閑話15 生徒会選挙と嵐の予感

 6月のある日のこと、大輝はこれまで見て見ぬふりをしてきた現実に直面することになった。何か致命的なことが起きたわけではない。これは既に予定されていたことであり、誰にも変えられないことでもある。


 生徒会長選挙。任期はそれぞれ1年ごと。1年の時に会長に就任した葵は2年次にも留任していたが、さすがに3選はありえなかった。3年生の彼女は、来年の春には卒業するのだ。任期が1年ある会長選挙には立候補できるわけもない。


 選挙は合否にかかわらず、7月には生徒会執行部は新体制を迎える。そこに葵の姿はない。次期会長が誰になるのかということも、大輝はまったく考えていなかった。誰かに出馬を打診されたこともないし、自ら立候補することも一顧だにしなかった。


 それが生徒会から葵が去ることを意味することだったから。

 会長選挙の公示日、つまりは立候補の一次締め切り日が迫っても大輝は静観し続けた。直視しなければいつまでもこの生徒会が続くと夢想して。


 公示日の前日になって、生徒会の面々は会議を開いた。

 まず会長である葵が次期生徒会選挙の概要について説明した。基本的に乃木坂学園では、生徒会長のみが選挙で選ばれ、副会長以下の役員は会長が選任した上で、生徒集会での信任投票が行われる。


 今日までの立候補者は、葵の声望に尻込みしたのか、それともめんどくさい仕事を避けがちな今時の生徒らしく、一人も現れなかった。


 大輝はほっとしたのは事実だが、かといって見たくもない現実が遠ざかったわけではなかった。次に当然あるのは葵からの会長選挙立候補の打診ではないかとも思ったが、どういうわけかその提案はなかった。


「あー、それで次の会長選挙だが、また私が出るからな」


 夢にさえ見なかった言葉が葵の口から出た。さも当然という物言いに、大輝は一瞬、耳を疑った。目を見開いて葵を見、そして未来、明日香の顔を見回しても誰もが葵の発言を当たり前のように受け止めていた。


「ちょっと待ってください。今なんて言いました? 葵会長は来年、卒業でしょ?」


「ふふっ、その顔だと私が引退するとでも勘違いしていたな。ちゃんと生徒会会則を読み込んでいないからそういうことになるのだ。会長は別に3年生でも立候補できる。普通は受験に集中するため出馬しないものだが、私や真由みたいに既に進路が内定している場合は別だ。まぁ、私の場合は内々定だがな」


 それ自身初耳だった。水泳部の実力者である真由はそれこそ引っ張りだこだろうが、葵も既に内定しているとは驚きだ。まぁ、世の中には推薦もあるわけで、成績優秀な彼女が希望すれば間違いなく選ばれるものだが、もっとレベルの高い学校を受験すると思ってもいたのだ。


「でも、来春で卒業でしょ。4月からの生徒会はどうなるんですか?」


「だから読み込んでないというのだ。別に会長不在でも生徒会は問題なく運営できる。そのために副会長がいるのだからな。会長が空席となった場合は早期に生徒集会を開催し、新会長を選出する。ただし、生徒会長選挙までの期間が3ヶ月未満の場合はその限りではない。とあるではないか」


 これまでの杞憂はなんだったのかと思わなくもない。どっと疲れた大輝は机に突っ伏す。


「まさかと思うが、私の次を受け継いで会長になるつもりだったのか? まぁ、それなら私は相談役として退いてもかまわないが」


「どっちにしろ生徒会に関わり続ける気ですか」

「当たり前ではないか。政治家と一緒だ。一度手にした権力なぞ、そう簡単に手放してたまるものか」


「相談役で君臨し続ける気なら、もう会長でお願いしますよ。元から出る気なんてなかったですし。ところで、未来先輩は大丈夫なんですか?」


「あらあら、あたしもちゃんと生徒会には関わり続けるから大丈夫だよ。でも、さすがに今まで通り会計を続けるのは難しそうね。葵ちゃんと違ってお馬鹿だから、受験勉強にも集中しなきゃいけないし」


 とりあえず現執行部の顔ぶれに変化はなさそうで、大輝は安心するととも相好を崩す。


「それならもっと早く言っておいてくださいよ。心配していたのは僕だけですか」

「聞かないから悪いんだ。選挙も有力な対抗馬は見当たらないし、無風で終わるだろう。根回しも十分しておくが」


 大山鳴動してネズミ一匹というところで、生徒会室のドアがノックされる。


「あの、すみません……。ここって生徒会室ですよね。次の生徒会選挙に立候補しようと思っているんですけど」


 ガチャっとドアが開き、おそるおそる顔を覗かせたのは一人の少女だった。明るいオレンジ色のショートヘアで、小柄だが出る所は出ていて意外にもスタイルは良い。着ている制服の真新しさと顔のあどけなさから一年生だろう。その割には既に制服を着崩していて、緩いリボンとボタンを外したシャツの間からブラが見えそうだ。有り体に言えば、この学校では珍しいタイプの少女にみえる。


