閑話16.2 処女と童貞と

 翠緑との待ち合わせ時刻に遅れること10分。失態を悔いたところで始まらない。

 息を切らせて待ち合わせ場所にたどり着くと、彼女は満面の笑みを浮かべてぴょんぴょんと飛び跳ね、こっちに手を振っていた。


「ごっ、ごめん。待った?」

「待ちくたびれましたよ。どたキャンされたんじゃないかと不安だったんですから」

「ほんとごめんっ。この埋め合わせは必ずするから」


 両手を合わせて謝る。

 翠緑の服装は、下がホットパンツに上がおへそがちらりと見えるチビTシャツというものだった。鞄を袈裟懸けしているものだから、ほどよく大きな膨らみが余計に強調されている。それが大輝の目の前にある。


 平謝りしているというのに、視線はついついパイスラに引き寄せられ、峻然と映える二つの山にこのままダイブして許しを請うために泣きつく、なんて不埒な妄想も浮かんでしまう。昨晩の夢がフラッシュバックし、頬が染まる。


「えっと、それってつまり何でもしてくれるってことですか?」

「ちょっと待って。その言い方だととんでもないことやらされそうなんだけど。あくまでも、高校生の友達として許される範囲内でなら」


「友達の間柄ならいいってわけですね。えっと、もしかして一度だけですか?」

「翠緑ちゃんの要求に従ってると底がなさそうだから、一度だけ」


「しょうがないですねぇ。ふふふっ、楽しみにしちゃいますよ」

「あんまり怖いことは言わないでね」


 とりあえず機嫌を直してくれたようで、大輝はほっと胸をなで下ろす。とはいえ、この代償はとてつもなく巨大となりそうで、後が心配であるが。


「ところで先輩のいやらしい目がさっきから翠緑の胸に集中してるんですけど。何か言うことないんですか?」

「えっと……翠緑ちゃんって意外とあるというか、けっこう大胆な格好するの好きだよねというか。可愛いのは……はい、もうドキドキさせられてます」


 どうして丁寧語なのか自分でも疑問ながら、しどろもどろに返事をする。彼女がどんな服装で来るのかは楽しみだったながら、ミニスカートとか胸元が大きく空いた服とかを想像していただけに、これはこれで新鮮だった。とはいえ、露わになっている美味しそうな太ももとか、くるっと回った時に見えるハミ出たお尻とか、過激なことに変わりはないのだが。


「これだってけっこう恥ずかしいんですよ。でも、先輩にドキドキしてもらえたのなら、大成功ですね」

 笑みを浮かべながら翠緑は大輝の腕に抱きついてくる。鞄の紐で強調された膨らみが大輝の腕に当たってむにっと潰れる。想像通りの感触に、ついつい大輝は頬を緩める。


「で、先輩は今日、どこに連れて行ってくれるんですか?」

「えっと……、これから映画でも見に行こうと思ってたんだけど」

「はい、却下です」


 デートの定番でもあるし、間を持たせるのに映画は最適だった。デートだし、ちょうど話題になっている映画も上映されており、断られるはずもないとタカをくくっていた分、笑顔で拒絶されたのはショックだった。


