第12話 生徒会の合宿。ガールズトークと逆夜這い?(後編)

 そんなことがあったことに関係なく、大輝は眠れるはずがなかった。

 わずか障子一枚向こうに女子が寝ている。

 雑音のない夜中なら寝息まで聞こえてくるだろう。

 いくら寝る時間であり、就寝のために電気は消され、外から漏れてくる月明かりだけしか見えないとしても。

 とはいえ、実際に眠れなかったのは、布団に潜り込んだ葵たちがひそひそ声で話始めたからだった。


「これからは女子だけの時間だな。

 早速だが、こういう合宿では定番の恋バナでもしようではないか」

「ちょっ、会長、何言ってるんですか。隣に大輝がいるんですよ」


「いや、もう寝ただろう。だから大丈夫じゃないか」

「あれからまだ一〇分も経ってないじゃないですか。

 起きてるに決まってますよ」

 葵のボケにすかさず明日香がツッコミを入れるものの、葵はわざととぼけたままだった。


「明日香ちゃん、大丈夫よ。

 三枝君は今日一日がんばったもの。

 きっとクタクタに疲れてるからお布団に入ったら即寝落ちしてるわよ」

「そんな、篠原先輩までっ。

 わざとですね、わざと大輝に聞かせて楽しもうとか考えてるんでしょう?」


「あらあら、そんなことはないわよ。

 ねぇ、大輝くぅーん、起きてる?」

 いきなり振られた大輝は唖然として絶句していると、すぐに未来は笑った。

「ほら、もう寝てるわよ。だから大丈夫」


「えっと……、絶対に起きてると思いますけど……」

 安心しきった表情を見せる未来に明日香はじと目で見やって言った。

 こうなってしまえば大輝とて今更起きてますと言えるわけもない。

 そもそも、彼女たちの恋バナには彼も興味津々だったのだ。

 これは是非とも狸寝入りして聞き耳を澄まさずにはいられなかった。


「先生も交ざるぅー。

 まずはそうねぇ、初恋の相手の話にしましょう。先生はねぇ」

「美穂ちゃんの初恋相手なんか興味ないですから」

「そんなっ、高校の時の川上先輩のことノロケさせてよぅ」


「あの、高校が初恋って遅すぎじゃないですか?」

「そもそも美穂ちゃんって年齢イコール彼氏いない歴だとばかり思ってたんですけど」

 それぞれの容赦ない言葉に美穂はしょげ返るものの、すぐにムキになって言い返した。


「いいじゃない、どうせ私の片思いですよぅ。

 先輩、かっこよすぎて私みたいなちんちくりんなんか歯牙にもかけてくれないしい。

 バレンタインの時に勇気を振り絞ってあげたチョコだって、他の数あるチョコの中の一つにすぎないってわかってたしぃ。

 大学ではバイトと教職取るのに忙しくて男を作る暇なんかなかったし。

 教師なんて出会いが全然なくって、ええそうですよ、処女で何が悪いのですよ」


「美穂ちゃん、わざわざそこまで暴露しなくても」

 仕方なく未来がフォローに回るものの、まだアルコールが残っている美穂はぶつぶつと独り言を呟いていた。


「美穂ちゃんはさて置いて、次は明日香の番だろう。さぁ、話すがよい」

「ええっ、わたしの番なんですか?

 でっ、でもぉ、絶対に大輝が聞いてますよ。こんな状況で話せるわけないじゃないですか」

「ほぅ、大輝に聞かれては困る相手なのか。

 それは誰だ? 同級生か、それとも中学の時の彼氏か?」

 にやにやと明日香の足元を見ながら煽っていく葵に、明日香は恥ずかしそうに顔を赤らめて否定する。


「そんな人いませんから!

