dead.14 カウントダウン

「てっしー、これ……ヤバくないかしら?」

 書棚の陰に身を隠しながら、小声で西原は言った。

 バックルームを出て、生き残っている人の救出を行い、ゾンビが外に出ないように警戒しながら、外に助けを呼びに行く。その計画だったが、やはり状況はそんなに甘いものではなかった。

 見たところ、もう店の中には人間はいなかった。

 死体になっているか、ゾンビ化してうごめいているかのどちらか。死体になっている者は、ゾンビにしゃぶりつかれ血を吸われ続け、血をすすっていないゾンビは、夢遊病者のように店内をさまよっている。店内の床はどこも血で濡れ、本棚のいたるところにべったりと赤黒く痕を付けている。平台に積まれた女性ファッション雑誌の表紙、笑顔を浮かべたモデルの顔も血で染まっている。

 確認出来るだけでも、ゾンビはすでに十体以上いた。いくら聖水がゾンビ避けになるといっても、一斉に襲いかかられたら終わりだろう。

「明らかに、さっきより増えてるわね」

「上手く棚に隠れながら、出入口を目指すしかありませんが……」

 しかし、出入口前は他の場所と違い本棚が少なく、広々としている。全く見付からずに外へ逃れるというのはほぼ不可能だろう。

 ゾンビたちは店内を徘徊し、死体から血をすすったり、書棚に無意味に体をぶつけたりしているが、おそらくこのまま放っておくと外に出て人を襲うだろう。いや、すでに外に出ているゾンビもいるかもしれない。そう考えると、ますます急がなくてはならない。

 身をかがめて、できるだけ音を立てず、だが早足で二人は書棚の陰を移動した。

 出入口まであと書棚二列分のところまで、ゾンビに気付かれることなく近付いたが、ここから先は正に跳梁跋扈、ゾンビたちが血の池で死体を弄んでいる。

「聖水の力を信じて、一気に走り抜けますか?」

 小声で勅使河原が言う。

「それしか無いかもね」

 元々無策同然なのだ。西原は続けた。

「てっしー、もし私がゾンビに捕まっても、助けずにまっすぐ出口を目指しなさい。私も、てっしーが捕まっても、助けずに出口に向かうから」

 それを聞いて勅使河原は、一瞬だけ打たれたような驚きの表情を見せたが、すぐにいつもの神経質そうな顔を作り、鼻で笑ってみせた。

「フッ、西原さんは、殺しても死なないでしょう。ま、僕もせっかく社員になったんです。最低でも店長になるまでは死にませんよ」

 それを聞いた西原も、いつものように皮肉っぽく笑った。

「店長になったら、私の時給を上げて頂戴ね」

「お安い御用です。――じゃあ、三つ数えたら走りますよ」

 二人は息を殺し、そして、カウントを開始した。


「――三、――二、――いっ」


 ガアアアアアアアアアン!!!!!


 しかし、数え終わる寸前、勅使河原と西原の頭上に大量の本が降ってきた。

「うわああああ!」

「きゃあああああああ!」

 ゾンビたちが、二人の両側にあった書棚を崩してきたのだ。

「くそっ、ぐあっ!」

「いたっ! てっ……し、逃げ……!」

 逃れようとしたが、数百冊という本が頭に、肩に、背中に当たり、二人は身動きがとれなくなった。そのままゾンビたちは重たい棚も打ち倒し、あっけなく二人を生き埋めにした。

 こうなっては聖水があろうと関係無い。

 あとは動けないように傷を付けて、ゆっくりと血をすすればいいだけだ。

 ゾンビに果たしてそれだけの知恵があったのか、それとも気まぐれに棚を崩しただけだったのか。はたまた、この短い時間で戦い方を学習したのか。だが、その真相に勅使河原たちが近付くことはもうなかった。

 本の山に埋められた二人を囲むように、ノロノロと生ける屍リビング・デッドたちが集まってきていた。砂糖の山に群がる蟻のように。


 ※※※


「西原さんたち……大丈夫かな」

 目を伏せたまま、横谷はつぶやいた。

「信じるしか、ないですよ」

 そう言って、隣に座る矢野がぎゅっと横谷の手を握った。

 バックルームの奥に、生き残った七人の客たちを避難させ、その周りは破られないように本を詰めたダンボールで高く囲った。そこに聖水もかけた。ダンボールも聖水も、気休め程度にしかならなかったが、無いよりはましだろう。

