第13話 女帝の失墜。みんな、誹謗中傷はほどほどにね。(前編)

 校内で葵は事実上の最高権力者である。

 実際には校長だとか、教師だとか、彼女の上に君臨する存在はあるのだが、乃木坂高校の生徒会長として絶大な権限を握ってることは間違いない。


 潤沢な予算を武器に各部活動に影響力を行使しているし、生徒会が主催する学校行事はほぼなんでも彼女の思うがままにすることが可能だった。

 その気になればたいていの新規イベントも立ち上げることは可能であろうし、生徒会主催の勉強会を開いて優秀な生徒の学力の向上にも力を入れている。

 おそらく、今年の国公立大学への進学率は過去のどの年代よりも高くなるだろう。


 学力が優秀で素行も良い彼女の教師受けもおおむね好意的だった。

 校長も彼女の味方であることは疑いもない。

 彼女が生徒会長になってから各部活動の成績は向上しているし、全国模試の成績も学内の上位生徒に限られるが飛躍的に向上している。

 何か問題が起こればPTAの方から圧力をかけてもらうことすら可能だった。

 まぁ、こちらは彼女の身内だからでもあるのだが。


 ここまでが彼女の表の顔だとしたら、もちろん裏の顔もある。

 生徒会の裏予算をふんだんに使い、あの手この手で生徒を籠絡してきたのだった。

 金をばらまいて情報を集め、各生徒が抱えている問題を未然に解決する。

 場合によってはガス抜きに爆発させることもある。

 女子ばかりの学校なためにそうそう暴力沙汰にはならないが、かといって陰湿さでは男よりも女の方が勝ることもある。


 善行ばかりしているのではなく、弱みを握って脅すことも少なくない。

 彼女のことを憎んでいる生徒も少なくないはずだが、下手に彼女にちょっかいをかければ即座に反撃されて、最悪転校に追い込まれてしまうだろう。

 だからたとえ葵のことを憎んでいる生徒がいたとしてもそうそう手出しすることはできないはずなのだった。



 葵が何か考えごとをしているのに大輝が気づいたのは偶然だった。

 悪巧みにしろ、そうでないにしろ、葵が何かを考え込んでいることは珍しいわけではない。

 それでも彼女の異変に気づいたのは大輝にとっても彼女との付き合いが長くなってきたからだろう。


「何か悩み事でもあるんですか」

 そう尋ねてみようにも、どうせ大輝が力になれることなどほとんどない。

 悔しいことではあるが。

 もし、何か助力が必要なら葵の方から言ってくるはずだった。

 それなら大輝は喜んで力を貸すし、忠犬のように尻尾を振って応えたに違いない。


 数日して葵は生徒会室で忙しそうに書類を整理していた。

 これもまた珍しい。

 たいていは書記の明日香の仕事であるし、雑用係の大輝の仕事でもある。

 何か捜し物というわけでもなく、ただ机に積み上げられた書類をより分けて次々とコピーを取っていた。


「えっと、その、どうしたんですか?