 口から出任せ言うのやめてください。

 その……、言いにくいことってあるじゃないですか……」

「別に小学校のナントカ君だったからって別に大輝は気にしないと思うがな」


「だからなんで大輝が出てくるんですか。関係ないですからっ」

「あらあら、こんなの適当に嘘でも言っておけば十分なのに。

 どうせそれが本当かどうかなんて誰にもわからないし、嘘でも盛り上がれれば十分なのよ。

 ちなみにあたしの初恋の相手は幼稚園の時の三井君よ」


 どこまでも嘘くさく、真実味のかけらもない笑顔で未来が言った。

 未来の浮ついた話は聞いたことがないが、かといって仮に大学生の彼氏がいたとしても驚かないだけの大人っぽさはある。

 どこまでが本気でどこからが嘘なのか区別がつきにくく、本当に真贋しんがんがわかりづらい。


「じゃあ私も小学校二年生の時に転校していった山口君でいいです」

「おいおい、そんな今思いついたようなことをつぶやくのはナシだろう」

「別にいいじゃないですか。

 近所でよく遊んだ仲だったんですから。

 今では顔もよく覚えてませんけど」


「山口君可哀想だな……。

 向こうは明日香のことが好きだったんじゃないのか?」

「さぁ。そんな小さい頃の好きなんてあてにならないじゃないですか。

 きっとわたしのことなんて忘れて別の人のことを好きになってますよ。

 わたしだって今の今まで忘れてたんですから」

「身も蓋もないなぁ」


「次は会長の番ですよ」

「えっ、私なのか?

 まぁ、そうか。仕方がない。初恋、初恋かぁ。

 こういうことを言うのは反則かもしれないが、気に入る男と出会ったことがほとんどなくてなぁ。

 悪いがまだ初恋をしていないというのが正直な感想だな」


 嘘というにはあまりにも淡々と話すので、聞き耳を立てていた大輝は思わずずっこけそうになった。

「えぇーっ、ずるいですよ会長。

 そういう言い方はしらけちゃうじゃないですか」

「明日香ちゃん、違うのよ。

 葵ちゃんはずっとぼっちだったから本当に男との出会いがなかったの。

 そうでしょ、ねっ?」


「おい、遠慮なく言うなぁ未来よ。

 確かに男友達はいなかったし、私のメガネにかなう男は見あたらなかったが……。

 うむ、そうだな。やはり思い当たる男はいないな」

 さりげなくキッパリと自分まで否定され、大輝はややショックを受けながらも当然だよなと心の中で呟き、枕に顔を埋める。


「だから初恋があるとしたら、これからということになるのだろう。

 初恋というものがどんなものになるのか、楽しみではあるな」

「ふーん、近くにいる男の子っていうと、今は大輝君がいるわよね。

 じゃあ有力な候補なんじゃないかしら」

 さりげなく爆弾を投下して未来は心の中で笑った。


「大輝か? むぅ。まぁ、悪くはないかもしれないが……」

「かっ、会長は年下の頼りなさそうな男の子はつりあわないと思いますけど」

 口ごもる葵に慌てて明日香が口を挟んだ。

「年下だから興味がないというのはないぞ。

 まぁ、大輝の場合は可愛い後輩という感じだがな」


 可愛い後輩にしては可愛がりすぎじゃないですかと明日香は葵に疑いの目を向けるも、まさか口に出すわけにはいかない。


「じゃあ先生が三枝君をもらっちゃうね」

「いや、それさっきやりましたから」

 ほぼ三人が同時に突っ込んでとりあえず話はそこで流れた。



 その次には学校のかっこいい男子の話になり、知っている恋愛話とか、誰と誰がつきあっているとか、とんでもないことに校内でその現場を見てしまったというものもあった。

 そうこうしているうちに次第に会話も少なくなっていき、いつの間にか女子たちは寝落ちしてしまったようだ。


 女子組が寝静まったとしても、大輝にとってはとても快適に眠れるような状況ではなかった。

 布団は悪くない。

 場所はいまいちながら、枕が変わった程度で眠れなくなるようなデリケートなたちでもない。

 わずか障子一枚挟んだ向こうで四人もの女性が寝ていて、微かに寝息さえ聞こえてくるような状況で、すぐに安眠できるなんてことは健康な男児にとってありえることではなかった。


 障子の向こう側は桃源郷も同じだった。

 無防備な女子が眠っている。

 そこへ向かう物理的障害は無いに等しい。

 夜這いをかけるのではなくても男なら覗いてみたいと思わないわけがないし、そうしなければ男が廃るようなものだった。


 覗けば極刑。

 そんなことがなかったとしても、信頼を寄せてくれた葵たちを裏切るような真似はしたくはない。

 しかし、気になるものは気になるのであり、さっさと眠てしまおうと強く意識すればするほど目が冴えてくるのもまた当然のことだった。


(ちょっとだけなら……)