「却下ってどういうことさ」

「却下なのは却下です。先輩も意外に女心がわからないんですね。だから一年たっても童貞のままなんですよ」


「確かにどっ、童貞だけど、その言い方ひどくない?」

「いいんです。こういう時にイケメンの彼氏ならきっと翠緑の行きたいところに連れて行ってくれるはずですから」

 イケメンの彼氏とやらでもそうそう女性の心を読むことはできないのではないかと大輝は思う。


「じゃあどこに行きたいのさ」

「それはですね……」

 エスコートされたのはショッピングモールだった。シネコンはここにあるため、行く場所は結局同じだったとも言うのだが。


「何か買いたいものでもあるの?」

 まさか高価なアクセサリーでもねだられるのではないかと大輝は警戒する。さきほどの埋め合わせ……としてありえなくもない。


「先輩が欲しいものあるなら付き合いますけど。それとも、翠緑に何かプレゼントしてくれるんですか?」

 どうも違ったらしい。


「じゃあ、ここでウインドーショッピングするってこと?」

「そうですよ。お財布に優しい彼女でしょ」


 人懐っこく翠緑は大輝の腕に頬をすり寄せる。当たる膨らみといい、柔らかなほっぺの感触といい、猫みたいにじゃれてくる後輩はとても愛らしく思える。

 大輝に異はないものの、これが彼女が言うイケメンの彼氏のエスコートかと問われれば、やはり疑問符を浮かべざるをえない。


 翠緑はべったりと大輝にくっつき、本物の恋人さながらショッピングモールの通路を歩く。あちこちの店のショーウィンドーに目移りしては大輝に楽しそうに話しかける。


 さりげなく周囲を見回すことも忘れないのが妙ではあったが。

 お昼もそのままフードコートで食べることになった。もっといい場所でも大丈夫と言ったものの、彼女はここがいいと主張する。高校生男女のデートといえば、むしろ身の丈に合っているのかもしれないが。


 午後になってまたも翠緑の要望でゲームセンターへ行くことになった。

 定番といえば定番だが、ここでも彼女はゲームをするのではなく、あっちこっちの台を見て徘徊するだけだった。


 さすがに何かがおかしい。

 大輝とて疑問を感じていた頃、やっと物語が動く。


 再びクレーンゲームの前を通りかかった時、ずっと腕に抱きついてきた翠緑の力がこもる。ぎゅっと抱きつかれ、ぐいぐいと柔らかな膨らみが腕に伝わるが、それ以上に彼女の緊張が伝わる。


 目の前には4人組の女子がいた。何の変哲も無い普通の女の子たちだ。大輝たちとほぼ同年代の。これまですれ違った娘たちと違いがあるわけでもない。

 彼女らと近づくにつれ、翠緑の表情もこわばっていく。変化があったのは6人の中で彼女だけだ。そのまますれ違い、翠緑は足を止めて肩を落とした。


「えっと……どうかしたの?」

 態度の豹変に大輝は問いかけるものの、首を振るだけで返事はなかった。

 翠緑は振り返って女の子たちを睨むものの、それ以上何かをするということはなかった。


「翠緑、ちょっと休みたいです……」

 いつも明るい彼女が意気消沈した声でつぶやく。

 何かを察したわけではなかったが、大輝は彼女の頭を優しく撫でて「うん……」と頷いた。



 ご休憩ということで、足を運んだのはラブホテル、ではなく、普通のネカフェだった。たまたまカップルシートしか空きがないというのも仕方が無いことだろう。

 狭い個室にロングソファーとテレビだけというそこに翠緑を置いて大輝はドリンクを取りに行く。


 何が起きたのか、鈍感な大輝とて、薄々は感じられた。

 個室は常夜灯の明かりのみの状態に戻っており、翠緑はソファーに腰掛けたまま俯いている。


 飲み物を手渡し、大輝も隣に腰掛ける。どう話しかけていいのか悩んでいるうちに、翠緑は一口飲んでコップをテレビ横のテーブルに置いた。


「先輩……聞いてくれますか」

 潤んだ瞳でお願いされれば、断るわけにはいかなかった。明日香から彼女の力になってと頼まれたこともあるが、それがなくても男として無下にはできない。


 翠緑が語ったことによれば、高校デビューを決めて髪を染め、服装もそれっぽくしたということらしい。クラスの人気者に、との思いからだったが、入学してみればまったく逆で、気づいたときには仲の良いグループは固まっており、孤立していたという。


 それなら生徒会の一員になれば、みんな自分を見る目が変わるのではないかと立候補を決め、さらに彼氏を作れば一石二鳥でみんなから羨望のまなざしを向けられるのではないかと、そういうことで大輝を誘ったということだった。


