第3話 学び舎の花巡り~春

 さくりさくりと、土を掘る。

 はらりはらりと、雪が降る。

 さくりさくりと、土を掘る。

 はらはらはらりと、涙が落ちる。

 こぼれ落ちる涙をけん命にぬぐいながら、土を掘った。

 さくりさくりと、土を掘った。

 掘り上がった穴に箱を入れた。

 ぱさりぱさりと、土をかけた。

 ぱらりぱらりと、種を蒔く。

 ぱさりぱさりと、土をかけた。

 穴はそれで、完全に見えなくなった。



# # #



 ざっくざっくと土を掘る。

 時は五月の下旬。場所は葉南東はなみひがし中学校の校庭東南にある花壇。

 掘っているのは、葉南東中学校の生徒、浅海あさうみ涼汰りょうた。今年の四月に葉南東中学校に入学したばかりの新入生だ。クラスは、一年三組である。

 なぜ土を掘っているかと言えば、部活中だからだ。涼汰の入っている部活は、園芸部。学校内の花壇を耕し、綺麗な草花を植えたり育てたりして、学校を華やかにするのが主な活動内容なのだ。

 本当は、何部に入るつもりも無かった。帰宅部になって、毎日授業が終わったらさっさと家に帰って。宿題をしたりゲームをしたりに時間を費やすつもりだった。……のだが。

「部活、入ってないのか? じゃあ、バスケ部入りなよ! バスケ、バスケ! バスケは楽しいぞー。思う存分、青春ができるぞー!」

「テニス部、入ってくれよ。一年の数が少なくて、球拾いつれーの」

「浅海君、帰宅部なんだ? だったら、合唱部入らない? 男声パートが欲しいからクラスの男子捕まえてこいって、先輩達がうるさいんだよねー」

 ……とまぁ、こんな具合に。帰宅部というのは、その能力の有無に関わらず、部活勧誘の標的になりやすいらしい。クラス担任の篠原先生は、クラス全員が部活に入っている、という状況を望んでいるらしく、「何か部活に入れ。決まらないなら剣道部はどうだ」としつこく言ってくる。

 正直、運動部に入る気は全く無い。練習がキツいのも嫌だが、まず上下関係に厳しくて、めったやたらと「まだまだぁっ!」「もう一本んんん!」などと熱血する空気が肌に合わない。自分のペースでのんびりとやりたいのだ、涼汰は。

 他の学校の事は知らないが、少なくとも葉南東中学校の合唱部は超が付くほどの女所帯だ。うっかり入った男子生徒は、貴重な男手と言う名の、哀れな奴隷と化してしまっていると聞く。そんなところに入るのはごめんである。

 ……と言うか、テニス部と合唱部は勧誘する理由をもう少しぼかしてほしい。

 文化部なのにノリが運動部であるともっぱらの噂になっている演劇部と吹奏楽部には最初から近寄らないようにしている。

 そうなると、消去法とやらで残ったのは園芸部だけになってしまった。

 土や肥料を運ぶのに力が要ると聞くし、泥だらけになるのにも多少抵抗はあった。……が、熱血の空気にさらされたり、〝貴重な男手〟にされてしまうよりはずっとマシであると判断し、入部したのが四月の下旬。

 それから約一ヶ月。今では肥料の臭いにも、泥だらけになるのにも慣れ、朝に夕に、掘ったり埋めたり水を撒いたりの毎日である。

 今は、咲き終わった春の花の残骸と言うべき根っこを引き抜き、土をかき混ぜる作業中だ。少しの間、何も植えずに土を休ませてやると、その間に栄養を蓄え、またきれいな花を咲かせてくれる……らしい。

 先輩達の話だと、この学校の花壇は、校庭の東西南北にあり、季節ごとに花が咲いている花壇は一つだけ。それ以外の花壇は土を休ませているか、種を蒔き終り芽が出るのを待っているか、なのだそうだ。……という事は、春に使っているらしい、この東側一帯の花壇に次に何かを植えるのは早くても冬の中ごろぐらいだろうか。

 土の中に残っていたヒナギクの根っこを、そろそろ除去し終わるだろうか、という時。スコップが何か硬い物に当たり、ガキン、と音を立てた。

「った!?」

 ジンジンと痺れる右手を振りながら、涼汰は土の中を覗き込んだ。何やら、角のある物が土の中から顔を覗かせている。お菓子か何かの箱のようだ。

 スコップで周りの土を丁寧に取り除き、発掘を試みてみる。テレビで見た遺跡調査みたいだな、と思うと、少しだけ笑えた。

 結果、手のひらに載るぐらいのサイズの箱が土の中から出てきた。材質はスチールあたりだろうか? 元々はパステルカラーできれいな模様が描かれていたようなのに、土の中で錆びたのか腐食したのか、あちこちが茶色くボロボロになってしまっている。

