第6話


「御利益?」

「そうです」

 フミのオウム返しに、厚手のベージュ色をしたセーターから首を出したばかりのクズミが肯定した。続いて、両腕を通して整える。裾が少し長いが気にならない程度だ。

 時刻は十時過ぎ。学校で宿題に出されていた数学のプリントと予習の英訳を片付けたフミは、クズミと外出するべく自分のおさがりから選んだ服を彼女に着せていた。

 どこか懐かしく、見飽きるぐらい着たとも言える自分の服でも、誰かに着せるために選ぶのは中々楽しかった。惜しむらくは服の種類が少ないことだが、このタイミングで、サイズ違いとは言え服を買ってきたことが母に見留められようものなら、フミのライフラインが母の憤怒で圧壊しかねない。ここは我慢するしかない。

「わたしたち御使いは、人が言う『縁』や『運』に働き掛けることが出来るんです。これも根本は同じものなんですけどね」

 明るい色合いの服は、色白でくすんだ髪色のクズミによく似合う。クズミもクズミで暖かい着心地を気に入ったようだ。

「どうですか、フミッ?」

 両手の手の平まで届いた裾を握って、くるりと一回転。

「まだやから! スカート! 尻尾下げてぇや」

 床に置いたロングスカートの上にクズミを立たせて、生地を持ち上げて着せた。

「ということは、昨日お母さん説得しに行くときにクズミがしてたあれって」

「はいっ、『開運招福』。フミの運気が微妙にアップです!」

 字面だけ聞いていると、朝の占いコーナーのようである。

 スカートに使われたコーデュロイ生地は厚く重みがあり、クズミの尻尾を意図的に下げさせればほとんど目立たなかった。

「そっか、ならお母さん説得出来たんもクズミのお陰かな。思ったより手強かったし」

「それは違います。わたしたちが出来るのは、〝お手伝い〟だけですから。フミが説得をしてくれなければ、わたしはここにはいませんでした」

 着終えたクズミは背伸びをするように踵を上げたりしながら後ろを見て、腰から足下までを見下ろす。どうやらこちらは着心地が落ち着かないようで、その問うような視線にフミは首肯で答えた。それでクズミは安心したようにはにかむ。

「それにわたしは『運』関係の術は苦手で……たぶんフミの時もそんなに御利益はなかったと思います」

「ってことは、専門は『縁』ってこと?」

 最後に、クズミに帽子をかぶせた。これはフミがお気に入りで使っている底の深い帽子。頭頂部に空間を残しても目深に被ることが出来るが、頭が少し大きく見えてしまうことが欠点だ。ただこの場合は、それぐらいにしか見えないことが転じて利点になっている。

 だが、かぶせたばかりの帽子は、クズミが突然動いたため落ちてしまう。

「『良縁祈願』っ! 要は縁結びですね」

 腰に手を当て、自信満々に胸を張るクズミ。それだけ、実力と誇りがあるのだろう。だがロングスカートで仁王立ちに足を開こうとしても幅が足りずにやや迫力に欠ける。

 呆れたフミが顔を逸らす。

「そうだ!」「わっ!?」

 そこに目を輝かせた上目遣いのフミが滑り込むように近寄ってきた。

「フミは縁を結びたい人はいませんか!?」

「な、なんよ藪から棒にっ」

 学校でやる腹を探り合うようなガールズトークとはまた違う、あまりにストレートな物腰にフミは対応に困る。

「うら若きシッシュンキィは好きな人がいることと聞きました! ならフミだって」「言うとくけど、その言葉は横文字ちゃうからね!」

 ぐいぐいと期待の表情で顔を近づけてくるクズミを押し返しながら、フミは「マッキンリー」のイントネーションで発音されたそれをなんとか指摘する。

 そう言えば、とフミは思い出す。クズミが言ったことには、彼女がこちらに来たのは自分が得た力で実際に誰かのためになるためではなかっただろうか。

 フミにしてもクズミのために一肌脱ぐのはやぶさかではない。だが、そのために自分の胸にしまってあるものを吐き出すことには抵抗があった。

「わたし、フミに恩返しがしたいんです!!」

 クズミはフミに何かをしたいと思っている。フミもクズミの力になりたい。なのに何故か気が進まないのはそれだけが理由か。

 フミの脳裏にソウタの顔がちらつく。彼女にとって自分の気持ちが分からないのは今も昔も同じだ。好きだと言いながら、それを表すことが出来ない。

 幼馴染みという関係は毒だった。それは既に初めから親しかったということなのだ。

 物心つく前から男女関係なく遊んでいたことで自然に形作られたそれ。気持ちに気付いてからも、そのままでいれば世間一般のカレシカノジョのすぐ下に位置付くことが出来た。

 そんな心安い関係と、それ以上踏み込んでしまうことによる未知のリスク。

「フミ?」

 その関係に手を加えるのが怖い。何もしないことはそんなに悪なのだろうか。何も変えようとしていないのに、何故そのままでいさせてくれないのか?

