第18話

 朝練が終わり、校舎の脇にある水道へ向かった俺は、蛇口を一気に捻ると、そのままジャブジャブと顔を洗う。


「ふう……やっぱ、気持ちいいわ」


 最近俺の周りでは、友達の悟と、その幼馴染の桐野、

そして俺を入れた、奇妙な三角関係みたいな物が出来上がってしまっていた。


 しかし、結局のところ、悟が桐野を好きだったってことは俺の勘違いで、

フラれたのは、俺と桐野だけだったようだ。紛らわしいのは、桐野は悟に、俺は桐野にフラたことで、

全ては一方通行ということなのだった。


 そんなグチャグチャした気持ちを、俺は部活へ向けることにした。

 全力で走って、限界まで力を出し切った後は、やっぱりスッキリするし、

俺は結局、とにかく走るのが好きなんだと実感する。


「よし! 教室へ行くか」


 そうやって、俺が教室へ戻ろうと思った時だった。

 校門の方から誰かが走って来て、俺の数メートル前を横切った。


「今の、桐野……?」


 走っていった方向は校舎の裏側だ。

 もうすぐ始業のチャイムが鳴るのに、どうして教室へ向かわずにそんな場所へ行くのだろうか。


「何だが分からんが、放っておく訳にもいかんよな……」


 俺も急いで、桐野の向かった方へ走りだした。


 俺は走ることには自信があるが、それでも思ったより追いつくのに時間がかかった。

 桐野は家の事情で部活動はしていないが、どうやら運動神経はかなり良いようだ。――だが、


 俺が真後ろまで迫っても、桐野は全く気が付かなかった。

 理由は分からないが、そこまでの余裕はないらしい。


 そして、そのまま校舎裏まで来ると、そこで桐野は、ピタっと止まった。

 「お……おい、桐……」


 俺は、声を掛けながら桐野の肩を叩こうとして――しかし、触れる寸前で手を止めた。

 見ると、その肩が小刻みに震えていたからだ。


 泣いている……のか?

 俺は、そんな桐野の後ろ姿に一瞬ためらったが、意を決してもう一度、

今度はちゃんと桐野に聞こえるように声を掛けた。


「おい、桐野。どうした? 何かあったのか?」


 すると、その声に反応するかのように、桐野の肩がビクッと震え、

そして恐る恐る、ゆっくりとこちらへ振り向いた。


 見ると予想通り、桐野の目は真っ赤に充血していて、頬には涙の跡が残っている。――泣いていた……。


「あ、秋本……ど、どうして……」

 桐野は焦ったように涙を拭きながら、俺に聞いた。


「いや。もう授業も始まるってのに、お前がこっちへ走っていくのが見えたからさ。

余計なお世話かもしれないが、ちょっと心配になってな」


「そ、そうだったんだ。……ご、ごめん……こっちこそ、なんか余計に走らせちゃって。……朝練の後でしょ?」


「いいんだよ、そんなことは。――それより、一体どうしたんだ? 朝から尋常じゃないだろ。その感じは」


「な、なんでもないの……こっちのことだから」


「んな訳あるか。そんな顔見せられて、はい、そうですかって納得するほど、俺は物分り良くねえっての。いいから言ってみろって」


「け、けど……」


「あー分かった。アレか。俺がお前に告白したから、話しづらいとかだな?

だったら気にすんな。俺は部活で忙しくて、そんなこと全部忘れてたよ。

今はそれより、お前がどうして泣いてるかの方が、気になるっての」


「秋本……」



 ――その後、俺は桐野から話の一部始終を聞いて、そして納得した。

 道理で俺には話しづらかったはずだ。要するに、これは振った相手に失恋の相談をするみたいなことなのだから。


「確かに、悟は以前、好きなやつがいるみたいなことを言っていたからな。

その子がその相手なのかは分からないが、でも、多分そういうことなんだろう……」


「突然だったから……私驚いて……ごめん、秋本。こんな話」


「謝るなよ。別にお前は何も悪くないだろ。……そして悟もな」


「うん……」


 そう桐野が答えたその時、同時に始業を告げるチャイムが校舎に響き渡った。


「あ、いけない。授業始まっちゃう……い、行かないと」


 だが、焦って教室へ戻ろうとする桐野を、俺は呼び止めた。

「まぁ、待て桐野。少し息抜きしろ。家のこともあるし、最近ちょっと頑張りすぎなんだよ、お前」


「え……?」


「俺が付き合ってやる。今日一日な。ほら、いくぜ」

言いながら俺は桐野の腕を取り、校門の方へ向かって歩き始めた。


「ち、ちょっと、秋本。ど、どういうこと?? どこ行く気??」


「まぁまぁ、いいから。俺にまかせろって」


 戸惑う桐野を、俺は強引に校舎の外へ連れ出した。

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