「誰だよ、こんなところにこんな箱埋めたの……」

 ぐちぐちとこぼしながら蓋に手をかけ、そこでぴたりと動きを止める。

 ひょっとして、タイムカプセルだったりしたら? 勝手に開けて、知らない女の子の宝物でも出てきたりしたら、悪い気がする。

 もし、何か危ない物が出てきたりしたら? サスペンスドラマや推理マンガみたいに、この中から人間の指が出てきたりして、それが切っ掛けで何か複雑な事件に巻き込まれ、あげく犯人に命を狙われたりしたら?

「……ま、んな事が現実にあるわけねェか」

 だって、タイムカプセルを埋めるような時期――春の初めにはこの花壇には花が咲いていて掘ったり埋めたりなんてできない。

 自分が殺人事件の犯人なら、重要な証拠品や死体の一部を、人目に付きやすく、こんな風に中学生に発見されてしまうような場所に埋めておいたりしない。人里離れた山奥に埋めに行くだろう。

 そう結論付けて、涼汰はあっさりと蓋を開けた。中身を確認しなければ、どうしようもない。

「……何だ、これ?」

 顔をしかめて、涼汰は箱の中身をつまみあげた。

 入っていたのは、花柄の可愛らしいメモ用紙が一枚だけ。幸い虫に食われる事は免れたようだが、隅が少し黄ばんでしまっている。

 ……いや、それは別に問題ではない。問題は、そのメモ用紙に書かれている内容だ。

 

 花見は東でせぬように。

 そこに見るべき物は無い。

 葉も要らぬので、見ぬように。

 見ても宝はありはせぬ。

 左右に七を従えた、人の行き交う中の土中。

 深く奥底覗き見よ。


「……意味わかんねぇ……」

 首をかしげながら、涼汰は近くで作業をしていた二年の山下の元へ行く。振り向いた山下に、涼汰は経緯を話しながらメモを見せた。

「これが、土の中から出てきたのか?」

 睨むようにメモを覗き込む山下に、涼汰は頷いた。山下は泥だらけの腕を組み、「うーん……」とうなりながら、穴が開くほどメモを見詰めている。……が、すぐに腕をほどくと、大きく息を吐いた。

「わっかんねぇ……。何か暗号っぽいな、とは思うんだけどさ」

「暗号……ですか?」

「おう。それっぽいだろ?」

 涼汰は、改めてメモ用紙に書かれた文面に目を通した。なるほど、言われてみれば、たしかに暗号っぽいかもしれない。

「たしかに……」

 山下が、「だろ?」と胸を張った。そして、涼汰の肩をぽん、と叩く。

「じゃあ、せっかくだからさ。その暗号、解いてみろよ」

「え?」

 突然の提案に、涼汰は目を丸くして山下を見た。しかし山下は、機嫌良さそうに涼汰の肩を叩き続けるばかりで、涼汰の呆気にとられた顔には全く気付いてくれていない。

「解けたら、何が示してあったのか教えてくれよ。じゃあ、がんばれ!」

 そう言い残して、山下は取り終えた根っこを捨てるため、花壇から去ってしまった。辺りを見渡せば、他の部員たちは興味深そうに涼汰の事を見ている。……が、暗号解読を手伝ってくれる気は無さそうだ。

 困ったように再度辺りを見渡して。やっぱり手伝ってくれる人間はいないらしいと諦めると、涼汰はメモをジャージのポケットに突っ込んだ。



# # #



 家に帰り、制服から私服に着替えて。涼汰はごろりとベッドに寝転がった。仰向けになって例のメモ用紙を眺めてみるが、相変わらず何が書いてあるのかはさっぱりだ。これが山下の言う通り暗号だとして、どこからどう考えれば解けるのかが全然わからない。

