第7話


 楠パークランドは茅地町の私鉄駅から三つ進んだ、西にしやまという駅を出て少し歩いていったところにあった。フミ達が住んでいる地域は盆地であり、西山手はもっと山寄りに位置している。山の標高はそれほど高くないが、遊園地というには規模が些か小さな楠パークランドと比べると、遠目からでは敷地にのし掛かるようにそびえる山の方に迫力が出てしまうのだ。

 山を背にした観覧車なんて、今考えると楽しみが半分薄れてしまっているよなあ、とフミは素直に感想を漏らす。

「なに言ってるんですか、フミ! あんなに大きいのが回っているんですよ? あ、今また速いのが来ましたよっ!」

 その言葉が終わるやいなや、ジェットコースターが轟音と悲鳴を乗せて二人の上方を通過していく。

 フミ達は今、楠パークランドの入場ゲート前の広場に立っていた。時刻は昼の一時少し前。ここから見えるだけでも園内は結構な量の人がいる。とはいえ時間が時間だけに、新たに入っていく人の数は少ない。まばらに出てくる帰途につく人々見ると、子供連れの家族やカップルは一様に明るい笑顔だ。少なくともそれなり以上に楽しめているのだろう。

 そして、とフミは自分たちを省みる。それはまるで、というかそのまま入場前のはしゃぐ子供とその保護者だ。家からここまで来る間、終始このテンションだったクズミに対して、反面フミの顔色は優れない。

「ああ、あたしってなんて馬鹿なことを……」

 どこかに手をついて反省したい衝動に駆られながらも、フミはそれをぐっと堪える。


 フミは電話でソウタに家にはいないと嘘を吐いて、遊園地の入り口で待ち合わせをすることにしていた。それは遊園地にクズミを一緒に連れてくるためだ。電話を切ってからクズミに問い質してみるとやはりというか、クズミは遊園地に行ってみたくて仕方がなかったと白状した。

 だがそうと決まれば話は早い。慌てて支度を調えたフミは、家を出るとき母に「長めの散歩」だと誤魔化して、子狐姿のクズミを抱えて家を出た。そして駅に着いてからのクズミは人の姿。帽子を被って耳と尻尾を出さないようにすれば、休日の空いた電車内でクズミのことを訝しむ者はいなかった。誰が乗り合わせた者に獣の耳と尻尾が付いているなどと思うだろうか。

 その上、クズミ自身が正体がバレるバレないよりも遊園地に気を取られていたため、年相応に自然だったというのも大きい。

 

「でも、やっぱりわたしが来てしまって良かったんでしょうか。あれがソウタさんからの電話だったなんて……」

 ひとしきり騒いだ後、でも、とクズミは急に落ち込んだようになり、また何度目かの同じ言葉を溢す。

「その話はもう済んだでしょ? 別になんも怒ってないって」

 ソウタと一緒に来れば途中で一緒に昼食を摂ったり等ということも出来たのかもしれない。そう思うとフミにもやはり残念な気持ちはある。だけど、この突然のイベントはおそらくクズミの力あってのものだ。

 純粋にクズミを楽しませてあげたいという気持ちと、自分ばかり幸運で良いのだろうかという思い。良い人にはなりきれないが、フミはそういう人間だった。

「ほら! ソウタ兄もそろそろ来てしまうかもしれへんし。……一緒に回ってあげれへんでごめんな」

「大丈夫です! チケットもちゃんと一人で買えましたし」

 その言葉通り、クズミはフミの簡単なレクチャーだけで、自分の入場チケットを購入してしまったのだ。マクドナルド云々を豪語するだけのことはある。

 もちろんチケット代はフミ持ち。クズミのために使うのだし、お小遣いを使ってもギリギリセーフだろうとフミは自分に言い聞かせる。だがその裏で半券やお土産を持ち帰ることは出来ないな、と現実的に考えている自分もいる。どんどん嘘の吐き方がこなれていくというのはフクザツな気分だ、とフミは嘆息する。

