第4話 スカート丈短すぎませんか(後編)

 翌朝、いつもよりはずっと早く登校する大輝の足取りは憂鬱ゆううつだった。


 いっそのこと寝坊してしまいたかったほどだが、目覚まし時計に頼るまでもなく約束の時間通りに目覚めてしまう体質に嫌気すらさす。

 自分が女子生徒のスカート丈を計らなければならないことももちろんだが、なんとなく葵に顔を合わせづらい。


 後ろ髪を引かれる思いでできるだけゆっくり歩いたとしても、学校に着かなくなるわけでもない。

 歩き続けていればいつの間にか校門が見えてきた。


「大輝、おはよう。うむうむ、ちゃんと遅刻せずに来れたのは偉いぞ」


 声が弾み、上機嫌な葵は昨日のことなど忘れたかのようで、そのことに大輝は少し救われた思いだった。

 できるだけ笑顔を作って挨拶を返す。


「おはようございます。えっと、まだみんなは来てないんですか?」

 見回しても葵以外に生徒会面々の姿はない。


 まだ定刻の五分前だが、あの二人が遅れて来る気もしいない。


「そんなことあるわけなかろう。むしろ大輝が遅いくらいだ。

 二人とも生徒会室に鞄を置いてきているだけだ。もうすぐ戻ってくるだろう」


 校舎の方を望むとゆっくりとこちらに歩いてきている二人の姿があった。

 遠目のため、二人の表情までは判別できないが。


「お前は鞄を置いてくる時間はないな。その辺に置いとけ。あと、これもしっかりつけておけよ」


 そう言って渡されたのは生徒会の文字が入った腕章だった。

 初めて見る物に大輝は改めて自分が副会長なのだと実感した。


「これがないと一般生徒と区別がつかないからな。こういう時だけの特別だ」


 ほぼ顔パス程度に有名な葵も腕章をつけている。

 大輝のものとは違い、シンプルに会長とだけ書いてある。

 だからではないだろうが、葵にはよく似合っていたし、貫禄もあった。

 この学校の中で彼女の他に会長腕章をつけこなせる生徒はいないだろう。


「ん? もしかしてお前は腕章一つ満足につけられないのか」

「そ、そんなことはないですけど、片手ですし、こういうのつけた経験あんまりなくて」

「しょうがない奴だな。ほれ、私が手伝ってやろう」


 大輝が手間取っていると葵が苦笑しながら大輝の側にやってきて腕章をつけてやった。

 ほのかに香る甘い葵の匂いに大輝はドギマギしながら見守った。


(なんだか、奥さんにネクタイをつけてもらう新婚さんみたいだな)


 妙な意識をしてしまって大輝は頬を赤らめた。

 できることならもっと葵の匂いを堪能したかったが、腕章はすぐに取り付けられ、どんと背中を叩かれた。


「しっかり頼むぞ、副会長」

 その衝撃で大輝は我に返り、慌てて「がんばります」と返した。

 それでもどこか空元気に見えたのか、葵はいぶかしげに大輝を嘗め回すように見て、一人勝手に頷いて言った。


「いつもより元気がないな。もしかして、寝不足なんじゃないだろうな。

 健康な男子だからしょうがないが、未来のパンツで抜きすぎたんじゃないか」


 不意打ちで昨日の話題をぶり返され、大輝は面を食らうとともに必死になって否定する。


「そんなことしません!」

「そうか? 別に私の前だから否定することもないんだぞ。

 適度に性欲を処理しないと、溜まりに溜まっておとなしい明日香あたりを強姦することになりかねないからな」


「万が一、欲求不満になっても絶対にしませんから!」

「むぅ。まさかとは思うが、お前って女に興味ないとか言わないよな。ホモは感心できないなぁ」


「なんでそうなるんですかっ。僕に理性とか一般常識とかないと思ってませんか?」

「そうでないことを祈りたいが、もし、犯罪に走りそうになったらまず私に相談するんだぞ。オカズに使われるくらいなら許してやるから」


 どう弁解しても泥沼にはまっていくばかりになりそうで大輝は沈黙した。

 それを葵は肯定と受け取ったのか、満足そうに頷いて話題を切り上げた。

 ちょうど、明日香と未来がやってきたということもある。


「大輝君、おはよう」

「おはよう、大輝」


 明日香も未来もほぼ同時に笑顔で挨拶してきた。大輝も「おはようございます」と返し、表面上はいつもの二人であることを感謝し、自分もできるだけ普段通りに接するように努めようと決意した。