「……ひょっとしてこれ、中学生じゃ解けない内容だったりして」

 悔し紛れに、そう考えてみる。例えば大人になれば解ける内容なのだとしたら、中学生の涼汰や山下が解けないのも当たり前ではないか。

「ただいまー」

 玄関から、姉が帰宅を告げる声がした。そこで涼汰は、ぽん、と手を打つ。

 姉の海津みつは大学生だ。当然、涼汰よりもたくさんの言葉や社会のルールを知っている。海津なら、この暗号も解けるのではないだろうか。

 階段を登る音が聞こえて、隣の部屋のドアが開き、閉まる音が聞こえた。そこで涼汰は早速海津の部屋へと向かい、ドアを軽く叩く。

「姉ちゃん? 入るよ?」

 返事を待たずにドアを開けると、海津の部屋にもう一人、いた。海津と同じぐらいの年頃だろう女性だ。

「あ、お邪魔してます」

「あ、ども……」

 慌てて、軽く頭を下げる。すると、下がった頭を海津に叩かれた。

「あんたって子は……。返事くらい待ちなさいよ」

 そう言ってから、海津は一緒にいた女性に対して、涼汰を指差して見せる。

「あ、これ弟の涼汰」

「これって」

「あんたなんか、これで充分だって」

 漫才のような浅海姉弟の会話に、紹介された女性はくすくすと口に手を当てて笑っている。海津と違い、大人しいタイプのようだ。

「涼汰くん、はじめまして。私、お姉さんと大学で仲良くさせてもらっています。児玉と言います」

「あ……どうも、はじめまして」

 丁寧にあいさつされ、涼汰も思わず丁寧に頭を下げ直した。そんな涼汰よりまだまだ背が高い海津は、涼汰を見下ろしながら問う。

「……で? 何か用があったんじゃないの?」

「あ、そうだった。姉ちゃん、これ解ける?」

 メモを取り出し、海津と児玉に見せる。怪訝な顔をする海津たちに、涼汰はこのメモ用紙を家に持ち帰るまでの過程を語った。

「なるほど。それで、大学生の私達なら解けるんじゃないかと?」

「そうなんだ」

 頷く涼汰の前で、海津は両手を上げて見せた。万歳、もしくは降参のジェスチャーである。

「ごめん、全然わかんない」

「早いよ! ……って言うか姉ちゃん、考えてないだろ!」

「うん。だって考えるの面倒だし」

 あんまりな回答に、涼汰はがっくりと肩を落とした。恨めし気な目で、二人の大学生を見る。

「児玉さん……うちの姉ちゃん、こんなんで大学の授業、大丈夫なんですか?」

「えぇっと……浅海さん、授業は真面目に受けていますよ? 提出物も期限に遅れたところなんて見た事ありませんし」

「本当に有能な人物というのは、全てに全力で取り組んだりしないものなのさ、弟よ」

「姉ちゃん、キャラ違ぇ」

 とにもかくにも、海津は頼りになりそうにない。涼汰は、救いを求めるように児玉に視線を寄せた。

「そうですね……」

 児玉は困ったような顔をするともう一度メモ用紙を読み、少し考えてから「そうだ」と呟いた。

「私にはわかりませんが……解けそうな人ならいますよ」

「え、マジ?」

 目を見開く涼汰に、児玉は「はい」と頷いた。

「仁志山駅って、わかりますか? その駅前に、フラワーショップ・フェンネル、っていうお花屋さんがあるんですけど……」

「……は? 花屋?」

 暗号解読と何ら関わりが無さそうな単語が出てきて、涼汰と海津はぽかんと口を開けた。だが、児玉は冗談で言ったわけではないらしく、真面目に「はい」と頷いている。

「そのお店の、間島さんという店員さんが、こういった謎を解く事が得意らしいんです。実際、私も一度だけ」

「あぁ、彼氏に渡されたお使いメモが暗号になってて、何を買えば良いのかわからなかったっていう、あれ? その店員さんに解いてもらったんだ。……ってか、そのお使いメモ、暗号を利用した彼氏からの告白だったんでしょ? 全く関係無い人に見られちゃって、二人ともお気の毒ねぇ」

「あ、あの。浅海さん、今はその話は……」

 恥ずかしそうに慌てる児玉に、海津は「ごめんごめん」と謝っている。……が、顔が笑っているので、悪いとは思っていないのだろう。

「仁志山駅なら、そんなに遠くないじゃない。明日休みなんだし、行ってみれば?」

 バリッとポテトチップスの袋を開封しながら、海津が言う。渡された袋からポテトチップスをつまみ上げながら、児玉が頷いた。

「明日いらっしゃるかどうかはわかりませんけど……間島さんなら、きっと相談にのってくださると思いますよ。とても親切な方でしたし」

「わからないよー。女の子にだけ親切な野郎だったりして」

「そんな方には見えませんでしたけど……」

 そのまま雑談に突入してしまった二人の女子大生に背を向け、涼汰は海津の部屋を後にした。これ以上は、どう粘っても二人とも考えてくれそうにない。

「仁志山駅か……」

 少し黄ばんでしまっているメモ用紙を眺めながら、涼汰は呟いた。



# # #



 昔は、土曜日でも午前中は授業があったのだと言う。涼汰は土曜日が毎週休めるようになって良かったと思うが、昔を知る先生に言わせると、土曜日は「午後にたっぷり遊べる」というワクワクが大きくて、むしろ一日休みの今よりも楽しかったのだそうだ。一々電話やメールをしなくても、学校で友達と遊ぶ約束や打ち合わせができるという利点もある。