 今日のデートというのも、クラスメイトがショッピングモールに遊びに行くという話を小耳に挟み、偶然を装って彼女たちから話かけてもらえれば、との思いだったという。

 その目論見は見事に撃沈したわけだが。


「いやさ、さすがに無理がありすぎるんじゃないかと……」

 共学化したとはいえ、元々お嬢様学校だっただけあり、入学してくるのも上品な子が多い。翠緑みたいな外れた格好をしていれば、尊崇されるより怖がられて敬遠されるのがオチだった。どうしてそこに気づかないのかと、大輝は苦笑せざるをえない。


「どうしてですかっ。翠緑のいた中学だとすっごく格好いい女の人がいて、みんなの相談役というか、いろいろな悩みとか解決してくれて。一目置かれてたんですよ」

「その真似っこなんだ」


「みんなから頼られる翠緑になりたかったんです」

 やっていることはともかく、動機は純粋なものだった。やり方さえ間違わなければ、それこそクラスの人気者になれるようなポテンシャルはあるようにみえるのだが。


「そういうことなら、協力してあげるよ。とりあえず、クラスの子たちと友達になれればいいんでしょ」

「はいっ!」

 生き生きとした瞳で翠緑は力強く頷いた。


 難問ではあるが、根は素直で良い子なのだ。一度打ち解けることができれば、あっという間にクラスの中心的存在になっても不思議ではない。

 と、決意を新たにしたところで、薄い壁を伝わって隣から艶めかしい声が漏れてきた。


「……うっ、これって……」


「いやっ、まぁ、こういうところだし、そういう風になっても不思議じゃないけど」

「そういう風って、具体的にどういうことなんですか?」

 意地悪な笑みを浮かべて翠緑が大輝の胸に手を這わせる。


「具体的にって、翠緑ちゃんだってわかってるでしょ」

「ズボンのソコ、すっごく膨らんでるんですけど。翠緑を連れ込んでエッチなことする気だったんですか?」


「違うからっ。ほかに休むところってあんまりないでしょ」

 それこそホテルでご休憩となりかねない。


「公園でもよかったと思うんですけどぉ」

 翠緑がじと目で言う。

「ないから。かなり歩かないとないから」

 本当だというのに、何かやましく聞こえてしまう。その間にも薄壁一枚隔てた隣の声が漏れ聞こえてくる。ヒートアップしているようで女性のあえぐ声はどんどん大きくなる。


「先輩が童貞じゃなかったらシてもいいんですけど」

 探り当てられた乳首をこねくり回される。


「その、童貞童貞言わないでくれる? けっこう傷つくんだから」

「悔しかったらさっさと童貞卒業しちゃってくださいよ。するチャンスなんていくらでもあったんじゃないんですか」


「そんなのそうそうあったら苦労してないよ。踏ん切りって意外につかないものなんだから」


「へたれですね。今だってチャンスあるじゃないですか。カップルシートに連れ込まれたんですよ。押し倒されちゃったら仕方ないなー。先輩童貞だし、エッチも初めてで下手だろうから痛そうだなーとか、5割くらい思ってるんですからね」


