第14話 女帝の失墜。ご褒美は最後だよ(後編)

 それでも、日に日に葵に対する中傷と風当たりは強くなっていった。


 曰く、二階堂葵は気に入らない生徒を退学に追い込むのは朝飯前、虐めて自殺に追い込んだこともある。

 曰く、二階堂葵には友達がいない。いつもトイレで弁当を食べている。

 曰く、二階堂葵にとって人間関係とは三つに集約される。家族と、使用人と、敵である。


 曰く、テストで高順位を取るためにライバルが勉強に集中できないように汚い妨害工作をした。

 曰く、二階堂葵は一年の女子を手籠めにしている。校内でも盛んに淫事に及んでいるらしい。

 曰く、その手籠めにしている女子の一人は同じ生徒会の書記の結城明日香だ。生徒会内での上下関係を利用してオモチャにしているらしい。


 曰く、書記の娘は遊びであり、本命は同じ会計の篠原未来だ。生徒会は葵のハーレムであり、酒池肉林のただれた関係が繰り広げられている。

 曰く、二階堂葵は教頭とデキている。ああ見えてジジ専らしい。

 曰く、二階堂葵の淫猥な写真がとある画像掲示板にアップロードされている。


 曰く、二階堂葵は援交を繰り返し、遂に妊娠したらしい。この前、産婦人科に入っていく所を見た。

 曰く、二階堂葵は妊娠どころかたちの悪い性病も伝染されたらしい。

 曰く、二階堂葵はいつも偉そうにしているが本当はドMの変態で縛られて悦ぶ異常性欲者だ。


 曰く、二階堂葵はお願いすれば簡単にヤらせてくれる。生なら一万円、ゴム付きなら五千円だ。

 


 等々、聞くに堪えないものばかりで、誰もが少し考えれば悪質なデマとわかる類いのものだったが、どういうわけか他の生徒たちも葵の醜聞に等しい噂を楽しみ、信じ込んでしまっていた。


 おかげで葵は教室でも孤立してしまい、廊下を歩く度にクスクスとあざ笑われるようになっていた。

 中には一万円札を突付けて頭を下げた馬鹿な男子生徒もいたらしいのだが、葵はぶん殴ることもなく無視したようだった。


 そんなわけで葵が一息つける場所は校内では生徒会室だけになっていた。

「あの、会長……? 大丈夫ですか。

 いくらなんでもこの状況はあんまりです。もしよかったら美穂ちゃんか校長先生に相談した方が……」

 さすがに憔悴した感もある葵を見かね、大輝は心底心配して提案した。

 しかし、葵は小さく首を振ると作り笑顔で否定した。


「問題ない。このところ徹夜続きで少し疲れているだけだ。

 それに、ここではゆっくり休めるし、お前らだけは私の味方でいてくれるからな。小学生の頃に比べればマシだよ。

 あの時は他の児童会役員も敵に回ってしまった」


 気丈に振る舞っているだけの葵を見て、大輝は何も力になることができず悔しくて拳を固く握った。

 本当に何もできない。

 犯人を見つけることもできないし、中傷を止めさせることもできない。

 副会長といっても本当に無力な一人の人間に過ぎない。

 ただ最後まで葵の味方でいることしかできないことは、何も持たない平凡な学生の大輝にとっては辛いことだった。


「ほんと、誰が犯人なのかさっぱりわからないのよね。

 容疑者は虱潰しに当たってるのだけれど」

 犯人捜しは葵と未来、それに新聞部が中心となって行っているようだった。

 容疑者を絞り、内偵し、場合によってはカマを掛けたりもする。

 もう十人以上に調査を行っているらしいが、誰も彼もがシロでしかなかった。


「ここまで難航すると、調査対象が間違っているのではないかと思わないでもない。私に対する怨恨を線に当たっていたが、逆恨みや単なる愉快犯である可能性も視野に入れる必要があるか」

