dead.13 再び、バックルーム

「それで、搬入台車で道をふさいでお店に戻ったら、もうあちこちで被害者が出ていて……。非常用ベルを鳴らして今度こそ警備を呼んだんだけど、その人もすぐにゾンビにやられてしまった。でもその後、ダメ元で『週刊 世界のゾンビ』の付録だった聖水を使ったら、それがゾンビ避けになることが分かったの。それで、襲われている横谷さんを助けることもできたのよ。なんせ、返品するつもりで大量に在庫を置いていた号の付録だったから、助かったわ」

 そう言いながら、西原はトイレ清掃用の霧吹きを使って、「聖水」をシュッシュッ、と再び横谷にかけた。

「……でも、なんで掃除用の霧吹きに入れてるんですか」

 虚ろな表情でしゃがみこんだまま、力無く横谷はつぶやいた。

「手近な容器がこれしかなかったのよ。少しトイレ用洗剤が混ざってるけど、効果に変わりはないみたいよ」

「…………拭いていいですか?」

「非常時に何言ってるの! これを体にふりかけとかないと、襲われちゃうわよ!」

 あなたこそ何言っているんですか頭のネジがぶっ飛んじゃってるんじゃないですか、と横谷は思ったが、口には出さなかった。いや、そんな気力も沸かなかった。

 場面は再びバックルームに戻り、そこには勅使河原、西原、佐治、矢野、彼らにさきほど助けられた横谷、そして同じように助けられ避難してきた客が七人。

 横谷は、目の前で大野が殺されたショックに加え、店で起きていることがゾンビのせいだと話す勅使河原たちを見て、「ああ、みんなショックでおかしくなっちゃってるんだ」と思い、完全に自失していた。今は、助けられた客たちとは少し離れたところで、西原から状況の説明を受けている。

「助け出したお客様たちには、テロ事件だと説明しているわ。もうすぐ警察が来てくれるとも言ってある」

「…………」

 テロ。ゾンビよりよっぽど今の時代、現実味がある。ニュースや新聞でその言葉を見ない日はないのだから。そうか、私はテロに巻き込まれたのか。死んじゃうのかな。死んじゃうんだろうな。

「助け出したお客様たちも、ほとんど震えているだけで、信じてくれているかどうかも分からない。それでも……ゾンビだと説明するよりはマシだと思うから」

 苦いものを噛んだように言った西原の言葉を聞き、横谷は、在庫の本の中に隠れるようにしゃがみこんでいる客たちをちらりと見た。おばあさんが一人、若い母親と幼い子ども、大学生風の男性、スーツ姿の中年男性、それから、友達同士らしき女子高生が二人。みな一様に、青白い顔をして黙り込んでいる。女子高生の二人組は、雑誌コーナーで立ち読みしていた姿に覚えがあった。しかし、その時、彼女らは三人組ではなかったか。もしかして、あの二人は目の前で友達を殺されたのではないか。私の目の前で大野さんが殺されたように。

 そこまで考えて横谷は気持ちが悪くなり、とっさに口元を手で押さえた。

「うぅ……」

「横谷さん、あなたも、彼らと同じく隠れていていいのよ」

 西原は、そう言って横谷を抱き留めようとしたが、横谷は西原の柔らかな腹部を押し返しながら、大丈夫です、と言うように何度か頷き、そしてゆっくりとか細い声で言った。

「西原さんたちは……、どうするんですか」

「私たちは、助けを呼びに行くわ」

 そんなこと、上手くいくのだろうか。ここに隠れている方がいいのではないか。横谷は、床に目を落としたまま言った。

「……け、警察を待つのじゃ、ダメなんですか」

「警察が助けてくれるというのは、あくまで希望的観測に過ぎないわ。何度か電話をして、テロが起きているから来てくれと伝えたけど、最初にゾンビって言っちゃったせいで、まともに取り合ってくれないの。それに、外から来た助けが逆にゾンビに襲われる可能性もある。最悪の場合、外の人間がゾンビ化して、店だけではなく、ショッピングモール中、いや街中にゾンビがはびこるかもしれないわ」