 そんな馬鹿なと思っていた涼汰だったが、園芸部で休日登校した今なら、少しだけその気持ちがわかるような気がする。

 一日休みだと、つい一日中家でダラダラ過ごしがちだ。しかし、部活でも授業でも、一度学校に来てしまえば、その後別の場所へ出向くのがそれほど面倒ではない。結果として、有意義な一日を過ごせるような気がする。

 今日だって、園芸部の活動が無ければ、家を出るのが面倒で、結局一日ゴロゴロしていたかもしれない。そうなると、きっと例の花屋には行こう行こうと思いながら、行かずじまいになってしまっていた可能性だってある。半日だけ授業というのも、案外悪くないのかもしれない。

「仁志山駅の前……ここか」

 家からそれほど離れていない土地だ。電車に乗って来るまでもない。店の前に自転車を停め、涼汰はドアの前に立った。

 緑色に塗られた木枠にガラスがはめ込まれた可愛いドアの横には、「フラワーショップ・フェンネル」と彫り込まれた、これまた可愛らしい金属製の看板がかかっている。

「……よし!」

 意を決して、ドアを開ける。カランコロンと、ドアベルが軽快な音をたてた。

「いらっしゃいませー」

 ドアベルの音が聞こえたのだろう。店の奥から、一人の男性が顔を出した。歳は、多分三十前後。柔和な顔つきで、保育園の保父さんを思い出させる笑顔を浮かべている。クリーム色のポロシャツにジーンズ、黒の長靴にエプロン。服装を見ても、間違いなくこの店の店員だ。

「どんな花をお探しですか?」

「えっと……間島さんという店員さんは、今日、いますか?」

 問うと、目の前の相手は目を丸くして「えっ」と呟いた。そして、観察するように涼汰の事を上から下まで眺めてくる。

「えーっと……ちょっと待ってね? 和樹くーん!」

「何ですか、乾さん?」

 男性――乾というらしい――が奥に声をかけると、すぐにもう一人、この店のエプロンを身に付けた青年が顔を出した。ライトブルーのポロシャツにジーンズという姿が爽やかで、海津と同じぐらいの歳だろうか。ちょっとしたイケメンという雰囲気である。

「なんか、中学生ぐらいの男の子が、和樹くんをご指名なんだけどさ。……何やったの? まさか、彼氏持ちの女子中学生をナンパして、彼氏の恨みを買った……なんて話じゃないだろうね?」

「しませんよ、そんな事! 乾さん、俺を何だと思ってるんですか!?」

「いや、だってさ。和樹くんがうちの店でアルバイトを始めた動機って、花屋の店員って心優しい草食系男子に見えて女の子にモテそうだから……でしょ? 和樹くん、顔は良いんだし。ついつい無意識のうちに女子中学生をナンパするぐらいは有り得るかなぁ、って」

 乾の言葉に、青年――和樹はがくりと肩を落とした。そして、ノロノロと顔を上げる。

「それで……その俺をご指名の中学生っていうのは?」

「あぁ、そうそう。そうだった。彼だよ。……君、僕は店長の、乾洋一。そしてこれが、君ご指名の間島和樹くん。うちのアルバイト店員だよ」

「これって」

 どこかで見たようなやり取りを繰り広げてから、乾と和樹は涼汰に目を向けた。何と切り出せば良いものかわからず、涼汰はとりあえず生徒手帳を取り出して見せてみた。ドラマで刑事が警察手帳を出すような仕草になってしまい、少しだけ、恥ずかしさで声が上ずった。