 そして佐治、矢野、横谷の三人はバックルームの扉のすぐ後ろで、もしもこの扉が破られた時のために待機していた。いや、「もしもこの扉が破られたら」というのは望まない未来だ。本当に望むのは、「もしも、この扉が救助に来た勅使河原や西原、警察によって破られたら」という未来。助けが来るという未来だ。

 矢野の手を握り返しながら、横谷は小声で言った。

「どうして、西原さんたちも、矢野さんと佐治くんも、そんなに平気でいられるの……? 私、怖くて怖くて、仕方がないよ……」

 最後の方は声が震えていた。

 矢野は、さきほど西原が嗚咽する横谷を慰めたのを思い返し、体を寄せ、握っているのともう一方の手で、横谷を包んだ。それは西原がした抱擁ほど力強いものではなかったが、それでも、少しだけ横谷の心の水面を落ち着かせた。

「横谷さん、私たちだって怖いです。でもたぶん、少し麻痺しちゃってるんだと思います。上手く言えませんが……でも、麻痺してる分、こうして、横谷さんを支えることができるのかもしれません」

 そう言う矢野の声は、確かに落ち着いていた。

 矢野は大学生、横谷はこの春大学を卒業したフリーター。わずか三歳の差だが、年齢は横谷の方が上だった。しかし、お嬢様育ちでのんびりした性格の横谷に比べ、見かけによらずハキハキとしアクティブな矢野の方が、実際は精神年齢が高かったのかもしれない。事実、普段から横谷は矢野のことを「学生なのにしっかりした子だなぁ」と思っていたし、矢野の方は「年上だけど、ちょっと抜けていて可愛い人だな」と思っていた。

 そうした下地があったせいか、余計に矢野は今、自分がしっかりしなくては、と感じていた。

 もちろん矢野にも恐怖はあったが、事の始まりから知っている分、どこか現実感が薄く、本人の言う通り感覚が麻痺していたのかもしれない。

「大丈夫、横谷さんのことも、矢野さんのことも、もしもの時は俺が守るよ」

 抱き合う女子二人の横で、佐治が言った。

 言いながら、こんな状況にも関わらず、「矢野さんのことも」のところで照れ臭くなってしまった自分に気が付いていた。

 横谷さんももちろんだけど、矢野さんは、矢野さんだけは――、絶対に俺が守る。

 隣にいる愛しい女性のことを想い、佐治は心に固く誓った。

 そして、もしも生きてここから無事に出ることができたら告白しよう。

 そう心に決めた後に佐治は、漫画だと今のは死亡フラグだな、と思い、心中で苦笑した。彼は元々漫画が大好きで書店でアルバイトを始め、面接でそう店長に伝えたらコミック担当に配属されたのだ。

 そうだ、読みたい漫画もまだまだある。矢野さんとだって、もっと仲良くなりたい。いや、付き合いたい。正直言えば、セックスしてみたい。だから、死亡フラグなんてへし折ってやる。

 佐治がそう思い、心の中で勇気の薪に火を付け直したその時、扉の向こう側で、「ガアアアアアアアアアン!!!!!」と何かが崩れる大音響が鳴った。

「今のは!?」

「もしかして……助けが来てくれた!?」

 横谷は半泣きの顔を上げてそう希望を口にしたが、同時に、西原と勅使河原に何かがあったのかもしれないと不安にも襲われた。

 佐治と矢野も同じだった。

 今の音は、良い知らせなのか、悪い知らせなのか。

 三人が戸惑っていると、バックルームの奥から、客が出てきて声を掛けてきた。

「ねえ、店員さん、い、今……」

 出てきたのは、二人組の女子高生だった。

 振り返り、佐治が返答する。

「今の音は、僕らも何が起きたか、ちょっと分からな――」

 もう一人の女子高生がそれを遮った。

「じゃなくて、今、男の子が、お母さんを……喰ってん、だけ、ど」

 よく見ると、女子高生の顔は、さきほど以上に恐怖に歪んでいた。

 床を見ると、バックルームの奥から血が流れ出てきていた。

 その闇の向こうに佐治が目をこらすと、ゾンビと化した男の子が、自分の母親の血をすすっている姿と、他の客たちが血を流して倒れている姿が見えた。

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