小説の国
水晶院
第1話 宿題と名前
side 小野寺蘭
「本日の宿題は自分の名前の由来について作文を作ること、提出は明日だ」
小野寺蘭は国語教師の吉野正義先生の言葉を聞いて思わず気が沈んだ。
十四年間生きてきた中で、一度も自分の名前と向き合った事なんてない、むしろ改名したいくらいなのにこの宿題は残酷だ公開処刑だ。
蘭――その花言葉である優雅。幼い頃は大して気にしていなかったが、男として成長するために低くなった声や、大きくなろうと無駄な努力をしている身長、やたら骨っぽくなる身体に微塵も優雅さなんて感じられない。いつからか自分の名前なのに自分の物じゃないような気がしてしまった。
そんな事を考えているうちに国語の授業は終わっていた。これで今日の授業は終わりだと思うと、とても清々しい。かといってすぐに家に帰りたい訳でもない。そんな時には図書室にでも行って時間を潰そう、宿題もあることだし辞書や図鑑でも開いて妥当で無難な名前の由来を作り上げよう。そう決意した蘭は帰り支度をした、途中「またね」「さようなら」と帰りのあいさつが聞こえたが自分に向けられた言葉では無いと理解しているので何も言わず、誰とも目を合わせず足早に教室を出た。
この学校の図書室は蘭のお気に入りだ、本の種類が多いので今回みたいな場合には丁度いい。
こんなに便利な場所なのに何故か人の入りが少ない――確かに他の生徒は部活動などで忙しいと思う、それにしてって不自然なくらいだ。
まぁ、いいか自分には関係の無い事だし学校で唯一心が休まる場所を邪魔されたくない、下らない事を考えてないで宿題を終わらせてしまおう。蘭は適当に取った辞書や図鑑を眺めながら鉛筆を走らせた、ああ、面倒くさいと思いながら。
「よしっ、出来た」
一時間という妥当な速さで宿題を終わらせると安堵と開放感からか独り言が多くなってしまう。
「大体、吉野先生もなんでこんな幼稚な宿題を出すんだろ小学生じゃないのに、名前の由来なんて別にどうだっていいじゃん。父さんも母さんももっと男らしい名前にしてくれれば良かったのに、男で蘭とか何考えてんだか」
本当は分かっている自分が生まれた頃、小野寺家はそれどころじゃなかった、命の誕生よりも重大で悲しい出来事があったのだ。分かっている理解もしている納得もしているつもりだった。けれどやりきれないと思ってしまうのは我儘だろうか。
自分が生まれる前の事なのにそれは呪いのように蘭を縛り人生を狂わせたと言っても過言ではなかった。
「適当に何か読んでから帰ろう」
今のままの気持ちで帰りたくなかった。こんな時は小説を読んで気を紛らわせるのが蘭の癖だ。本の世界である時は勇者、ある時は怪盗、吸血鬼や魔法使いになって小説の世界を巡るのが好きだった。
そんな事ばかりしているからクラスメイトから気味悪がられるのだろう、けれどそれ以外に心の隙間を埋める方法が分からなかった。
図書室の本は殆ど読みつくしてしまったが、今日はどうしても新しい小説が読みたい。見落としが無いように隅々まで探していると一冊のノートが本と本の間に挟まっていた。
少し古いけれど丁寧に使用されていたのがわかる、人のノートを勝手に見るなんて普段なら絶対にしないが無意識にページをめくってしまった。
「これは……小説?」
女の子らしい丸文字でおとぎ話のようなストーリーが綴られていた。蘭は衝動的にその小説が読みたくなり、図書室に誰も居ない事を改めて確認してから席に着いた。
どんな話が書かれているのだろう、久しぶりにわくわくしている自分がいた。
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