第9話
楠パークランドの最奥でゆっくりと回る観覧車「アイ・カムズ号」は地上高六十五メートル、ゴンドラ数四〇基の中型観覧車だ。一度、地上を離れれば約二〇分間は市街と、あとは背後の山を眺めることが出来る。夜ともなれば人が住む街の生活の灯が灯り、それなりに綺麗なのだとか。
観覧車の順番待ちの間、フミは何となく居心地が悪くてソウタとの会話の合間に、逃げるようにパンフレットの細部へ目を通していた。次が自分たちの番だ。
二人が列に並び始めたとき、その前には五組程度の先客がいた。だがそれはちょっと前にここを通りかかったときに見た行列に比べればかなり少なくなっていた。
確かに、夜までいるつもりがなければ、もうそろそろ帰るには良い時間なのだ。家に帰る前に、クズミと一緒に買い物もしなければならないし、あまり遅くまでクズミを引っ張り回していては、母にも何を言われるか分からない。
「フミ、来たぞ」
見ると、係員が前のペアが乗り込んだゴンドラの扉を閉めるところだった。フミたち二人が乗るとおぼしきゴンドラはもうそこまで来ている。
地面より三段ほど高い位置に作られた乗り場スペースに二人が並ぶと、やってきたゴンドラの扉が開かれて、中から四人の親子連れが降りてきた。楽しそうに駆けだしていく子供達とその後ろを歩いて追う両親。それを横目に見ながらフミとソウタはゆっくりと動き続ける観覧車に素早く乗り込んだ。ゴンドラの中は対面型の座席で四人乗り程度の広さだ。お互いが向かい合うようにして二人は座る。
「おや、また来たんやねえ。楽しんどいで」
扉を開閉していた係員のお爺さんが、乗り込んだ二人の顔をみとめてそう言った。すぐに扉が閉じられ、上から開閉防止のレバーが下ろされた。
ただそれだけで。ずっと響いていた観覧車の低い駆動音が遮断され、ゴンドラ内は途端に静かになる。
「今の……誰かと間違えとんのかな? それか俺の知らん内にお前誰かと乗った?」
「なんでやっ」
フミは笑いながらパシンとソウタがゴンドラの窓際に置いていた腕ををはたく。
もう、昨日までのことが嘘のようだった。きっとどれだけ会えなくても、またこうして遊べるような機会があればすぐに昔のように戻れるのだ、と。そう信じたかった。これがクズミのお陰で出来たことなのであっても。きっとまたいつでもこんな風に遊べる。
今のフミにはそんな実感があった。
だけど。そうだ、これには現実感がない。まるで夢の中でそうしているような。何かが出来過ぎている。非現実の中の実感。ここを出てしまえば、それは明け方の夢のように、時と共にどこかへ溶けて消えてしまうのではないのか。
だから実感が欲しい。ちゃんとした、現実の。ずっと保証のように残り続けるなにかが。
ゴンドラは徐々にその高度を上げていく。風があるのだろう。ゴンドラの足下からヒューッと風の抜ける音が鳴り、心なしかゴンドラ自体が揺れているように感じる。
軽い酩酊。下を見ているとどうにも落ち着かない。フミも膝に置いていた手を離し、ゴンドラの窓枠の空いたところにもたれるように置いた。これで少しは大丈夫だろうか。
そ、っとその手にひやりとしたものが置かれた。見るとフミの手の上に、それよりも大きなソウタの手が重ねられている。
「ソウタ兄……え?」
「ずっと会えんかったから、正直寂しかった」
ソウタのその顔は、先程までとはまるで違う真剣なものだ。
「そんな……なんで――」
こんな顔も出来るのかと、フミの脳裏にまるで他人ごとのように感想が浮かんだ。
「でも、会うタイミングもないし、うっかりしてるとどんどん離れていきそうで怖かった」
ソウタの手に力が込められる。
これは……? これが現実なのだろうか。
「友達が駄目やったなんて体の良い嘘や。チケットも。いつかって思って自分で買うて持っとってん」
だがフミはソウタを怖いとは思わなかった。似ていると思った。ソウタも自分と同じように想っていてくれたのだとしたら――。
「昨日お前に会って、でもあんまり話せんくて。話すこともなくてヤバいと思ってん。どんどん離れてってる、って。やから……」
言い詰まるソウタ。
フミはその言葉の続きを待った。ただ、信じて待った。
やがてその口が開かれる。
「勇気……出して良かった」
「うん」
「今日は楽しかった」
「うん」
嬉しかった。顔が熱くなって、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
「また今日みたいに、さ。遊べたらええなって」
「……うん」
握られた手の温度が移り合って境界が曖昧になる。想いが通じている。
「ありがとな」
ソウタがその手を引くようにしてゆっくりと顔を近づけてくる。
フミはそれが何かを理解する。
そしてそのまま目を閉じて、フミはその時を待った。
これがフミという「あたし」が望んだ……未来。
――違う。
ちくりと頭が痛み、世界が反転した。
「い、嫌や!」
フミは振り払うようにソウタに握られていた手をほどく。その手が、ソウタに掴まれていたところが少し赤くなっている。
そしてフミが、恐る恐るソウタの方を見ると、不自然にその動きが止まっている。まるで、ゴンドラ内の時間が静止したように。
だが、実際はそうではない。現実は違う。
止まっていたのはフミの方だ。
「そっか」
ソウタの口からそんな言葉がこぼれた。
それはフミの理解がたどり着いた場所で、現実の理解。観覧車の頂点から少し過ぎたところにあった。
再び動き出したソウタは――。
「そや……次は何に乗ろか?」
まるで状況を理解していない、不自然な自然。
その言葉は、きっとフミの言わせた言葉だ。
非現実を理解しても、それは夢のように消えてしまう。
だが夢の世界にいたかったのはいつだってフミの方なのだ。
フミの想いを代弁して叶える。
醜悪な自分の願いは、まだこの場に留まりたがっている。
彼女は全てを理解した。
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