 葵が憔悴しょうすいしているのは手がかりらしい手がかりすら掴めていないことに起因していた。


「とはいえ、何も手がかりがないわけでもない。

 噂の出所はだいたい掴めてきた。

 ネット発であれば厄介でもあっただろうが、逆に探知しやすかったかもしれない。例の私の全裸写真以外は、女子トイレの落書きが噂の発生源だった」


「そんな所だったんですか。

 まぁ、僕がわからないわけですよね。

 でも、女子トイレなら誰が書いたかなんてけっこう簡単に割れてしまうんじゃ」


「そうでもない。

 ある程度、時差が生じて発見されるようにいろいろと隠されていたのだよ。

 おおむねトイレットペーパーとかその芯とか、または花瓶の中とかだったりするのだが。

 直接、壁に書かれていることもあったようだ。

 場所も校内中の様々なトイレから発見されている。

 女子なら自由に入れるし、どこも放課後や早朝、または教室移動の際に誰が入ってもおかしくない場所だ」


「もう一人の副会長も体育会系の部活の子ににトイレで誰かおかしなことをしていないか気にかけてほしいって頼んでくれてるんだけど、まだ容疑者も浮かばないのよ」

 未来も困り顔で言った。


「監視カメラを仕掛けることができれば一発なんだが、場所が場所だけに未来に止められてな」

「いや、当たり前でしょう」

 いくら犯人捜しとはいえ、女子トイレに監視カメラを仕掛けるわけにはいかない。それを見るのが女子だけでも大問題だ。


「女子トイレの入口にカメラを仕掛けるという手もあったんだが……」

「それもダメにきまってるでしょ」

 トイレに行かない女子なんていないが、それでもいい気分なわけない。


「そういうわけで犯人がボロを出すのを待っている最中だ。

 もう一つ、噂の内容から犯人の手がかりを見つけられないかとも思っているのだが」

 新聞部が収拾した噂の一覧をプリントした紙を葵はテーブルに置く。

 それぞれに発生した日付、噂の発生元が記されている。

 大輝が知っているもの、知らないもの、多種多様な中傷がびっしりと書き込まれていた。


 最近はウケると見たのか犯人は性的な醜聞ばかり広めているようだった。

 その中でも極めつけはネットにアップロードされた葵の全裸写真だろう。

 無配慮にもそれもしっかりとプリントされている。


 写真は三枚だった。

 葵と思しき人物が全裸でダブルピースしているもの、美味しそうに男の肉棒をしゃぶっているもの、白い白濁液を顔にかけられてうっとりとしているもの。

 それぞれ申し訳程度に目線に墨を入れてあるが、誰であるかは一目瞭然だった。


 大輝は思わず赤面してしまったが、偽物であることは一発で見抜けた。

 雑コラというわけではない。

 丁寧に顔を合成しているが、若干の違和感は隠せていない。

(最近のフォトショップは顔の表情まで変えられるのかと驚かざるをえない)


