(5)女子トイレ
ななつめ、トイレの花子さん。
この話はねえ、あたしが物心ついてから、最初に聞いたやつなのよ。
いくらあんたが怖い話に
ほら、あたしの名前が花だから、トイレの花子さんにはすごい親近感があるのよね。小学生の時も、トイレに行っただけでトイレの花子さん扱いだったし。
だからあたし、怖い話の中ではトイレの花子さんが一番思い出深くって、好きなのよね。
この学校の七不思議に花子さんの話があって、しかも一番大事なななつめの話だったんだから、すっごく嬉しかった。
忘れられないわ。一年の六月。
あたし、放課後に一人にここに来て、花子さんに会ってみることにしたの。
天気がちょうど雨だったから、外には人が全くいなくって、邪魔が入る心配もなかったしね。
まずはその話に入る前に、ここに花子さんが住み憑いたわけの方から話そうかな。
花子さんが生きてたころの話。花子さんは、夏休みに夏季講習を受けに来たの。それで、休み時間にトイレに行ったのよ。
ちょうどその時、学校に泥棒が入ったの。今みたいに学校への人の出入りが制限されてなくて、防犯システムも普及してなかったからね。
花子さんは運悪く、その泥棒と鉢合わせしちゃったのよ。
顔を見られた泥棒はとっさに考えた。殺しちゃおうってね。
女の子一人だからなんとかなる。すぐに済ませられる。
花子さんが悲鳴を上げる間もなく、まず泥棒は花子さんを殴ってトイレの中に引きずり込んで、そのまま首を絞めたの。
夏休み中のことだから、人と会うなんて思ってなくて、武器になるようなものは持ってなかったのよね。
かわいそうに、花子さんは絞め殺されちゃった。
誰もいない女子トイレの個室に置き去りにされたままね。
死体が見つかったのは結局、翌日だったって。
幽霊になった花子さんは無念のあまり、自分が死んだ場所であるこの三番目の個室に縛られたままになっちゃった。
これが「トイレの花子さん」が生まれたきっかけ。
で、この花子さんが出る話にはだいたい、花子さんを呼び出す話もセットになってるのよね。
じゃあ、そろそろ六月の話をしよっか。
女子トイレの中は、男子トイレとあまり変わりない内装だ。違いがあるなら、壁のタイルがピンク色なことぐらいか。
ここは北向きだから、外と比べてひんやりとしている。
トイレだから、あの独特の臭気があるものかと思ってたけど、あまり使われてないからか、想像していたほどでもなかった。
とはいえ居心地がよくないのには変わりないので、できれば早く出たかった。
花は個室前に備え付けられている手洗い場の所まで行き、鏡に向かって立った。
花子さんを呼び出す方法は簡単。
まず、三番目の個室のドアを三回ノックする。
こん・こん・こんってね。
それから「私はあなたに会いたいです」って言うの。
言ったら、くるっと反対に向いて鏡を見る。三番目の個室のドアが映るようにね。
成功したら、鏡に映った個室のドアがぎいーって開いて、花子さんが出てくるのよ。
たったこれだけ。試さない理由はなかったわ。
あの時のあたしも、今みたいにここに来て、それをやったの。
でも、あの時のあたしは焦ってたのよね。
ノックして鏡を見たけど、鏡にはなんにも映らなかったから、後ろを振り向いたのよ。
引き寄せられたみたいに個室のドアを開けようとしたらね――――開かなかったの。鍵がかかってるわけでもなかったのに。
引いても、押しても、何しても開かなかったの。
不思議でしょ?
あたしは確信したわ。トイレの花子さんは本当にいるんだって。
海木。分かるでしょ。今からそれをやるわよ。花子さんに、今度こそは会ってみたいのよ。
「お前、ふざけんなよ」
今の話を聞いてやりたいと思うやつがどこにいるんだよ。
俺はわざわざ幽霊なんて見たくない。
「だいたい、そういうの呼び出したら絶対なんかあるだろ。祟られるとか呪われるとか」
さっきの話聞いて分からなかった? 花子さんは鏡に映るのよ。つまり、ノックしても鏡を見さえしなかったら、花子さんは見えないってことよ。
「……じゃあ、俺はノックして、お前が鏡見るってことか?」
分かってるじゃない。ま、夏休みの思い出作りということで、ちょっと付き合ってよ。
こんな体験、そうそうないんだから。
花の指示通りに、俺は個室のドアを三回ノックして、言われた通りの言葉を言った。
俺の心のこもらない台詞で果たして花子さんは出てくるのか、できれば出てこないでほしいと祈りながら。
花は一言も発しないまま鏡を見ている。俺も無言のまま、花と背中合わせに個室のドアを見つめた。
鏡に何か映れば、花の反応があるだろう。
――何も返事はない。ドアはぴくりとも動かない。鍵は開いている。その場から動けない。動いたらいけない気がした。
どうするんだ花、と背中で語った。今お前は、何を見てる。
何も映ってないならそう言えよ。俺には、何が起こってるのかさっぱり分からないんだ。
――――花子さん。あたしはあんたに会ってみたいの。
かすかに息を呑む音がした。俺のか花のか、分からなかった。
いたっ!
