第2話 蘭と吉野先生
昔々、セレナイト王国には悪い魔女バレンシナがいました。
ある日セレナイト王国のリル王女が結婚すると聞いたバレンシナは嫉妬してリル王女とそのお相手ジャックを魔法で引き離してしまいました。
ノートに書かれた冒頭の部分を読んでみた、悪い魔女は物語によく出てくるけど主役にするなんて珍しい。早く続きを読んでみようとページを捲ろうとした瞬間、図書室のドアが開く音がした。
「小野寺、まだ帰ってなかったのか?」
入ってきたのは吉野先生だった。
「あっはい、まだ下校時刻じゃないですし……」
「もしかして宿題やってたのか?」
「はい、そうですけど」
「あっそう、せっかくだから見せて」
吉野先生は机の上に置きっぱなしだった宿題を奪うように取り、採点をするかのような真剣な目つきで読み始めた。
気まずい。構わなくていいから早く出て行って欲しかった。
正直、蘭は吉野先生が苦手だ。吉野正義――名前の通り正義感が強くて生徒思いの良い先生だと思う。実際、クラスに馴染めないでいる蘭の事も気にかけてくれているのかよく話しかけてくれる。けれど、そういうところが苦手だ。どうせ吉野先生も本心では蘭に構うのが面倒くさいと思っているはずだ、もしくは孤立している可哀想な生徒を助けている良い先生な自分に酔っているんだ。きっとそうだ、そうでないと自分みたいな人間に構う訳がない。
「これで良いと思う、明日忘れられても困るし預かっておこうか?」
「あっありがとうございます。お願いします」
心の中で悪態をついている時に話しかけられると少しだけ罪悪感にかられる。
「帰らないのか?」
「はい、読みたい本があるので」
本当は帰りたくないだけです。と蘭は心の中で呟く。
「小野寺、最近どうだ?」
「どうって……別に何とも無いですけど」
そうやっていつも吉野先生は構ってくる、正直このやり取りが苦痛だ。
「小野寺が何でも無いって言うなら信じるけど、何かあったら俺に言えよな。話聞くぐらいなら出来るから」
「それはどうもです、けど本当に何でも無いので大丈夫です」
本当は何でも無いは嘘になる、いつだって不安だし辛い……でも何が不満なのかもう自分でも分からないし、吉野先生に相談してどうにかなるとは思えない。
「分かった。じゃあ職員室に戻るから、なるべく早めに帰れよ」
吉野先生はプリントを片付けながらあきれ気味にそう言った。
しばらく沈黙が続いた、吉野先生が何か言いたげなのは察していたけど蘭は自分から話を振る事は出来なかった。
「小野寺……あのさ」
吉野先生にしては珍しく歯切れが悪い、何か問題でもあったのだろうか。
「早く帰れよな、物騒だし」
「えっ、分かりました。でも別にそんな物騒じゃないですよ?」
確かに今の世の中、確実に安全とは言い切れないけど蘭の通う中学は比較的平和なほうだ。不審者情報なんて入学してから一度も聞いた事が無い。
「まあな……」
「何なんですか? はっきり言って下さい」
思わず声を荒げてしまった。恥ずかしさと吉野先生の前で失礼な態度を取って怒られたらどうしようと不安になってしまう。
恐る恐る吉野先生を見ると意外にも怒っていなかった。お化けでもみているような眼をしている。
「ああ、すまん。ちょっとびっくりした、小野寺も大声出すんだな」
吉野先生はちょっと嬉しそうに笑った。
「大声くらい出せますよ。そんなに可笑しいですか?」
「可笑しくない、意外な一面を見れて嬉しかっただけだ」
「別に意外でも何でもないですよ。それよりも早く職員室に戻った方がいいんじゃないですか? ちゃんと言われ通り早く帰りますから」
ムカつく苛々する、でもそれ以上に恥ずかしい。別に大声出したっていいじゃないか、しかもそれを嬉しそうに笑うなんて……どうすればいいのか分からなくて目をそらしてしまう。
「ああ、笑って悪かったな、小野寺も早く帰れよ。この図書室良くない噂があるからさ」
「良くない噂……ですか?」
吉野先生の何気ない言葉が妙に引っかかる。もしかしてさっき伝えたかったのはこの事だろうか。
「あっ、いや何でもない。変な事言って悪かった」
「そこまで言われたら気になるんですけど……」
吉野先生は諦めたような顔をして、重い口を開いた。
「この学校の図書室にはお化けがいて、気に入った人間を小説の国に閉じ込めるんだとさ」
単調に感情を込めずに吉野先生は話しているけれど、目は真剣でものすごく重大な何かを伝えているように感じた。
「でもそれってただの噂なんですよね?」
「まあな」
「ならそんなに警戒しなくても……それとも昔何かあったんですか?」
怪談話は信じないタイプだ。こんな下らない事をわざわざ言ってくる吉野先生に小腹が立つ。
「何かあったかと言われれば……あったな」
「えっ」
「十五年前に女子生徒がここで自殺した」
一瞬にして血の気が引いた。毎日来ている場所でそんな事があっただなんて、ぞっとしてしまう。
「職員室に戻るから。早く帰れよ」
吉野先生が去った後の図書室はさっきよりも暗く重苦しい雰囲気が漂っている。
ここに居続けるのも嫌だけど、家に帰るのはもっと嫌なのでここに残る事にした。
怪談やお化けを信じていない、それは嘘であり本当だった。
幼い頃、辛くて消えてしまいたいと思った事があった。自分で死ぬ度胸なんてなかったから、お化けに連れてって貰おうとテレビで見たお化けを呼ぶ方法を何度も何度も試してみた。来てくれますようにと願っていたのに結局来てくれなかったかたお化けなんていないんだと悟った。信じていたい気持ちもあったけれど一人寂しく待つよりは存在を否定してしまった方が楽だった。
けれど、さっきの吉野先生の態度や表情を見てしまうと、存在するのではと淡い期待を持ってしまう自分がいる。
「もし本当にいるんなら来てほしいよ……」
ああ、なんだか眠くなってきた。ちょっとだけ休んで帰ろう、蘭は椅子に座ったまま瞳を閉じた。
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