 浴衣姿の女の子たちが天使のように寝息をたてている。

 もしかしたら寝相悪く浴衣がはだけているということもあるかもしれない。

 下着姿をちらっとでも見られたらお宝ものだろうし、そんなことがなくても男として興奮してしまうのは避けられそうもない。

 こっそりと起きあがって、大輝はどこかに隙間でもないものかと障子を見回した。


 当たり前だが穴一つ開いていない。

 柔い紙一枚のことだから覗き穴一つ開けることは楽勝だが、修復する手段もないのだから朝起きた時に一発で露見してしまうことも違いない。


(ああもうこんなことなら昨晩、おもいっきり抜いてくればよかった……)

 障子の向こうを意識すればするほど、男として昂ぶっていた。

 だからより一層アレは目立つほどそそり立ち、昼間にいろいろあったものの勃起しないように我慢していた分、さらに息子は猛っていた。


(これどうしろっていうのさ)

 人生が破滅したとしても、隣に乱入して葵たちに襲い掛かりたい衝動が沸き上がっていた。

 目は血走り、心音は破裂するのではないかというくらい高鳴っている。

 妄想で彼女らの浴衣をはぎ取り、その下の裸体を嘗め回すように見つめているところで大輝は一度、我に返る。


 こんなことは絶対にしてはいけない。

 葵たちの信頼を裏切ることは誰が許しても自分が許せることではなかった。

 とはいえ、要は一番、性衝動を解消する手段はつまり手淫ということだろうが、いくら向こうが寝静まっているからとはいえとてもできることではなかった。

 仮にバレなかったとしても、後の処理に困る。

 こっそりトイレに捨てに行くことすらできないのだから。

 痛いほどにキツく立せながら、大輝は頭を振って再び布団の中に潜り込んだ。


 こういうときはとにかく早く寝てしまうのが一番だと自分に言い聞かせる。

 それでも寝ようと意識すればするほど目は冴えてきて、息子は暴れ周りたいと主張し続ける。

「羊が一匹、羊が二匹、羊が……」

 やけくそな気分で羊を数えてみるものの、これがどうして眠れることになるのかとても理解はできなかった。

「One sheep,two sleep,three sheep,four sleep……」


 それでもいつの間にか睡魔に落ちていたのだろう。

 思った以上に疲労していたのかもしれない。

 次に気づいた時は真夜中だった。

 時間はわからないが、外はまだ暗い。

 丑三つ時だろうか。

 草木も眠るというだけあって異様に静かで、なぜか不気味な感じがする。

 どうして目が覚めたかといえば、それは金縛りにでもあったかのような体の重さ故だった。


 異様な圧迫感を覚えて目を開けると、暗闇の中でうっすらと人影が自分に覆い被さってきているのが見えた。

 幽霊か何かかと恐怖する一瞬前に、甘い香りと柔らかな感触で心当たりをつけた。

「ねぇ、大輝。起きて。起きてよ」

 顔を覗き込み、囁くように小声で話しかけてきたのは明日香だった。


 浴衣の胸元から美味しそうな丸みがちらりと見えている。

 どうしてこんなことになったのか大輝は動揺するとともに、これは夢なのではないかと疑心した。

「明日……香?」

 どうして明日香がこっちにいるのか。


 まさか大輝が寝ぼけて女子の布団に転がっていったことでないことは、左右を見回して理解した。

 あれほど通るのに悩んだ障子が今は開いていた。

 明日香が開けて入ったのだろう。

 まさか明日香の方から夜這いに来るなんて。

 ありえないことだと頭では理解していても、わずかに期待してしまうことは否めない。


「ねぇ、お願いがあるの。何も聞かずに一緒に来て」

 手を絡ませるように握って優しく促してくる。