 それより何よりコラと判断できるのはその胸だった。

 小ぶりだが形の良い膨らみが二つ、惜しげもなく晒されている。

 Bカップくらいだろうか。

 残念なことに葵のものでないことは大輝でも理解できた。


「なんでこれ堂々と置いてあるんですか。普通、この手のコラージュってやられたら嫌がりますよね」

 できるだけ小さな声で大輝は未来にささやいた。

「たぶん、おっぱいが大きくなってるからそんなに悪い気分じゃないのよ。

 実際に脱いだらがっかりさせちゃうのにね」

 未来も大輝に囁き返した。


「そういう問題じゃないと思いますけど」

「いいじゃない、女の子なんだから見栄くらい張りたいわよ」

「でもなんでこの画像に合成したんですかね。

 おとしめるつもりならもっとぺったんこなのにすればよかったじゃないですか」


「制服着てると胸の大きさってけっこう隠せるからわからなかったのかもしれないわよ。

 そうなると葵ちゃんと同じクラスの娘は容疑者から外れるわね。

 単純にちょうどいいのがこれしかなかっただけかもしれないけど」


「おい、お前ら何をヒソヒソやってるんだ。

 言っておくがこの画像の女は私とは似ても似つかないからな!」

 大輝も未来も主に胸がと心の中でツッコんだ。


「こっちの画像の方は市内のネットカフェから送信されたことはわかっているのだが、恐らく関係のない者に依頼したのだろう。

 学校関係者の利用は認められなかった。

 オリジナルもネットで拾ったもののようでこれといって犯人の手がかりとなるものはなかった」


 新聞部もさすがというか、オリジナルの写真もしっかり添付されていた。

 こちらは後から黒マジックで局部をしっかり黒塗りしてあったが、顔だけははっきりしている。

 葵とは似ても似つかない地味な女性だった。


「そんなにマジマジと見て。大輝もやはり年頃の男なのか。

 いくらフェイクだと言っても、そこまで真剣に見られると少し恥ずかしいぞ」

 真剣に資料を見ていた大輝に、葵はここで初めて頬を赤らめて言った。

 そんな発言に大輝は驚きつつ、コラ画像を見ていたわけではないと否定する。


「いえ、そうじゃないですってば。

 こっちの酷い噂ですけど、どういうわけか僕に対するものはないですよね。

 篠原先輩や明日香と関わっているものはあるっていうのに」

 大輝の何気ない指摘に、葵と未来は互いに顔を見合わせ、何か合点がいったとばかりに笑みをこぼした。


「そうか、そっちの線があったか。

 これは盲点だった。

 道理で私関係の人間を洗っても犯人が出てこないわけだ。

 人畜無害で女子に人気があるわけでもない副会長か。

 確かに私の悪口をばら撒くなら真っ先に大輝との情事を言いふらすべきだな」

「そうよね、いつも空気みたいだから存在を忘れていたわ」


「あの……、もしかして何かものすごく悪口言われてませんか?」

「そんなことないわよ。

 大輝君、お手柄ね。これで事件は解決したかもしれない」


「未来、それなら作戦はアレしかないな。

 新聞部に頼んで早速、次号の見出しにしてもらってくれ」

 大輝の疑問は無視され、葵と未来だけでなにやら盛り上がっていた。

 置いてきぼりになるのは今に始まったことでもないが、素直に喜べないのは間違いない。


「そうそう、葵ちゃんのコラ画像、後で余分にプリントしてあげようか」

 未来が生徒会室から出て行く間際に、大輝へ耳打ちした。

 もちろん、大輝は断ったのだが、後に少しだけ後悔したのは否めなかった。



 また数日が過ぎ、相変わらず葵に対する醜聞で校内の話題は持ちきりだった。

 今まで、校内を歩いていてもほとんど無視されていた大輝は、今日になって妙に視線を集めていることに気付いた。


 教室内でも微妙な空気の違いを感じ、妙に収まりが悪くなったのを覚える。

 葵の気持ちが少しでもわかったような気がしてまた再び憤るのだが、実際に何が起きたのかが大輝にわかるのは新聞部の貼り出しを見てからだった。


『重大スクープ、生徒会長に熱愛発覚。

 相手は同じ生徒会副会長、一年四組の三枝大輝』


 まったくもって事実無根なのだが、周囲はそうは思わなかったようだ。掲示物を囲む全員が大輝に注目していた。

 見出しに続く本文も、まったくあることないこと、いやないことばかり書いてある。


 休日は睦まじくデートしているとか、本紙記者がディープキスをしている所を目撃したとか、前に生徒会で配布していたコンドームを直接、手渡していたとか、いったい誰の話なのかわからなかった。

