dead.08 腐り続ける女

 コミック担当の男性アルバイト・佐治は棚を整理していた。本当は、新刊コーナーの減っている本を補充に行きたいのだが、よく来る女性客が尋常ならざる目つきでBL新刊の試し読みしているため気後れし、近寄れなかったのだ。あの人、いっつもすごい真剣にBL選んでるからなぁ……。

 あきらめて、青年コミックの棚の整理をしていのだが、手を再び動かしかけたところで、新刊コーナーから叫び声が聞こえた。

「やっ! いたっ! な、なにこれっ!?」

 女性の甲高い悲鳴に続いて、男のしゃがれ声。

「ひゃっはああああ!! ゾンビ! ゾンビになれー!!!!」

 え? ゾンビ? 何言ってんの? 慌てて佐治が振り返ると、薄毛の男が瓶に入った緑色の粉をばら撒きながら、踊るように走り回っている。

 ヤバい客だ! そう思って駆け寄ると、佐治と逆方向、ちょうどバックルームの方から社員の勅使河原も走って来た。

「あ、こら! お客さまになんてことを! やめろ、ハゲ! ……おっ! 佐治君! そいつ捕まえて!」

「う、うっす!」

 勅使河原の声に応じ、正面から男を取り押さえる。男はもがいたが、すぐに後ろから勅使河原も捕まえにきてくれたので、二人がかりで抑え込み、動きを止める。

「てめえらなにすんだ! 客に暴力振るうのか、この店は!」

「ええい、黙らっしゃい! 佐治君、そいつの瓶、奪って!」

「は、はい!」

「くっそ! さわんな! 俺のゾンビパウダーにさわんじゃねえ!」

 ゾンビパウダー!? 何言ってんだ!? 困惑しつつも佐治は男の手から瓶を奪おうとしたが、暴れるのでなかなか上手くいかない。薄毛の男は無闇やたらに手を振り回すので、その勢いで緑色の粉がどんどん店内に飛散していく。佐治のエプロンや顔にも、粉が付着する。ぺっ、ぺっ、と口に入る粉を防ぎながら、ようやく佐治は男から瓶を奪い取った。

「取りました!」

「オッケー! よーし、お客さま! おとなしくしろください!」

「くっそ、ゾンビ……ゾンビが……!」

「いい加減にしてごじゃれ! 他のお客さまにも迷惑がかかっているのです! これ以上暴れるようなら警察を呼ぶでござる!」

 興奮して勅使河原は言葉遣いがめちゃくちゃになり、最終的には武士のようになっていた。

 男がようやくおとなしくなった頃、騒ぎに気が付いたレジ担当の西原と雑誌担当の矢野もやってきた。

「てっしー、大丈夫?」

「大丈夫です。店長には、伝えていただけましたか?」

「それが、まだ、トイレなのよ」

「シィィィィット(糞)!」

 勅使河原は吐き捨てた。

「そんなわけで、店長は当てにならないわ」

 西原もかぶりを振った。

「仕方ありません。僕が警察に連絡しましょう。西原さんたちは、粉の掃除と、被害に遭われたお客さまのケア、粉のかかった在庫のチェックをお願いします」

「分かったわ。私、掃除用具を取ってくるから、矢野さんはあちらのお客さまをお願いね」

 西原はそう言い、足早に用具ロッカーのある事務所に向かった。矢野は粉をかけられた女性客に「大丈夫ですか、お客さま。お怪我などはございませんか?」と声をかけ、顔や服に付いた粉を払っている。

 佐治は男が暴れ出さないように押さえていたが、さっきまで暴れていた男は、打って変わっておとなしくなり、佐治に押さえられながら弱々しく訴えた。

「お、おい……本当に警察呼ぶのかよ」

「当然です。他のお客さまにもご迷惑がかかっているのですよ?」

 冷たく答えた勅使河原に、薄毛の男は懇願するように言った。

「か、勘弁してくれよ。俺もついカッとなっちまったのは悪かったけど、警察沙汰は困るんだよ」

「この人、一体何をばらまいてたんすか?」

 佐治が尋ねると、勅使河原は右手の中指で眼鏡のブリッジを上げながら言った。

「ゾンビパウダー」

「はい?」

「まあ、オモシログッズの類だよ。しかし、他のお客様や商品にまで振りまかれたらたまったもんじゃあない」

「はあ、よく分かんないすけど……」

 佐治は首を傾げながら、薄毛の男を立たせ、一応逃げ出さないように腕を掴んだ。しかし、男の腕にはもう力は入っておらず、逃げ出す気力も無さそうにしょぼくれている。

「か、勘弁してくれ。俺は、毎週あのゾンビの本を買うのだけが楽しみで、金もねえしよ、女もいねえし、ろくに友達もいねえんだ……。警察沙汰になって、もし仕事までクビになったらよ、どうやって生きていけばいいんだよ」

「反省するのがいささか遅いのではないですか。さんざん、私をはじめアルバイトのスタッフたちにもイチャモンを付け、あまつさえ他のお客様にまでご迷惑をかけたのです。そのことが本当に分かってらっしゃるのですか?」

 勅使河原は変わらず強い口調で言った。しかし、そこで矢野に介抱されていた女性客が口を開いた。

「あの……なんだか良く分かりませんが、私なら大丈夫ですから……」

「お客様、本当に大丈夫ですか? ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 横にいた矢野が慌てて頭を下げる。

「い、いえ。ちょっとびっくりしましたけど、目も何ともなさそうですし、私が言うことでは無いかもしれませんが、許してあげてもいいんじゃないでしょうか……」

 女性客・榊原真理亜はか細い声でそう言った。彼女は、真理亜の名の通り聖母のように心優しい女性だった……わけではなく、単に面倒事が嫌なのである。このまま警察沙汰になれば、自分も事情聴取などに付き合わなければならないかもしれない。

 嫌だ、面倒臭い。ただでさえ人と喋るのが苦手なのに警察とか無理ゲーだし。そもそもそんなことより早く今月の新刊を買い込んでハスハスしたい。ボーイズ・ランドに行きたい。アイ・ウォナ・ゴー・トゥー・BL。

 そんな彼女の思惑はもちろん知らず、彼女を単に聖母のように心優しい女性だと勘違いしたのか、佐治も言った。

「お客様もこう言ってらっしゃることですし、許してあげてもいいんじゃないすか? 面白グッズを使った悪戯だったんすよね?」

 佐治のその言葉に、勅使河原は声を荒げた。

「佐治君! 君はあのハゲに直接迷惑をかけられてないからそんなことが言えるんだ! 俺が、どれだけ面倒臭い目に遭ったか! ああもう、思い出すだけでもキーッ! ってなるわ、キーッて!」

「す、すんません、勅使河原さん、落ち着いてくださいっ」

 その剣幕に驚き、佐治は思わず両手でがっしりと勅使河原の肩を押さえた。

 榊原真理亜は、その光景を見て、思わず息を呑んだ。


 ……リアルメガネクタイが年下男子になだめられてるぅぅぅ!!!!!!

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