 そういう仕事ならだいたい僕に押しつけてますよね。

 何か緊急の用事でしょうか」

 疑問符を軽く三つほど浮かべながら大輝が葵に尋ねると、彼女は複雑な表情を浮かべながら答えた。


「急ぎというほどでもない。

 たぶん必要になるだろうから念のためだな。

 どこからどこまでが必要かは私にしかわからないから自分でやっていたのだが……。

 そうだな、ついでだからそこのコピーをまとめて冊子にしておいてくれないか」


 大輝は二つ返事で快諾する。

 笑顔のままその溜まったコピーに目を通すと、なにやら数字が大量に書いてある。どうやら数年前からの会計書類らしい。

 予算会議は既に終わっているし、どうして今更こんなものが必要なのか大輝にはまったくもって理解できなかった。


「えっと、あの……、これって……」

「気にするな。

 どうひっくり返したところで私たちの責任ではないからな」


 そうきっぱり葵は言うのだが、大輝にとってはまだ疑問符は消えていない。

 帳簿とそのコピー、そして責任、どこをどう繋げても葵の思案顔と繋がりそうもないのだが、いくら鈍感な大輝でもこれがただ事でないことは理解できた。

 それでも葵が気にするなというのなら心配することではないのだろう。

 すべてが前任者のことなのだから。



 再び数日が過ぎて、大輝にもようやく事の輪郭が見えてきたのだった。

 小耳に挟んだのは悪い噂だった。


 曰く、葵が生徒会予算を私的に流用しているというものだった。

 他にもある。葵がカンニングをしているとか、

 教師から試験問題を横流ししてもらっているとか、

 町で知らないおじさんと一緒に歩いていたとか、

 それでそのままラブホテルに入っていったとか。


 わずか数日のうちにどうしてここまで爆発的に醜聞が広がっているのか理解できないことだったが、大多数の生徒は葵のスキャンダルをおもしろおかしく語り合っていた。


 急激に頭に血が上っていくのを自覚しながらも、大輝は拳を握りしめてそのまま急いで生徒会室へと向かった。

 根も葉もない悪口であることはすぐに理解できた。

 まぁ、ここまでランダムに悪い噂を聞き続ければ馬鹿でもわかったであろうし、それがデマであることはすぐにわかるのに、それをおもしろおかしく話し合っているクラスメイトらに無性に腹が立った。


 生徒会室まで行くのに光の早さを超えたかもしれない。

 そんなことはなくとも廊下を走ってはいけないが、放課後の生徒が多い中、大輝は鬼のような形相で駆け続け、その大輝の形相を見てまるでモーゼの十戒のように他の生徒たちが道を開けていた。


「会長!」

 文字通り音を立てて生徒会室のドアを開くと、その部屋の主は驚くほど涼やかな顔で大輝を迎えた。

「なんだ騒々しい。

 生徒会役員たるもの、どんな時でも落ち着き払って行動してもらわねば他の生徒への示しにならんだろう。

 なんだね、通り魔でも出たか?

 富士山が噴火でもしたか?

 それとも教頭が校長を押し倒したか?

 最後のなら是非とも乾杯せねばならんが」


 開いた口が塞がらないとはこのことか、大輝は酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせながらもとっさに言葉が口をついて出てこなかった。

 あの聡明な葵が自分に対する口汚い噂を知らないわけもない。

 ならそれが葵なりのエスプリであることにようやく気づけるようになった頃、果たして自分は何を慌てて生徒会室へと駆け込んだのかわからなくなっていた。


「まぁ座りたまえ。

 紅茶でも飲むか? それともマックスコーヒーのような甘いものの方が冷静になれるかね?」

「すみません……。えっと、別になにもいらないです」


 生徒会室で会長の席は長テーブルの向こう側、窓際の席と決まっているが、他の役員には指定席はない。

 なんとなく左右に分かれて座っているが、大輝のいつもの席はたいてい明日香の横の下座だった。

 それとは別に葵と向かい合う位置にも椅子があって、これはだいたい陳情に訪れる生徒用の席なのだが、今日はそこに大輝が座った。


「その様子ならようやく事態に気づいたということだな。

 早いとも遅いとも言い難い。

 まぁ、他の役員はとっくに知っていることなのだから、遅すぎではあるが」

「えっと……、すみません……」

「謝ることではない。

 こういう噂話は女子の方が耳が早いものだし、ようやく大輝の耳にも入ったということは逆に収穫でもある」


 葵の言う意味はわからなかったが、大輝は頭に疑問符を浮かべただけで次の言葉を待った。

 未来や明日香もとっくに知っていたというのは大輝にとってショックではあったが、どうして教えてくれなかったんだという感情は湧き起こらなかった。

 根も葉もない悪質な悪口を言い触らす理由などどこにもないのだから、たとえ大輝が先に知っていたとしても、このように葵に注進することはあっても明日香に話すことは自分でもしないだろう。