 もしこの記事に書いてあることが事実なら。


 大輝は妄想しなかったとは言わないが、それでも夢を記事にされ、むしろこういう風にデートできる彼女が欲しいと力説したいくらいだった。

 記事の出所はわかっていた。

 誰が犯人であるかも。

 大輝は憤りながら生徒会室へ向けて全速力で歩いて行った。


「会長、これどうなってるんですか!」

 怒鳴ったのは久しぶりだった。

 大輝が殴り込んでくるのも予想済みだったのか、葵と未来はそんなの全部わかっていると言わんばかりに涼しい顔をしていた。


「まぁ、落ち着け。今度は甘いチョコでも食え。

 糖分が足りないからカッカするのだろう」

 言われるままに大輝は席についてチョコを口の中に投げ込む。

 ボリボリとかじっていうるちに少しずつ落ち着けてきたようだ。


「新聞部の記事を見たのだな。

 本当はもっといろいろ噂も流しておいたのだが、相変わらず大輝の所まで伝わるのには時間がかかるらしい」

 そういえば、自分に対する視線が微妙に変わったのは今日が初めてではなかったと大輝は思い当たる。


「犯人の目星はついた。

 とはいえ、まだ誰かという所まではわからないのでな。

 こうやって噂をこちらからも流してやれば釣り出せるのではないかと目論んだのだ」

「あの、意味がわからないのですけれど」

 この期に及んでまだ理解できていない大輝に葵と未来は顔を見合わせて苦笑した。


「まったく、鈍感な男だ。

 一度しか説明しないからしっかり聞けよ。

 つまりだ、私の悪い噂を流した人物は、大輝と私との醜聞だけは流さなかった。なぜか。

 それはそいつが大輝と私が仲良くするのを心地よく思わないからだろう。

 もっと言えば、そいつはお前に片思いしているわけだな。

 本当に心当たりになるような女子はいないのか?」


「はぁ……」

 ここまで言われても大輝はまだはっきりとわからなかった。

 教室内で女子から好意を向けられたこともなかったし、それは学校内でも同じことだった。

 鈍感であることはある程度認めるが、特に親しく話しかけてくれる女子はいないと、悲しいことながら断言できた。


「まぁ、新聞部の調査でもお前を好いてる奴を探し出すことはできなかったのだが」

「あの、本当にそんな人いるんですか?」


「ふむ、そこまで不安げに言われるとこの推理が間違っているのではないかと心配になるな」

 あまりもの大輝の反応の無さに葵も少しずつ自信がなくなってきたようで、少しずつ空気がおかしくなってきた。


「まぁまぁ。

 十分噂はばら撒いてきたのだから、今頃はきっと気が気でないはずよ。

 最後に釣り出すのは葵ちゃんたちの仕事なんだから」

 それでも未来は万全の自信を持っているようで、計画の最終フェイズを実行させるために葵と大輝の手を引っ張った。


「あの……ちょっ、ちょっと、どこへ行くんですか、ねぇ?」

 大輝が連れてこられたのは人気の無い校舎裏だった。

 未来は校舎裏に入る所で物陰に隠れた。


「あの、これはいったい……?」

 二人きりになってからは、葵は大輝と手を繋いで誘導した。

 それも指を絡ませ合う恋人繫ぎというやつだ。


「あまり騒ぐな、おどおどするな。

 もう見られているのかもしれないんだぞ」

 ちょうどいい場所まで進むと葵は大輝を見つめ、やや恥ずかしそうに頬を赤らめつつも大輝に抱きついてきた。

 ぴったりと胸と胸をくっつけて密着する。

 葵は大輝の背中に両手を回し、大輝の肩に顔を預けるようにもたれかかった。


「いや、あの……会長……?」

 大輝は突然のことに硬直して何もできなかった。

 ただ葵のぬくもりと体の柔らかさ、そして女子の甘い香りを感じた。

「うまく演技しろよ大根役者。

 私とお前が熱愛中だというのは新聞部の掲示で知っているだろう?

