が立っていればいいだろう。いや、それでは大輝がかわいそうだから、私の膝の上に座ればいい」
「それはさすがにできませんよ」
恐れ多くて即座に遠慮する大輝だったが、それが余計に彼女の機嫌を損ねることになった。
「ほーう? 立つよりも可愛い後輩を膝の上にはべらす方が良い、と? 良いご身分になったものだな」
「そうは言ってないです。ほら、さすがにこのままじゃあれだから、翠緑ちゃんどいて。僕が立っていればいいわけだしさ」
「つーん」
押しの弱い大輝に甘えて、翠緑はあえて聞こえないふりをした。どいてもらえず、かといって押しのけるわけにもいかない大輝は困惑する。
「未来、新しい椅子を注文してくれ。今すぐだ」
「葵ちゃん、さすがに届くのは明日以降になるわよ?」
一時間で持ってこいと言わんばかりの口調に、未来が苦笑しつつ返事をする。
ぐぬぬと大輝と翠緑をにらみつける葵だが、それで動じる翠緑でないことは明らかだった。
つい先ほどまでは桃源郷にいたかのような気分の大輝だったが、今は針のむしろに座らされているかのような居心地の悪さに、冷や汗を背中にかいた。
明日香も冷凍イカのような濁った目で大輝を見つめている。
結局、翠緑だけが空気を読まずに笑顔で大輝の膝の上を占有し続けるなか、その日の業務は終わった。
翌日、大輝が生徒会室に気が重くなりながらも行くと、そこには新品の翠緑の椅子と、メタメタに壊された会長の椅子があった。
後からやってきた葵が、わざとらしい笑顔で壊れた椅子について話すと、当然のように大輝の膝の上を占有した。
その日の葵がご機嫌だったことは言うまでもない。
そして明日香はというと、自分も葵と同じように椅子を壊してしまおうかと真剣に悩んだものの、大輝の膝の上に座った時に「重い」と思われるのが嫌で、ついに決断できなかった。
その代わり、帰り道に待ち伏せして大輝とべったり恋人のようにくっついて帰宅することになるのだが、それはまた別の話だ。
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