「ところで私の……、その聞くに耐えない悪口であろうが、念のためどういう類のものか聞いておこう。

 おそらくは既知のものだと思うが、それでも新しい情報があれば幸便だからな」

 意に介していないのか、葵は笑顔のままで尋ねてきた。

 大輝としては葵の根も葉もない噂を自分の口から出すのも嫌なのだが、葵からそう促されれば申す他ない。

 知っている限りを、できるだけ感情を込めずにこぼすと、葵は一つ一つ頷いた。


「まだ新しい中傷はないようだな。

 ところで大輝は、その……、私の悪口を聞いてどう思ったかね?」

「でたらめにも程がありますよ。

 聞いていてすごく腹立たしかったですし、そんな噂をおもしろおかしく話している奴らの胸ぐらを掴んでつるし上げないのが不思議なくらいで」


「暴力沙汰にならなくてよかった。

 仮初めにも生徒会役員が白昼堂々校内で暴力を振るえば停学程度では済まないからな」

 どこまでも微笑みを絶やさない葵を度量が広いと見たか、それとも心が強いと見たか、それはどちらもあったことだが、だからこそ大輝にとってはこの誹謗中傷を流布した人を許せそうになかった。


「それでこんな酷い噂はいったい誰が広めたんですか?」

 大輝の問いかけに、初めて葵は複雑な表情を見せ、苦笑しながらありのままを告げた。


「それがわからないのだよ。

 私のことを恨んでいる生徒はそれこそ両手の数では足りないし、心当たりが多すぎて絞り込むこともできない。とはいえ、私が知っている範囲内の者たちは私を恨んでいるといっても十分に懐柔しているからな。