 さらに、この校舎裏で逢瀬を重ねているという噂も流しておいたのだ。

 恋人らしいことをしていないと怪しまれるではないか」


 だいたい話は飲み込めてきたものの、こんなものが囮になるのだろうかと大輝は疑問に思わないでもない。


「そもそも会長、不純異性交遊は禁止なんじゃ。

 こんな所で抱き合っているのを見られたら大変なことに……」

「馬鹿を言え。

 校内での不純異性交遊は合法だ。

 この前、校則で説明しただろう」


「合法だからってこういうことしていて良いってものでもないですよね?」

 しかし、葵とこうやって恋人みたいに抱き合うのは大歓迎だった。

 もし、本当に恋人同士だったらと思わなくもない。

 それは大それたことであって大輝の夢でしかないのだが。


「嗚呼、大輝……好きだ。

 ずっとこうしていたかった……」

 演技であるとわかっていても、大輝はドキッとしてしまった。


「あの……、さすがに声は篠原先輩にも聞こえないと思うのですが」

「役作りだ、役作り。

 雰囲気が出てないとおかしいだろ。

 お前も私の腰に手を回せ」

 葵に言われるまま大輝は彼女の細い腰に手を回した。

 年上であり、生徒会長でもあり、いつもの傍若無人な女帝振りからくるイメージとは対照的に葵の腰は小さくて柔らかかった。


 大輝はきゅっと力を込めれば折れてしまいそうな華奢ささに感動していた。

 こうやって抱き合っていると本当に恋人のような気分だった。

 密着しているのだから葵の胸が大輝の体に押しつけられている。

 いつも無い無いと言われているものの、ささやかでも確かな柔らかさを感じられる。


 よくよく考えれば、女の子とこうやって抱き合うのも初めての経験だった。

 なんて可愛いのだろう。

 なんていい匂いがするのだろう。

 なんて柔らかいのだろう。

 大輝はずっと葵を抱きしめていたかったし、このまま彼女を自分のものにしたくなっていた。


 彼女を意識すればするほど、不本意ながらも自分の雄の部分がたかぶってくるのを覚えてきた。

(やっ、やばい!)

 抱き合っているのだから、葵の柔らかさが大輝に伝わるのと同じように、大輝の硬い部分も葵に伝わってしまう。


 慌てて腰を退くものの、ズボンに張ってしまったテントはそれでも葵に擦りつけたいと、持ち主の意思とは正反対にさらなる隆起を始めていた。


「なぁ、大輝は私に好きって言ってくれないのか?」

 普段とは違う、甘えるような声で葵が言ってきた。

 演技だとわかっていても、媚びるような葵は大輝にとって直球そのものだった。自分の下半身の状況と相まって、顔を真っ赤にしてそっぽを向く。


「会長、ずっ、ずるいです。

 童貞高校生の純情をもてあそんで楽しいですか?」

「二人きりのときは葵って呼んでって言ってるじゃないか。

 ここには誰もいないんだ。

 いつもみたいに葵って囁いておくれ」

 葵は上目遣いで大輝を熱く見つめ、大輝の口を塞ぐように人差し指で彼の唇に触れた。


「葵……会長……」

「葵だ」

 二人の体と体に少しスペースが出来たことをいいことに、次に葵は大輝の胸を指先でまさぐりながら言った。

 シャツの上からではあるが、葵の指は正確に大輝の乳首をこねくり回していた。


「ちょっ、会……ぁおぃ……そっそれは……」

 大輝は思わず変な声をあげてしまっていた。

 海で日焼け止めオイルを塗りたくられた時以来の葵の責めを体が思い出し、もっとしてほしくなる。


「ふふふ。好いている者同士が乳繰り合うくらい不思議ではないだろう?

 大輝、よかったらお前も私の胸をまさぐってもいいぞ」

 そう誘われても大輝はとても葵の胸を触る度胸はなれなかった。

 後が怖いということもあるが、やはり、本当に付き合ってもいないのにするべきことではない。


「ん? もしかして揉む胸がないとか思ってないか?

 お前らはいつもいつも私の胸が真っ平らだとか壁だとかぺったんこだとか言うけれどな、これでも少しは育っているんだぞ。

 そりゃ、明日香や未来に比べれば山と丘くらいの違いはあるが、私だって女の子なんだぞ。

 好きな男の子に触って欲しいし、ちょっとは喜んでもらいたいんだ。

 ほら、どうだ……?」


 そう言って葵は大輝の手を取って自分の胸に導く。

 どこまでが演技なのか大輝にはわからなくなり、ただただ混乱するだけだが、葵に導かれるまま流されていく。


 手のひらにふにっとした感触が伝わる。

 サマーセーターとその下のシャツ、さらにブラジャーのかすかに固い感触のさらに下に女性特有の膨らみがある。

 何枚もの布越しであるといえども、確かにおっぱいはあった。

(やわらかい……)