 大輝は生唾を飲み込んで彼女に引かれるままゆっくりと起きあがった。

 どこに連れていかれるのかと思えば、そのまま障子の向こう、女子の花園へだった。

 さすがに立ち入りを禁止されているため大輝は力強く立ち止まった。


「ねぇ、明日香っ、こっちに入るわけにはいかないんだけど……」

「みんな寝てるから大丈夫。ねぇ、お願いだから一緒に来て……」

 潤んだ瞳で懇願されるように見上げてくる明日香に大輝はドキッとして戸惑った。いったいこれから何が起きるのか、何をしようとしているのか。

 理解は不能だったが、明日香の頼みとあらば選択の余地はない。


「わかった……けど、もし会長にバレたら明日香が助けてよ」

「うん、任せて……」

 明日香の承諾に大輝はほっとして手を引かれるまま葵たちが眠る女子エリアに進入した。

 夢の花園は大輝にとって桃源郷そのものであり、寝息をたてて静かに眠る女子たちの寝顔は天使のようで、さらに着崩れた浴衣から覗く下着まで拝めたのだから眼福ここに極まれりといったところだった。


「足下、気をつけて」

 明日香に言われるまでもなく大輝はそっと慎重に足を運んでいった。

 もし誰かを踏んだりつまずいて大きな音をたててしまえば一巻の終わりであることは理解している。

 微かな常夜灯の明かりだけが頼りの中、できるだけ忍び足をしながらいろいろと観察していくが、それはしょうがないことだと大輝は力強く主張する。


 やっと部屋を出て廊下で一息をついた。

 明日香はぎゅっと手を握り締めてきて、恐る恐る廊下を進む。

 目的地はすぐそこだった。

 わかってみれば納得であり、明日香はトイレに行きたくなったのだった。


 確かに夜の旅館はそれなりに雰囲気がある。

 灯りは常夜灯がわずかに足下を照らすだけだし、それなりに年代ものの建物だけあって幽霊の一つや二つが住み着いていても不思議ではない。

 女子トイレの入口まできて、明日香は躊躇いながらも大輝を見上げ、そのまま彼ごと女子トイレに進入しようとした。


「ちょっ、ちょっと明日香。さすがにこれはまずいんじゃないの?」

 大輝は再び我に返って明日香の手を引き戻した。

 いくらなんでも大輝が女子トイレに入るわけにはいかない。

 たとえここで明日香と一緒に大人の階段を上ることになったとしても。


「ううっ……」

 制止されて明日香は困ったような顔で大輝を見つめてきた。

 潤んだ瞳はさらに湿り気を増し、頬は紅潮していた。

 何かを懇願するように口ごもり、もじもじと股をすり合わせている。


「もしかして明日香、漏れそうなの?」

 直球すぎる言い方だったが、明日香にはもう余裕がないのだろう。

 力強く頷いて大輝の手を引っ張った。

「えっとつまりここはトイレで、僕を連れてきたってことは怖いから誰かについてきてほしかった、と」

 明日香は「その通り」と二度頷いた。


「じゃあしょうがないのか。

 って、いくら怖いからって僕が女子トイレに入っていいものなのか」

 力が抜けた途端に明日香に引っ張られ、嫌が応にも大輝は女子トイレの中に連れられていった。

 生まれて初めて入る男子禁制の地はなんだかとても良い香りがするようで、少し感動的だった。


 珍しくても変わったものがあるわけではなく、男子トイレとの違いは小便器がないくらいなものだ。

 それは不思議な感じもするが、明日香は大輝を連れ立って個室に入っていく。


「ちょっと待って明日香。

 いくら怖いからって個室にまで入っていくのはさすがにやばいんじゃ」

 今度は明日香も問題だと気づき、困ったような顔をしたものの、扉一枚隔てた場所なら怖くないかどうか値踏みをしていた。


「ねぇ、大輝。絶対にそこにいてくれる?