 懸案の一つだった服装検査には、実のところ大輝は楽観もしていた。

 計画では校門から少し入った場所で大輝と明日香と未来がそれぞれメジャーを手に登校してくる女子生徒のスカート丈を計測することになっていた。

 生徒の人数は多いが、誰に計ってもらうかを選ぶ権利は生徒にある。

 まさかわざわざ男の大輝の担当列に並ぶ女子はいないと高をくくっていた。


「あの、それでなんで会長は僕の背後で仁王立ちしているんですか?」


 監視されるような視線を覚えながら、大輝は疑惑の目を葵に向けた。


「ん? メジャーは三本しかないからな。一番偉い私が、経験の浅いお前のサポートに入って何が悪い」

「そりゃ正論ですけれど。そもそもメジャーが三本しかないなら男の僕が計ることないんじゃないんですか?」

「まだ言うか。それともお前は会長である私に計らせて、雑用係兼副会長たる自分は堂々とサボるというのか。それはおかしいだろう」


 ぐうの音も出ない正論に大輝はやりこめられ、反論することはできなかった。

 たとえ葵が家にあるであろう自前のメジャーを持ってくるという選択肢がありながら、わざとそれに気づかないでいるということを大輝自身が察していたとしても。

 不承不承ながらも、ここは葵の言う通りにするしかなかった。

 それに、監視役とはいえ葵がサポートしてくれれば一般女子生徒の大輝を見る目もやわらぐというものだ。


「大輝、昨日みたいにスカートの中をのぞくんじゃないぞ」

「そんなこと絶対にしないに決まってるじゃないですか」


 いきなり釘を刺されてしまったが、不本意な注意に大輝はあからさまに不機嫌になった。そこまで信用されていないのか、と。

 それでも六時からしばらくは誰も登校してこなかった。

 朝練はだいたい七時始まりのため、六時集合は早すぎたともいえた。

 しょうがなく暇を持て余しているところで、葵が雑談を始めた。


「昨日の続きみたいなことになるが、我が校には変な校則が他にもあってだな。

 スカート丈みたいなエピソードがあるわけではなく、お堅いお嬢様学校には当然あっても不思議ではない類のものだ」

「へぇ、何なんですかそれは」

「うむ。聞けば納得するだろう。不純異性交遊禁止というやつだ」


 平然と言ってのける葵に、大輝はずっこけそうになりながら反射的にツッコミを入れた。

「って、この前大々的にコンドームを配ったじゃないですか。それに、校内でいちゃついているカップルもよく見ますよ」


「本音と建て前の違いなのだよ。と言いたいところだが、この校則はわずか一点を除いて数年前までは完璧だったのだ。

 それに大きな穴があいたのは校則が変わったのではなく、学校が変わってしまったのだよ。お嬢様学校から共学の学校へとな」


「それでどう変わるっていうんですか?

 不純異性交遊禁止なら一緒でしょう?」

 頭に疑問符を浮かべる大輝に、葵は勉強が足りてないと不服そうに言った。


「やはり校則を読み込んでおらんのか。

 不純異性交遊は禁止されているが、学校外での不純異性交遊は禁止すると書いてあるのだよ。

 これは当時の生徒会長がねじ込んだ条件で、職員会議でも異論が出たりはしたのだが、最終的に女子校だったために特に影響は出ないと判断され、この形で校則が作られてしまったのだ」


「学校内なら問題ないんですか?

