第11話
「ようやるわー。朝っぱらから素振り千回なんて、正気の沙汰じゃないがね」
サクサクと叢を踏みしめながら、パルが呆れた声で言いました。その横を、フィルとティグが無言でサクサクと歩きます。ティグは勿論、フィルもあれだけの素振りをこなした後だと言うのに全く疲れた様子がありません。剣の他に、宿で用意してもらった弁当入りの頭陀袋を片手に進んでいきます。荷物の重みは苦にならないようです。因みに、パルの荷物はもっと重そうです。中に瓶が何本入っているのでしょうか。ガチャガチャと音が鳴っています。
「パル、重くない? 僕が持とうか?」
ふと心配になったティグがパルに言いました。すると、パルはにこやかに笑って首を横に振ります。
「これくらい何とも思わにゃーで、気にせんでええよ。けど、心配してくれて嬉しいがね、ティグ兄ちゃん」
そう言って、ティグに袋を渡す気配を微塵も見せません。「けど……」と言ってティグが手を出そうとすると、フィルが厳しい声で言いました。
「本人が平気と言っている間は放っておけ、ティグニール。心配せずとも、パルペットは自分に正直じゃ。疲れたらへばる前に私か君に押し付けるわい」
「フィル爺ちゃん、大分自分の事わかってきとるがね」
「当たり前じゃ。何年お前と付き合っていると思っておる」
緊張感に欠ける会話に、ティグは苦笑しながら手を引っ込めました。そこで、ふと気付きます。
「あの……フィルさんとパルって、一体どういう関係なんですか?」
思えば、奇妙な組み合わせです。七十代の老人と、十代の少女。普通だったら一緒に戦ったり旅をしたりする組み合わせではありません。
しかし、ティグの疑問に答えは返ってきませんでした。フィルは目を閉じ、黙秘を決め込んでいます。パルはと言えば、にこーっと笑って手のひらを差し出しています。
「ティグ兄ちゃん、情報料はいくらまで払えるかね?」
「……」
ティグは、それ以上詮索しない事にしました。フィルとパルの態度が明らかに「訊くな」と言っています。
口をつぐんで黙々と歩き続けていると、やがて一行は大きな川に行き当たりました。本当に大きな川です。はるか彼方に向こう岸が見えていなければ、海だと勘違いしたかもしれません。流れは一見穏やかですが、よく見ればあちらこちらで波が逆巻き、岩にぶつかった流れが飛沫を上げています。川の流れを目の前に、一同は絶え間無く動いていた足を止めました。
そこで、パルがいきなり川岸に麻のシートを広げ、その上に座って、フィルの荷物から勝手に弁当を取り出し始めました。ふたを開ければ、藤製の弁当箱の中には肉の燻製やチーズが詰まっています。「一杯やりたくなるがね」などと言いながらパルはそれを口に運びます。
「パ……パル、何やってんの……?」
「何って、弁当食べとるがね」
「そうじゃなくてさ……」
かける言葉を探しあぐねているティグを尻目に、パルは次々と食料を胃袋へと納めていきます。それに比例して、弁当箱の中身はどんどん無くなっていきます。
結局、ティグとフィルが一口も食べる事がないまま、パルは最後の燻製を飲み込みました。そして、空になった弁当箱に手を突っ込みます。
「パル……もう空っぽだよ?」
呆れたようにティグが言うと、パルはにやりと笑って見せました。
「何を言っとるがね、ティグ兄ちゃん。これからが本番だがね。よく見ときゃー」
言いながらパルが弁当箱から手を抜き出すと、その手には大きな剣が握られています。
「え!? ちょっと、パル。それ、どうやって……」
ティグが思わぬ展開に目を白黒させていると、パルは面白そうに笑いました。そして、いたずらっぽい笑みを顔に残したまま、剣を頭上に掲げて見せます。
「何。ちょっとマジュ魔国宮殿の武器庫から失敬しただけだがね」
「マジュ魔国の……ええっ!?」
ティグは、もう何と言ったら良いのかわからないようです。まるで陸に上がった魚のように、口をパクパクと開閉しています。
その横では、フィルが見飽きた大道芸でも見るような目でパルの手に握られた剣を見ています。そして、「武器の取扱には気を付けろ」とでも言うように、パルの手を下に降ろさせました。そして、まだ口をパクパクさせているティグに向かって口を開きます。