 生徒会の全員が息をのんで彼女を見つめる。

 まさに凍り付いた状況の中、不適切なほど笑顔を振りまきながら少女は中に入ってきて、きゃぴるんと自己紹介をする。


「1年B組里山翠緑みどりです。気軽にミドリって呼んでくださいっ」


 結論から書けば、生徒会長選挙は葵以外の立候補者がなく、信任投票で3選が決まった。里山翠緑は生徒会書記となり、書記だった明日香は会計に、会計の未来は会長補佐に就任した。

 生徒会選挙が会長選しかないことを知らなかった新書記が誕生した。大輝も葵に指摘されるまで知らなかったのだが。



「葵会長に、未来先輩、それから大輝先輩、明日香先輩ですね」

 信任投票を経て、正式に新体制が発足した最初の日、生徒会室で翠緑みどりは一人一人確認するように言った。


「それで、誰が大輝先輩の彼女さんなんですか?」

 唐突にぶち込まれた爆弾に、大輝は吹き出す。葵と明日香は微かに頬を染めて大輝に視線を送り、未来はにやにやとそれを見つめている。きょとんとする翠緑に大輝は慌てて言う。


「かっ、彼女なんで誰もいないから。誰ともつきあってないし」

「ふーん、そういうことですか。じゃあ、質問を変えます。大輝先輩は誰が好きなんですか?」


 初日から遠慮しない物言いに大輝は再び吹く。明日香は大輝に熱い視線を送り、逆に葵は冷たい目を大輝に向ける。


「だっ、誰が好きとかその……こういうところでいきなり言うことじゃないと思うんだけど」


「ふーん、だいたいわかりましたけど、念のために確認しておきますね。生徒会って大輝先輩のハーレムじゃないんですよね」


「どこからそんなこと聞いてきたの! 違うから。そんな大それたこと絶対にないから」

 今度は明日香も冷たい目で大輝を見た。いたたまれず慌てて大輝は否定した。


「女の子の中に男の人一人なのにみんな仲良しって、誰かとつきあってるか、それとも全員とつきあってるとかないと上手くいかないと思うんですけど。はっ、それとも大輝先輩ってホモなんですか?」


「断じて違うからっ。嬉しそうに訊ねないでよ。普通に男女関係がなくても仲良くなれると思うんだけど」


「そうですか? 男女が長いこと一緒に活動してたらそのうち好きになっても不思議じゃないと思うんですけど」

 大輝があせあせと否定するなか、葵と明日香は「いいこと言った」と翠緑みどりに向けて小さく拳を握る。


「気づいてないのは先輩だけっていう、ラノベ主人公並の鈍感力を発揮してませんか?」

「なっ、ないと……思うけど……」


 さすがに大輝も言葉に詰まる。だいたいあっているとも言うのだが、それを言葉にするわけにはいかない。


「ふーん、先輩けっこう格好いいのに、もったいないですね。まぁいいや、つまり先輩はフリーってことですよね」

「そう……とも言うかな」


 ずいっとにじり寄ってくる翠緑に対し、大輝は気後れして半歩後ろに下がる。


「じゃあ、翠緑みどりとつきあってください。フリーなんだからいいですよね?」

「いっ? ちょっとどうしてそんな風になるの。僕たちってほとんど初対面だよね?」


「恋に時間なんて関係ありませんよ。初めて会ったその日から、先輩を一目見たその時に、こう……電気がびびびっと来たんです。一目惚れってこういうことを言うんですね。翠緑、感動しました」


 キラキラと目を輝かせて迫ってくる後輩に、大輝は動揺するとともに、葵や明日香の顔色を伺う。二人とも生ゴミを見るような目でこっちを見ていた。


「あのね、その……翠緑みどりちゃん、いきなりすぎると思うんだけど。僕は君のこと何もしらないし」


「大丈夫ですよ。これから翠緑のこと好きになってくれればいいんです。男の人なんて、ちょっとエッチしたらすぐ彼女面してくるって、ママも言ってますし」


「ものすごく階段を飛ばしちゃってる気がするんだけど」

「ゴールが一緒なら途中経過なんて何でもいいんです。それとも、先輩って翠緑とエッチしたくないんですか?」


 上目遣いでお願いしてくる翠緑に大輝はドキッとする。はだけた胸元から覗く胸の谷間についつい視線が行く。


「なんでも気が早すぎだと思うんだけど。ねっ、翠緑みどりちゃん、ちょっと落ち着こう?」

 しどろもどろに諭すが、押しの強い後輩にほとんど効果はなさそうだった。


「デレデレするのはそこまでにしてもらおうか。大輝、完全に遊ばれてるのにまだ気づかないのか。翠緑もだ。この際だからはっきり言っておくが、大輝は生徒会の備品だ。つまり、会長である私のものということだな」


「はーい。翠緑わかりました。えっと、つまり備品ってことは、書記の翠緑にも利用する権利があるっていうことですよね?」

「うむ。私の許可があればな」


「わかりました。今度、大輝先輩を貸してくださいね」

「検討しておこう」


 やたらと素直に引き下がる翠緑みどりに大輝は疑問符を頭に浮かべる。元々、からかわれていただけだといえばその通りなのだが。


「あの、僕をモノ扱いするってどういうことですか?」

「優柔不断な奴は、生徒会では備品扱いがちょうどよかろう」

 明日香も同調してうんうんと頷く。抗議をしてもほとんど意味はなさそうだった。


 核弾頭のような後輩が新たに加わり、生徒会には嵐が訪れそうである。

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