第13話
カサカサと、踏まれた木の葉が乾いた音を立てます。山を駆け下り、走りに走り続けたティグとフィルは、広い道に出たところでやっとパルに追いつきました。辺りは、この地方では珍しい竹の群生地であるようです。道の両脇にはたくさんの竹が伸び、風に揺られてしなっています。
その道の真ん中で、パルは白い虎と対峙していました。パルは、片膝をついて荒く息をしています。ですが、見たところ怪我をしている様子はありません。恐らく、ここまで走り続けて体力が底をついてしまったのでしょう。
無事な様子のパルにホッと胸を撫で下ろし、ティグとフィルは改めて白い虎を見ました。
身体は、パルの二倍はあるでしょうか。大きくてしなやかな体躯は、それだけでその虎をより強そうに見せています。白い毛皮が、夕陽を受けて紅く輝いています。
虎が一歩踏み出すと、その場にさぁっと一陣の風が巻き起こりました。そして、風の音に紛れて低く囁くような声が聞こえてきます。
〝よもや、ここまで追ってくるとはな……。私を怨むその気持ちは、よっぽどの物と見える……〟
「喋った!? ……って事は、フィルさん。ひょっとして、この虎は……」
空気を振動させて直接耳に響かせるような声に驚いたティグは、白い虎とフィルとを交互に見ました。フィルはパルを一瞥すると、「仕方が無い」と言うように溜息をつき、頷きました。
「察しの通り、ヘイグに加担する魔獣のうちの一匹じゃ。……久しいの、ウェスティガー」
今までになく穏やかな調子で、フィルは白い虎――ウェスティガーに声をかけました。その声に、ウェスティガーも応えます。
〝おお、誰かと思えば、あの時の騎士か。……随分と老けたな。ヒトの時とは、短いものだ〟
「何、お前達の持つ時間が永過ぎるだけじゃよ。……確かに、未だ姫様をお救いできずにいると思うと、自分に残された時間がもっと多ければ良いのに、とは思うがな」
親しげに言葉を交わし始めたフィルとウェスティガーに、ティグとパルは呆然としました。パルはやがてぽかんとした顔をキュッと引き締めると、キッとフィルを睨みました。
「これは……どういう事かね、フィル爺ちゃん。フィル爺ちゃんは、知っていたのかね? そいつが……ヘイグに加担する魔獣が、自分の父ちゃんと母ちゃんの仇だって事……」
問いただす声が、震えています。その声に、フィルは黙って頷きました。
「何で! 何で隠しとったかね!? こいつと戦う事になるとわかっとったら、もっと強力な……自分一人でもこいつを倒せるようになるような薬を用意しといたがね!」
パルは、ビシリとウェスティガーを指差して叫びました。その言葉を受け、フィルは軽く頷きます。
「……じゃろうな」
「しかも……しかも何でそんなに、こいつと親しげになっとるかね!? こいつは敵だがね! ツィーシー騎国を滅ぼしてお姫さんを幽閉しとるヘイグに味方しとる、悪い魔獣だがね! 自分の父ちゃんと母ちゃんを殺した、悪い魔獣だがね!!」
拳をギュッと握りしめ、泣きそうになりながらパルは叫び続けます。その様子を傍観していたウェスティガーはふう、とため息をつきました。踵を返すと、フィルに言います。
〝今のままでは、お前もその者達もまともには戦えまい。その娘が落ち着いた時にまだ私と戦う気があるのであれば、再びここへ来い。その時は、全力をもって相手をさせてもらおう〟
それだけ言うとウェスティガーは軽く地を蹴り、ふわりと宙に浮き上がりました。
「逃げるつもりかね!? 卑怯者! 今すぐ自分と戦うがね!」
「パル! 落ち着いて!」
ウェスティガーを再び追おうとするパルを後ろから羽交い締めにして、ティグは懸命にパルを制止しました。しかし、パルはもがくのをやめません。
「放すがね、ティグ兄ちゃん! 父ちゃんと母ちゃんの仇を討たせるがね!」
「ノスタートゥルと戦って疲れているだろう!? 今戦っても、勝てないよ!」
ティグの言葉に、パルは動きを止めました。その間にも、ウェスティガーは空高く飛んでいきます。その小さくなっていく姿を、パルは悔しそうに眺めていました。
そして、ウェスティガーの姿が完全に見えなくなるとパルはティグの腕を無理やり振りほどきました。そして、曇り切った顔を地に向けながら、とぼとぼと歩き始めます。
「……パル、どこに行くの?」
