dead.12 outbreak

「うわあああああああ!!!!!!!!」

 勅使河原は、女性用トイレの床を滑りながら叫び声を上げた。

 フラフラと近付いてきた元・榊原真理亜は、勅使河原に気付くやいなや、自らトイレの床に倒れ伏し、そのまま勅使河原の足首を掴んで中に引きずり込んだのだ。

「勅使河原さん!」

 数歩離れていた佐治と矢野からは、その姿は地獄の亡者に引きずり込まれるカンダタのように見えた。

「どっこい!」

 一番先に動いたのは、一番重そうな体をした西原だった。彼女は自分もトイレに飛び込むと、引きずり込まれていく勅使河原の手を掴んだ。勅使河原は上下から綱引きのように、体を引っ張られる格好になった。

「いだだだだ! ちぎれる!」

「ちぎれないよう頑張って、てっしー! お客様! 当店の男性従業員を女性用トイレに連れ込もうとするのはやめていただけますか!!」

 西原はそのままトイレの外に顔だけ向け、続けて叫んだ。

「佐治君! 矢野さん! 手伝って!」

 それを聞いた佐治と矢野も戻って勅使河原のもう一方の手を掴み、人間綱引きはさらにヒートアップした。

「いだだだだだだ!!!!」

 勅使河原は引っ張られる痛みに耐えつつ、足をじだばたと動かし、なんとか逃れようとした。

「佐治君、なにが起きてるの? あのお客様、血まみれの痴女なのかしら!?」

 勅使河原を引っ張りながら、西原が聞いた。

「俺にも意味わかんないんすけど、たぶん、ゾンビです!」

「はあ!?」

「たぶんすけど、あのゾンビパウダー、本物だったんですよ!!」

「じゃあ、あのお客様は血まみれの痴女のゾンビなの!?」

「痴女かどうかは知らないです!」

「いだだだだだだだ!!!!!」

 その時、でたらめに動かしていた勅使河原の足が、元・榊原真理亜の顔面にヒットし、足首を掴んでいた手が離れた。そのまま勅使河原の体は逃れ、引っ張り上げていた西原の巨躯にぼよん、と包み込まれた。

「た、助かった」

「早く逃げましょう!」

「ちょっと待って、本当にゾンビなのかしら?」

「わかんないすけど、おかしいことは間違いないです! さっき自分が来たとき矢野さんが襲われかけてて、戦ったんですけど、女の人にはあり得ない力で」

「わ、私が、トイレに様子を見に来た時も、別のお客様に噛み付いてたんです!」

 佐治の言葉に続いて矢野も訴えた。

「ゾンビ云々は信じられないけど、とりあえずここを離れた方が良さそうね」

 そう言って西原がいち早く立ち上がり、それに三人も続いた。

 しかし、そのわずか数秒の会話が、隙を与えてしまった。

「うばるぅぅぅぅぅああああ!!!!!」

 一度は勅使河原の足から手を離した元・榊原真理亜は、今度は奇声を発しながら飛びかかってきた。いち早く立ち上がった西原、早く逃げようと姿勢を整え直していた佐治と矢野に比べ、一時安堵した勅使河原は動きが遅れた。

 元・榊原真理亜は、今度は足首は狙わず、抱き付くように勅使河原に襲いかかった。

「ぐぶるぅぅぅうあああああ!!!!」

「うわあっ!! なんで僕ばっかり!?」

 勅使河原はもつれながら走り出し、すんでのところで身をかわした。そのままの勢いで先の三人を追って走る。走りながら後ろを見ると、元・榊原真理亜は、トイレの入口付近でしゃがみこんだまま、もぞもぞとしていた。その姿に再び怖気が走ったが、素早く追ってくる能力は無さそうだ。

「なんだ、なんなんだ、あれ!」

「わかんないんすけど、たぶんゾンビです!」

「イタズラにしちゃ、度が過ぎる感じだものね」

「や、やっぱり、さっきの変な粉が原因なんでしょうか?」

 走りながら四人は言うが、全員がパニック状態だ。

 店の入口まで戻り、その前で一度立ち止まる。

「と、とにかく」

 勅使河原が口を開いた。

「警察か、ショッピングモールの警備に電話しましょう」

 言いながら、携帯電話を取り出した。

「でも、あのお客様……ていうか、ゾンビ? ほっといたらマズいんじゃないの?」

 西原がそう言うと、佐治が返した。

「自分、ちょっとだけ戦ったんですけど、あれはヤバいです。トイレから出したら、きっとお客さんとか、襲われると思います」

「店内放送で、お客様に避難するよう言ってみますか? 火事が起きたとか、危険物が見つかったとか言って……」

 矢野がそう提案した。

「そうね。でも最優先で、トイレと店をつなぐ廊下をふさいだ方がいいんじゃないかしら?」

「でも、どうやってふさぐんすか」

「ゾンビだったら、そんなの壊されちゃうんじゃ……」

「とにかく、店長には言った方が」

「でもトイレじゃなかったかしら」

「トイレって! 店長、もう襲われてるかもしれないじゃないですか!」

 喧々囂々店の入口前で言い合っていたのだが、そこで西原が視線に気付いた。

 四人から少し離れた場所で、ネイビーカラーのTシャツを着た短髪の男が、こちらをじーっと迷惑そうに見ているのだ。

「………………」

 気が付いた四人は、


「「「「失礼しました! いらっしゃいませー!」」」」


 と、条件反射で深くお辞儀をし、サッと道を空け、男を通した。男はゆっくりと自動ドアをくぐって店に入っていった。


「……って、そんな場合じゃない! どうすればいいんだ!」


 ちゃんと客が店内に入るのを確認してから、頭を上げて勅使河原は叫んだ。


 ※※※※


 その後、警察とショッピングモールの警備室に電話をするもまともに取り合ってもらえず、とにかく今できることとして搬入用の大きな台車でトイレへの通路をふさぐまで、十五分ほどの時間を要した。

 しかし、その十五分が命取りだった。

 四人が重たい搬入台車を運び、次は店内の客とスタッフに避難を促そうと思ったとき、すでにゾンビ感染者は店内に入り込み、アウトブレイクは始まっていたのだ。


 しかし、誰に四人を責めることができるだろう。

 店がゾンビでバイオハザードした時の対処法など、接客マニュアルには載っていないのだ。インターネットで調べても出てこないし、いくら職場が大型書店と言っても、そんな時に役立つ本など置いていない。

 彼らは、ただの書店員だったのだ。

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