dead.04 バックルーム
倉庫になっているバックルームに逃れると、そこには避難してきたのであろう客とスタッフが、合わせて十人ほど集まっていた。横谷たちが中に入ると、出入り口の横に待機していたコミック担当男性アルバイトの佐治と、雑誌担当女性アルバイトの矢野が、返本予定の雑誌を積んだコンテナですぐに扉を破られないよう塞ぎ直した。まるで要塞だ。
「横谷さん、こっち向いて」
西原に声をかけられ振り返ると、いきなり顔面に霧吹きで水を吹きかけられた。
「ぷわっ! な、なんですか!?」
「聖水よ」
そう言うと、西原は続けて十プッシュほど横谷の全身にくまなく水を吹きかけた。
「はい、これでひとまずは安心。ゾンビは近寄ってこないわ」
「ゾンビに、聖水って……? なにがなんだか」
横谷は、バックヤードに逃れたことで少し恐怖はおさまりつつあったが、西原の言う「聖水」がとても効くとは思えず、こんな状況で西原もおかしくなっているのではないかと不安になった。だってそれ、トイレ掃除で使っているやつじゃないですか。
「あ、疑ってるわね。ふふっ、いいのよ、仕方ないわ。正直私だってとても信じられないもの。でも実際に、この聖水を扉と壁にかけたバックルームに奴らは入ってこれないわ」
確かに先刻助けられた時にも、西原と勅使河原にはあの怪物のようになった人たちは近付いてこず、そのままバックルームに逃げ込んだ時も遠巻きに見ているだけだった。
「順番に説明した方がいいわね。てっしー、お願いできるかしら」
「西原さん、僕は社員になったんですから、いい加減そう呼ぶのやめてもらえませんか?」
「あら、あなたに全部仕事を教えてあげたのは誰だと思ってるの?」
「フン、何年前の話ですか」
「そうね~、私が独身のころだったかしら」
「待ってください、そうだとすれば、僕は幼児の頃から本屋でアルバイトを始めていたことになってしまう」
「相変わらず、てっしーはツッコミまで真面目ね~。可愛い可愛い」
「だから、てっしーはやめてください!」
「あ、あの、二人とも、そんなことより状況を」
もどかしく二人のやり取りを見守っていた横谷だったが、いい加減我慢が出来ずに口を挟んでしまった。この二人は数少ないオープニングからのスタッフで、話し出すといつも止まらず、親子漫才のように続くのだ。以前、レジでこの二人と一緒に仕事をした際も、横谷は自分の頭の上を飛び交うボケとツッコミの応酬にまったく口を挟むことが出来ず、ヒヤヒヤしながら業務をこなしたのだった。しかし、今は状況が状況である。漫才をしている暇があったら、この異常な状況について説明してほしい。
「ああ、そうだったわ。じゃあ、先日めでたく正社員に登用された、勅使河原上司殿に説明をお願いしようかしら」
通常業務をしている時と同じく、皮肉を交えて西原はそう勅使河原に促した。促された勅使河原は口を尖らせていたが、それ以上言い返さず、踵を返すと、返本雑誌がうず高く積まれたコンテナに近付き、そこから一冊の本を取り出して、横谷に表紙を見せた。
「て、勅使河原さん、それは……」
戸惑う横谷が見た一冊の雑誌。
それは、――『週刊 世界のゾンビ 第五十号』だった。
説明しよう。『週刊 世界のゾンビ』は、ディアゴッドディスティニー社から刊行されている分冊百科である。分冊百科とは、毎週一号ずつシリーズで刊行される雑誌の一種で、五十号や百号と刊行予定冊数があらかじめ決まっていて、シリーズ毎のテーマに沿って刊行される。
例えば、国内の行ってはいけない寺社仏閣、奥地、霊感スポットなどを特集した『週刊 日本の呪い』(取材中、編集者がガチで二人死んだ)。
例えば、毎号組立てパーツが付いていて、全五十号揃えると、あなただけのリアルラブドール・おりえんとちゃん☆が完成する、『週刊 オリエント工女』(創刊号は特別価格でローションが付いてくる)など。
書店でみかけたことがある方や、テレビコマーシャルを目にしたことがある方も多いだろう。
横谷も、毎週入荷してくる新刊に覚えがあった。『週刊 オリエント工女 第四十八号・おりえんとちゃん☆の股部のだいじなパーツ&四十八手プリントパンティー付』はやたらと問い合わせが多く、群がる男性客にドン引きした覚えがある。
そして、今勅使河原が持っている『週刊 世界のゾンビ』。これはあまり売れていなかったため、毎号面陳列もされず、ひっそりと棚差しのまま入荷数も減っていたはずだ。横谷も今見せられて、「そう言えばこんなのあったな」と思い出したくらいである。
「これも、おりえんとちゃん☆と同じ、付属品のあるタイプの分冊百科なんだが」
勅使河原は『週刊 世界のゾンビ』を開き、付属品の袋とじ部を指し示して続けた。
「原因は、こいつなんだよ」
そのページを見て、横谷は目を疑った。いや、勅使河原の正気を疑った。
この人は、本気でこんなことを言っているのか?
そこには、こう書かれていたのだ。
『毎号付いてくる調合素材を集めると、君だけの“特製ゾンビパウダー”が完成!
これを使えば君の街がナイト・オブ・リビング・デッド状態に!』
「……信じられないのも無理はない! いや、僕だってまだ信じられないんだよ、横谷さん!」
怪訝な表情を浮かべる横谷に、勅使河原は早口で言った。
「でも、これをレジに持ってきたお客さんがいたんだ! そのクレーム処理が原因でまさかこんなことになるとは……!」
「落ち着いて、てっしー」
興奮して大きな声を上げた勅使河原の肩に、西原が優しく手を置いた。その姿は、横谷には本当の親子のように見えた。が、今はそんなことに気を取られている場合ではない、横谷は口を開いた。
「え、あの……、ちょ、ちょっと待ってください。この、雑誌の付録が原因で、お客さんや石尾さんたちがゾンビになったって言うんですか?」
その言葉に、勅使河原はゆっくりと、そして重々しく頷いた。その仕草に、さすがに横谷も声を荒げた。
「いやいやいや! そんな馬鹿な! そんな馬鹿なこと、あるわけ……」
しかし、その声はすぐに勢いをなくした。言いながら、彼女の脳裏にはさきほどの光景がフラッシュバックしていたのだ。
腐り落ちたように赤い口を開いた、顔面蒼白の石尾。
首が弾け飛び、血の海に沈んだ大野。
そして、その血を啜る目の焦点の合わない男。
あの凄惨な光景が、雑誌の付録のせいだって言うの? 大野さんが死んだのは、そのせいだって言うの?
「そん……な、ば、ばかな、こと……。嘘、です、よね……?」
横谷の声は見る間に弱々しくなり、最後には震え出した。
「わ、悪い、冗談、です、よね……?」
横谷の目には涙が浮かび、それを見た西原がハンカチーフを取り出し、それを横谷の頬に当て、そのまま彼女を抱きしめた。
「……あなたも本屋なら分かるでしょう、現実は小説よりも奇なり、なのよ」
西原は目を伏せ、なだめるように横谷の頭に手を置いた。
そのまま横谷は、考えることを放棄したかのように呆然とし、西原の豊満な体躯に身を預けた。
脳裏には、いつも厳しかった大野が最期に一瞬見せた微笑みが浮かび、彼女はうつろな瞳のまま、口の中だけで「……意味わかんない……」とつぶやいた。
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