その声に驚く。直前、何かをぶつけたような音がした。
振り向くと、花は鏡にもたれていた。
どう見ても、鏡に腕がめりこんでいるもたれ方だった。
引きずり込まれてる。鏡の向こうの花子さんに。
嘘だろ。
ほぼ反射的に足が跳ね上がり、俺は花の左腕を掴んだ。
でも、想像以上に引っ張られる力は強く、やむをえずに花の胴体にしがみついた。
細い体だった。体を動かすのを止められるのも納得させられる弱々しさ。こんな体じゃ、ここに俺がいなかったらやばかったに違いない。
「っだらあああああっ!」
恐らく初めて出したであろう雄叫びを上げて、俺は全身全霊で花があっちへ行ってしまうのを阻止した。
二人ともトイレの床に尻餅をつく。
……以外と荒っぽいわね、花子さんって。
鏡を見たまま花がつぶやいた。さっきまでのことが幻だったように、鏡は来た時と同じ所を映している。
さっき洗面台でお腹打っちゃった。声出してなかったら危なかったわね。
「お前なあ、マジでやばかったぞ。あのまま鏡に引きずり込まれてたらどうするんだよ」
さあ。花子さんと永遠にお話することになってたかもね。
……ともかく、海木のおかげで助かったわ。ありがと。
これで七不思議見物もおしまいね。どうだった? 最後はちょっとしたハプニングがあったけど、まあ怖い話にはよくあることだから。気にしない気にしない。
じゃあ帰ろっか。せっかくだから一緒に。
死んでたかもしれない体験の直後だというのに、花はあっけらかんと笑っていた。
帰り道、将来について少し話したり、学校生活の他愛もない感想をぼやき合ったりした。
怖い話に関しては変人そのものだったけど、それ以外の話をするなら、花は聞き上手で話し上手だった。
連れ立って駅まで歩くと、花は郊外方面の路線のホームへ向かい、そこで分かれた。
じゃあね。また新学期に。ばいばい。
別れはあっけない。夏休みが終われば、俺達はまた前のように、クラスメイト以上でも以下でもない関係に戻っているんだろう。
その予想は外れた。
花と俺は、それきり会話することも、会うこともなかった。
新学期に俺を待っていたのは、花の
***
元よりの病弱さが悪化したのか、それとも花子さんに連れ去られてしまったのか……。
蝉の鳴く告別式、俺は棺の中にいる花の右腕に釘付けになった。
花に埋もれるようにして、明らかに黒ずんだ跡がある。
多分あれは、手で掴まれたような形をしているのだろう。
七不思議を最後まで知ると何かが起こるのだという。
花はその法則どおり、連れて行かれたのか。
だとすれば俺もそうなるのでは――と告別式の後は気が気じゃなかったけど、俺は今も生きている。
病気一つしていない。夢に花子さんが出てくるということもない。前と変わりない。
クラスメイトが一人減ったことと、あいつのフルネームを知ったこと以外は。
奇妙なものを感じさせるその名前のごとく、あいつは話を終えた。話を済ませた。
七不思議を七つ確かめ、俺に話した。
学校の怪談に魅入られ、そして学校を卒業することなく、死んだ。
俺はというと、苦労させられた受験勉強を終え、無事試験に合格した。
そして、花のいない卒業式を終えて、今学校を出ようとしている。
目の前には桜の木がある。人が吊るされたという、あの木。
花の幻影が見えるということもなく、俺はほころび始めている桜の木を眺め終えた。
卒業だ。束の間意識することになった七不思議の舞台とも、あの悪夢のような女子トイレの出来事とも、おさらばになる。
でもあの事は忘れても、花の事はせめて、忘れないでおいてやろう。
二度と会えないあの変人と、聞いてもないのに教えられた七つの怖い話くらいは。
だから花、もし幽霊になってたら、俺には構わずに思う存分、日本中の学校をさまよってくれ。
俺の話も、これでおしまいだ。
じゃあな、また来世に。ばいばい。
沈んだ花と七不思議 ずほ子 @zuhoko
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