 逃げたりしない? お化けとか出ない?」

「大丈夫。出ない出ない。それに、仮にお化けが出たとしても、すぐに明日香を助けに行くから安心して」

 まるで幼い子供みたいな明日香の言い方に大輝は苦笑しつつもできるだけ不安を和らげるように言った。


「ありがとう……。

 大輝がそう言ってくれるなら一人でも入れそう……かな。

 ねぇ、絶対に助けに来てよ。

 来てくれなかったら化けて出るから」

 助けに行かなかったら死んじゃうんだと心の中でツッコミを入れる。

 大輝はだめを押して頷き、明日香を促した。

 しかし、個室のドアが閉まる直前に、大輝はとんでもない問題に気づき、慌ててドアの端を手で押さえた。


「ちょっと待って明日香。

 僕一人でここにいると、万が一他の女の人が入ってきた時に大騒ぎになりかねないんだけど」

 深夜とはいえ、誰も来ないとは絶対に言えなかった。

 葵たちなら説明もつくだろうが、少数とはいえ他の客もいるのだった。

 もし運悪くかち合ってしまったら、中の明日香が説明してくれたとしても最初に悲鳴をあげられた瞬間に大問題に発展しかねない。


「ねぇ、そういうわけだからトイレの外で待っていて大丈夫だよね?」

「それ絶対無理。

 こうやってドア一枚隔てた場所ならまだ我慢できるけど、トイレ内に一人っきりなんて怖くて死んじゃいそう」

 青ざめた表情で拒絶する明日香に、大輝は困りながらもそーっと離脱をはかった。だが、明日香の手の方が一瞬早く、袖をがっちりと捕まれて制止される。


「でもさすがにここに僕一人で待っているのはやっぱり問題だから。

 ねっ、しょうがないでしょ。

 外からでも明日香の声は聞こえるし、何かあったらすぐに駆けつけるから」

 なんとか宥めすかそうとするものの、明日香の握る手は一層堅くなり、最後には思い悩んだ末に大輝を個室の中にまで引っ張り込んだ。


「ううっ……、しょうがないから中にいて……」

「ええーっ?」

 まさかこの展開は予想すらせず、大輝は驚くとともにさすがに慌てた。

 明日香と同じ個室に入り、目の前で彼女が用を足すというのだ。

 初めての経験というレベルを超越していたし、同い年の少女が排泄するシーンを目の当たりにしなければならないという状況は童貞の高校生にとっては刺激が強すぎる。


 あまりもの倒錯感に大輝は目眩を覚えそうだった。

 どうしていいかわからずに硬直していると、明日香は恥ずかしそうに大輝に告げた。


「後ろを向いていて。

 絶対に、絶対に見ちゃだめだから。

 それと、音を聞くのも禁止。耳もしっかり塞いで」

 当然の提案に大輝は顔を真っ赤にしながらも従い、個室のドアと向き合って両耳に手をあてた。


「ねぇ、聞こえてないよね?」

 「大丈夫」と思わず返事をしそうになりながら、大輝はぎゅっと耳を押さえた。この程度で聞こえなくなるわけもなく、できるだけ頭を空っぽにしながら時間が過ぎていくのを待った。

 明日香は我慢の限界を超えていたのだろう。念を押すこともなく便器に座り込むとパンツをずり下げてじっと大輝を見つめた。


 せっ返るような雌の匂いが辺りに漂ってきたような気がしていると、微かにチョロチョロと水が漏れるような音が聞こえてきた。

(これって明日香の……)

 下半身を丸だしにして割れ目から甘露を放出している明日香の姿が頭の中に浮かんでくる。


 大輝も耳まで真っ赤にしながら心の中で「あー、あー、聞こえないぃぃぃぃぃぃ」と繰り返し呟き、長い長い、時間にしてわずか一分程度の時が過ぎた。


「ねぇ、もう大丈夫だから……」

 掠れるような声で明日香が大輝の肩を叩き、彼は我に返った。

 ほっとした気分で明日香の方へ振り返ると、彼女も耳まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに俯いていた。