「パルペットは空間を操る魔法を最も得意としておる。自分と自分が許可した以外の人間は通る事ができない通路を掘ったり、一度行った事のある場所からであれば物を引き寄せたり、逆に物を送る事ができる、という具合にな」
説明をうんうんと頷きながら聞いていたパルペットは、胸を張って言いました。
「それもこれも、お上の目を掻い潜ってヤバい商売を成立させようと努力した結果だがね」
「威張れる事ではないぞ、馬鹿者が」
渋い顔をするフィルを尻目に、パルは次から次へと剣やら槍やらを取り出します。ひょっとしたら、今頃マジュ魔国宮殿の武器庫は空っぽになってしまっているかもしれません。
「よし、こんなトコだがね」
十五分ほど後、周りに武器の山を築きあげたのをパルは満足そうに眺めました。そして、フィルに向かって朗らかに言います。
「それじゃあ、フィル爺ちゃん。覚悟は良いかね?」
「覚悟など、とっくの昔にできておる」
フィルが、腰の剣に手を遣りながら頷きました。ティグは、何の事なのかさっぱり話が見えてきません。
「ねえ、パル。それに、フィルさんも! 一体何なんですか? これだけの武器を出したのと魔獣を倒すのと、一体何の関係が……」
「じゃ、はりきっていくがね!」
ティグの問いを完全に無視して、パルは明るい声を張り上げました。そして、両手を空高く掲げます。すると、それに操られたかのように山のような武器類類がぶわりと空に舞い上がりました。
パルは、武器達に向かってまるで楽団の指揮を執るように手を振ります。すると、それに合わせて舞い踊るように武器は空中を動きました。やがて武器が川の真上に至ると、パルは演奏を止めるようにくっ、と手を振るのを止めました。すると、それに従って武器達も動くのをぴたりと止めます。
そこでパルは、動くうちに中途半端な高さになっていた手を、再び空高く掲げました。続けて、すうっ、と大きく息を吸います。そのまま、息を吐き出すように叫びました。
「よおしっ! はりきって行きゃー!!」
そのままパルは、勢い良く両手を振り下ろしました。すると、宙で停止していた武器達が一斉に下に向かって降下し始めます。垂直に下りた武器達は次々に川底に刃を突き立て、ほんのわずかな間に、川にはハリネズミの背中のように武器が立ち並びました。
「ちょ……パル、本当に何やって……」
事態を飲み込めずにティグが問い掛けます。しかし、全ての言葉を言い終える前にティグに向かってフィルの声が飛んできました。
「油断するな、ティグニール!」
「……え?」
呆気に取られてティグが振り返れば、フィルは既に腰の剣を抜いています。
「来るがね! 早いトコ剣を抜ききゃー、ティグ兄ちゃん!」
「え? え?」
パルにも言われ、ティグはわけがわからないままに剣を抜きました。すると、それとほぼ同時に川面に波が立ち始めます。濁流音とも地鳴りともとれるような音が聞こえてきました。
ティグは瞬時に身構えました。身体中に、程よい緊張が満ちていきます。見れば、フィルやパルも剣や杖を構え、適度に身体を緊張させています。
気を引き締め、ティグは川を睨みつけました。それがまるで合図であったかのように水が盛り上がり、派手に飛沫をあげながら巨大な影が姿を現しました。
「現れたがね、この川の主……イストドラゴン!」
ティグは、まじまじと川の主を見ました。全身青色のそれはパルの呼んだ名の通り、ドラゴンのような面立ちをしています。ですが、ティグが今まで教本などの挿絵と違い、すらりとした蛇のような姿をしています。更に目を凝らせばその全身は魚のような鱗で覆われており、細長い身体から生える四肢の全ての指には鋭い爪が備わっています。
〝貴様らか? 我が聖域なる川にこのような無粋な物を投げ込んだのは……〟
木々が激しくざわめき、そのざわめきにから発生したような声が聞こえました。腹に響くような低くて重いその声に刺激を与えられたように再び川の水が盛り上がり、川底に突き立てられた全ての武器が岸へと打ち上げられました。
「イストドラゴンは金っ気のある物を毛嫌いしとるがね。だから、この川に金属類……特に武器の類を投げ込むのは絶対駄目って文献にあったがね」
「……だから、大量の武器を投げ込めば怒って姿を現すと思ったって、事?」
頷く代わりに、パルはグッ、と親指を突き出して見せました。こんな状況だというのに楽しそうなパルの顔に、ティグは思わず脱力しました。