「えっと、俺……浅海涼汰って言います」

「……これまた、随分と涼しげな名前だねぇ……」

「……あー……」

 ずれた乾の反応に、涼汰は間抜けな声を発した。たしかに、涼汰と言い海津と言い、名前に使われている漢字四文字全てがさんずい編というのは、いささかやり過ぎ感がある。

「……って、それは今回の話とは関係無くてですね。間島さんが暗号解読が得意だって話を聞いて、この店に来たんです」

「……は?」

 眉をひそめて首をかしげた和樹と乾に、涼汰はこれまでの経緯を話した。山下や海津に説明して、今回で三度目だ。さすがに、すらすらと説明できるようになっていた。

「それで、姉ちゃんの友達の……児玉さんって人に、間島さんが暗号を解くのが得意だって聞いたんです」

「児玉さんかぁ。そう言えば、彼女が持ち込んできた暗号、和樹くんが鮮やかに解いて見せたんだったねぇ。……彼女、元気にしてた?」

「あ、はい!」

 頷いて見せた涼汰に、乾は「そっかそっか」と満足そうに首を振っている。

「それで……どうでしょう? 解けそう、ですか?」

「そうだなぁ……」

 腕組みをしながら、和樹はメモ用紙を見詰めている。そのポーズが先日の山下とダブり、涼汰は少し不安になった。

「まず、これだけで解くのは難しいと思うよ。だから……いくつか、質問をしても良いかな?」

「え? は、はい!」

 勢いよく頷いた涼汰に、和樹は苦笑しながら口を開いた。

「まず、最初に言っておくと。……これは、俺のカンなんだけどね。この暗号が示す物は、涼汰くんの通っている中学校の敷地内にあるんじゃないかと思うんだ」

「えっ……!?」

 驚く涼汰に、和樹は「カンだよ」と言って念を押す。

「ただ、敷地内の様子がわからないんじゃ、これ以上は解きようが無いと思うんだ。だからまず、君の中学校の敷地内に、どの建物がどういう風に配置されているのかを教えてくれないかな?」

「え? えぇっと……」

 目を白黒させながら、涼汰は普段通っている学校の風景を思い描いた。入学して二ヶ月……校内で迷う事は無くなったが、他人に説明しようとすると、まだまだ難しい。

「敷地は、長方形で……北側に、校舎が二つ並んでいます。北側の校舎は四階建てで、南側の校舎は三階建て。北校舎には一年生と二年生の教室と、家庭科室や理科室なんかがあって……南校舎には、三年生の教室と、職員室と進路指導室と図書室が入っていたと思います。あとは……」

「焦らなくて良いよ。ゆっくりで良いから」

 和樹が優しく言ってくれるので、涼汰は一度息を吐き、吸った。

「えぇっと……西側に、南校舎に直角になるようにして、体育館があります。それと、体育館の南には格技場って呼ばれてる小さい体育館が……」

「格技場? ……あぁ。そこって、部活の時間になると畳を敷いて、柔道部が練習したりするような場所?」

「乾さん、中学で柔道部がある学校って、少ないんじゃ……」

 和樹の言葉に、乾が驚いた顔で「えー?」と言う。

「けど中学なら、男子は体育で柔道をやったりするんじゃないの?」

「それも、今は学校ごとに体育科の先生の裁量で決める事になってます」

「えっと……柔道部は無いし、体育で柔道をやるかもわかりませんけど、畳はあります。部活の時間は、剣道部と卓球部が主に使ってるみたいですが」

 脱線しそうになった話を元に戻すべく、涼汰は二人の会話に口を挟んだ。どうもこの花屋、見ていると漫才か何かを観ている気分になってくる。

「それで、えっと……南校舎の南側で、体育館と格技場の東側になる残りの部分は、全部運動場です。結構広くて、サッカー部と野球部とソフトボール部とラグビー部とテニス部と陸上部が同時に練習していたりします。……あ、運動場は北東の一部がネットで仕切られていて、その中にテニスコートを作るためのポールを立てる場所があるんです」

「な、なんか部活の時間がにぎやかそうだね。……部活同士でケンカとか起きないの? それ……」

「あ、時々野球部とソフトボール部が、ハンデ付きで野球かソフトボールで対決してるみたいです。あと、ラグビー部とサッカー部もたまーにハンドボールをやってますね」

 その様子を見るたびに「運動部に入らなくて良かった」と思う涼汰だが、当の運動部員たちは楽しそうである。

「ところで、涼汰くんがそのメモを見付けた、花壇の話がまだ出てないよね?」

 和樹に言われて、涼汰は「あぁ」と呟いた。そうだ、園芸部として、それは忘れてはいけない。

「花壇は、運動場をぐるりと囲むようになってます。……と言っても、完全に取り囲んでいるわけじゃなくって、幅三メートル、奥行き一メートルくらいの物が、二メートルぐらいずつ間隔を置いて並んでいる感じですね。北と南には十五ずつあって、東と西は……十一か、十二だったかな?」

「なるほどね。それで、涼汰くんがこのメモを見付けたのは……」

「東側……と言っても、かなり南寄りの場所にある花壇です。南から二つか三つ目?」

 ふむふむと相槌を打ちながら、和樹はずっとメモ用紙を睨んでいる。眉間に皺が寄っているが、そこそこイケメンだからか、それもなんだか様になっている。……ちょっとだけ、悔しい。