 感想としてはチープなものだったが、それ以上の言葉は必要だっただろうか。

 男の体にはない感触。男が追い求めてやまないもの。

 生まれて初めて触る異性の異性たる象徴に大輝は感動していた。


 大輝は無言のままだったが、顔は真っ赤になっており、葵の膨らみを凝視していた。

 葵の方もつい大胆なことをしてしまって柄にも無く顔が赤くなっていた。

 服越しとはいえ葵の胸と手に挟まれた手を大輝は無意識のうちににぎにぎと動かしていた。


「んっ……」

 葵の方も自分から導いた手前、この先をどうしていいかわからなくなっていた。思わず変な声を出してしまったが、今更、大輝の手を振り払うわけにもいかない。


 大輝も股間のテントを葵に悟られないように腰を退いていたのを忘れ、高校生らしい衝動に駆られて再び葵を強く抱きしめた。

 今度は自分と葵の胸との間に手が押しつぶされる。手のひらに伝わる感触は相変わらず気持ちよかった。


「大輝の……あたってる……」

 いつもの強気な葵の姿はもうどこにもなかった。

 ただしおらしいだけの少女がそこにいた。

 葵のことをもって感じたい。もっとふれあいたい。

 大輝はそんな気持ちでいっぱいで、腰に回した手を少しずつ下へと向かわせていく。狙いは年相応にむっちりとした葵のお尻だった。

 胸に、腰に、次は尻の感触を味わいたいと思うのは素直なことだろう。

 心臓が破裂しそうなほど脈打ちながらも未知なる感触へ手が動く。


「なぁ、大輝。よかったら口でしてあげようか?」

 と、あと少しで念願の葵の臀部に手が届くというところで、葵の爆弾発言によってチキンにも手が腰へと一瞬で戻っていった。


「えっ? ちょっと、今何を……?」

 恋人ごっこの空気に当てられたのか、葵はとんでもないことを口走っていた。いや、それともこれは自分の幻聴ではないかと大輝は疑った。

 大輝は頭が瞬間湯沸かし器になったように感じた。

 これからどうなってしまうのか。

 その真偽が明らかになる前に、闖入ちんにゅう者の叫びによって中断させられた。


「三枝くん、だめぇぇぇぇぇぇぇ!」

 見知らぬ声に大輝たちは振り返ると、一人の少女がそこにいた。

 茶髪、ふわふわツインテール、顔は垢抜けていて結構可愛い。

 長い睫毛と右目の泣き黒子ぼくろが年齢以上の色気を醸し出している。

 全体的に肉付きが良くむちっとしているが、腰や足首はしっかりと締まっていてメリハリがいい。

 サマーセーターから盛り上がる胸もまた彼女を特徴付ける一つだろう。


「ほう、誰だ貴様は?

 私と大輝の恋路を邪魔しようというのなら、容赦はしないぞ」

 葵はしたり顔で言うと、さらに大輝に密着した。


「あの……三枝くんが困ってるじゃないですか。

 離してください。いえ、離れてください!」

「大輝、この娘はお前の何だ?