「二人とも気を抜くな!」
〝聖域を汚す不届き者どもめ! その所業、永久に後悔させてくれる!〟
フィルの言葉を掻き消すように言うや否や、イストドラゴンは天高く舞い上がりました。その身体は青黒く輝き、何か強力な攻撃をしかけてくるのであろう事は一目瞭然です。
「来るぞ! 気を付けろ、ティグニール、パルペット!」
「くっ……来るって、何がですか、フィルさん!?」
剣を構えながら、ティグはフィルに問いました。ティグは魔獣と戦うのは初めての事です。今までの騎士や魔法騎士との戦いと違い、勝手が全くわかりません。
「イストドラゴンは今変な色に光っとるがね。あれは、魔法を使う為に力を溜めているのと似とりゃーす。つまり、今からイストドラゴンは魔法を使うがね。魔法を剣で受け止めるのは無理だから、避けりゃーええがね」
「そんな簡単に! ……えーっと……イストドラゴンは川に住んでて、色が青いから……水の魔法? 水の魔法が来ると思えば良いの、かな……?」
ティグは、懸命に考えました。そして、たどり着いた結論を自信無げに口にします。
「ティグ兄ちゃん、安直に考え過ぎだがね!」
パルが、顔を引き攣らせました。フィルも、顔を険しくします。そして、彼がティグに向かって何かを言おうとした時、ゴゴゴ……という地響きが聞こえ始めました。
「え……地震!? こんな時に……」
「……違う! 地震じゃないがね! これは……」
「無駄口を叩くな! 跳べ! ティグニール、パルペット!」
フィルの怒鳴り声に、思わずティグは足に力を込めて高く高く跳び上がりました。パルペットも同様です。それと同時に地面がぐらりと揺れ、多くの木の根が勢い良く地中から突き出してきました。根はどれも太く鋭く、刺さればひとたまりもありません。根は断続的に突き出し続け、執拗にティグ達を狙います。
「イストドラゴンは、見た目は水属性でも実際は木や花といった植物を操って戦う魔獣だがね!」
「さっきの武器で怒らせて呼び出すのもそうだけどさ……事前にちゃんと説明してよ、パル!」
懸命に避けながら説明するパルに、懸命に避けながらティグが抗議します。
「でもって、イストドラゴンはその植物の力をヘイグに貸しとるがね! だから、ヘイグは傷ついてもすぐに傷が治るんだがね。優れた再生能力を持つ、植物の力を味方にしとるから!」
「!」
ティグの脳裏に、ヘイグとの戦いがフラッシュバックしました。そうです。確かにあの時……ヘイグの肩を切り裂いた時、ヘイグの肩に若葉が芽吹く幻が見えました。そして、その幻が消えた時、ヘイグの肩の傷が治っていたのです。
「あれは……この魔獣の力!?」
「そう! つまりイストドラゴンを倒せば、ヘイグの強烈な治癒能力は消えうせるがね! それだけでも、倒す価値があると思わんかね、ティグ兄ちゃん!」
ティグは、グッと剣を握りしめました。手に、力が入ります。タンッ、と地を蹴ると、勢いに任せて木の根を走るように登ります。ですが、登り切ったところで根が急に地に潜り、足場を失ってティグは墜落してしまいました。かろうじて背中から落ちる事を免れたティグは、更なる攻撃を受ける前に慌てて立ち上がります。そして、諦めずに何度も地を蹴っては根を登ろうと試みます。しかし、何度やっても木の根は地に潜り、ティグは足場を失って落ちてしまいます。
「何をやっておる、ティグニール! その調子では、いつまで経ってもイストドラゴンを倒す事などできぬぞ!」
ティグの耳に、叱咤するフィルの声が届きました。その声に、ティグは負けん気を出して立ち上がります。その姿を嘲るような笑い声が、宙で響きました。
〝我を倒すとな? 口を慎め、愚かな人間が! 人の身で我を倒すなど、できる筈がなかろうに〟
「ふん。確かに無茶じゃ。普通の武器を持った普通の人間であればな!」
イストドラゴンを一睨みすると、フィルは剣を構え直し、ティグと同じように勢いを付けて木の根を駆け上がります。ティグは、思わず叫びました。
「駄目です、フィルさん! その方法じゃ、地面に落とされて……!」
フィルの足場となっている根が、地面に潜ろうとします。その瞬間、フィルは木の根を力強く蹴り、横に伸びていた別の根に着地しました。そして、そのままその根を駆け上っていきます。その根が地に沈みそうになればまた別の根に飛び移り、次々と足場を移っては上へ上へと登っていきます。
