閑話14.2 パンツじゃなければ恥ずかしくないもん?
大輝と葵による買い物のあれこれはつつがなく終了した。
持ちきれない荷物は当然のように郵送となり、最寄りの郵便局で手続きを取った。
手ぶらになってしまえば、あとはもう残りの時間を楽しむだけだった。買い物自体も楽しかったのだが、大輝が期待していたのは当然、こっちのロスタイムの方だ。
遅めの昼食兼ティータイムということで、葵主導のもと、数駅先の商業エリアに行く。雑居ビルの二階というやや怪しい立地ながら、入口も中もちゃんとした喫茶店のようだった。
「アイスコーヒー二つにトーストとサンドイッチ。デザートにショートケーキとチーズケーキを持ってきてくれ」
可愛いエプロンドレス姿のウェイトレスに葵が注文する。大輝は何気なく見ていたが、ウェイトレスはみんな若くて可愛かった。もしかしたらここはコスプレ喫茶なのではないかと錯覚するほどだが、メニューにもそれらしいものはなく、他のお客にもオタクっぽい姿の人はいない。
「おまたせいたしました。アイスコーヒーですね」
どこかで聞いたことのある声とともに、テーブルの上に一脚のアイスコーヒーが置かれる。大きめのブランデーグラスに満たされる褐色の液体。それに刺さるストローは一本だが、ハートマークの曲線を経て左右に飲み口が分かれている。どこをどう見てもカップル用の飲み物だった。
「こっ、こんなもの頼んでないぞ」
葵が声を荒げてウェイトレスに文句をつけるが、顔を上げた瞬間に彼女は絶句した。大輝も唖然としてウェイトレスを見る。驚きはコーヒーだけではなかった。給仕した女性は二人がよく見知った人だった。
「未来? なんでここにいるんだっ」
「あらあら、だってここあたしのバイト先だもの」
「ちょっと待て。お前がここを紹介した理由って」
「お店の売上げに貢献してあげるって、バイトの鑑ね」
どう見ても面白がっているだけだった。
「店を変えるか」
「ちょっ、本気にしないでよ。ここが評判の良いお店っていうのは本当なのよ。コーヒーもケーキも美味しいし。それに、食品を廃棄するのは法律違反なのよ。罰則はないけど」
葵はカップル用のコーヒーをじと目で見る。
「追加でアイスコーヒーとチョコレートケーキ。今日は未来のおごりだから、大輝も遠慮せずじゃんじゃん頼め」
「もう。しょうがないわねぇ……。でもちゃんと出されたのは残さず食べてね」
どちらが上手だったのか、大輝にはよくわからなかった。目の前のカップル用のコーヒーをどう処理すればいいのかはわからない。
未来が別の卓の注文を取りに行ったあとで、葵はさっそくコーヒーを口にした。大輝は彼女がなんとも思ってないのかと思ったが、そもそもコーヒーを追加注文している。一人で飲むなら量は多いにしても困ることはないだろう。
「どうした? 大輝も遠慮せず飲んでいいぞ」
と、油断しているところで直球が飛んでくる。いくら今は葵が口をつけていないとはいえ、これは間接キスになるのではないかと大輝は頭を悩ます。
別に口をつける場所は分かれているのだからどうということはないのかもしれない。周りを見渡せばカップルが多いようにも見える。わざわざこっちに注目している人はいない。
大輝はやや緊張しながらストローに口づけした。同時に葵も首を伸ばしてもう片方のストローに口をつける。
何気ない行動に大輝は一瞬我を忘れる。葵は普段通り、平然とコーヒーを飲んでいる。自意識過剰なのは自分だけかと思い直し、大輝は再びコーヒーを吸う。
顔と顔は近いし、一つの液体を二人で一緒に飲んでいる。コーヒーを通して二人の口は間接的に繋がっているわけで、ただコーヒーを飲んでいるだけとわかっていても、大輝は頬を染めざるをえない。対する葵の方は、ごくわずかに表情が硬い気もするが、自分ほど意識しているわけではないようだった。