 人は陽の下にいるそれだけで時と共に褪せてしまうのだ。気持ちも思い出も。

 だから、このままであることを守るためであっても、一歩踏み込まなければいけない。意外と速いスピードで自分が立つ大地のプレートは彼とは逆方向に進んでいる。

「――わかった。お願いしてみよかな。でも他言は無用に」

「はい、です!」

 クズミはどこで覚えたのか左手を伸ばしてびしっと頭の位置で敬礼する。

 悪くない悪くない。このマジメで正直な娘にこうも想われていることがフミには暖かくて嬉しい。もっと喜ぶ顔を見たいと思う。その裏側にくすぶり続けるものを受け入れてくれたクズミだから。だからこの厚意に預かること。だから、悪くはない。


 それから数分後。

「ツジソウタ、さんですか?」

 フミのベッドに腰掛けるクズミはその名を復唱し、フミに訊き返した。

「うん、あたしの幼馴染みやねん」

「オサナナズム?」

「やから横文字ちゃうて。小っさいときから一緒におる人のこと」

 あれから興奮するクズミを宥めた後、フミは本棚の前にいた。本棚として使われている四段の高さのカラーボックスは一番下の段にアルバムが収納されている。古い写真は装丁もしっかりしたアルバムブックに入れて保管しているが、最近撮ったものは現像したときにカメラ屋で貰える簡易的なアルバム冊子に収めていた。一冊あたりに二十枚程度しか入らないため、冊子は今で五冊ほど並んでいる。その内の一冊を手に取り、パラパラと中を確かめる。

 ……違う。

 二冊目も空振り。目的の写真は見つからないまま、思い出を覗いていく。二ヶ月前の修学旅行、ハヅキらと市民プールに行った日。そして春。

「これだ」

 三冊目。そのページを開いたままフミはクズミが腰掛けるベッドの上に置いて、自分もその隣に座った。

 その写真はソウタが高校に合格したときのものだ。合格発表の日にソウタと彼の母親、そしてフミとで高校まで行った。合格を確認し、その帰り掛けに体育館前で張り出されていた合格者の番号一覧表の前で、フミとソウタの母が順繰りに彼と一緒に写真を撮った。

 確かソウタはその時「公立高校の出願なんて先生に調整されてるから合格も大したことないねん」と写真に撮られることを抵抗していた。

 懐かしいなあ。

「これがソウタさん……あれ?」

 写真でフミの隣に写るソウタをクズミはまじまじと見つめる。

「昨日、たぶんあたしが来る前に会ってると思うんやけど」

「あ、そうだ! わたしにお菓子くれた人です、この人! ……この人が、フミの好きな人なんですね」

 微笑みかけてくるクズミ。

「う……うん」

 クズミの言う「好きな人」とは、まるでその項目が図鑑に載せられているかのように、さも当たり前に語ってくれる。だが本当に? 本当にそうか? 自分はクズミの言うようなそれとして、彼のことを想っているのだろうか。フミは自問する。

「ずっと仲良かったんに、高校行ってしもてから全然会えへんし……話せへんし」

 自分の理想がどこにあるのか分からない。よりよきカタチとは何か。

 このままではきっと何も好転しないのだろう。そしてどんどん遠ざかっていく。けれど、それを防ぐために必要な一歩でさえ不幸になる可能性をはらんでいるかもしれないと、フミは歩き出すことが出来ない。