 西原があくまで相手はゾンビという前提で話を進めるから、横谷は何も言えなかった。

「それに、聖水をふりかけた厚めの本で殴れば、けっこう戦えることも分かったわ」

「………………」

「嘘みたいな話だけど、聖書で殴るとさらに効果的みたいなの」

 ……ダメだ。西原さんはあまりの状況に狂っちゃったんだ。

 確かに店はめちゃくちゃだけど、ゾンビとか聖水とかそんなのが原因なわけがない。テロとか細菌兵器とかウイルスとか戦争とか、きっとそういう怖いことが現実に起きてしまったんだ。

 横谷は、深くため息をついてから、意を決して言った。

「に、西原さん……、一緒に、ここで、救助を待ちましょう。た、助けてもらって、こんなこと、言うのは悪いっ……と、思うんですけど……ゾンビとか、そんなんじゃ、ないです……。西原さんも、勅使河原さんも、恐怖でおかしくなってるんです、きっと」

 自分では、はっきりと声を出したつもりだったが、どうしても舌がもつれ、喉がひっかかり、上手く喋ることができなかった。それでも最後まで言い切り、横谷は顔を上げて、じっと西原の目を見た。西原はその目をまっすぐに見つめ返した。

「……私も、ゾンビなんて馬鹿らしいと思うわ。だけど、とにかくこの怪しい水が奴らに効くことは確かなの。そして、今なら助けを呼ぶのも間に合うかもしれない」

「で、でも、そんなの西原さんがしなくたって……そ、それで、西原さんまで死んだら、どうするんですか」

 西原は悲しげに微笑み、横谷を抱きしめた。

「そうね、ありがとう。だけど、そうやって私はあなたのことも助けたのよ」

 そう言われ、横谷は言葉に詰まった。そして、張っていた糸が切れたのか、横谷は震え出した。

「うぅ……あっ……」

「横谷さん?」

「……ふあ、うあああああああ。嫌だ、怖い、死にたくない……っさん、おおのさん……、ごめんなさいいいいいいいいいああああああああああ。死にたくないよおおおおおお」

 横谷は、そのまま嗚咽混じりの言葉をつづけた。

「ああ、やだ、やだよう、おおのさん、ごめんなさい、助け、られなくて、ごめんなさいいいいいい。怖い、やだ、やだ、死ぬの、嫌、嫌、ふ、ふ、ふああああああああ」

 西原は文字通り包み込むようにして、さらに強く抱きしめたが、横谷は腕の中でいやいやするばかりだった。

「ああ、ああ、やだ、意味わかんないよ。ゾンビでもテロでも何でもいいから、助けてください、わた、わたっし、死にたくない、あんな風に噛み付かれて、死にたくないいいいいいい。いっ、行かないで、くださいっ、に、にしはらさぁぁぁん、いや、いやですううううう」

 西原は、ポンポン、と横谷の背中を優しく叩いた。

 何度も、何度も。


 ※※※


「じゃあ、佐治くん、矢野さん、お客様たちと横谷さんをよろしくお願いします」

 そう言って、勅使河原はネクタイを締め直した。

 佐治と矢野は、神妙に頷いた。

 勅使河原と西原が、外に助けを呼びに行く。そしてその間、佐治と矢野がバックルームで、救助した客たちと横谷を守る。西原が横谷を慰めた後、四人は素早くそう決め、実行に移した。

 これが最善の策かは分からない。だけど、最善の策が何かなんて誰にも分からないのだ。

 ただ、勅使河原たちは、どこかで今起きていることの責任は自分たちにあるような気がしていた。自分たちが、あの薄毛の男のクレーム処理を、どこかで決定的に間違えたせいで、こんなことが起きたんじゃないのか?

 そして、彼らは同時にどこかで「これは悪い夢だ、現実のわけがない」とも思っていた。

 そのどこか地に足が着かないような気持ちが、彼らの思考能力を停止させ、無謀とも思える行動に駆り立てているのかもしれない。


 その思考停止が最期に何を招くのか、彼らはもちろん知る由も無かった。

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