第5話 アクアマリン

 

 まず、人魚はアクアマリンといって海の国のお姫様だそうだ。普段はもっと深い海の中で暮らしているが、今日は地上のセレナイト王国の王様に用事があって浅瀬に来たらしい。

 セレナイト王国がこの小説の舞台なんだろうなと察したが、もちろん蘭は口に出さなかった。

 今、セレナイト王国には悪い魔女バレンシナが悪さしていて大変らしい。どう大変なのかアクアマリンに聞いてみたが教えてくれなかった。きっとバレンシナは小説の国という舞台でそうゆう役割なのだろう。

「バレンシナってどんな人なんですか?」

「この国で一番悪い魔女だ。それ以外の何者でもない」

「会った事はあるんですか?」

「大昔に一度だけならあるぞ、あまり覚えてはいないが嫌な奴だったな」

「一回会っただけで悪く言うのはどうかと思いますが……」

 なんだか蘭はバレンシナが可哀想に思えてきた。蘭自身も大して話した事の無いクラスメイトから、怖いキモい暗いなどと悪口を言われているからだろうか? 

 少しだけ同情してしまう。

「優しいな……」

 悲しげな顔でそう言われて我に返った。自分には知らない事情があるのかもしれないのに、今の発言は失礼だった。

「ごめんなさい。何も知らないのに変な事言って」

「いや、謝る必要はない。何をどう思うかは蘭の自由だ。だが、バレンシナは悪い魔女だ。それは絶対に変わる事のない」

 ここまではっきり言われてしまうと何も言い返せない。

「蘭は辛そうな顔をしているな」

「えっ、別にそんな事は……」

「いや、顔に辛いと書いてあるぞ」

 それは昔、吉野先生にもよく言われた言葉だった。確かに辛くないと言えば嘘になるけれど。

「もう僕は何が辛いのか分からないんです」

 十四年間ずっとこの気持ちを抱えて過ごしてきたせいか、心の感覚が麻痺してしまっているのだろう、もう分からないそれが本心だった。

 アクアマリンは蘭の言葉を聞いて悲しそうに微笑んだ。

「私には蘭の心を助ける事は出来ぬ。だから代わりに良い事を教えてやろう」

「良い事ですか?」

「そうだ、心して聞くがよい。私の名であるアクアマリン、それは海を表す宝石の名でもある」

 また名前の話、今日一日で何度古傷を抉られているんだろうと蘭は苛々してきた。

「そう嫌そうな顔をするな。もしやとは思ったが蘭は自分の名が嫌いか?」

「はい、本気で嫌いです」

「なら、なおさら聞いて欲しい。本来なら名前なんて必要ない、呼びたいように呼べばいいし名乗りたいように名乗ればいい。どんな名前であっても蘭が蘭である事には変わりない」

 アクアマリンの言っている事は無茶苦茶だけれど不思議と納得してしまう自分がいる。

「だがな、私は名前は大切だと思っている。何故ならそこに願いが込められているからだ。私はアクアマリンの名に恥じぬよう、海の代表として生きていたいと願っている。蘭の何もきっと願いが込められているはず……いや断言しよう込められている」

「僕にはそうとは思えませんが」

「今は分からなくて良い。いつか分かる日が来る」

 アクアマリンは自分についてどこまで知っているのだろうか?

 今日出された宿題の事、蘭が生まれた時の事全てを見透かされているような気がしてしまった。

 何も言えなくなってしまった蘭の気持ちを代弁するように潮風が強くなっていく。自分は何の為にここに来たのだろう? それもいつか分かるのだろうか。

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