「そやから、もっと距離も近くって、仲良うなりたいねん」

 きっとそう願わなければ、今の距離を保つことでさえ難しいのだ。

「――わかりました」

 ひとしきり写真を眺めた後、クズミはフミの方に向き直った。

 だが、その目は瞳孔が開きフミに焦点が合っていないように見える。そしてそのまま静止する。

「く、クズミ……?」

 フミは突然のことに戸惑い、おそるおそる声を掛ける。

 クズミはそれには応えず、ゆっくりと部屋の中を見渡すように眺める。その視線が足下を見て一度ぴたりと止まり、すぐに思い出したようにまた動き出しす。しばらく視線を平行移動させると、最後に部屋の東側の窓を向いて止まった。

 クズミはそのまままっすぐ指を差すと、その姿勢でフミの方を向いた。

「この先にソウタさんが住んでいるのではないですか?」

「……クズミ、何か見えてんの?」

 フミのその反応をクズミは肯定と受け取ったようだった。

「御使いは『縁の糸』を見ることが出来ます。『運の糸』とも言い換えても良いです」

 クズミはフミの方に手の平を差し出した。彼女の目はもう元に戻っていた。

「今この手の上にその糸がありますが、フミには見えないと思います。わたしたちはこれを使って、人の縁に働き掛けるんです」

「どうするの?」

「新しく糸を付けたり、引っ張ったりして仲良くさせたり、ときには糸を切って縁切りなんてのもありますね」

 そういってクズミは空いた手の指をハサミの形にしてみせた。

「切れちゃうんだ……」

 縁が切れる。今のフミにしてみればあまり気分の良い言葉ではなかった。

「でも、それはみんなきっかけです。糸を掛けてもすぐに切れてしまうこともありますし、糸を切ってもまたすぐに繋がってしまったり……最後はすべて人の心の持ちようなんです」

 クズミは両手を前に捧げるような形にしてフミに改めて見せるようにする。おそらくその手の上に「糸」があるのだろう。

「糸はその見た目からある程度その人達の関係を推測することが出来ます。例えばその糸が太ければ太いほど、ピンと張られていればいるほど、それは切れにくい縁でありお互いを必要とし合っている強い縁だと言えます。そして逆に繋がっているだけの縁というのもありますね……。そういうのは細かったり色が薄かったりして、お互いを忘れてしまったりするといつの間にか切れてしまいます」

 糸の話は、フミにとっても理解しやすいものだった。要は「強い糸」を想像すれば、それがそのまま強い縁を表すものなのだろう。

「クズミ、あたしとソウタ兄のは?」

 フミの問いに、クズミは考えるように唸る。見えない糸を手の平の上で滑らせるように、そして読むように、両手が左右に何度も開閉する。

「お二人は信頼し合っておられるんですね。色も落ち着いています。唯一、糸の太さに関してはそれらに比べて頼りなくはありますが、それもフミとお母様との糸に比べてという話しで、他よりも良い縁なことは確かです」

「そっか……でもそれやったらなんで、もっと仲良いままでおれへんのやろ」

 だがそうは言いながらも、フミには理由が分かっていた。

 それは自分が何もしていないからだと。

 幼馴染みというこの心地よい距離感を保てるというのなら、フミは迷わずそちらを選ぶ。

 このままでいたいという、それだけの願い。だけどそれを叶えるためには、維持し続けるため少しでも踏み込んでいくことが必要なのだ。

 外向きに回転する渦、気を抜けばどんどん押し流されてしまう。中心にいられなくても良い。だけど、ただその場に留まり続けるというそれだけのことが、実は前に向かって進み続けねばならないことと同じなのだ。

 想いと反する行動。思わずクズミの頭に手が伸びる。まるで、抑えきれない寂しさを伝播させて逃がすような、卑怯な行為だ。

「フミ……」

 見上げてくるクズミの瞳を見るのが辛い。

 だけど……どうしようもないじゃないか。

「だ、大丈夫ですよ! これだけ引きの強い縁だと、引っ張ってもあまり意味はないです。けど何とかなります」

 フミの頬に小さな手が当てられる。その手がとても温かい。

「――――あ……そうだ、糸を増やせば……」

「え……?」

 クズミは突然立ち上がり、頭の上に載せていたフミの手が離れた。だがそれをすぐにクズミが両手で捕まえる。

「そうですよ、フミ! 新しい糸を張ったときの因果を使えば! 元から糸があると意味はなかったんですが……因果を呼ぶために使うだけならいけます、いけますよ、フミ!!」