「それじゃあ、わたしは先に行ってます。何かあったら呼んでください」

「クズミが、ね。何か分からないことあったら訊きに来ること。あと、帽子があるんだから速い乗り物とかには乗らないこと」

「はい!」

 そしてクズミはフミに手を振って、ゲートをくぐり遊園地の中に入った。フミにもまだ見える辺りで周りをフラフラと迷うように歩き回った後、手に持っていたパンフレットを開いてそれを眺めながらどこかへ足早に歩いて行ってしまった。

 それを見送って、フミはさて、と気持ちを切り替える。待ち合わせの時間まではまだ半時間ほどある。ソウタならば、ギリギリに来るだろうとフミは踏んでいた。

 だがそれを見越して早めに来るようにしたため、着ていく服などを十分に考える暇がなかった。今のフミは薄手のセーターの上からお気に入りの丈が短い赤のニットパーカーを着ている。下はキュロットとロングソックス。その他細々と気を使ってはいるものの、どうしてもクズミのそれに比べても見劣りしてしまう。仮に自分があんな大人しめな服装をすれば、それはそれで反応があるのかもしれないが、たぶんそれは失笑だろう。結局自分らしくあるのが一番なのだ。

 肩から掛けたバッグの中から携帯を取り出し時間を確認する。まだ掛かるだろうか。

「おーい、フミィ!」

 声に呼びかけられてそちらを見れば、入場ゲートまでまっすぐ続くオレンジと茶色の煉瓦が敷かれた道を、向こうからソウタが歩いてきている。

「ソウタ兄っ? なんや結構早かったやん!」

「それ、俺のセリフや」

 ソウタはフミの前まで来ると、手に持っていた携帯を閉じてジーンズのポケットにしまった。

「買い物はもうええん?」

「あ……、うん。眺めるだけで終わっちゃったんやけどね」

 想定していたソウタからの問いに、フミは言いながら何も持っていない両手をひらひらと振って見せた。

「そっかぁ」

 フミはソウタの言葉でクズミの買い物をしなければいけないことを思い出した。帰りにクズミと店に寄らないとな、とそれを記憶しようとしたが、そこにソウタから細長い紙片が差し出された。この遊園地のチケットだ。

「ほな、行こか」

「……うん」

 フミはソウタと並んでゲートをくぐる。係員に千切り取られた半券をコートの上着のポケットにしまうと、そのままエントランスに出た。有名な遊園地に比べて規模が小さいとは言え、ここから見渡すだけでもメリーゴーラウンドのような定番のものから、記憶にない変な形をしたアトラクションまで色んなものが目に飛び込んでくる。