 プラスマイナスで考えれば微妙なところだが、それを失えば大きな損失だということくらいは理解しているはずだ。

 私を敵に回してただで済むわけがないということも骨の髄まで知っている。

 まぁ、実際に何か仕掛けてくるような心当たりの手合いはとうに退学に追い込んでいる。

 生徒でなければというところだが、少なくとも在学中の生徒であるとは考えにくいが、逆に校外の者だとすると、こうまで効率的に噂を流布するのは難しいだろうな。

 いや待てよ。その縁者が復讐するためにやっているという線はあるかもしれないが……」


 改めて葵に敵が多いことを大輝は知り、さもありなんと思わないでもない。

 葵の信者に等しい大輝とて、彼女がわずか数ヶ月のうちにやってきた悪行の数々は控えめに見ても陰口の一つや二つくらいは叩かれてもおかしくないものだった。


「あの、例の新体操部の部長さんじゃないんですよね?」

「それはないだろう。

 楽しませてもらった分、部費は上積みしておいたし、結果的に彼氏もできたわけだからな。

 内偵している限りでは幸せのようだし、部内でもトラブルは発生していない。

 むしろ感謝してほしいくらいだが、実際に彼女が噂の発生元でないこともほぼ確認済みだ」


 ここまで傲頑に言えるのかと感心もするが、用心深いというか、しっかりと裏を取っているのも呆れるというかなんというか。

 この調子で徹底的に容疑者は洗っているのだろう。

 しかし、執念深いほどの執拗さの割にはまだ犯人は見つかっていない。

 それほど問題の根は深いとも言えるわけだが。


「あの……ショックですよね……。

 こんな根も葉もない酷い噂ばかり流されて……。

 僕は会長が無実だって知ってますからどんなことがあっても会長の味方ですけど……」

「それほどでもない。

 知っての通り私に敵は多いからな。

 こんな程度の中傷など慣れっこなのだよ。

 とはいえ、愉快とは言い難いものではあるが」


 相変わらず葵はニコニコ笑顔で通している。

 表面上では不機嫌とはとても思えないが、いつもの葵はこんなに微笑んでいないし、愉悦を覚えているような悪い笑顔とも違う。

 いわゆる営業スマイルに近いのだろうが、むしろそういう作った表情が内心の葵を表現しているように見えた。


「大輝は心配しなくてもいい。

 新聞部や未来に内偵を頼んでいるからな。

 どうせすぐに噂の出元は割れる。

 私に刃向かった犯人には退学よりも苦しい目に遭ってもらうがな」

 この時だけはいつもの不敵な笑みを浮かべた。


 大輝としては愛想笑いをするしかないが、これではどちらに同情すればいいのかわからない。

 しかし、葵はすぐに神妙そうな顔に戻り、両肘を机について両手を顎の前で握った。


「とはいえ、それも私がこのまま生徒会長でいられれば、ということだが……」

「あの、それって……?」

 大輝が葵の言う意味を理解できずにいると、その答えはちょうどタイミング良く室内のスピーカーから響いてきた。

 曰く、


「生徒会長の二階堂葵さん、至急、校長室までお越しください。

 繰り返します、生徒会長の二階堂葵さん−−」


 突然の呼び出しに不吉なものを覚えながら、大輝はスピーカーを見上げた。

「想定通りではあるが、タイミングは悪くないな。

 むしろこの時で良かったと言うべきか」


 意味不明のことを葵が呟き、召集に応じるために立ち上がった。

 横に積んでおいた資料を手に取って、つまらなさそうに確認すると、そのまま大輝へと手渡してきた。


「大輝、一緒に来てくれるかね」

「えっ、あっ、はい。もちろんです」


 手渡された資料は先日、大輝がコピーしたものだった。

 このために用意しておいたのかと感心しながら、そんな前の日からこの事態を想定していたことに改めて感心せずにはいられない。



 校長室は二階の教員室の隣にある。

 この辺り一帯は教員エリアのため、一般の生徒は少なく、逆に教師とよくすれ違う。

 礼儀正しく挨拶すると向こうも義務的に返事をするが、それはいつもと別段変わらないものだった。

 葵がこれからどうなるかということは他の教師には伝わっていないようであるし、そもそも大輝にもいまいちよくわかっていない。


 校長室に入るのは大輝にとっては初めてのことだった。

 温厚そうな妙齢の校長の顔はすぐに頭に浮かぶ。

 全校集会での話しぶりも、年齢以上に落ち着いていて特に他愛のない話をうまくまとめて五分程度で話す、まぁ、誰も興味のない話を延々と十五分以上続けるような普通の校長とは違う。