 まさか私の知らない間に外で女を作ってたりしたのか?」


「い、いや、僕に言われても困りますよ。この娘となんて初対面なんですから!」

 葵にネクタイを締め上げられながら訊問され、大輝は苦しげに言った。

 大輝はその少女が誰なのかわからなかった。

 こんな可愛い娘を見かければ忘れないはずがないのだが、本当に記憶になかった。


 少女は大輝が初対面と言ったことにショックを受けたようで、信じられないと目尻に涙を浮かべながら後ずさりした。


「三文芝居はその辺でやめたらどうかしら。

 せっかく中傷を流していた犯人をいぶり出したっていうのに、これじゃあただの修羅場じゃない」

 少女の退路を断つように未来が現れた。

 それで全ての状況を悟ったのだろう。少女は無駄な逃走を試みることもせず、ただ肩を落としてうなだれた。




 少女から生徒手帳を提出させたことで、彼女の身元が判明した。

 一年五組の鈴木環奈かんなという少女だった。

 その名前を元に、一行は生徒会室へと戻って手元の資料に当たる。

 学校側と新聞部の調査の資料を合わせたそれは彼女の素性をほぼ完璧に暴き出した。


 鈴木環奈と大輝との接点は、中学に遡った。

 なんと、二年次に同じクラスだったというのだが、大輝は名前と素性を知らされてもまったく思い出すことができなかった。


「おい、本当に覚えてないのか?」

 こんな美少女なら忘れるはずもないのだが、中学の写真を見て葵と大輝は驚いた。今の彼女からは見る影もない、三つ編みおさげの地味で性格の暗そうな女の子だった。


「高校デビューした口みたいね」

 化粧一つでこれだけ変わるのかと大輝は目を丸くするものの、元の環奈を見てもやはり思い出すことはできなかった。


「おい、本当に知らんみたいだぞ。薄情な男だな」

 葵が白眼を大輝に向けると、環奈は自ら否定した。

「いいえ、三枝くんは悪くないんです。

 わたしは地味だったし、クラスでも男子とは親しくなかったし。

 三枝くんと言葉を交わしたのも文化祭の準備の時だけで、その時も三枝くんにとってはただの一女子生徒に過ぎなかったでしょうし……」

 謙遜というよりは自虐レベルで環奈はあざけった。


 彼女の告白をまとめれば、文化祭の準備中にトラブルが起きたらしい。

 友達も誰も助けてくれないし、一人では徹夜しても終わりそうにない。

 泣きそうになった頃にたまたま教室に立ち寄った大輝が何も言わずに手伝ってくれたという。

 文化祭が終わった後にも礼を言うチャンスはなく、大輝との接点はそこで途切れてしまったが、同じ高校に進学することがわかって一念発起して自分を作り替えそうだ。


 不幸にも高校でも大輝と接点は作れず、度々、彼の視界に入るように行動はしていたようなのだが、直接、話しかける勇気は無かったそうだ。

 もたもたしているうちに大輝の方が生徒会に入ってしまい、葵と仲良くしている所をたまたま見かけ、嫉妬の炎が燃え上がる。

 気がついた時には今回の凶行に至ってしまった。

 そう言って彼女は最後には泣きながら葵と大輝に謝っていた。



「えっと、その……、それで彼女をどうするんですか?」

 居たたまれなくもあったが、そもそも葵が環奈にどういう処分を下すのか、恐らく極刑なのではないかと心配して大輝は言った。


「もちろん退学処分に追い込むに決まっているだろう。

 こんな根も葉もない誹謗中傷を学校中にばら撒いて無事に済むわけがなかろう」

 当然、葵は容赦なかった。

 とはいえ、彼女の表情からは怒りも憤りも消えていたのだが。


「と言いたい所だがな。

 やったことはともかく、恋する乙女の気持ちは理解できなくもないからな。

 そうそう簡単に退学させてもらえるとは思うなよ。

 退学させられた方がマシだったと泣いて許しを請うくらい可愛がってやるから覚悟しろ」


 葵は久しぶりにサディスティックな笑みを浮かべて環奈に宣言した。

 それを聞いて、環奈の顔が引きつっていた。




 そして今回のオチに入る。

 人の噂も七十五日と言うが、葵に対する一連の醜聞は七十五日どころか次の週には誰も口にしなくなっていた。

 新聞部が新たに流した噂が功を奏したようなのだが、それには環奈の顛末てんまつも含まれていた。


 内容はシンプルで、噂を流していた女子生徒が会長に捕まり、全ての女子トイレを新品同様のピカピカになるまで掃除させられたというものだった。

 しかも、綺麗になったかどうかを確かめるのにその女子生徒に便器を舐めさせたという。


 まったく、鬼畜にも程がある。

 元々、大人しい少女だった環奈は泣きながら許しを請いたのではなかろうか。

 それでもゆるされず葵が彼女の髪を掴みながら便器に口を押しつける所までは容易に想像できた。


 それが事実であるかはわからなかったが、実際に一晩で全てのトイレが見たことない程に清掃されていたことでこの噂の信憑性を高めさせた。


「本当にそんなことやらせたんですか?」

 大輝は恐る恐る葵に尋ねてみたのだが、彼女は快活に笑って言った。


「なに、噂は所詮、噂だよ。

 うちの学校にいくつトイレがあると思っているんだ。

 一晩で全部のトイレをピカピカにするのは一人では無理だ。

 おかげで私も必死になってトイレ掃除をする羽目になったよ」


 これは否定になっただろうか。

 わざわざ噂の信憑性を高めるために自分も手伝うことはないのだが、これは葵らしいエスプリかもしれない。

 ともかく、この噂もあって女子生徒の中では絶対に葵には逆らってはいけないという不文律ができあがったようである。




とりあえず……了

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