 一人で盛り上がるクズミ。だが、何がどう変わったのか分からないフミは置いてけぼりだ。

「どういうこと? 説明……されても分からへんかも、やけど」

 クズミは独り合点に気付いて、照れ笑いを浮かべる。

「あはは、すいません……それまで全く縁のなかった人や、ケンカ別れして糸の切れてしまった人がする縁結びの願いを叶えるとき、わたしたちは新しく糸を掛けることができます。ですが、それは自然に結ばれた糸に比べてとても弱いんです。出会いやすくなったり、お互いのことが気に掛かったりという一定の効果はありますが、活かすことが出来なければ自然に切れてしまいます」

 クズミは自分とフミとの間に指で線を描き、結ばれた糸を表現してみせる。

「それにフミとソウタさんにはもうちゃんとした糸があります。新しく糸を結ぶ必要なんて本来はないんです。でも、糸を結んだときの『引き合う力』を得るためなら意味はあります」

 そしてクズミは静かに手を合わせ、祈るように静かに口元に近づける。その瞳は糸を視るときのそれに変わっている。

「うん。クズミ、お願い」

 あたしを助けて、とフミは願う

 合わさった手がすっと離れたかと思うと、それが勢いよく打ち合わされてパンッという乾いた音が響いた。

 柏手。

 クズミは再度合わせられたその手を口元に付け、目を閉じて祈る。そしてしばらくして、大きく息を吐いた。

「……これで、少しは好転すると良いのですが」

「うん、ありがとうクズミ」

「いいえ、まだ――」

 そのとき、室内に電子音のメロディが流れる。

「ななななな、なんですか!?」

 驚いて、周囲を警戒するクズミ。

 これは今流行りの曲。最近変えたばかりの着信音。フミの携帯だ。

 見るとベッドの枕元で充電されていたそれにチカチカと着信中のイルミネーションが明滅している。

 フミはベッドの上に手を付いて身体を伸ばすようにして携帯を掴んだ。

 携帯を開き、その名前を確認するや通話ボタンを押した。

「も、もしもし」

「――よお、フミか?」

 電話の向こうにはソウタがいる。

「うん。どしたん、電話なんて久しぶりやん」

 フミは話し選びを間違えたと思った。しかし、ソウタは大して気にした風もなく話を続ける。

「いや、なあ。……お前、一緒に遊園地とか行く気あらへん?」

「ふぇ!? ゆ、遊園地?」

 大声を上げたせいか、視界の端でクズミがびくりと反応する。

「ほら、あれや。『楠パークランド』。昔、よう皆で行っとったとこ」

 確かにその場所は、フミとソウタが家族ぐるみでよく遊びに行っていた場所だった。

 最後に行ったのはたぶんお互いまだ小学校だったはずだ。

「せやけど、なんで……」

「ああ、親戚からタダ券貰て、行けって言われとんねけどな。期限明日までやねん。でも明日は俺も無理でさ」

「……つまり、今日?」

「そうそう。油断してたわ。一緒に行く奴もおらへんし」

「ええっと、友達、駄目やったん?」

「ハッ、野郎で連れだって遊園地行けるか! ってボロカスに言われたわ」

「あはは、そんなことやと思た」

 ツいてる?

 突然のことに戸惑いながらも、フミはこの降って湧いた事態に考えを巡らせる。

 遊園地に遊びに行ったことなど、もう遙か昔の思い出だ。

 いい歳した男女が二人で遊園地に行くなんてそれはまるでデートじゃないか。ソウタはそう言うことを考えないのだろうか。それともフミ自身がそういう対象にならないだけか。

「それで、どうする? というか、助けると思って頼むわ。中で何か奢るし」

「――行く」

「ほんま!?」

 受話口からソウタの喜ぶ声が聞こえる。それにつられてフミも何だか楽しくなってきた。

「うん、ちょっとは楽しもね?」

「任せえ! それでフミ、今家におる? 迎えに行くけど」

 その時、フミの服の裾がくいと引かれた。振り向くとクズミがフミのことを見つめている。

 だけど、何かを言おうとしてもすぐに俯いて、何かじれったい。

 それで、ああとフミは思い至る。さっきの反応はそう言うことなのか。

 考える。二つのことを同時に叶える方法は?

 こんなときだけフミの思考は高速回転し、すぐさまその方法が組み上げられていく。

「フミ?」

 沈黙で間が空いたのを訝しんだソウタが声を掛けてくる。

「ああ、ごめん。今あたし用事で買い物してるとこやねん。そやから――」

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