 つまり、いつか共学化された時の後輩を想ってその生徒会長さんが付け加えてくれたんですか? なかなか慧眼けいがんですね」


 当人たちには影響のない抜け穴を、後輩というだけで顔も名前もわからない人たちのために準備しておく。

 深謀遠慮でなければ会長は務まらないのか、それとも葵みたいな珍しいタイプだったのかは大輝には到底想像もつかない。

 それでも息苦しくない学校生活を準備していてくれた当時の会長に大輝は心の中でだけ感謝を示した。


「いや、残念だが私たち後輩のことはちっとも考えていなかったようだ。

 実はその会長は男性教師の一人と秘密裡ひみつりにつきあっていてだな。

 在学中は誰も気づかなかったようなのだが、卒業後に電撃入籍したことで発覚し、大騒ぎとなったそうだ」


 感謝した気持ちを返せと、大輝は心の中で叫び、再びコケそうになった。


「いやもうなんていうか、抜け目のない会長だったんですね」

「恋は盲目ということの方が近いかもしれない。

 電撃入籍することになったのもお腹に赤ちゃんがいたとかだったのだ。

 当然、職員会議でも大問題になり、その男性教師はクビになるところだったが、会長の親が陳情して事なきを得たのだ。

 それ以来、学校側も校則の抜け穴を塞ぐためにすべての男性教師や用務員を異動させ、男性を排除することになったがな」


「あれ、今の教頭先生って男ですよね?」

 確か教員の列に一人だけ立っていた男性が教頭であったと、大輝でも記憶していた。


「そうだな。とはいえ、あの教頭先生は共学化されてから赴任してきたのだ。

 男子生徒が入学する中で完全に女性教師だけで運営することに不安を覚えたからだろう。

 教頭なら校長と同様、ほとんど生徒と接触を持たないからそういうスキャンダルも起きにくいだろうという判断もある。

 実際に男の教頭がいてよかったということは聞いていないが。

 そうそう。そのついでというか、風紀委員も生活指導担当の教師もいないと昨日言ったことを覚えてるか。

 女子校だった頃にはいたのだが、共学化された際に男子生徒を指導するのに女性では手に余るということで空席になったのだ。

 男性教師を改めて雇うというのも、過去の問題から難しかったからな。

 とりあえずは問題が起きるまで様子を見るということらしい。

 実際に入学してくる男子はおとなしい生徒ばかりだから生活指導を置かなくてもたいした問題になっていないがな。

 たぶんこの調子ならずっと不在が続くだろう」


「教頭先生じゃいけなかったんですか?」


 単純な疑問に葵は明確に答えた。

「校長や教頭はあれでいて激務だからな。生活指導担当を兼ねるのは負担が大きいのだろう。

 いろいろと理由をつけては生徒会側の権限に口先介入してくるのだが、せいぜいその程度しかできていない」


 遠い目をして職員室の方を見た。まだ登校してきていることはないだろうが、大輝がよく知らないだけで葵とは犬猿の仲らしい。

 まぁ、もっとももなことなのだが。


「参考までに、校外での不純異性交遊は禁止だが、校内では不純同性交遊が禁止されている。

 これも困ったことに女子同士の不純同性交遊を禁じるものであって、男子生徒の不純同性交遊を禁じる項目はないのだ」

「もう何がなんだか。無茶苦茶にもほどがあるでしょ」


「制度的に限界が来ているのかもしれないな。校則を変更するのが不可能に近いおかげで修正したくてもどうにもならん」

「追加はできるんですから、男子生徒の不純同性交遊も禁止って加えればいいじゃないですか」


「どうしてだ? お嬢様学校だったから不純同性交遊が禁止されていただけなのだぞ。

 共学化された今となってはわざわざマイノリティの権利を侵害する必要はなかろう。当人同士が好いているのなら校則で制限するのは無粋というものだ」


 度量が大きいのか、わざととぼけて見せているのか葵は寛容な面を見せて言った。

 思わず大輝はツッコミたくなったものの、よく考えれば禁止する意味がほとんどないことに気づく。


「実際にこの規定は有名無実なのだ。不純異性交遊は禁止だが、健全な男女交際を禁止しているわけではない。

 不純か健全かなど、そうそう見分けがつかないし、校外のこととなればなおさらだ。

 男女間の中でもそうなのだ。同性同士ならもっと区別がつかない。

 まぁ、学校内で性行為に及んだり、ラブホテルから一緒に出てくるということがなければ実質的にお咎めなしだ」


 清濁合わせ飲む葵の度量に大輝は改めて感心させられた。

 しっかりしていうようで、緩めるところはしっかりと緩めている。

 それが乃木坂高校で女帝と言われるほどの支持を生徒から集める所以ゆえんなのかもしれない。


 そうこうしているうちに三々五々と生徒たちが登校してきた。

 各々がラケットだの楽器だのそれぞれの部の荷物を持っている。

 葵が呼び止めて服装検査を宣言し、役員たちの前に並ばせた。

 わざわざ男子の計測係には並ばないだろうという大輝のはかない想像はあっさりと打ち砕かれ、どういうわけか女子生徒たちは大輝の姿を見ては可愛く笑いあって積極的に計ってもらおうとしていた。