「ありがとう……。こういうの頼めるの大輝だけだから。

 お漏らししなくて済んだのも大輝のおかげだよ」


 はにかむ明日香に大輝は「どういたしまして」と微笑んだ。

 後は部屋に戻るだけだったが、すっきりした明日香は嬉しそうに大輝の手に自分の手を絡ませて恋人みたいな気分でわずかな二人だけの秘密のデートを楽しんだ。


 それから。

 部屋に戻った大輝はせっかくなので自分もトイレに行くことにした。

 明日香が「一緒に行ってあげようか?」と笑って言ってくれたものの、それは丁重に断った。

 まさか廊下で恐がりの明日香を一人待たせるわけにはいかないし、男子トイレの中に連れ込むのもどうかというところだろう。


「お化けに気をつけて」

 そう言って送り出してくれたものの、実際に真夜中の旅館の廊下を一人で歩くというのは明日香でなくても何か出てきそうな雰囲気があった。

 トイレに行くことができて漏らすことも避妊具を使うこともなくなったわけだが、むしろ幽霊よりも部屋に戻る時の方が怖かった。


 明日香がとりなしてくれるだろうことは間違いないが、それでも葵が目を覚ましていたら一悶着あっても不思議ではない。

 そっと音を立てずにドアを開閉し、常夜灯の灯りだけを頼りに女子の布団の横を通って自分の布団に戻る。


 葵たちは出ていったときと同様にまだぐっすり寝ていた。

 出ていった時と大きく違うのは、葵が仰向けになって浴衣の裾が大きくはだけさせ、うっすらながら水色のパンツが見えていることくらいだろうか。

 確か葵は寝相の悪い美穂と違い、折り目正しく寝ていたように記憶していたはずだが。




 翌日は梅雨時だけあって生憎の天気で、海に繰り出すというわけにはいかなかった。

 合宿というだけあって遊んでいるばかりではなく、文化祭や体育祭、予算会議などのこれから迎える一大イベントについて詳細なブリーフィングがぎっしりと詰め込まれていた。


 美穂だけは強烈な二日酔いでへばっていたものの、元々戦力としてはオマケな人なので影響はない。

 チェックアウトの時間になって合宿もすべての予定を消化したようで、あとはお土産を買って帰るだけとなった。

 雨は相変わらず降り続き、荷物は大輝が全部持たなければならないのだが……。


「あの、これじゃ傘差せないじゃないですか」

 五人分の荷物を持ってフルアーマー状態となった大輝はさすがに抗議をした。

「濡れればいいではないか。水も滴るいい男と言うしな。

 大輝、かっこいいぞ。きっと惚れてしまうな」


「会長たちの荷物もびしょ濡れになって構わないというんですね」

 冗談めかして笑う葵に大輝は即座に反論した。

「先生の鞄は濡れても大丈夫よぉ」

「そりゃプラスチック製ですからね」

 ズルズル引きずれるキャリーバッグは扱いが楽ながら、その分、片手が埋まってしまう。

 楽なんだからこれくらい自分で持ってくださいと口を開いた瞬間に葵がさっと傘を広げてぴったりと大輝の横に寄り添った。


「しょうがない奴だな。サービスだぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 小さな折りたたみ傘だけあって密着しないと濡れてしまう。女の子らしい甘い葵の香りが大輝の鼻腔をくすぐり、なんだか意識してしまっていた。


「相合い傘みたいでお熱いわねお二人さん」

「こら、未来っ、茶化すな!

 これはただ自分の荷物が濡れないようにしているだけだ」

 にやにやと笑う未来に葵は即座に反論し、明日香は機嫌が悪そうに頬を膨らましていた。




 大輝にとっておいしいことばかりな合宿だったが、帰りの車内では例のごとく四人のボックスに一人だけ通路を挟んだ隣の席になるものだとばかり思っていた。

 座る場所は同じだったものの、今度はなぜか隣に葵が座ってっきた。


「行きも帰りもひとりぼっち席じゃ可哀想だと思ってな。

 だが、勘違いするんじゃないぞ。合宿で疲れたからあまり話しかけるな。

 というかだな、私は寝るからな」

 そう言うや葵は目を瞑ってしまった。

 行きと帰りで車内ではほぼ無言だったのは変わらないが、隣に葵がいるというのは大輝にとって大きな違いだった。


 相変わらず海側の女性組三人はかしましいし、行きと違って前後は無人だったが、かといって今度は間に葵を挟むために大輝から明日香たちに話しかけるわけにもいかなかった。

 仕方なく大輝も自然とうとうとし始め、いつの間にか葵と一緒に寝落ちしていたようだった。

 途中、葵の頭が大輝にもたれかかっていたが、そのことは大輝には知りようもない。

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