 大輝の印象では接しやすそうな人という感じではある。


「予め言っておくが、一番懸念しているのは、もしこの噂を流したのが教頭である場合だ」

「ええっ? そんなことってあるんですか? だって先生ですよ」


「考えたくはないが、教師とてただの人間だ。

 全員が全員、聖人君子なわけあるまい。

 しかも、社会的な地位にある者こそ、そういう裏のドロドロしたものを持ち合わせていたりするものだ。

 私と険悪であることは校内で知らない者は誰もいないし、たかが小娘一人相手に何度も煮え湯を飲まされてきたとすれば、不愉快にも程があるだろうからな。

 実際に、教頭だけは懐柔のしようがない。

 故に最も考えられる容疑者の一人でもある」


 そこまで言うのであれば大輝としては反論の一つも出てこない。

 方や校内のナンバー2であり、初老のプライドの高い教頭と、方や地元の有力者、PTA会長の娘であり自身も表面上は品行方正な生徒会長。

 教師にとっておとなしく従順な生徒ではないからこそ教頭にとっては忌々しい存在で、何か機会があれば処罰したいのであろう。

 そして今こそ二人の立場を明確にする絶好のチャンスであると教頭が考えていても不思議ではない。


「大輝、準備はいいか」

 校長室の前で葵はやや緊張した顔つきで大輝を見上げてきた。

 ぼんやりしていた自分が恥ずかしくなり、改めて気合いを入れて返事をする。


「付き合ってもらって悪かったな。

 まぁ、大輝は何もせずぼーっと突っ立っていればいい。

 実際に何も知らないだろうからな。

 それと、だ。手を握ってもいいか?」


「えっ? あっ、もちろんです」

 返事をするのと同時に葵が大輝の手を取る。

 想像以上に小さく柔らかい葵の手の感触が大輝の手に伝わってくる。

 ぎゅっと握りしめられ、やや力を感じるものの、それでも女の子らしい柔らかくぴたっと手に吸いついてくるような感覚がある。

 ひんやりとした葵の手だが、緊張しているのかややじとっとしているように感じられる。

 握られているうちに彼女の震えまで伝わってきた。


「会長……」

「大丈夫だ。

 もう少し、もう少しだけ握らせてくれ。

 そうしたらいつもの強い私に戻るから。

 大輝さえ隣にいてくれるなら、私はどんな強敵相手でも真っ向から戦える」

 いつもは気丈にしていても、葵は紛れもなくか弱い年頃の女の子であるのだと、今更ながら大輝は思い知らされた。


 大輝は力強く葵の手を握り返し、そのままぎゅっと抱きしめたい感情に抗いながら、できるだけ葵を安心させるように優しく微笑んで彼女の目を見つめ返した。


「どんな時でも僕だけは会長の味方ですから。

 いえ、僕だけでなく、未来先輩や明日香も先輩の味方ですよ。

 会長が困っていたらいつでも力になりますし、たいしたことはできないですけど、足掻けるだけ足掻いてみせますから」


 葵の瞳は震える子猫のような潤いを見せていたが、徐々にいつもの力強さが戻っていく。

 それは時間にしてわずか数十秒だっただろう。

 大輝の手をまた力強く握り返し、そしてそっと手を離した。


「ありがとう。

 全校生徒が敵に回ったとしても、私はもう何も恐れることはないさ」

 葵は息を整えて静かにドアをノックした。

 中から初老の婦人、つまりは校長の「どうぞ」という声が返ってきて、葵は「失礼します」と凛と通った声でドアを開けた。


 室内の空気は校長室といえ外と変わっているはずはない。

 それでもどこか冷たく荘厳な感じはするし、それは場所が場所ゆえか、校長の穏和ではあるが厳粛な性格がなすものなのか、それとも大輝たちが被告として呼ばれたここが断罪場であるからなのであろうか。

 いずれにせよ初めて入る校長室に好奇を覚えながらも、大輝は葵に一歩遅れて入室し、改めて気を引き締め直す。

 校長、教頭という葵にとっての敵がどのような態度でこの場に臨むつもりなのか表情から読みとろうとしながら。

 そんな大輝の不安を余所に、校長は落ち着いた口調で他愛も無い世間話を始めた。


 それが校長の手口であったのかどうかは大輝にはわからなかった。

 拍子抜けするとはこのことだが、一体、どうして呼び出されたのか疑問に思い始めた頃、校長の隣でずっと葵を睨みつけていた教頭が苛立ちながら口を開いた。


「校長先生、その辺で。

 おほん、二階堂君、どうしてここに呼ばれたかわかるかね?」

 あろうことか自分の話が途中で中断させられても、校長は気分を害したりはしなかった。

 その様子を見て大輝は校長が教頭から切り出させるために長々とした無駄話をしていたのだと気付く。


「いいえ、わかりません」

 そんな茶番は葵もわかっていたのだろう。

 しかし、彼女は表情一つ変えずに質問に答えた。

 優等生の葵にわからないと言われ、教頭は馬鹿にされたと思ったのか口をパクパクさせて絶句し、次に額に青筋を浮かべるような表情で激しく言った。


「生徒会予算が私物化されているという噂が届いたのだよ。

 これについて二階堂君から納得の行く説明を聞かせてもらいたい!」

「ああ、そのことですか。

 教頭先生ともあろう方が根も葉もない噂を信じてしまわれるとは。

 非常に残念です」


「火の無い所に煙りは立たないというからね。

 予算の私物化だけではない。

 試験のカンニング疑惑、生徒会選挙での買収、試験問題の横流し、挙句の果てには援助交際の上にラブホテルを利用したそうではないか。

 二階堂君、君に対する醜聞があちこちから聞こえてくるようでは、我々としても事情を聞かずにはいられないのだよ」


曾参そうしん人を殺す、ですか。

 わざわざ弁明する類いの話でもないと思いますが、そうですね。

 カンニングについてはこれから抜き打ちで再試験してくださっても構いません。選挙の買収や試験問題の横流し、援助交際とやらは具体的な証拠を提示していただかないと私としては否定のしようもありません」