「副会長さん、よろしくね。うふふふ」

 仕事だから断るわけにもいかず、大輝は緊張したおももちで女子の傍らにしゃがみ込み、昨日訓練した通りにメジャーをうら若き乙女たちの足に沿わせた。


「二十六センチ。はい、結構です」

 出来るだけ真剣そうな表情を作って言うのだが、どこかぎこちないことは初対面の女子たちにも見透かされていた。

 葵たちとはまた違う健康的な香りに当てられ大輝はくらくらと目眩を覚えるものの、鼻の下を伸ばすわけにはいかない。

 もしそんな気配があれば、後ろで監視している葵の鉄拳制裁が大輝の脳天に下されるだろう。


「きゃはっ、ありがとう。計りたくなったらいつでも声をかけてね」

 笑顔で手を振って校門の中に入っていく生徒を見送り、大輝はさらに困惑した。

 どう見ても想像と現実に違いがありすぎた。

 どうして彼女らは嬉々として自分にスカート丈を計られているのか理解できなかった。


「大人気ではないか。よかったな、大輝」

 どこか不機嫌そうに言う葵の声に大輝は恨めしそうな顔を向けることしかできなかった。

 だいたい、こんな目に合わされているのは葵の命令なのだから、文句を言われる筋合いはない。


 その後も何十人とスカート丈を計測して、さすがに大輝も慣れてきていた。

 まだ少しばかり恥ずかしくはあったが、それを顔に出さずに済む程度には。

 そんな折に一人の女子生徒が検問を通らずにそそくさと通り過ぎようとしていた。当然、葵が呼び止める。


「おいそこのお前。何勝手にスルーしてる。

 お前だぞお前。その眼鏡でボブカットのスカートの長い奴」

 そのままダッシュで逃げられる可能性もあったが、葵の呼び声にその女子は肩をびくっと震わせて立ち止まり、恐る恐る振り返った。


「そうお前だ。何勝手に服装検査から逃げようとしているんだ。

 ちょっとこっちに来い」


 有無を言わせない貫禄で女生徒を招き寄せる。

 重い足取りでうつむきながらやってきた生徒を葵は睨みつけていた。

 計るまでもなく、一目で校則違反とわかる長さだった。

 乃木坂学園では珍しい膝上十センチ程度のスカート丈で、校内でも数人は見かける長さだった。


 目の毒になる短すぎるスカートだらけの女子の中でこういう普通の長さのスカートを見るとほっとする。

 大輝はリラックスして計測したものの、計られた女子は心底、嫌そうな顔をしていた。


「十二センチです」

「うむ、校則違反だな」

 容赦のない葵の言い方に少女は萎縮いしゅくした。校則違反で実際にどうなるか大輝は知らず、彼女を同情しつつ、葵を仰ぎ見た。


「校則で決まっているだろう。せめて校門をまたぐ時くらいはベルトで調整して短くしておけ。

 ほれ、生徒手帳を預かっておく。放課後にスカート丈を調整して取りに来い」


 少女は震えながら生徒手帳を差し出し、葵はため息をつきながら受け取った。ペコリと一礼して走り去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、大輝は不憫ふびんそうにつぶやいた。