未来が遠くでこちらを見ており、大輝と目が合った。彼女は笑顔で親指を立てる。一瞬、吹き出しそうになったが、なんとか我慢できた。
「べ、別にこれくらいどうってことはあるまい。ジュースの回し飲みだって、大輝となら気にしないからな」
そんなシーンはこれまで一度もなかった気がするが、葵はぷいっとそっぽを向きながら言う。
大輝は間接キスに喜ぶものの、どうせなら湿った葵の唇にそのままむしゃぶりつきたいとも思う。そう思ったのは葵も同じようで、彼女はもじもじしながら大輝の口元を恥ずかしそうに見つめてきた。
途中、未来の介入が幾度となくあったが、なんとか完食して店を出る。腹は膨れたものの休めた気はしなかった。
「公園で休憩するか」
葵のつぶやきに従って公園を探す。小さな公園だったが、ベンチは空いていた。ただ、大輝はここで問題があるのではないかと思い当たる。
「葵会長、さすがにその服でベンチに座ると……さすがにマズくないですか」
耳打ちして知らせる。葵の服装はやたらとミニなキャミソールドレスなのだ。立っていてもはいてないように見えるのに、座れば下が丸見えだろう。
「ちょっと待て。大輝はまさか私が何もはいてないと思ってないか?」
そうじゃないんですかとはさすがに言えない。
「えっと、ホットパンツとかはいてるんですか? なら大丈夫ですけど」
「ふふっ、そういえばあとで見せてやると言ったな。そこの木陰に行こう」
葵に連れられて木陰に移動する。ここからなら周りからは葵の姿は見えないだろう。葵は木に背をつけ、艶美な表情でキャミソールの裾を持ち上げる。
大輝は顔を真っ赤にして目を泳がせる。このまま見続けていいのか、それとも視線をずらした方がいいのか。ここまで堂々と見せつけてくるのだから下着というはずはないが、それでも艶めかしい太ももに目を奪われ、心拍数が急上昇するのを自覚する。
ゴクリと唾を飲み込み、キャミソールの下を凝視する。
出てきたのは厚手のフリルに覆われた純白のパンツだった。一般的にテニスで女子がはくアンスコというものだ。
「どうだ。これなら恥ずかしくないだろう」
葵は無い胸を張るが、大輝はむしろ頬を赤らめてアンスコから目を逸らす。
「アンスコっていっても、色といい形といいパンツにしか見えないと思うんですけど。チラッと見えたら誰だって勘違いしますよ」
「馬鹿なっ。下着がこんなフリルまみれなわけあるまい。それにちゃんと下着は別にはいているのだぞ。水着とかブルマとかとそう変わらんではないか」
だからこそ水着やブルマに世の男が興奮するのだと思うのだが、あえて大輝は黙した。パンツじゃないから恥ずかしくないと豪語されても、このまま公園のベンチに座ってもらうのはやはり躊躇われる。他の男たちにアンスコといえども、キャミソールの下を晒させたくない。
「それに、見えてもいいっていのと、見せてもいいっていのはちょっと違うんじゃないかと」
「ふふっ、こんなことをするのは大輝にだけだぞ。ほれ、今だけなんだからもっと脳裏に焼き付けておくといいぞ。今日のオカズは決まりだな」
「そうやってからかうんですから。僕だってヤりたい盛りの男子高校生なんですからね。あんまり挑発してると、そのうち痛い目を見ても知りませんから」
「そんな度胸もないくせに、言うことだけはいっちょ前だな」
そこまで言われてさすがの大輝もムッとする。とはいえ、ちょっとした悪戯すらする勇気もないのは葵の言う通りなのだが。せいぜい、口で言うのが関の山だ。
「じゃあいいですよ、アンスコの下って、どんな下着をはいてるんですか?」
「興味津々ではないか。まぁ、せっかくだから今日のオカズを豊かにするために教えてやろう--」
ちょっとした反撃に葵はしたり顔で返事をするのだが、どういうわけか絶句し、慌ててたくし上げていたキャミソールを元に戻し、顔を真っ赤にしながら裾を下に引っ張る。