「じゃあ、最後の質問。この学校、門はどの辺りにあるのかな?」

「門? ですか?」

「そう。校門」

 うなりながら、記憶を絞り出す。たしか、三か所にあったはずだ。

「たしか……北には業者さんなんかが出入りするための門があって、そこはトラックが出入りしたりもするので、結構大きいです。西は先生達とお客さん用で、そんなに大きくないけどパッと見立派な門があって……南側に、俺達生徒用の門があります。生徒の数が多いからか、この門も北門と同じぐらい大きかったような……」

「それで……その三つの門は、それぞれの面の、どこにあるかわかるかな? 例えば、北門なら北校舎のどの教室から見た場所にあるのか、とか」

「え!?」

 涼汰は、再び目を白黒させた。そこまで細かく門を観察した事は無い。

「えーっと……北門は、塀のど真ん中辺りにあったと思うんですけど、どの教室の前かまでは……すみません」

「謝らなくて良いよ。わかる範囲で良いから」

「……西門は、先生達の出入りがしやすいように、職員室の前にあります。だから、西側のやや北寄りですね。南は……少し東よりだけど、運動場から見れば、真ん中です」

「なるほど。……と、いう事は……」

 呟き、和樹は少しの間だけ考え込んだ。そして、「うん」と頷くと、涼汰に向き直る。

「多分わかった……かな?」

「えぇっ!?」

 涼汰よりも先に、乾が驚いた声を発した。

「もうわかっちゃったの!?」

「はい。まず一行目のこの文ですが……」

 そう、和樹が説明しかけた時だ。カランコロンと、ドアベルの軽快な音が鳴り響いた。

「あ、いらっしゃいませー!」

 条件反射とでも言うように、和樹と乾がドアの方へと視線を寄せる。

「ごめん、謎解きはちょっと待っててくれるかな?」

 涼汰が頷けば、二人はいそいそと客の方へと向かってしまう。その後ろ姿は、どう見ても普通の、町の花屋さんだ。

「……本当に解けたのかよ……?」

 疑わしげに呟きながら、涼汰は自分でももう一度考えるべく、メモ用紙に目を落とした。



# # #



「ごめんごめん、お待たせしちゃったね」

 数十分後、接客を終えた乾と和樹が、鉢植えコーナーで待ち続けていた涼汰の元へ戻ってきた。乾は何故か、菓子の箱を持っている。待ちくたびれていた涼汰は、思わず二人の事を睨んだ。

「間島さんも乾のおっちゃんも、遅いですよ」

「おっちゃ……! ちょっと、僕、ギリギリ二十代なんだけど……」

「仕方ないですよ、乾さん。中学生から見れば、二十代後半なんてオジサンですから」

「……言ったね? 四年後に同じ事、言えるものなら言ってみなよ?」

 ひとしきり漫才のような会話を演じてから、乾は涼汰に、手にある菓子箱を指差して見せた。

「常連さんが、お菓子をおすそ分けしてくれたんだ。丁度良いから、これから休憩時間にして、お茶を飲みながら和樹くんの推理を聞くっていうのはどうかな?」

 その横では、和樹がレジカウンターの中でごそごそと何かを探している。取り出されたそれを見せてもらえば、「ただいま休憩中」と書かれた看板だ。

 看板をドアに引っかけ、乾がバックヤードへと続くドアを開けた。男ばかりの店だが、中は案外片付いている。乾の仕事用と思われる事務机の他に、パイプ椅子が四脚と、今はやりのDIYとやらで作ったのかと訝りたくなる雑な作りのテーブル。事務机の上には、型落ちもののデスクトップパソコンが一台、置かれている。

 給湯スペースで乾が三人分の茶を淹れ、和樹がテーブルに菓子を広げた。そして三人揃って椅子に座ったところで、和樹が「さて……」と口を開く。

「じゃあ、早速あの暗号の説明を始めようか」

「はっ……はい、お願いします!」

「まぁまぁ、そんなに固くならないで。ほら、お菓子食べなよ」

 乾に促されて、涼汰は個包装になっているチョコチップクッキーを手に取った。乾と和樹もそれぞれ、ジンジャークッキーとママレードジャムクッキーを手にしている。

 一口大のクッキーを口に放り込み、かみ砕いて飲み込む。マグカップからストレートの紅茶をすすりながら、和樹はメモ用紙の文章を指差した。

「まずは、確認。メモ用紙に書いてある文章は、この通りだね」


 花見は東でせぬように。

 そこに見るべき物は無い。

 葉も要らぬので、見ぬように。

 見ても宝はありはせぬ。

 左右に七を従えた、人の行き交う中の土中。

 深く奥底覗き見よ。


「この暗号を解く最初のポイントは、このメモ用紙が発見されたのが、涼汰くんの通う中学校の敷地内だという事。〝花見は東でせぬように〟……〝花見〟で、〝東〟ときたら、涼汰くんは何か思いつく事が無いかな?」