「よその学校じゃあの長さの方が適正ですよね」

「その通りだが、校則で決まっている以上、私にはどうにもならん。

 同情するならお前が会長にでもなって校則を変えてみせろ。きっとあいつに惚れられるぞ」

「無茶言わないでくださいよ。それに、嬉しくもないですから」

 異性から好意を寄せられて嬉しくないはずはないが、そんなことで興味を引きたいとは想像もしなかった。




 生徒会が校門前で服装チェックという名目で女子生徒のスカート丈を計っているということはすぐに職員室まで知れ渡った。

 男子が一名入っているとはいえ、ほぼ女子だけの生徒会であり、一般生徒の男女比や元お嬢様学校だったために、特に問題になったわけではなかった。


 それでも、不要な校則を根拠に世間的には通常の長さのスカート丈を取り締まっているということは、教師たちにとってありがたいことではない。

「また生徒会か」

 誰かの呆れるような声が響く。


 行動力があり、悪い意味で自身の権力を十二分に行使してくる葵への教師連中の評判は賛否両論だった。

 成績は優秀で、一般的には模範的な行動をしているものの、暴走しているかのように大胆すぎる行動が多い。


 これさえなければ文句なく名生徒会長になれただろうと惜しむ声が多数の中、伝統的にアクの強い生徒会長が続いた乃木坂学園らしい生徒会長であるという評価もある。

 ごく少数ではあるが葵をよく思っていない教師もいて、その急先鋒にあたるのが教頭である扇谷おうぎがやつ浩三だった。


「佐々木君、佐々木君はどこだね?」

 怒髪天をくというが、髪の薄い初老の教頭は怒りをまき散らしながら生徒会担当の佐々木美穂を探して職員室内を見回した。


 その佐々木先生はマグカップに紅茶を淹れて自分の席に戻る途中だった。

 教頭に怒りを向けられ、まだ駆け出しの教員である佐々木は萎縮し、危うくマグカップを落とすところだった。


「はっ、はいっ」

「そんなところにいたのかね。いったいこれはどういうことだ?」

 返事はしたものの、佐々木は教頭の方へは近づきたくはなかった。

 むしろ恐れるように一歩下がり、大きすぎる教頭の声から遠ざかる。

「どうと言われましても私も聞いておりませんので……」


 佐々木は事実をありのまま述べただけだったが、むしろそれは火に油を注ぐようなことだった。

 無責任な説明に教頭は怒りの矛先を見つけたかのように嬉々として追い打ちをかけてきた。


「佐々木君、君はそれでも生徒会担当なのかね?

 君が生徒会の連中をしっかり管理できないからこういうことが起こるのだよ。

 いつもいつも言っていることだけど、未だに新米教師気分が抜けていないのではないのかね。

 しっかりと自覚を持ってもらわなければ困るのだ。

 我が校は君を一人前の教師に育てるために高い給料を払っているのではないのだよ。

 生徒会は君が担当なのだから、しっかりと生徒会長の手綱を握っておいてもらわなければならんのだ。

 もし学校の名誉を傷つけでもしたら、君が辞めたところで償いきれるものではないのだからね」


 そんな重責を背負わされることは佐々木には荷が重すぎた。

 ただでさえ経験不足な上に、指導力も低い部類に入るのだ。

 傍目はためで見てとても葵の手綱を握れるタイプでないことは明らかだったが、前任の担当が退職して空いたポストに他の教師が就きたがらなかったために、最も立場の弱い若手教師がその能力を脇に置いて無理矢理押しつけられたのだった。