〝ほお……思ったよりはやるではないか。年経た人間とは思えぬな〟
相も変わらず嘲るような口調でイストドラゴンは言いました。そして、不意に右の腕を振ります。瞬時に、木の根が動くのを止めました。ティグ達に攻撃を仕掛けてくる事も、フィルの乗った根が沈もうとする事もありません。
「……何のつもりじゃ?」
睨むフィルに、イストドラゴンは顔を愉快そうに歪めました。その笑みは、とても凶悪なものです。ティグは、氷を飲んだような心地になりながらそれを見詰めました。
〝何。その年で何を思ってか妙に頑張る貴様にチャンスを与えてやろうと思うてな。何故我の首を狙うのかは知らぬが、その根性に免じて一度だけ、我に攻撃をさせてやろう。精々力を込めて斬りかかるが良い。人間の力で我を傷付ける事ができるのであればな〟
「……そうやって私達に人間と魔獣の力の差を見せつけ、絶望する様を見て楽しもうという魂胆か」
フィルは、汚いものを見る目でイストドラゴンを睨みました。しかし、イストドラゴンはそんなものは意に介さぬ……いや、寧ろその嫌悪する感情を喜ぶかのようにフィルに言います。
〝おや、わかっておるではないか。それで、どうする? 連れの者諸共、今すぐ木の根に貫かれて死ぬか? それとも、一か八かの勝負に打って出るか?〟
「そんなもの……訊かずともわかっておろう!」
言うや否や、フィルはイストドラゴンに向かって駆け出しました。抜き身の剣が、きらりと光を放ちます。ティグにはその白い光が、鋭い矢のように見えました。
フィルが、剣を振り上げました。その姿に、イストドラゴンの眼が見開かれます。
〝その剣! その剣は、まさか……!〟
力強く、フィルは木の根を蹴りました。その身体は軽々と何本もの根を越え、鋭い剣の切っ先はまっすぐにイストドラゴンの喉元目掛けて飛んでいきます。
そのフィルの雄姿に、何故かイストドラゴンが慌てふためき始めました。
〝やめろ! その剣……聖剣セフィルタに斬られては、いくら我でも……!〟
「普通の剣であろうと聖剣であろうと、一度は一度じゃ。恨むならば、私達を軽んじた己の軽率な行いを恨むが良い!」
フィルは、イストドラゴンの喉元に着地すると、その髭を掴みました。そして、そのまま思いきりよく剣をイストドラゴンの喉元に突き立てます。
〝う……ぐ、ぐあああああああっ!!〟
咆哮とも絶叫ともつかぬ声が辺りに響きます。木々は激しくざわめき、至る所で派手な音と共に倒木と化しました。
次いで、イストドラゴンの巨大な身体が地に墜ちました。ズズゥン……という地響きと地揺れが起こり、ティグとパルは思わずバランスを崩して転びそうになりました。
それに続き、今度はフィルが上から降りてきました。彼は木の根を駆け降りるように下ると、体勢を崩す事無く綺麗に地面に降り立ちました。到底、七十代の老人の体捌きとは思えません。
イストドラゴンから、呻くような声が漏れました。
〝聖剣、セフィルタ……ツィーシー騎国一の騎士達に代々受け継がれてきた、魔獣の皮膚すら容易く貫く驚異の剣……。そうか、貴様はあの時の……〟
イストドラゴンの言葉に、フィルは目を逸らしました。その様子に、イストドラゴンはニヤリと笑います。
〝そうか。あの時の騎士が、時を経て再びヘイグに挑むか。……面白い。聖剣を持ちし老剣士と再生能力を失った不老不死の魔法使い……その戦いの末、冥府よりとくと見せてもらうとしよう〟
末期の言葉であるようなその言葉は、悔しさと驚きが綯い交ぜになっているような……ティグは、そう感じました。イストドラゴンは、最後の力を振り絞って大いに笑ってみせました。
〝我を倒したぐらいでヘイグに勝てると思わぬ事だ、ツィーシー騎国の騎士どもよ。ヘイグは、強い。勿論、各地に住まう我が同胞達もな……!〟
それだけ言うとイストドラゴンは息絶え、そのまま動かなくなりました。パルが冥福を祈るように胸の前で手を組みました。ティグも、右の拳を胸にあて、しばし沈黙の時を過ごしました。
その傍らでフィルだけが、淡々と剣を鞘に納め、イストドラゴンの亡骸を見詰めていました。
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