 真っ向からの否定に教頭は反論できる証拠もなく、ただぐぬぬと押し黙るしかなかった。


「二階堂さん、あなたに対する誹謗中傷を追求する気はありません。

 ただ、学校側からしても生徒会の予算が適正に処理されているかどうかは調べなければならないのですよ」

 黙った教頭の代わりに校長が穏やかに言った。

 肝心な部分を教頭任せにしたとしても、やはり校長としてこのまま見過ごすわけにもいかないのだろう。

 しかし、それは葵の予想した範囲のことだった。


「そう仰られると思いまして、既に資料は用意済みです。

 生徒会予算の不正とのことですが、私が着任した時に不適切な箇所がありましたので、顧問の佐々木先生に相談の上、適当に処理しておきました。

 これが当時の帳簿と報告書です」


 以前、葵が用意していた資料とそのコピーはこの時のためのものだったのだ。

 資料の原本は校長に、コピーは教頭に手渡す。

 当該個所にはしっかりと付箋が張ってあり、それに沿って葵が説明をする。

 校長は元々、興味がなかったのか適当にページをめくるだけですぐに書類を脇に置いた。

 対する教頭は葵の失点を見つけるために穴が開くほど資料に目を通していた。


「元々、何らかのアクシデントがあった時に補填するための予算だったようです。

 予算の私物化という噂も、恐らくはこれに尾ヒレが付いて広まったものなのでしょう」

 と、葵は事実とは異なることを白々しく説明した。


 実態は生徒会が自由に使える裏予算があるのだが、元の資金は既に生徒会予算や学校の金とは全く別のものにすり替わっている。

 バレればスキャンダルになることは間違いないが、性質としては葵がポケットマネーを使っていることと変わりはない。


 予算の私物化という噂を過去にあった不適切な会計処理と結びつけて本物の裏予算から目を逸らす。

 葵がここまで計算していたのかどうかはわからないが、校長も教頭も見事に葵の用意した囮に食らいついていた。


「教頭先生、予算については二階堂さんたちの責任ではないことがわかりました。今更、卒業生を追求して事を荒立てることもないでしょう」

 校長の発言に教頭はまだ納得したようではなかったが、肝心の資料を眺めても新しい不正は見つけられず、渋々、葵たちを解放することに同意した。


「二階堂さん、ありがとう。

 もう結構ですから下がっていいですよ。

 それと、あなたに対する誹謗中傷についてですが、困ることがあったら相談しに来てください。

 たぶん、あなたなら一人で解決してしまうのでしょうけれど」

 言外に「穏便に片付けでくださいね」と校長は言い、葵たちも「失礼しました」と深々と頭を下げて校長室を出た。



 虎口から逃れて葵と大輝は大きく息を吐いた。

 予想よりもずっと簡単に話は終わった気もしたが、それを大輝が口にすると葵は微笑して説明してくれた。


「校長は元々、私の味方みたいなものだからな。

 父の方から学校側に巨額の寄付金が渡ってる。悪いようにはしないさ」

 なるほど、校長が終始、温和な態度で接していた理由がわかり、大輝としてはラストダンジョンに挑むほどの緊張はなんだったのかと言いたくなった。

 とはいえ、生徒会室に戻ってからも葵の愁眉は変わらなかった。


「教頭が黒幕ではなかったのは幸いだったな。

 最悪のことを考えすぎていたのかもしれないが、逆にこれで犯人捜しは袋小路に迷い込んでしまったのかもしれない」

「教頭先生はシロ何ですか?」


「十中八九な。もし私が教頭なら、証拠をねつ造くらいしただろう。せっかく私を処分するチャンスだったのだ。この機会を逃すはずが無い」

 そこまでするだろうかと大輝は思うものの、葵ならそうするのだということだけは確信を持って言えた。

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