 佐々木の方こそ涙目になりながら、

「そんなに重要なら他の人に変えてください」

 と言いたかったが、左右を見回して同僚の教師の顔を見ても、みんなそれとなく視線をらせて誰も助けてくれなかった。


「お、お言葉ですが、服装検査につきましては何ら問題のある行為でもありませんし、校内の風紀を取り締まることですからやめろとも言えませんし……」


 仕方なく勇気を振り絞って正論を吐くものの、教頭に一睨みされ、佐々木は「ひっ」と悲鳴をあげて口をつぐんだ。


「佐々木君、私はそういうことを言っているわけじゃない。

 さっさと止めさせろと言ってるのだよ」


 有無を言わせない迫力に、佐々木は目を回しながら一礼すると、脱兎だっとのごとく職員室を飛び出していった。


 ちょうど佐々木と入れ違いに、教頭よりもさらに偉そうな雰囲気をまとった初老の女性が悠然と職員室に入ってきた。

 彼女は辺りを見回して和やかに微笑むと、それまでざわついていた室内が水を打ったかのように静まり、教頭すら罰が悪そうな顔をして視線を下げた。


「あらあら、いったい何の騒ぎなんですか?」

 微笑んではいたが、目は笑っていなかった。教頭に説明を求めるように視線を向けると、彼は取り繕うように両手を揉みながら初老の女性に言った。


「こっ、校長。実は、また生徒会が問題行動を起こしまして」

「あら。問題ですか? 先ほど、校門前で服装検査をしている所を通りかかりましたが、感心なことではありませんか。

 早朝から登校して検査をしているとか。わざわざそんなことしなくてもいいのに、校内の風紀を守るために立派な心がけですよ」


 関知できない部分で先手を打たれてしまったことで、教頭は口ごもってしまった。

 非を鳴らすべき所でよりによって校長が褒詞ほうしを口にしてしまったのだから、あとはもうどう婉曲えんきょくに言っても校長を非難することになってしまう。

 それでも教頭は意を決して口を開いた。


「しっ、しかし、あんな短いスカート丈を校則で認めていることの方がおかしいのです。

 破廉恥はれんちなスカートを認め、普通の丈のスカートを取り締まっているなどどう考えてもおかしいではないですか」


「教頭先生。悪法もまた法なのです。

 教育者として校則をねじ曲げるわけにはいきません。

 どうしても問題があるというのなら校則を変えなければなりませんが、教頭先生は校則を変える自信がお有りなのでしょうね」


 言外に保護者をわざわざご足労させながら徒労に終わらせるようなことがあれば責任問題になりかねないと視線で伝えて校長は教頭を沈黙させた。

 教頭が押し黙ったのを確認して、校長は笑顔を作って朝の職員会議を始めることを面々に宣言した。




 場面戻って大輝たちはその後も順調に計測を続け、何人かの校則違反者から生徒手帳を取り上げることになった。

 しょうがないこととはいえ、大輝は何か釈然しゃくぜんとしない。

 そのうち、逆に短すぎる生徒も登校してきて、大輝は見えそうなパンツに赤面しながらスカート丈を計った。


「三十センチです……」

 どうすればいいのかと後ろの葵の顔を振り返ってうかがうと、彼女は渋い顔をしながらその女生徒に向けて言った。


「おい、さすがにこれは短すぎだろう。これじゃあ本当にちょっとしたことでパンツが見えるではないか。

 ワカメちゃんじゃないんだから、もう少し慎みというものがあってもいいんじゃないか」


「ええーっ、そうですかぁ? 別にそんなに短いって気はしませんけどぉ。

 会長さんとそんなに変わらないですよ」

 女生徒はしれっと言いのけた。


 その白々しさはそんなもの百も承知だと言わんばかりだった。

 葵の方も先ほどとは異なり、厳しく追及することもなかった。

 せいぜいが文句をつけるか嫌味を言う程度だ。

 葵は女生徒を睨みつけるものの、彼女にとっては蛙の面に水をかけられたようなものなのだろう、澄ました顔で平然と葵を見返していた。


「ふむ、まぁいい。老婆心から忠告したのだが、パンチラくらい何とも思ってないようだな。

 がんばって青少年の性衝動を煽りたてるんだな。

 校内なり帰り道なりでこの副会長みたいな奴に襲われても知らんぞ」

「どーも」


 最後まで葵の言葉は女生徒に通じず、彼女は後ろ足で砂をかけていくかのように立ち去っていった。


「あの、僕を引き合いに出すのやめてくれませんか。

 いくらなんでも襲うわけないじゃないですか」

「そうか?

 あいつの太股に鼻の下を伸ばしまくっていたじゃないか。

 ああいうタイプが好みだとは知らなかったぞ」


「あんなの好みじゃないですよ。

 ただ、目の前に同年代の女の子の生足があったら、僕じゃなくたってドキドキしますってば」

「ふむ、好みでなくてもレイプするというわけか。このケダモノめ。

 年中発情している猿のような男はいっそのこと去精するべきだな」


「だからなんでそうなるんですかっ。会長は僕のこと何だと思ってるんですか」

「むっつりスケベ」


 オブラートに包みもしない率直すぎる物言いに大輝は絶句しつつ、泣きたくなった。

 女生徒をへこませられなかった腹いせに八つ当たりされるのはさすがの大輝といえども勘弁願いたかった。


「でもよく素直に通したものですね。

 ああまで言って呼び止めたんですから、いっそのこと生徒手帳の提出を求めればよかったんじゃないんですか?」


 大輝の物言いに、葵は頭に疑問符を浮かべ、嘆息して言う。

「あの女生徒も勘違いしていたが、大輝よ、お前もなのか。

 副会長のくせに校則もろくに把握しておらんとは」


 確かに大輝は不勉強なことに校則をほとんど知らなかったが、実際問題として校則を隅々まで熟知している生徒はほぼ皆無と言って過言ではない。葵を除けばごく少数の奇特な生徒だけだろう。