「え?」

 言われて、涼汰はクッキーをかじりながら考えてみる。……が、特に思い浮かぶ事は無い。首を、横に振った。

「本当に? 例えば、生徒手帳の表紙を見ても、思い浮かばない?」

「生徒手帳?」

 首をかしげながら、涼汰は生徒手帳を鞄から取り出した。校章と、学校名が印字されているだけのシンプルなデザインだ。

「……あっ!」

 しばらく見てから、涼汰は声をあげた。和樹が、ニヤリと笑う。

「学校名。それ、何て読むのかな?」

「葉南、東中学校……です」

「葉南東……あぁ、それ、〝はみなみ〟じゃなくて〝はなみ〟って読むんだ。……え? はなみ、って……」

 和樹が、頷いた。

「そう。暗号文の〝花見〟は、学校名を指しているんですよ。〝東でせぬように〟というのは、学校名から〝東〟という文字を除け、という事でしょうね」

「じゃ、じゃあ……三行目の、〝葉も要らぬので見ぬように〟っていうのも……?」

 涼汰は、再び生徒手帳の表紙を見た。その文字は、たしかに印字されている。

「同じように、〝葉〟の字も取り除け、という事だろうね。つまり、この文章を書いた人物が伝えたいのは、〝南〟という文字だけ。ここまでわかれば、何となく、〝宝物〟がどこにあるのかわからない?」

「学校の敷地の……南側。五行目に〝土中〟って書いてあるから……土の中?」

「そうか。更に六行目の〝深く奥底覗き見よ〟って言葉から考えると、結構深いところに埋まっている可能性があるね」

 明るい声で言う乾に、和樹は「そうです」と同意した。

「けど、南と言っても、葉南東中はかなり広いらしい。では、南のどの辺りにあるのか? それを示しているのが、五行目の文章です」

「〝左右に七を従えた、人の行き交う中〟……左右に、七?」

 涼汰と乾は、揃って眉間に皺を寄せた。その様子に苦笑しながら、和樹は新しいクッキーの袋を開け、かじる。

「先に、答を言っちゃいましょうか。南側にある、真ん中の花壇ですよ。南門の正面にある、ね」

「あっ!」

 答がわかり、涼汰は先ほどよりも大きな声をあげた。乾は、まだわからないような顔をしている。

「そう言えば……南門は、運動場から見れば南側の塀の真ん中にあるって言ってたっけ。門なら、大勢の人が出入りするから、人が行き交う場所でもあるね。……けど、〝左右に七を従えた〟っていうのは……?」

