dead.09 But it happened.

 勅使河原は神経質そうなことを除けば見た目は悪くない。細い眼鏡に、パリッとした白のカッターシャツ、そして焦げ茶のネクタイ。いかにも書店員というインテリ面は、嫌味ったらしく見えるものの、清潔感ある服装も手伝って存外女性受けは悪くない。本人は気付いていなかったが、アニメや乙女ゲームなど、二次元系の趣味を持つ妄想癖の強い女性からは、特に好まれる傾向にあった。

 一方の佐治。まだあどけなさの残る大学二年生。整った顔立ちにゆるいパーマの茶髪がかかり、男らしいと言うより、中性的で少年のようだ。甘いマスクゆえに少々チャラついて見えるが、その緩さが女性からは可愛く見えることも否定できない。それなのに、体の線は勅使河原よりもがっちりしている。草食系のマスクと、その実肉食系な体付き。それは、女の性欲を無意識にかきたてるものがあった。

 榊原真理亜から見ると、頑固で融通のきかないクール眼鏡上司(受)が、年下ゆるふわだけどベッドでは強気な彼氏(攻)に「どうどう」ってされてて、マジごちそうさまなんですけど! ネクタイで眼鏡で受けとか、もぉ最っ高なんですけど! よくわからん粉かけられた甲斐があったってもんよ! ひゃっほう! ってなわけである。

 あまりに理想のBL風景だったのだろう、興奮が極まった榊原真理亜は、我知らず鼻血をこぼしていた。

 ポタリ。

「お、お客様っ! やっぱり大丈夫じゃないじゃないですか!?」

 横にいた矢野が鼻血に気付き、急いでポケットからティッシュを取り出した。

「あ、へあ!?」

「ほら、鼻血! 鼻血出てますよ!」

「ふへ? はなぢ?」

 ぼんやりしている榊原真理亜の顔に、矢野がティッシュを押し当てる。

「失礼! 止血します!」

「あひゃああ! は、はずかしっ! ずみばぜんっ」

 榊原真理亜は鼻血を流し、顔にティッシュを押し付けられた状態でも、必要以上に密着している(ように榊原からは見える)勅使河原と佐治から視線は離せなかった。はうあ~、鼻血がなんぼのもんじゃい!

 彼女は自分の身体が滾るように熱くなってくるのを感じていた。それも、股間を中心にだ。正直言って、ココチンがフルメタルジャケットだった。分かりやすく言うと、心のチンコがフル勃起だったのだ。

「ず、ずみばぜん……わだし、と、トイレにいっでぎまず!」

 色々なんかもう我慢できなくなって、榊原真理亜はその場から駆け出した。

「ああっ! お客様っ!」

 某長寿落ちもの漫画のタイトルのようなセリフを叫んで矢野が呼び止めたが、榊原真理亜は振り返らずに女性用トイレへと向かった。

 あ~、何でこんなに体が熱いの? いや、たまーにBLを実用的に使ったりもするし、三次元でも妄想するくらいにワタシは腐女子ですけどもね、でもこんなに興奮したのはじめて! もうなんか体が下半身の方から溶けていくような不思議な感じがする! なんだろ、この年にもなってまだしたことないんだけど、もしかしてセックスってこんな感じなのかな?


 ※※※


 彼女が感じていた熱は、残念ながら、性的昂奮に起因するものではなかった。

 彼女は知る由もなかったが、それは体の細胞が人間から別の何かに変異していく際に起こる、異常な熱だったのだ。

 そう、薄毛の男が調合した“君だけの特製ゾンビパウダー”は、『処女の鼻血』が五十一個目の材料として混ざることで、本当のゾンビパウダーになってしまったのである。

 そんなことは、『週刊 世界のゾンビ』編集部も薄毛の男も、もちろん誰も知らなかった。

 科学的根拠を問われても、宗教的根拠を問われても、誰も答えられないだろう。世の中の不可解な出来事のすべてがそうであるように、それは「起こったから、起こったのだ」としか説明できない現象だった。


 つまり。


 But it happened.


 ※※※


 榊原真理亜は、女性用トイレに息を切らせて駆け込んだ。

 はあはあと肩で息をしながら、唇は垂れてきた鼻血でどんなルージュよりも真っ赤に染まっている。

 なんか、おかしい。体は熱いのを通り越して、全身の血が沸騰しているようだ。それなのに、指先には冷や汗が滴り、もう一方の手で指先にふれると、飛び上がりそうなほど冷たい。おかしい、ワタシのカラダ、なんか、おかしいよ。彼女は、ひどい風邪をひいたような悪寒に震えながら、トイレの洗面台に倒れ込んだ。

 なんだか、頭がボーッとする……。

 冷たい洗面台が心地良く、彼女はようやく少し落ち着くことができた。

 あれれ、風邪でもひいたかな、興奮し過ぎたにしては、なんかコレ異常だよね。あー、そんなことより鼻血止まらないと、今日出てた新刊買いにいけないじゃん。それに、こんな姿見せちゃって、この先このお店で買い物するの恥ずかしいなあ……。今日あったこと、サチコに話してあげたい。サチコなら、笑って聞いてくれるから……。

 サチコとは、二十年来ともにBLけもの道を歩んできた榊原真理亜の無二の親友である。サチコにはBL趣味だけでなくコスプレ趣味もあり、何度も真理亜にも着せようとしてきたのだが、真理亜は頑として袖を通さなかった。自分の容姿に自信が無かったのである。

 今度、一回だけサチコのコスプレに付き合ってあげてもいいかなあ……。なんでかわかんないけど、急に、そんな、気が、して、き、た…………あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛


 それが、人間としての榊原真理亜の最期の思考だった。


 ――その五分後。女性用トイレを訪れた別の客が、血まみれで倒れている榊原真理亜を介抱しようと近付いたところを噛みつかれ、惨劇は幕を開けたのだった。

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