 明日香や未来でさえ、ろくに記憶していない。


「えっ、どういうことですか?」

 大輝は恥ずかしく思うものの、素直に葵へ聞き返した。


「いいか、我が校のスカート丈は長い方向では認められていないが、短い分の規定は存在しないのだよ。

 仮にワカメちゃんみたいにパンツが見える位置までスカートの裾を詰めたとしても、校則面では一切、違反ではないということだ。

 元々、長いスカートを規制させるための校則だし、ただでさえ短いスカート丈をさらに詰める馬鹿はいないだろうと当時は考えていたのだな。

 まぁ、あの女もわかっていなかったみたいだがな」


 だからこそ葵は嫌味しか言えず、女生徒に反論を許したのだと今更気づき、大輝は自身の迂闊うかつさを悟った。

 むしろあれは葵が言う通り老婆心だったのかもしれない。


「まったくもってわけのわからない校則ですね」

「まったくだ」


 大輝の呆れた物言いに葵は小さく頷いた。

 女生徒の背中を見送っているうちに、校舎のほうからスーツ姿の女性が走って来ていた。

 遠目でもはっきりわかるほど美人で、まだ二十代半ばほどの若さだった。

 華奢きゃしゃな容姿にふさわしく足は遅い。

 息を切らしながらどたばたと走ってくるその女性は大輝たちにとってよく見知った人だった。

 すなわち、生徒会担当の佐々木美穂先生だった。


「二階堂さぁーん……」

 声が明白に届く距離になって佐々木美穂は手を振りながら葵を呼びかけた。

 教師の威厳などどこにもないが、元々、そういうタイプの、生徒にとっては「美穂ちゃん」と呼ばれるほど親しみやすいタイプだった。


「何しに来たんですかね」

 葵や大輝はもちろん、明日香と未来も佐々木美穂のことを見ていた。

 互いに顔を見合わせ、急ぎの用事であると認識したが、大輝にはそれが何かまではわからなかった。だが、葵にとっては一目瞭然だったようで、苦笑しながら軽く手を振り、彼女が校門前までやってくるのを待った。


「二階堂……さん……。あの、お願いがあるの。

 もう……、服装検査は切り上げてほしいの」

 肩を大きく上下させ、息も絶え絶えに美穂は言った。

「教頭先生の命令ですか」

 意地悪そうに言う葵の悪意は美穂には届かないのか、彼女はあっけらかんと答えた。


「すごい。よくわかるのねぇ。二階堂さんってエスパー?」

「いくらなんでも人の心までは読めませんよ。先生の顔に書いてあるだけです」

「えっ? 先生の顔に書いてある? 油性マジックじゃないといいのだけれど」


 困り顔でペタペタと顔を触る美穂はどこまで本気かわからないリアクションを取ったが、急に真顔に戻って本題に戻った。


「それで、二階堂さん。撤収はしてくれるのかな。してくれないと先生、困っちゃうのよ」


 できるだけ教師の威厳を誇示するように微笑みながら美穂は言う。

 対する葵も微笑みながら美穂を見つめ続け、大輝は心配そうに二人の様子を見守った。

 葵が正論を主張するのではないかと畏れたからだった。


「そうですね。もうすぐホームルームの時間ですし、今日のところはこの辺にしておきます」


 美穂は予想外に聞き入れてもらえたことでほっと胸を撫で下ろした。

 大輝は意外そうに葵の顔を見るが、横顔からは清々しさしか読みとれない。


「未来、明日香、聞いたか。そろそろ時間だ。生徒会室に荷物を取りに行かねばならないし、我々が遅刻しては面目がないからな。

 切り上げだ」


 誰からも異論は出ず、撤収といってもたいして後かたづけがあるわけでもない。

 大輝だけが脇に置いておいた鞄を取って校舎へとみんなで歩いていった。


「会長にしてはやけにあっさり引き下がりましたね」

 大輝が歩きながら話しかけると、葵は素直に返答した。

「私がゴネたところで美穂ちゃんが困るだけだからな。

 教頭と私との板挟みにするのは可哀想だろう。

 服装検査など、所詮しょせん、大輝をからかうための余興だからな」


「ちょっと待ってくださいよ。やっぱり僕に対する嫌がらせだったんですか!」

「気づかなかったのか?

 こんなのすぐに気づけよ。まったく、何でもかんでも素直に信じるのはお前の美点だが、これでは将来、酷い詐欺に引っかからないか心配だ」


「余計なお世話ですよ」

「そうむくれるな。けっこういい思いもできただろ」


 はにかむ葵を大輝は複雑な視線で見つめ、小さくため息を吐いた。

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