今にも消え入りそうなパルの後姿に不安を感じ、ティグはパルに問いました。パルは、俯いたままです。
「今更あいつを追いかけたりはせんから、安心しやー。けど、今はフィル爺ちゃんと一緒にいたくないがね。一人で頭を冷やせる場所を探して、そこで寝るがね」
早口でそれだけ言うと、パルは脱兎の如く駆け出しました。後姿が、あっという間に小さくなっていきます。
「パル!」
パルの後を追おうとして、ティグは一瞬躊躇いました。頭を冷やすと言って走っていったパルを追いかけて良いものかどうか、迷います。それに、後を見ればフィルは全くパルを追う様子がありません。
「……行かなくて、良いんですか? フィルさん」
おずおずとティグが問うと、フィルは「うむ……」と苦笑しながら呟きました。
「パルペットがあそこまで激高したのは初めてでな……。正直なところ、私もどう対処すべきなのかがわからん……」
フィルは、パルの駆け去った後の道を眺めながら言います。
「ウェスティガーの事をもっと早くに言うべきだったのか……。それとも、そもそもヘイグを倒すこの計画にあの娘を巻き込むべきではなかったのか……。どうするべきか決められず、私についてくるパルペットにウェスティガーの事を話すのも、旅をやめさせる事もできずにおった……。その結果が、この有様じゃよ……」
苦笑が、自嘲に変わりました。それを見咎めるように、ティグは問います。
「パルにウェスティガーの事を話さなかったのは……勿論、理由があるんですよね?」
「勿論じゃ。理由も無く大事な話をしそびれるなど、誰がするものか。私はただ……心配だったんじゃ」
フィルは、言いながら目を細めました。いつの間にか陽はすっかり落ち、空には月がかかっています。月の白い光を眺めながら、フィルは続けました。
「倒すべき魔獣が両親の仇であると知った時、パルペットが仇を討とうと無謀な事をするかもしれない……それが心配じゃった。事実、パルペットはウェスティガーと戦うと知っていたら自分一人だけになっても奴と戦える準備をするつもりであったようじゃしな」
先ほどのパルの言葉を思い出し、ティグは軽く頷きました。数種の回復薬と魔法の杖しか持っていない現状であれば、孤立した時パルは戦うのを諦めて逃げるかもしれません。ですが、もし彼女が強力な薬や武器を用意した上で孤立したとしたら……その時は、自らの身を顧みずに戦うかもしれません。そしてその状況は、高い確率で彼女の死を意味します。
「パルペットが暴走するかもしれないと思うと、とてもじゃないがウェスティガーの事を話す気にはなれなかった。ヘイグを倒す為に魔獣を倒して回る以上、いずれはわかってしまう事じゃったのにな……」
「フィルさん……」
かける言葉が見付からず、ティグはただフィルの名前を呼びました。そんなティグに、フィルは再び苦笑を作って言います。
「それはそうと、こんな物騒な場所で夜にパルペットを一人にしておくのも心配じゃ。ティグニール。すまんが、パルペットの処へ行ってはくれぬか? 私が行かなければ、恐らく逃げられる事も無いじゃろう」
「え。それは構いませんけど……けど、今どこにいるのか……」
フィルの依頼に少々戸惑いながら、ティグは辺りを見渡しました。辺り一面、竹が生えていて遠くが見えません。それでなくても、夜になってしまい月の光以外に頼れる光源が無いのですから、見えないのは至極当然と言えるでしょう。こんな中で何処に行ったのかわからないパルを探し出すのは、至難の業であるように思えます。
すると、フィルが少しだけ顔を微笑ませて言いました。その目は、パルが駆け去った道のずっと先を見ています。
「何、心配は要らん。パルペットの行くあてなら、大体の見当がついておるからな」
「え?」
思わず訊き返したティグに、フィルはすっ、と道の向こうを指で示しました。ティグはその先を見ましたが、目を凝らして見ても夜の闇しか見えません。
「この道をずっと歩いてゆくと、ある村の廃墟に着く。この辺りでパルペットが行くとしたら、まずそこじゃろう」
それを聞いて、ティグはこくりと頷くと道を示された方角へと歩き始めました。踏まれた木の葉が、カサカサと音を立てます。
そよりと吹いた夜風が、妙に冷たく感じました。
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