 遊園地なんて中学生にもなって楽しめるのかな、と思っていたフミも、その雰囲気に呑まれて心なしかわくわくしてくる。

「ん? ……あれ、なんやろ?」

 視界に入った見慣れないそれを指さしてフミは言った。

 この場所からでは見えにくいが、道の先に小さく青い塊が見えた。建物のようだ。

「うん、どれさ?」

「あ~、違う。絶対変なとこ見とるわ。もっと右の方。ペンキっぽい青の……」

 手を額に翳し目を細めて遠くを見ようとするソウタをフミは方向修正させる。

「……あー、あれか……何やろ?」

 きっと、フミが最後にここに来た後に新しく作られたものなのだろう。入場するときに渡されたパンフレットを開いて、そのほぼ一面を使った簡易地図に目を通す。

「俺にも見せてや」

 そう言ってソウタがフミの持った地図を覗き込んできたことで、彼女は思わず硬直する。顔が近い。落ち着け、とフミは自分に言い聞かせる。

 このぐらいで、緊張するのは変なのだ。以前ならこんなに近い距離でも、なんてことはなかったのに、と。

 疎遠になっていた分、まるで昔のこともなかったことのようになってしまったのだろうか。

 でも、それだけは認めたくない。

「ああ、これちゃう?」

 フミが気を取られている隙に、ソウタがめざとく地図の一点を指差した。確かにそこには同じような色の四角い建物が描かれている。

「九番、九番っと――『絶対零度 深海冷蔵庫』……ペンギンも凍る寒さを体……感」

 聞いているだけで、身も凍えそうな場所だ。思わずフミの背筋に悪寒が走る。

「何その殺人的なんは……というか、今稼働しとんの? 十一月……」

「みたいやなあ」

「……却下で」

「却下やなあ」

 そこでソウタは、ああと思いついたように声を上げた。

「そんなら、お化け屋敷は?」

 ソウタは地図から目を離し、フミの方を向いた。そこならフミもまだ場所を覚えている。

 だが、と思ったことを彼女はそのまま口に出す。

「なんで寒いのイヤ言うたとこなんに、それが出るかな?」

「あれぇ、フミ怖いの苦手やっけ?」

 からかうように悪戯っぽく笑うソウタにフミは、思わずカチンとくる。

「ソウタ兄こそ、前来たとき頑として入らんかったよねあそこ。結局あたしとおばちゃんで入ったはずやけど……?」

「あっはっは、どうせ驚かんのが分かっとるから遠慮しただけですよ」

「なんで敬語、白々しー」

 これはあからさまな挑発だ。お互いそれが分かっているからこそ、無言で相手の出方を見守っている。


「行こか」「もちろん」

「泣くなよ」「ニゲンナヨ?」


 しかし、あからさまに身構えて入るお化け屋敷というのは案外どうと言うことはない。フミは観察力をフル動員。記憶に残る出現スポットに最大限の警戒を払い、これをクリアした。ここに入ったのはもう何年も前のことなのに、配置があまり変わっていないというのも別の意味で大丈夫なのかという気がした。

 それでも、所々で不意打ちのように飛び出すギミックには流石に悲鳴が漏れてしまう。それを聞いて馬鹿笑いするソウタ。

 隣を歩く彼の方はと言えば、予想に反して落ち着き払ったものだった。こいつ、怖いものが苦手ではなかったのか? フミは自分ばかりが損をしているようで釈然としない。

 そしてあれよという間に出口に着いてしまった。お化け屋敷と名乗るならもっと頑張って欲しい。

「でもそれやと、フミが泣き出してたんちゃう?」

 独り言を耳ざとく聞きつけたソウタが笑う。フミが不覚にも驚かされた〝ごく僅か〟のことを言っているのだ。

「不意打ちやっただけや! 怖かった訳ちゃうし……」

「ああ、でもなんかそういうのに偏っとったよなあ、ここ。オバケっちゅーか、びっくり箱?」

「そうそう」

 気付くと、フミはソウタと自然に話せていた。ソウタの合格発表を見に行ったときよりも、同じ中学に通っていたときよりも。そして、前にここに来たときよりも……? それはそれはとても喜ばしいことであるはずなのに、なにか変な感じがする。

「さて、お次はどこ行こか」

 ソウタは自分のパンフレットを広げて、それを眺め始めた。

「落ち着くとこは?」

 フミはお化け屋敷で集中力を使い切っていた。おまけに館内で時たま鳴り響く大音量の叫び声やポルターガイストの効果音でまだ耳鳴りがする。

「んー、遊園地でそんなんあるんかなあ――ああ、ジェットコースター……の下のコーヒーカップ! いや、怒んなって」

 反射的に目つき鋭くソウタの方を見てしまったフミは、引っ掛けられたことに気付いて思わず苦笑する。

「あはは。ええよ、もう。ちょっと休憩したらジェットコースターも乗ろ」

「おう」

 そして、ソウタとフミはジェットコースタとコーヒーカップのある西の区画へ歩き出した。

 その時すぐ背後から「ひゃあ!」と大仰な悲鳴が聞こえてきて、フミは立ち止まる。……それは今歩いてきたお化け屋敷の中から聞こえてきた。

「……クズミも楽しんでるみたいやね」

「どした?」

「ううん、なんもない。――でも、そうや。ソウタ兄って絶叫系は完全に駄目じゃなかった?」

「いつの話やねん。つーか女子はなんであんなもん一日で何回も乗りたがんねん。俺は一回で充分やわ」

「えー、ソウタ兄分かってないなあ」

 二人は再び歩き出す。幅広く取られた道のお陰でジェットコースターは既にここからでも見ることが出来た。

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