第7話 女の子


 潮風が目に染みる。あれからアクアマリンは他愛のない話をしているけれど頭に入って来なかった。自分は何の為にここに来たのだろう? そればかり考えていた。

「おーい、聞いておるか?」

 アクアマリンに急に顔を覗き込まれて焦ってしまった。せっかく話してくれているのに、申し訳なくて思わず目をそらしてしまう。

「きっ聞いてますよ」

 正直に言っても失礼なだけだと思い蘭は嘘をつく。相手の機嫌を取る為の嘘は得意だ。

「本当かよ、まあいい。あっちを見てみろ」

 アクアマリンの指さす方を見てみると、人間の女の子がこっちに向かって歩いている。

 こげ茶の混ざった髪、お人形のような顔立ちに純白のワンピースが良く似合う。

 ものすごく綺麗な人だと蘭は思った、鬼のような形相をしていなければ。

 もしかしたらバレンシナなのでは? そうとっさに思った蘭は恐る恐る尋ねた。

「誰ですか? もしかしてバレンシナなんじゃ……」

「いいや、バレンシナではない。だがあの魔女よりも厄介なのが来てしまったな」

 アクアマリンがバレンシナ以上に嫌がる相手ってどんな人だろうか? そう思うと緊張してきてしまった。ただでさえ女の子は苦手なのに。

 女の子がここまで来ると殺気立った顔でアクアマリンに迫ってきた。

「久しぶりね、人魚姫」

 その威圧的な第一声で、正直苦手なタイプだと思い蘭はげんなりした。挨拶すべきか悩んだが二人の間に流れる重い空気の中で声を出す勇気なんてない、今は黙っていようと心に決めた。

「久しいな、鈴菜。なかなか来てくれぬから元の世界に帰ったのかと思ったぞ」

「あんたが海の中で遊んでる間にやる事がたくさんあったのよ」

「本当は帰れないだけなのに、相変わらず強がりだな」

「うるさいわね、誰のせいでこんな事になっていると思ってるのよ」

 アクアマリンと鈴菜の会話に引っかかる部分があった。『元の世界に帰ったのかと』って事はつまり鈴菜も自分と同じ世界の人って事だろうか?

「あのっ、鈴菜さん……」

 二人の会話に口を挟むのは怖いが、それ以上に疑問が勝ってしまった。

 蘭にやっと気づいた鈴菜はただでさえ怖い表情をさらに険しくした。

「あんた、なんでここにいるのよ」

「えっと……図書室でいろいろあって」

「そのいろいろを教えなさいよ。馬鹿なの?」

 さっき鈴菜を苦手なタイプと思ったが前言撤回、嫌いなタイプだ。出来るなら関わりたくないとさえ思えてしまう。

「おいおい、鈴菜。蘭が可哀想だろ? もうちょっと優しくしてやれよ」

 アクアマリンにあきれ気味に言われると鈴菜も決まりが悪そうになった。

「悪かったわね、こうゆう性格なのよ」

「昔はもっと純粋な子だったのにな」

「昔の話はしないで」

 蘭は気まずくて逃げ出したかった。クラスでも女の子達がこんな雰囲気になっているのをよく見かけていたが、まさか自分がそこに加わるなんて。

「あのっ、僕いない方が良いですよね? もう行きますね、さようなら」

 なるべく早口で言い切りその場を去ろうとすると鈴菜に思いっきり腕を捕まれた。

「私はあんたに用事があってきたの。逃げんじゃないわよ」

 最悪だ、蘭は鈴菜から逃げたかったのに。でもこうなってしまったからにはしょうがない。嫌いなタイプだけど頑張るしかない。

「おー、鈴菜にも春が来たのか」

 アクアマリンにからかうように笑われ、余計に鈴菜の表情が険しくなる。

「いい加減にしなさいよ、本当にムカつく。さっさと海の中に帰りなさいよ」

「はいはい、分かった。じゃあな」

 鈴菜に怒鳴られ、流石に懲りたのかアクアマリンは素直に泳ぎだした。

 この世界に来て初めて会ったのに、いろいろ教えてくれたのに、なんだか寂しくなった。

 せめてお礼を伝えなければと思い声を出そうとしたその瞬間。

「蘭、忘れるなよ。さっきの言葉」

 アクアマリンにニヤッと笑いながらそう言われて不思議と心が軽くなった気がした。

「忘れないです。ありがとうございました」

 もうアクアマリンに会う事はない。何故かそんな気がしたから今の言葉に心から感謝を込めてみた。少し照れ臭かったけど、素直になるのはいいものだと思えた。

「ぼーっとしてんじゃないわよ、さっさと行くわよ」

 鈴菜の態度で今の気分が台無しだけど気にしないようにしよう。

 鈴菜は相変わらず険しい表情をしている。蘭は今までの人生で機嫌の悪い女の子の相手なんてした事がない、こんな時どうすればいいのだろう。

「あの、鈴菜さん」

「さん付けされるの嫌いなのよね」

「すみません。僕に用事って何ですか?」

「ここじゃ話したくないから、ついてきて」

 女の子って面倒くさい、蘭はもう諦めて鈴菜に従う事にした。

 ここにいるのが真子だったら良かったのに、と思わず考えてしまう。現実には帰りたくないけれど、真子が恋しくなった。あの笑顔を向けられながら、この世界を歩けたらすごく楽しいだろうなと思わず考えてしまう。

「にやにやしてんじゃないわよ、気持ち悪い」

「にやにやしてないです。後、気持ち悪いとか言わないで下さい」

「だって事実じゃない。後、敬語やめてくれる?」

「なんでですか?」

「どうだっていいじゃない。とにかく敬語使ったら許さないからね」

「わかったよ……」

 ああ、本気で嫌いなタイプだ。蘭は一緒にいればいるほど鈴菜が嫌いになった。それでも鈴菜から離れないのは純粋に興味があったからだ。鈴菜も蘭と同じく現実から来たのだろうか? 真子には会ったのだろうか? いつからここにいて、どうして帰らないのだろう? 聞いてみたいが今話しかけたら怒られるのが目に見えている。これ以上怒らせないように黙って歩こう。

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