「えっと、その反応ってつまり、下着をはくの忘れてたってことですか?」
「……言うなっ。どのパンツをはいたら大輝が喜んでくれるか迷っていたら、ついついはき忘れたのだ」
「アンスコなら見せても恥ずかしくないんじゃなかったんですか」
「ばかっ、その下にパンツをはいてるから見せても大丈夫なんだ。何もはいてないなら、アンスコが下着ではないか」
その理屈はさすがによくわからなかったが、アンスコの下に何もはいてなかったという事実に大輝は興奮し、改めて脳裏に焼き付けた映像を思い返す。
「急に弱気になりましたね。えっと、じゃあこれから下着でも買いに行きますか」
「うむと言いたいが、大輝も一緒に来るのだろう? これからはくパンツを見られるのは恥ずかしいではないか」
「別に下着売り場までついていくことないと思うんですけど」
「お店の人にノーパンと思われるのも嫌だし、その……大輝とシてパンツを汚したと思われるのも恥ずかしい」
「めんどくさいこと言ってないで、さっさと行きますよ。どうせそのままでもつらいんですから」
大輝は葵の手を引く。反発されるかとも思ったが、彼女は思いの外しおらしく、俯いたまま付き従ってくれた。
そういえば手を握るのはなにげに初めてだった。
葵の柔らかく小さな手にドキドキする。いつもは偉そうにふんぞり返っていても、やはりか弱い女の子なんだと実感する。
なぜか通り道で見つけてしまったランジェリーショップに入ることになったのだが、さすがに色とりどりの可愛い下着でマネキンが埋まっている店に入るのは、男の大輝には気恥ずかしい。とはいえ、店の外で男一人というのも変な目で見られそうだ。
「……大輝にもついてきてほしい」
しおらしい葵に大輝はキュンとする。ここまで来れば毒を食らわば皿までと、意を決して男子禁制のランジェリーショップに足を踏み入れる。カップルでの来店もままあるのだろう。店員は笑顔で迎えてくれたし、他の女性客も彼氏と勘違いしてくれて好奇の視線こそあれ、嫌悪されることはなかった。
ちらちらとこちらを見ながらいっこうに下着を選ぼうとしない葵に、大輝はため息をつきつつ仕方なく自分で選ぶことにする。あまりまじまじと見るのは気恥ずかしいので、目についた可愛いものを手にとって葵に渡す。淡いパステルブルー地に小さな花の刺繍が入ったものだった。
試着室の前で待っている間は男一人になって妙な気分ではあったが、隣に店員がいてくれたことで、新たに来店した女性客に変態と叫ばれる事態もなかった。むしろ薄い布一枚先で葵が下着をはいていると想像するだけでいっぱいいっぱいだったのだが。
試着室から出てきた彼女はいつもの姿に戻っていたが、それでも少し気恥ずかしいようで、大輝のシャツの裾を引っ張った。
結局、下着の支払いも大輝がすることになった。期せずしてプレゼントということになってしまったが、むしろご褒美だったろうか。
そのままちょうどいい時間になっていたことで、ウインドーショッピングを楽しみながら帰宅した。
葵の家の前で別れの挨拶をした後、彼女は「ちょっと待って」と言ってキャミソールの下に手を入れ、もそもそとアンスコを脱ぎだした。
「パンツのお礼だから」
恥ずかしそうにそう言って、大輝の手に生暖かいアンスコを握らせた。
「今日はありがとう。別れ際にこれくらいしても罰は当たるまい」
硬直している大輝の唇に葵はそっとキスをする。唇と唇を触れ合わせるだけのものだったが、彼女の柔らかい唇の感触は十分に伝わった。
あっけにとられている大輝に、葵は百点の笑みを浮かべて手を振る。足取り軽やかに家に入っていった。
今日のオカズには困りそうにない。
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