「乾のおっちゃんにも話したじゃん。南側に、花壇は十五あるんだよ」

「何で和樹くんには敬語で、僕にはタメ口なのかな……? ん? 十五?」

 涼汰と和樹は、二人揃ってニヤリと笑った。

「乾のおっちゃん、算数できる?」

「ここまでくれば、さすがにもう、説明は要りませんよね?」

 馬鹿にされているのにも構わずに、乾は少しの間考えた。次第に、目が丸くなっていく。

「あ……あぁーっ! そういう事か!」

 ぽんと手を打ち、「なるほどねぇ!」と一人合点している。

「左右に七。つまり左に七、右に七、あわせて十四。それを従えている王様的な存在もあわせれば、合計十五。花壇の数とぴったり合いますよね?」

「この文章だと、〝左右に七を従えた〟王様的な奴がメイン扱いになってるもんな。……つまり、南側ど真ん中の花壇ってわけ!」

 胸を張って言うと、涼汰はすっきりとした気持ちになりながら新たなクッキーに手を伸ばした。

「ありがとうございました、間島さん! モヤモヤしてたのが、すっげーすっきりした気分です!」

「良かったね。それで……今から早速、掘りに行くの?」

 問われて、涼汰はクッキーの袋を破りながら「あー……」と間の抜けた声を発した。

「それが……南側の花壇。ついこの前、夏の花の種とか苗とか、植えたばっかりなんですよね。目的の花壇は、ヒマワリだったかな……?」

「あー……それじゃあ、掘り返すわけにはいかないねぇ」

 紅茶を飲みながら、乾が残念そうな顔をしている。和樹も同様だ。

「そう。だから、掘り起こせるのは夏の花の始末をする、秋ごろになるのかな? ……あ、掘り起こしたら、何が出てきたのか報告しますね!」

「うん、楽しみにしてるよ」

 そう言って、和樹はニコリと笑う。やっぱり、イケメンだ。悔しいが敵わないな、と涼汰は思う。

 ……と、その時だ。カランコロンという軽快なドアベルの音が、店の方から聞こえてきた。

「ありゃ、お客さんだ。休憩中の看板、見落としちゃったかな?」

 乾が立ち上がり、店の方へと姿を消す。

「あれ、三宅さん。いらっしゃい、どうしたの?」

「え、三宅さん?」

 店から聞こえてきた乾の声に、和樹も立ち上がり、店へと出て行く。何となく、一人バックヤードに取り残されるのが嫌で、涼汰もついて行った。

 店へ行ってみれば、そこには和樹や海津と同じぐらいの歳であろう女性が一人、乾と話をしていた。セミロングの明るい茶髪に、すらりとしたパンツスタイル。どこか、海津と似たような雰囲気を持っている。

「三宅さん、今日はどうしたの?」

 和樹が声をかけると、女性――三宅は顔を和樹に向け、「あぁ」と呟いた。

「これ」

 言いながら、三宅は一枚の封筒を和樹に差し出してくる。和樹が受け取って見てみれば、何枚かの写真が入っていた。

「この前の、ゼミの飲み会の時の写真。ついさっき現像ができあがったのよ。写真屋さんからこの店が近かったから」

「ありがとう。何だか悪いなぁ」

 にこやかに話す二人を見ながら、涼汰は乾に近寄った。こそっと、小さな声で問う。

「……なぁ、乾のおっちゃん。あの人って、間島さんの彼女?」

「三宅さん? 彼女じゃないよ。もっとも、三宅さん本人は、彼女と間違えられてもまんざらじゃないだろうけどね」

「ふーん……イケメンで、頭が良くって、愛想も良いと、やっぱモテるんだなぁ……」

「そうだねぇ。……ただ、ねぇ……」

 含みのある言い方をする乾に、涼汰は「ん?」と首をかしげた。

「ところで間島くん、乾さん。その子は?」

 三宅が不思議そうに、涼汰の方に目を向ける。和樹は、「あぁ」と手を打った。

「紹介しないとね。この子、葉南東中の、浅海涼汰くん。涼汰くん、この人は、三宅友美さん。大学で俺と同じゼミで……中学でいうところの、クラスメートみたいなものなんだ」

「は、はじめまして」

「はじめまして。……へぇ。男子中学生が花屋さんにいるのって、何か新鮮な感じね」

「その気持ち、和樹くんがバイトを始めた頃に、僕も味わったよ。中学生じゃなくて、大学生だけど」

「でしょうねぇ」

 言いながら、乾と三宅は二人で和樹の事を見る。苦笑しながら、和樹は涼汰の肩に手をかけ、三宅を指した。

「えーっとね、涼汰くん。この三宅さんは、きれいな見た目とは裏腹に、中々男前でたくましい人なんだ。俺達の所属してる文学ゼミでも、姐御って呼ばれているぐらいでね。これから男として成長していく涼汰くんは、ぜひ見習った方が良いよ。うん」

 これはやばい、と涼汰が思った時には、既に手遅れだった。見れば、三宅は顔を真っ赤にして震え、乾は額に手を当てて「あちゃー……」と呟いている。

「中学生になんて事教えてくれるのよ! 最ッ低!」

 叫ぶや否や、三宅の平手が和樹のほおへと飛んだ。ぱぁん、という、乾いた小気味よい音が店内に響く。

「それじゃあ、乾さん。お邪魔しました!」

 そう言って、三宅は店を出て行ってしまう。ドアベルが、カランコロンと軽快な音を立てた。

「……え? 乾さん、俺……今、何かまずい事言いました……?」

 顔に真っ赤な紅葉マークを貼り付けたまま、和樹は呆然としている。涼汰は再び乾に近寄り、こそりと小さな声で問うた。

「……なぁ、乾のおっちゃん。間島さんって、ひょっとして……」

「うん。いわゆる、残念なイケメン、って奴だよ……」

「中学生の俺でも、あの言い方はまずいってわかるのに……」

「それがねぇ……不思議と、わからない人間っているものなんだよねぇ……」

「なんか……イメージが一瞬で変わったかも……」

「……その様子だと……和樹くんに対しても、タメ口で良くなった?」

「……うん」

 頷き、涼汰と乾は二人揃ってため息をつく。目の前では、相変わらず和樹が呆然と、ドアの方角を見詰めていた。

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