「ちょっと先輩、いきなりはずるいじゃないですか。へたれのくせにいきなり大胆になるんですか?」

「ごっ、ごめん。つい可愛くて抱きしめたくなったっていうか。お尻を触ってないだけよく我慢してるって褒めてほしい」


「まぁ、お尻くらいなら触らせてあげますけど……」

 そう強がるものの、緊張して強ばった翠緑の体は小刻みに震えていた。


「翠緑ちゃんの可愛いお尻を触ったら、それだけじゃ済まなくなっちゃうかもしれないけど?」

 相変わらず隣からは女性のあえぐ声が聞こえる。「あんあん」という艶めかしくリズムを刻む声に、大輝も翠緑もあてられて次第に変な気分になっていく。


「うっ……覚悟はできてますから。先輩だって、すっごくつらそうですよ?」


「別に彼女にしてくれなんて言わないですし。先輩たちにも内緒にしてあげますよ」

 さらに悪魔のように翠緑がささやく。


 いつの間にか見つめ合っていた。半開きになった口から熱い吐息が漏れ、ぬらぬらと光った翠緑の唇にむしゃぶりつきたくなる。


 順序から言えばキスが最初だろうし、それを開戦の合図に、最後まで突っ走ってしまうことはもう確実だった。

 顔と顔が近づいていく。うっとりと潤んだ翠緑の瞳が、覚悟を決めてぎゅっと瞑る。


「…………」

 唇と唇は出会わなかった。大輝が避けて彼女の頭を抱きかかえる。


「やっぱりへたれですね。翠緑ってそんなに魅力ないですか?」

「そっ、そんなことないから。すっごく可愛いし、シたいっていうのは、ほら、これでわかってるでしょ」


「くすっ。別の生き物みたいですね。へたれなご主人様を持って可哀そう」

「へたれへたれって言わないでよ。童貞って言われる次くらいに傷つくんだから」


「事実なんだからしょうがないじゃないですか。へたれで童貞な先輩っ。翠緑の夢に出てきた先輩はもっと逞しくて素敵だったんですよ」


「えっ、夢って?」

「うっ……しまった。もうこの際だから言っちゃいますけど、昨晩、先輩とエッチする夢を見ちゃったんですから。正夢になるのかなーってちょっとは期待してたんですよ。それなのに先輩ったら結局へたれるし。翠緑がエッチな子って思われちゃうじゃないですかっ」


 耳まで真っ赤にしながら、言わなくてもいいことを暴露する。



「へたれじゃないってところを少しは見せてあげないとね。翠緑ちゃん、行こうか」

「へっ? 行くってどこへですか? まさかっ、遠慮なくエッチできるラブホテルに連れ込もうっていうんですか? さすがに引きますよ」

 さっと体を離して身構える翠緑に大輝は苦笑する。


「違うから。ほら、まだクラスメイトはゲームセンターにいるんでしょ」

 時計を見ればまだ3時も回っていない。


「えっ、いやっ、そのぉ……、次の機会でいいかなぁって」

「なに弱気になってるの。こんなところに付いてきてエッチしてもいいとか言ってるくらいなんだから、怖いものなんて何もないでしょ」


「それとこれとは違いますからっ。クラスでこれ以上冷たい目で見られたら、翠緑登校拒否しちゃいますよ」

「そうなったらちゃんと毎朝迎えに行ってあげるし。クラスではぼっちでも楽しい高校生活を送れるように責任取るから」


「やだーっ、クラスでぼっちなのはやですってば」

 ぐずる翠緑を引きずって、大輝は再びゲームセンターへ足を運んだ。


 後日談というか、今回のオチ。

 案ずるよりも産むが易しというもので、大輝が翠緑のクラスメートたちに話かけると、むしろ興味津々と食いついてくれた。元々社交性の高い翠緑だけあって、すぐに彼女らと打ち解けてしまっていた。


 帰りはむしろ大輝だけが置いてけぼりになってしまう。このまま女子だけで二次会をするという。


「先輩、ありがとうございますっ。今日のことは翠緑、一生忘れません」

 満面の笑みでお礼を言う。大輝も微笑んで翠緑を見送る。


 と、途中まで戻りかけたところで、翠緑は踵を返して戻ってきて、口元に手を当てて内緒とばかりに囁いた。


「先輩のこと、翠緑の彼氏だって思われちゃってますから、その辺のところよろしくお願いしますね。先輩がその気なら、今からでも彼女になってあげますけど」


「まぁ、ちょっとは見得を張りたいだろうし、そういうことにしておいてもいいけど、あまり話が大きくならないようにね」

 大輝は適当にあしらう。


「そうそ、今日のお礼に翠緑の処女をあげますから、ちゃんと早く童貞を卒業してエッチが上手になってくださいね。せ・ん・ぱ・い」

 最後まで馬鹿にしたように笑い、翠緑は今度こそクラスの女子たちと合流した。すぐに笑い声があがる。


「童貞言うなし」

 まさかそのことをネタにされているとは思わないが、大輝は一人つぶやいた。

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